17.甘い時間の裏で忍び寄る影
翌朝、北棟は朝から妙に慌ただしかった。
「こちらへ棚を!」「窓辺の補強を急げ!」「結界石の配置も変更だ!」
使用人達が走り回っている。昨夜の暴走で壊れた箇所の修復作業だ。リシェルは廊下の隅で小さくなっていた。
「……本当に申し訳ありません」
近くにいた職人が慌てて首を振る。
「と、とんでもございませんお嬢様!」
「ですが……」
「むしろお怪我がなくて安心しました!」
満面の笑みだった。リシェルは呆然とする。怒られない、責められない…それが未だに信じられなかった。
◇
「お姉様ー!」
ぱたぱたと駆け寄ってきたのはセレナだ。
今日は朝から妙に元気だった。
「見てください!」
そう言って差し出してきたのは数冊の本。
「王都の人気お菓子店特集です!」
「……え?」
「今度クラウス様とお出かけする時の参考に!」
リシェルが固まった。
「お、お出かけ……?」
「絶対するでしょう?」
何故断定?
セレナはきらきらした目で続ける。
「恋人みたいな雰囲気ですし!」
「っ!?」
リシェルの顔が一瞬で真っ赤になる。
「ち、違います!」
「違わないと思うぞ」
後ろから低い声がした。振り返るとクラウスが立っている。リシェルは完全に硬直した。
「く、クラウス様……!」
「おはよう」
自然に微笑まれ、さらに混乱する。最近のクラウスは妙に距離が近い。いや、以前から近かった気もするが。今はさらに遠慮がなくなっている。セレナはにやにやしながら二人を見比べた。
「お姉様、顔真っ赤」
「セレナ!」
「クラウス様もお姉様見て優しい顔してます」
「セレナ」
今度はクラウスが低い声で呼ぶ。だが全然怖くない、むしろ少し楽しそうですらある。セレナはくすくす笑った。
「お似合いなのに」
「っ……!」
リシェルはもう限界だった。
「わ、私は部屋に戻ります……!」
逃げようとした瞬間。
クラウスが自然にその手を取った。
「待て」
リシェルの呼吸が止まる。
「朝食まだだろう」
「……え」
「一緒に食べよう」
さらりと言われる。
リシェルは固まった。
一緒に。食事?家族以外と?しかもクラウスと?無理だ。緊張で死ぬ。
「む、無理です……」
「何故?」
「落ち着きません……!」
「俺は落ち着くが」
「私は落ち着きません!」
即答だった。
クラウスは少し考え込み――ふっと笑う。
「なら慣れてくれ」
「…………」
この人、最近本当に容赦がない。
結局、リシェルはクラウスと共に朝食を取ることになった。北棟の小さな食堂で向かい側へ座るクラウスに、リシェルは全く落ち着かない。
「……」
「……」
「食べないのか?」
「た、食べます……」
手元がおぼつかない。クラウスはそんな彼女を見ながら、内心かなり楽しんでいた。反応がいちいち可愛い。からかうつもりはないのに、つい構いたくなる。
「リシェル」
「は、はい」
「今日は少し外を歩かないか」
リシェルが目を瞬かせる。
「外……?」
「庭園だ。結界内なら問題ないだろう?」
リシェルは戸惑った。北棟周辺以外を歩くことは滅多にない。使用人達の目もあるし、怖い…でも、クラウスと一緒なら。
「……行きたいです」
小さな返事。
クラウスは優しく目を細めた。
「よし」
その笑顔を見た瞬間。
リシェルの胸がまた騒がしくなる。
◇
一方その頃、王宮魔術院ではルヴァインが薄暗い研究室で資料を眺めていた。
『魔喰い』『高純度特殊個体』『暴走観測記録』
彼は静かに笑う。
「ようやく見つけましたよ…!」
十八年前から探していた、王家が取り逃がした最高位特殊体質。その価値は計り知れない。
「アルヴェイン侯爵家……」
厄介な相手だ。
だが。
「ふふ…、壊せないとは限らない」
彼は机の上の封書へ視線を落とす。そこには王家の紋章。
ーーー既に何かが動き始めていた。




