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北棟に隔離されていた令嬢、騎士団副団長との出会いで運命が動き出す~隠された秘密と家族の真実~  作者: 冬野 灯
第三章 少しずつ変わる日常

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18.近づく距離と噂

 昼下がりの庭園は、春の陽射しに包まれていた。

色とりどりの花々が咲き、噴水の水音が静かに響く。リシェルは少し緊張した面持ちで歩いていた。北棟の外、しかも本館側の庭園まで来るのは、何年ぶりだろう。


「大丈夫か?」


 隣を歩くクラウスが気遣うように声を掛ける。


「……はい」


 とは答えたものの、実際はかなり緊張していた。通り過ぎる使用人達が視線を向けてくる。そのたびに身体が強張る…だが、


「……お嬢様、お加減はいかがですか?」

「…本日は良いお天気ですね」



 皆こちらの様子を伺いながらも穏やかな言葉ばかりだった。誰も嫌悪している様子もない。リシェルは戸惑っていた。


「少し座るか」


 クラウスが庭園の東屋を指差す。二人は木陰のベンチへ腰掛けた。柔らかな風が吹き抜ける。



「……不思議です」


 ぽつりとリシェルが呟く。


「何がだ?」

「皆が優しいです」


 クラウスは静かに彼女を見る。


「もっと嫌がられたり、拒絶されると思っていました」

「そんなことする奴ばかりじゃない」

「でも……」

「リシェル」


 名前を呼ばれ、彼女は顔を上げる。

 クラウスは真っ直ぐだった。


「君はずっと、『恐れられる側』として生きてきたんだな」


 その言葉に胸が痛む。

 まるで全部見透かされたみたいだった。


「……はい」


 小さく頷く。


「皆を傷つけるって言われてきました。近づかない方がいいって。だから、そういうものなんだと……」


 クラウスは下を向いて眉を寄せる。


 ……誰も間違ってはいなかったのだろう。実際、リシェルの力は危険だ。だからといって、一人の少女を孤独へ閉じ込めていい理由にはならない。ましてや、本当に嫌ったり疎んじたりしているわけではなかったのだ…誰も。

 それは見ていればわかる。家族はもちろん、北棟に来る使用人も皆嫌っているわけではなく、リシェルの様子を伺っている。気遣わしげにだ。


 だが、リシェルはそれに気づかない。嫌われている、怖がられている。そう思ってしまうのも無理はない、そう思うには十分な時間がたってしまっている。それだけ長い間孤独だったのだ、そう簡単には変わらないだろう。


 クラウスは奥歯をかみしめた後、顔をあげ、目をみながらゆっくりと言った。


「…俺はそう思わない」


 静かな声。


「君はちゃんと、人を大切に出来る」


 リシェルは目を伏せ、ぽつりと言う。


「………でも、怖いです」

「何が?」

「幸せと思ってしまうことが」


 クラウスが目を見開いた。リシェルは自嘲気味に笑う。


「……今までずっと、一人なのが当たり前で、冷たくされるのが当たり前だと思っていたから…、皆が優しくしてくれるたびに、幸せって思ってしまうたびに、またいつかこの幸せがなくなる気がしてしまうんです。だから喜んじゃダメだって…」


 リシェルは下を向きスカートを強く握る。

 

それは長年孤独だった人間特有の恐怖だった。一度知ってしまったら、元には戻れない。手に入れた温もりを失うのが怖い。だから期待してはいけない。そうやって自分を守ってきたのだろう…何かが喉元からこみあげてくる。

     

 クラウスはしばらく黙っていた。

 やがて、ゆっくり口を開く。


「なら俺が証明する」

「……え?」

「なくならないって」


 リシェルの瞳が揺れる。


「俺は君を嫌ったり、勝手に離れたりしない。そんな人間ばかりじゃないって事を、俺が君に証明する。もちろん、そう思っているのは俺だけじゃないが、まずは俺が証明する。期待してもいい、幸せと思ってもなくならないって、証明する」


 その言葉は、驚くほど真っ直ぐだった。嘘も打算もない、ただ本心だけ。リシェルの胸が熱くなる。


「……どうして」

「ん?」

「どうしてそこまで、私に……」


 クラウスは少しだけ考えるように視線を逸らした。だが答えはもう決まっている。


「君を見てると放っておけない」

「…それは前にも聞きました」

「じゃあ別の言い方をする」


 クラウスはふっと笑った。


「君といると、嬉しい」


 リシェルの思考が止まる。


「笑ってくれると安心するし、泣いてると苦しくなる。だから、傍にいたいと思う。」


 リシェルには笑っていて欲しい。少しでも幸せを感じて欲しいし、欲を言うなら幸せを感じさせるのは自分でありたい。泣くことがあれば手を握って落ち着くまで傍にいたい。むしろ泣かせるものはなんだろうと除外したい。


 …そこまではさすがに言えないが。


 


 低く穏やかな声でまっすぐ目を見て言われ、リシェルの顔が熱くなる。

 

 こんなの。

 まるでーー


「……クラウス様は」


 震える声。

 クラウスが微笑みながらわずかに首をかしげる。


「ずるいです」

「ずるい?何故?」

「そういうことを自然に言うからです……」


 消え入りそうな声にクラウスは笑った。


「自然に出るんだから仕方ない」


 もう駄目だった。リシェルは俯いて顔を隠す。心臓がうるさい。

 …こんな気持ち、知らない。

     



 その時だった。


「あらぁ?」


 不意に聞こえた声。二人が振り返る。そこには数人の若い令嬢達が立っていた。

 リシェルは瞬時に身体を強張らせる。社交界の令嬢達。その中の一人が驚いた顔をする。


「本当にいらしたのね、アルヴェイン家の長女様」


 興味津々の視線。リシェルは呼吸が浅くなる。怖い、何を言われるのか。


 咄嗟にクラウスがリシェルをかばうように前へ立った。


「何か用か」


 途端に令嬢達の顔色が変わる。

 

 王国騎士団副団長。しかも王都でも有名な実力者。普通の令嬢達が逆らえる相手ではない。



「い、いえ……!」

「失礼しましたわ!」


 慌てて去っていく。リシェルは呆然としていた。クラウスは振り返る。



「大丈夫か?」

「……はい」


 だが胸の奥はざわついていた。


 令嬢達の視線。

 噂。好奇。探るような目。


 きっともう広がっている。

 『北棟の令嬢』の存在が。



 そしてその夜。

 王都の社交界では早くも新たな噂が囁かれ始めていた。

 ーーアルヴェイン侯爵家の幻の令嬢。

 ーー王国騎士団副団長が執着している娘。

 

 静かに、だが確実に。

 リシェルを巡る波紋は広がり始めていた。


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