20.はじめての恋
翌日。
北棟の朝は、どこか穏やかだった。リシェルは薬草園で花の手入れをしている。最近、ここへ来る時間が少しだけ楽しくなっていた。理由は簡単だ。高確率でクラウスが現れるから。今日も来てくださるかしら?そう思いながらそれを自覚した瞬間、息をのんだ。
自分で自分に驚いたのだ。会いたい、と思っている。その事実に胸が熱くなる。
「お姉様」
セレナが後ろから顔を覗き込んできた。
「最近すごく顔が柔らかいですね」
「そ、そう?」
「はい」
セレナはにやにやしている。
「クラウス様のおかげですか?」
「っ……!」
リシェルは勢いよく振り返った。
「ち、違います!」
「でもクラウス様の話になると顔赤いですよ?」
「なってません!」
「なってます」
くすくす笑いながら被せ気味にセレナが言う。
「〜〜〜〜っ!!」
リシェルは真っ赤になって言葉に詰まる。そうなのだ…最近おかしい。クラウスを見るだけで落ち着かないし、声を聞くと嬉しくなる。近づかれると息が苦しい。でも会いたいと思う。これが何なのか、薄々気づいていた。でも…、認めるのが怖い。
その時だった。
「クラウス様!」
明るい女性の声が響く。リシェルが顔を上げる。庭園入口に、見知らぬ令嬢が立っていた。栗色の髪を巻いた華やかな美女。そして、その隣にはクラウス。
令嬢は親しげに彼の腕へ触れている。リシェルの胸が、嫌な音をたてて鳴った。
「お久しぶりですわ!」
「ああ、久しぶりだな」
クラウスも普通に返している。その様子が妙に自然で、リシェルは胸の奥がざわついた。
「お姉様?」
セレナが不思議そうに顔を覗き込む。
「顔色悪いですよ?」
「……だ、大丈夫」
大丈夫じゃなかった。知らない女性。
綺麗で、明るくて、クラウスと並んでも違和感がない。
…それに比べて自分は、北棟に閉じこもっていた陰気で、危険な令嬢。釣り合うわけがない。
遠くから令嬢の笑い声が聞こえ、クラウスも珍しく柔らかい顔をしていた。その光景が妙に胸へ刺さる。
「……お姉様」
セレナがそっと声を掛ける。
「もしかして嫉妬してます?」
「っ!?」
リシェルが勢いよく立ち上がった。
「ち、違……!」
「分かりやすすぎる…」
「違います!」
だが声に力がない。
セレナは完全に確信した顔だった。
「恋ですねぇ」
「違いますって……!」
でも否定出来ない。
胸が苦しい、見ていたくない。なのに目が離せない。
「……で、何の用だ」
クラウスは目の前の令嬢へ淡々と尋ねていた。相手は公爵令嬢ミレイナ。昔から付き合いのある幼馴染だ。
「冷たいですわねぇ」
ミレイナは楽しそうに笑う。
「せっかく会いに来たのに」
「忙しい」
「その割には最近侯爵家通いしてるとか?」
クラウスが眉を寄せる。…もう噂が広がっている?ミレイナはにやにやしていた。
「本当に恋人が出来たんですの?」
「恋人ではない」
「へぇ」
だが否定の仕方が微妙だった。
ミレイナは面白そうに視線を動かす。そして。
「あら?」
少し離れた場所にいるリシェルへ気づいた。銀髪の美しい令嬢。けれどどこか儚く、不安そうにこちらを見ていたが、目が合うとわずかに頭をさげたが、すぐにそらされる。ミレイナは一瞬で理解した。
「あの子ですのね」
「……何がだ」
「貴方の本命」
クラウスが黙る。
それだけで答えだった。ミレイナは思わず吹き出す。
「本気なんですのねぇ」
「…悪いか」
「いいえ?」
彼女は楽しそうに笑った。
「むしろ応援したくなりましたわ」
リシェルがふらりとその場を離れた。クラウスはすぐ気づく。
「……?」
表情が沈んでいた。何かあったのか。
「クラウス様?」
「悪い、また今度だ」
クラウスは即座に踵を返した。ミレイナは呆れ半分、微笑ましさ半分でその背を見送る。
「分かりやすい男」
庭園奥で、リシェルは一人でしゃがみこんでいた。胸が痛い。動悸がおさまらない。どうしてこんな気持ちになるのか…本当は、もう考えなくても分かっている。
でもーー
「……好きになってはいけない」
ぽつりと零れる。
その瞬間。
「誰を?」
すぐ後ろから声がした。
「ひゃっ!?」
振り返るとクラウスがいた。リシェルの顔が一瞬で真っ赤になる。
「ク、クラウス様……!?」
「具合悪いのか?」
心配そうな顔。近い、近すぎる。
リシェルは視線を逸らした。
「……大丈夫です」
「嘘だな」
クラウスは彼女の顔を覗き込む。
「さっきから様子がおかしい」
「っ……」
原因はあなたです、とは言えない。
するとクラウスは少し考え込みーーふっと眉を上げた。
「……もしかして、ミレイナのこと気にしてるのか?」
「っ!!」
心臓が止まりそうになる。
図星だった。
たくさんの作品の中から読んでいただきありがとうございます…!
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