22.はじめてのお出かけ
数日後。
リシェルは鏡の前で固まっていた。
「……本当に行くんですか?」
不安そうな声。
背後ではセレナが満面の笑みで頷いている。
「もちろんです!」
「ですが街なんて……」
「街なのが重要なのです!」
セレナはびしっと指を立てた。
「お姉様には『普通の楽しいお出かけ』を経験していただきます!」
その隣では侯爵夫人まで頷いている。
「ええ。せっかくですもの」
「わ、私にはまだ早い気が……」
「大丈夫だ」
低い声が割って入る。振り返ると、クラウスが部屋の入口に立っていた。今日の彼は騎士服ではなく、落ち着いた黒の外套姿。それだけなのに妙に格好良くて、リシェルはどきりとする。
「俺がついてる」
さらりと言われる。最近、本当に心臓に悪い。
結局、リシェルはクラウスと共に王都へ出掛けることになった。馬車の中。リシェルは落ち着かない様子で窓の外を見ている。
「緊張してるな」
向かい側のクラウスが言った。
「……はい」
「無理そうならすぐ戻る」
「いえ」
リシェルは小さく首を振る。
「…本当は、行ってみたいんです」
本当はずっと憧れていた。街を歩いてみたい、普通の令嬢みたいに買い物してみたい。でも叶わないと思っていた。なぜなら、私はーー。
◇
王都中心街。
馬車を降りた瞬間、リシェルは目を丸くした。
「……すごい」
人、人、人。
賑やかな声、甘い焼き菓子の香り、色鮮やかな店先。世界がこんなにも鮮やかだったなんて知らなかった。
「歩けそうか?」
クラウスが気遣うように尋ねる。
「……はい」
リシェルは恐る恐る頷いた。
クラウスは自然に彼女の隣へ並ぶ。人混みから庇うように。その距離感が妙に安心した。
「これ、可愛い……」
リシェルが立ち止まったのは雑貨屋だった。ガラス細工の小鳥。陽光を受けてきらきら輝いている。
「気になるのか?」
「え、あ……」
リシェルは慌てて手を引っ込める。
「すみません、見ていただけで……」
「欲しいなら買えばいい」
「そういうわけには…」
クラウスは少し不思議そうな顔をする。
「欲しい物を買うのは普通だろう」
「…私には、贅沢です」
その言葉にクラウスの表情が曇る。…まただ。彼女はすぐ「自分には相応しくない」と思ってしまう。
「リシェル」
低い声。
「君はもっと我儘になっていい」
リシェルは目を瞬かせる。
「でも……」
「欲しい物を欲しいって言っていい」
クラウスは小鳥のガラス細工を手に取った。
「これ、可愛いな」
「っ……」
銀色に透ける小鳥。
確かにリシェルの髪色に少し似ていた。
「よし、買おう」
「え!? だ、駄目です!」
「何故だ」
「高そうです!」
「ふ、問題ない」
「あります!」
2人には見えないところから、店主が微笑ましそうに笑っている。…完全に恋人のやり取りだった。
◇
その後も。
リシェルは見るもの全てに目を輝かせていた。
「わぁ…」
「綺麗……」
「こんなお店が……」
クラウスはそんな彼女を見ているだけで満たされる。こんな風に無邪気な顔をするのだと知れて嬉しかった。
途中、屋台の前でリシェルが足を止める。
「……いい匂い」
「食べるか?」
「えっ」
「クレープらしい」
甘い果物と生クリームが包まれた王都名物。リシェルは興味津々だったが、すぐ遠慮しようとする。
「でも、外で食べるなんて……」
「普通だ」
クラウスは即座に二つ購入した。
「はい」
渡されたクレープを、リシェルは恐る恐る受け取る。
一口。
「……っ!」
目が大きく開かれた。
「おいしい……!」
その顔があまりにも幸せそうで、クラウスは思わず笑う。
「そんなにか」
「はい……!」
リシェルは夢中で食べている。口元にクリームがついていることにも気づかずに。クラウスは少しだけ目を細め、自然に指で拭った。
「っ!?」
リシェルの動きが止まる。
「ついてた」
クラウスは平然としていた。だがリシェルは真っ赤になる。…まただ。近い。甘い匂いに優しい声。心臓がうるさい。
その時だった。
周囲の女性達がざわつき始める。
「え、あれ副団長様じゃ……?」「本当だ」「隣の令嬢誰!?」
リシェルの身体がびくっと強張った。
ーー視線。知らない人達の視線。恐怖が蘇り、手が震えてくる。するとクラウスがすぐ彼女の手を握った。
「大丈夫」
低く穏やかな声。温かい手。それだけで、不思議と息が出来た。
ーー遠くの路地裏から、じっとこちらを見つめる黒ローブの男がいたことに二人はまだ気づいていなかった。




