Report 39 Usiku wa pepo mbaya - 百鬼夜行 -(前編)(1)
夜も更けた区道3号線をひた走るトヨタ・ピクシスエポックが一台あった。ドライバーはエルワンだ。
何度連絡しても応答しない翔栄に対して業を煮やし、非番であるというのに円島から本局まで直接説教しに来たのだ。
(不明門小路保安部部長も、真さんも甘すぎる……! 今回、翔栄さんがやった独断専行はあり得ない!!)
彼が、自分なりの正義感を以って行動していることは理解できる。だが、このまま翔栄が誰とも連携を取らず、周囲を顧みない単独行動が続けば、本当に彼は免職になってしまうだろう。
(こうなったら、俺がガツンと言ってやる!! 憎まれ役になってもいい!!)
道なりに行くと日本魔導大学新東京キャンパス、左折すると陰陽保安局本局に分かれている交差点に差し掛かる。エルワンが左折しようとしたその時――目の前に人影が降ってきた。
「――!!!!!」
ブレーキでは間に合わない。エルワンは左にハンドルを勢いよく切る。
グワッシャ!!!
ガードレールにぶつかり、エアバッグが作動してエポックは停止する。
そしてエルワンは運転席側のドアから出て、「大丈夫ですか!?」と声をかける。
だが、その面妖すぎる姿を見て、言葉を失った。
顎から臍の上にいたるまでバックリと裂けて、胃には歯の生えた口がひっついていた。血と肉片がこびりついた肋骨は、ガシャガシャと不快な音を立てて互いに交差して動いた。
こんな奇妙な生き物を、エルワンは初めて目の当たりにした。
「ギョ……、キキ……」
反射的に、エルワンは後方へ跳躍できるように身体を構えた。それは正解だった。
ヒュバッ!!
三本の肋骨がまるで触手のように自在に動いて、エルワン目掛けて伸長したからだ。しかも速い。秒速40メートルは軽く超えているだろう。視認することは不可能であり、車体を盾にするしかなかった。
「とおっ!」
エルワンは両腕をあげて、車のボンネットに両手を突く。そのままバック宙返りをして、そのまま助手席側に着地した。
ガスン、ガスンッ! という派手な音を立てて、運転席側のドアを肋骨が貫通する。
(……危なかった! あのままいたら、自分も貫かれていた!!)
エルワンは冷や汗をかきながらも、導体である指貫グローブを装着し、ベルトに括り付けた身分証を呈示する。
「陰陽保安士だ! 肋骨を収納するか下へ向け、両手を背中で組んで地面に伏せろ!! さもなくば攻撃を開始する!!」
言葉が通じるかどうかも怪しい相手だったが、一応警告はする。
そして、鼻から上の顔を見てそれが誰だかわかって驚愕した。
「猫……寺師??」
反アンシーライズ騎士団の猫寺師だ。だが、このような変身能力もしくは変身呪文が使える術師であるとは、本局のデータにはない。
しかし猫寺師は受け答えすることなく、エルワンに飛びかかってきた。
およそ10メートル以上の距離があったのだが、難なくひとっ跳びしてきた。
「くっ!」
間に合わない、と思ったエルワンはジャケットの袖口に隠していた黄色の札を二枚、地面に貼り付けて短縮詠唱をする。
ボゴン! ボゴン!
アスファルトを割って、二本の土の柱が猫寺師を突きあげた。
今日は公務時間外だから、五気符P&Pガントレットを持っていない。五気符の入ったケースは装備しているし、ジャケットの裏ポケットや袖口にも札を忍ばせているが、どれだけもつかはわからない。
(駄目だ……! 俺一人でどうにかできる相手じゃない!!)
猫寺師は打ち上げられて、地面を転がっている。その隙にエルワンはスマホを取り出し、本局の電話番号に着信を入れて、即スピーカーに切り替えた。
『はい。こちら、陰陽保安局通信指令センターです』
「こちらジロー=カバントゥ・五星院SO《Onmyozi》!! 白金草原魔導病院前の交差点で猫寺師と思しき術師に襲撃されました!! ――ぐわっ!!」
猫寺師の肋骨が二枚のドアを貫通してきて、エルワンの左肩をかすめた。
『ジロー=カバントゥSOだと、確認が取れました。ただいま、本局で猫寺師が護送中に逃亡したと情報が入っています。至急応援に向かわせます』
「頼みます!! 少なくともA+級、いやS1級以上!! 注意されたし!!」
ギ、ギ、ギ……。
二本の肋骨が、一トン以上あるエルワンのピクシスを持ち上げる。
(腹を括れ和久……! ここは殺らなきゃ、自分が殺られる!!)
