25.雪解け
アルヴェイン侯爵家へ戻った頃には、すでに日が暮れ始めていた。馬車の中、リシェルはずっと俯いたままだった。クラウスは向かい側で静かに彼女を見つめている。
「……リシェル」
「はい」
「まだ怖いか」
リシェルは少し迷ってから、小さく頷いた。
「……はい」
当然だ。突然『確保する』と言われた。しかもあの男の目には感情がなかった。本当に物扱いだった。
「ごめんなさい」
…またその言葉。
クラウスは眉を寄せる。
「だから何故謝る」
「だって、クラウス様まで危険に……」
「自分で選んでる。君を守るって決めたのは俺だ、だから謝る必要なんてない。」
リシェルは言葉を失う。迷いがない。本気で言ってくれている。
◇
侯爵家へ到着すると、屋敷中が騒然としていた。
「リシェル!」
侯爵夫人が駆け寄ってくる。その後ろには侯爵とセレナ、そしてグレイの姿もあった。
「ご無事ですか!?」
「は、はい……」
リシェルは驚いて目を瞬かせる。皆、本気で心配してくれている。それがまだ少し信じられない。
「詳細を聞かせろ」
侯爵の声は低かった。クラウスは簡潔に事情を説明する。魔術院特務部隊。監視。そして確保命令。話を聞き終えた侯爵の表情が険しくなった。
「……ついに来たか」
重い声。
侯爵夫人の顔も青ざめている。
「王家はそこまで……」
「正式手続きなしで動くなど、かなり強引です。恐らくあらゆる手段を用いてリシェルを確保しようとするでしょう」
沈黙が落ちる。
最初に口を開いたのはセレナだった。
「お姉様は渡しません」
強い声だった。皆が驚いて彼女を見る。セレナはぎゅっと拳を握っている。
「お姉様は悪いことなんてしてない!なのにどうして閉じ込められなきゃいけないんですか!」
涙目になりながら叫ぶ。
「やっと笑えるようになったのに……!」
その言葉に、リシェルは目を瞠る。セレナはずっと見ていてくれたのだ、自分が少しずつ変わっていくのを。じわじわと温かいものが胸に広がる。
侯爵は深く息を吐く。
「……すまなかったな」
突然の謝罪。
リシェルが目を見開く。
「お父様……?」
「今さらかもしれん。だが、お前に怖い思いばかりさせた」
侯爵の声は苦しそうだった。
「守るつもりだった…。だが結果的に、お前を孤独へ閉じ込めた」
リシェルは何も言えない。
侯爵夫人も涙ぐんでいる。
「愛していなかったわけではないのよ。それだけは分かって欲しいの」
震える声。
「ただ、どうしてもあなたを失うのが怖かったの……ごめんなさいね、リシェル……!」
それが真実だった。嫌っていたわけじゃなく、ただ失う恐怖と責任が、家族を歪ませていた。
侯爵夫人が、ごめんなさい、と何度も言いながら恐る恐るリシェルを抱きしめる。
「お母様…」
リシェルの瞳から涙が溢れる。温かい。母に抱き締められた記憶なんて、ほとんどない。
クラウスは少し離れた場所で、その光景を静かに見守っていた。
ーーようやく。本当にようやく、この家族は向き合えた。長かった十八年。誤解と恐怖で歪んでいた時間。それが少しずつ解け始めている。
「副団長」
侯爵がクラウスを見る。
「娘を守ってくれて感謝する」
「当然のことをしただけです」
「いや」
侯爵は静かに首を振った。
「君がいなければ、我々は今も間違えたままだった」
クラウスは答えなかったが、不意にリシェルが彼を見た。涙で濡れた紫水晶の瞳。そして。
「……クラウス様」
小さく、でも確かに。彼女は手を伸ばした。クラウスは一瞬目を見開きやがて迷いなくその手を取る。
その瞬間、リシェルの魔力がふわりと揺れた。だが暴走しない。むしろ穏やかに、優しく。まるで喜んでいるみたいだった。
グレイが目を細める。
「……やはり」
侯爵が振り返る。
「何か分かったのか」
「ええ」
グレイは静かに言った。
「リシェル様の魔力は、副団長へ非常に強く反応しています」
「反応?」
「安定だけではありません」
グレイは二人を見る。
「お互いの魔力が共鳴している」
クラウスが眉を寄せる。
「それは危険なのか」
「逆です」
グレイは珍しく微笑んだ。
「極めて稀ですが、非常に相性が良い場合に起きる現象です。古い文献では『魂結び』とも呼ばれています」
セレナの目がきらきら輝いた。
「それって…つまり運命ってことですか!?」
リシェルの顔が真っ赤になる。
「せ、セレナ!!」
だが。
クラウスは否定しなかった。顎に手を当てて何かを考えていたと思ったら徐に顔をあげる。首を僅かにかしげながら、静かにリシェルを見つめこう答える。
「……かもしれないな」
その声があまりにも真剣で。リシェルの心臓はまた大きく跳ねた。




