15.遠慮する段階ではない
王宮騎士団が去った後も、屋敷には重苦しい空気が残っていた。リシェルは北棟の自室で毛布を抱き締めるように座っている。セレナが隣にぴったり寄り添っていた。
「お姉様、お茶飲む?」
「……ありがとう」
差し出されたカップを受け取る手はまだ少し震えている。先ほどの出来事が頭から離れなかっ
た。
ーー管理対象
ーー研究
ーー危険因子
あの男の目は、人を見る目ではなかった。まるで珍しい生き物を見るようで怖かった。
「……やっぱり」
ぽつりとリシェルが呟く。
「私、ここにいちゃいけないのかもしれません」
「駄目!」
即座にセレナが叫ぶ。
「そんなこと言わないで!」
「でも……」
「でもじゃない!」
セレナは半泣きだった。
「お姉様がいなくなったら嫌!」
リシェルが目を伏せる。その言葉は嬉しかった。でも同時に苦しい。もし自分のせいで家族が罪に問われたら。もしクラウスまで巻き込まれたら。
「私さえいなければ、
「それ以上言うな」
低い声が遮った。扉の前に立っていたのはクラウスだった。彼は真っ直ぐリシェルを見る。
「また自分を犠牲にする気か」
リシェルは言葉を詰まらせる。クラウスは部屋へ入り、彼女の前に膝をついた。
「君が消えれば全部解決すると思ってるなら、それは間違いだ」
「でも皆が危険に……」
「君がいなくなる方が、皆苦しむ」
リシェルの瞳が揺れる。
「そんなこと……」
「ある」
クラウスは迷いなく言い切った。
「侯爵も、夫人も、セレナも」
そして。
「…俺も」
静かな声だった。
だがその一言は、リシェルの胸を強く打った。
セレナは空気を読んで、そっと立ち上がる。
「わ、私はお茶のおかわり持ってきますね!」
逃げるように退室した。部屋に二人きりになる。リシェルはますます落ち着かない。クラウスはそんな彼女を見つめながら、静かに息を吐いた。
「……怖かったな」
優しい声だった。
その瞬間。
張り詰めていたものが少し緩む。
「……はい」
小さな返事。
「すごく、怖かったです」
リシェルは俯いた。
「皆が私を見る目が変わる気がして」
「変わらない」
「でも私は普通じゃ……」
「普通かどうかに意味はあるのか?」
リシェルが顔をかしげながら上げる。
クラウスは真っ直ぐだった。
「君は君だ。魔喰いだろうが何だろうが関係ない。俺が見てきたのは薬草を嬉しそうに育てる君で、妹を大切に想う君で、誰かを傷つけるたび、自分を責めて泣く君だ」
クラウスはそっと彼女の頬へ触れる。
「そんな君を、俺は大事に思ってる」
リシェルの呼吸が止まった。頬が熱い。胸が苦しい。でも嫌じゃない。
むしろーー
「……どうして」
震える声。
「どうして、そんなに優しいんですか」
クラウスは少し困ったように笑った。
「優しくしたいからだ」
「理由になってません……」
「じゃあ言い方を変える」
クラウスは一瞬だけ目を細める。
「君だからだ」
その言葉に。
リシェルの顔が一気に赤くなった。
「っ……!」
思考が止まる。
クラウスはそんな彼女を見て、ふっと笑った。
「ようやく少し元気そうな顔をしたな」
「か、からかわないでください……!」
「本気だ」
即答だった。リシェルは完全に黙り込む。心臓がうるさい。こんな風に大切に扱われたことがない。だからどうしていいか分からない。
その時。
コンコン、と扉が叩かれた。
「失礼します」
入ってきたのは侯爵家専属医師のグレイだった。彼はリシェルを見るなり安堵したように息を吐く。
「落ち着かれたようで何よりです」
「グレイ先生……」
グレイは幼い頃からリシェルを診てきた医師だった。数少ない、彼女が比較的心を許している相手でもある。
「旦那様から伝言です」
グレイの表情が少し硬くなる。
「今後、王宮側が本格的に動く可能性があります」
室内の空気が再び張り詰めた。
「そのため――」
グレイはクラウスを見る。
「リシェル様の護衛として、副団長が正式に北棟へ滞在されることになりました」
リシェルが目を丸くする。
「……え?」
クラウスも一瞬固まった。
「待て、聞いてないぞ」
「先ほど決定しました」
グレイは真顔で続ける。
「旦那様曰く、“もう遠慮する段階ではない”とのことです」
クラウスは額を押さえた。
つまり。
「……同居?」
「そうなりますね」
リシェルの顔が真っ赤になる。
次の瞬間。
「む、無理です!!」
北棟に彼の生活空間が増える未来を想像してしまい、完全に混乱した。