和久――エルワンは対話は不可能だと割り切り、三枚の黄色い札の上に赤い札を重ねて貼りつける。
「《土生金砕裂斬》!!」
すると黄色い札が光り、巨大な刃が生成されて、猫寺師がハンマーのように殴りつけてきた中空のピクシスを突き刺して抑え込んだ。さらに、赤い札がピクシスに貼り付く。
「《火克金奔烈波》ッ!!!!!」
火気の霊力場に包まれたピクシスは、エンジンに点火して一瞬で昇華。炎の波となって神速で猫寺師に襲い掛かった。
「グ……アアアア!!」
火だるまになった猫寺師は、その場から逃げ去るように跳躍した。その高さは、五メートルを優に超えていた。
「待て!!」
完全に人間離れした跳躍力に移動速度。ピクシスという足を失ったエルワンでは追いつけそうもない。
「猫寺師、逃走!! 日魔方面へ向かいました!!」
★
日本魔導大学新東京キャンパス学生自治会館。
閉館時間である21時をとっくに過ぎているのに、自治会役員室には何名もの人間がいた。
紅の暁の中核構成員にして自治会役員である宇隆と巨椋、そしてト・ミンジに木島。他に、各大学の紅の暁・代表の人間が四人。それと顧問教員である縮筑。全員が本日の行動に参加していたメンバーである。
あの後、デモ隊は魔導警察と陰陽保安局によって解散させられた。一般参加者はその場で帰らされたが、紅の暁の中核構成員は警察で聴取を取らされた。日もくれた頃、彼らはようやく解放されたて日魔のキャンパスに戻ってきたというわけである。
「あの場でも言いましたが、縮筑先生、巨椋さん。あなた方二人は、次回の行動に参加させる予定はありません。そして、反アンシーライズ騎士団とは手を切ります」
それから、縮筑の方を向いて「それと、縮筑先生。大学当局学生部部長の壹目先生から既に伝えられていると思いますが、あなたは他結社に対して誹謗中傷することを煽動して騒擾を起こした責任を取り、今日限りで自治会および紅の暁の顧問を解任されます」と伝えた。
「ぐっ……!」
縮筑は歯噛みをした。反論したい素振りを見せたが、両膝をつかんで抑え込んだ。恐らく、既に緊急教授会にて処分を言い伝えられているのだろう。
「納得できない!!」
すると、巨椋から反論の声があがった。
「どうして!? 私は正しいことをしているの!! 差別主義者と戦っているの!! 戦争を止めようとしているの!! そして、その資格が私にはある!!」
すると、反論の声が上がった。
「巨椋さん、反駁的実存性は口汚く相手を罵れるライセンスじゃない!!」
今までずっと黙っていたミンジだった。
「私は『在日朝鮮人三世』で、『女性』で、『化けタニシの亜人の真祖』っていう、三重のマイノリティです! あなたよりもマイノリティの要素は多いです! 複合差別も何度も受けてきました! でも、こんなことを比べっこするのは馬鹿げています!!」
「なっ……!」
「反駁的実存性というのは、相手を殴る棍棒じゃなくて自分に誇りを持つための理論なんです! 私は今言った、自分を構成する三つの要素に誇りを持っています!!」
「そ、そんなの私だってわかっているよ!!」
「わかっていない!! だから、相手の立場も気持ちも鑑みられないで、何の解決にもならない暴言がスラスラと出てしまうんです!!」
木島が「ちょ、ちょっと」と止めに入ろうとした。
だが、宇隆がそれを制止させた。「二人のやり取りを見届けよう」と、目で訴える。
「巨椋さん!! そもそも、人民主義をこの世にもたらした哲学者たちは、搾取されている労働者人民が連帯して、貴族・新貴族・労働者人民という階級を解体し、万人の万人に対する戦争をしなくていい共同体を作ることを目的にしていたでしょう!? でもあなたのやっていることは、『弱さを武器にした戦争』です!! 人民主義の当初の目的に反しています!!」
「言わせておけば……! そんな頭にカビの生えたオールド左翼な主張を持ち出してくるなんて、あなた百周遅れよ!!!!!」
頭に猫の耳が生え、三日月のような細い瞳孔を満月のように大きく開かせて、巨椋が立ち上がった。本気で怒っている。
「この体質のせいで、私が今までどんな目に遭ってきたかあなたにわかる!? クラスの男子から猫耳を触られて、通りすがりの人には『萌え~』なんて通り魔的に言われて、バスだと痴漢に遭って!! それなのに女子からは、『男子に媚びてる』『可愛い子ぶってる』なんて中傷されて……!! リチャードソニズムだろうが、人民主義だろうが、私の苦しみがわからない哲学や思想なんてクソ食らえよ!!!!!」
「……巨椋さんのお気持ちは、お察しします。でも暴力や暴言じゃ、何も解決しません。ましてや、猫寺師のような粗暴な人に頼ってコソコソ隠れて力づくで排除するなんて……それじゃ、アンシーライザーと変わらないじゃないですか!!」
「――!」
ミンジも気づいていたのかと、宇隆は唸った。
巨椋がたびたび猫寺師に頼んで、自分たちに反抗的な意見を言う学生や若者を力づくで退去させたり、活動を辞めさせるところを、彼は何度か見てきた。そのたびに、彼は見て見ぬフリをしてきた。
拳を握りしめ、立ち尽くす巨椋。
そのとき、であった。
ギィィィィ……。
扉が開けられた。
その瞬間、キナ臭さが宇隆の鼻を突いた。
そこに立っていたのは――異形の怪物だった。
全身が焼け焦げたその男は、喉から腹にかけて裂けており、血みどろの肋骨が牙のように開いて、大きく開いた口のようになっている。
「猫寺師……さん」
宇隆は鼻から上の相貌を見て、ようやくそれが猫寺師であるとわかった。
ピクッ。
そのとき、猫寺師の肋骨が動いた。
「!」
宇隆はそれを攻撃の予兆だと見抜き、間髪入れずケースから杖を取り出し、「《スタン・フラッシュ――MAX》!!」と剥き出しの胸郭目掛けて詠唱した。
杖先から放たれた白い閃光が、猫寺師を直撃する。
「グオッ……!」
猫寺師は呻いて、うずくまる。
その隙に横に回り、「《ブローウィン・ガスト――MAX》!!」と詠唱した。杖先から旋風が起こって、猫寺師の巨躯は壁に磔になるように吹っ飛ばされた。
「みんな、今のうちに部屋から出て!!」
宇隆がそう言うなり、縮筑が先頭に立って学生たちは部屋から退出していった。
「ぐ……。なるほど、腐っても……群青と五星院の血筋ということか……」
嗄れ声が、胃から響いた。彼の胃には、本来あるはずのない口があった。
「猫寺師さん……。その姿は一体何なんだ!! まるで食人鬼じゃないか!!」
「ク、クク。食人鬼か。――その通りだよ。儂が、バカな若者どもの心臓を食ってやったんだ」
突然の白状に、宇隆は目を見開いた。
だが、その瞳にはすぐに怒りが宿り直して杖を握る左手に力が入る。
「……! 僕たちを利用して、自分の欲望を満たし、かつ良からぬことを企んでいたということか!! 許せない……《サイコバインディング・ペンタグラム――MAX》!!」
壁に五芒星が浮かび上がり、そこから霊力の鎖が飛び出した。それらが猫寺師を拘束する。だが、全くダメージは通っていないようだ。
「ククク。活動家ごっこは、もう終わりだ……この手は余り使いたくなかったのだが、仕方あるまい」
そして猫寺師は、詠唱を始める。
「〈「隠された地」の名を冠する 冥界の女王よ
その名を呼ぶことも畏れ多き 偉大な女神よ
我は誠に畏れながら 申し上げる
「藁の死」に向かいし者どもに 先んじて君臨せんことを
かさねて 彼の者どもを 我の意を聞き届け 導き給わんことを〉
――《アルムズ・バイ・ヘル》」
それは、北欧神話の冥界の女王ヘルを讃える呪文だった。
詠唱が終わると、宇隆の身体に変化が起こった。
「な……!? 腕が、勝手に!?」
猫寺師が詠唱すると、杖を持つ左手が自分の意と反する方向へ動き出す。《サイコバインディング・ペンタグラム》の霊力場は収束し、猫寺師は霊力の鎖の束縛から解放される。
「ヨアルデパストリズ・カルテル最新の魔薬『女冥王の施し』……。これは麻薬常習者どもの間では、『経口摂取すると「オーバードライブ」ができる』が、常用するとゾンビのように徘徊してしまう魔薬として知られているが、その本当の使用方法は違う。あらかじめ薬に術をかけておいたものが他の者に一服盛ると、盛られた服用者の主人となり自由に操ることができるというのが真の効果なのだ!」
「そ、そんな魔薬なんて僕は飲んでないぞ!」
「盛ったんだよ、儂が。クラブ『フルムーン・ミッドナイト』でな。あんな薄暗い場所で酔客の飲み物に一滴盛るなど、忍者の儂からすれば赤子の手を捻るより容易いことよ……。――さあ、集え! 儂の隷下どもよ!!」
そう猫寺師が宣言すると、入口から縮筑たちが戻ってきた。その顔つきは虚ろで、口から涎を垂らしている。まるでゾンビのようだった。
「先生!! くっ、くそ――う、が、あがが、あああああ――」
「術が効いてきたな。さあ、百鬼夜行の始まりだ!!」
そこで宇隆の意識は途絶えた。




