Report 39 Usiku wa pepo mbaya - 百鬼夜行 -(前編)(2)
※ 本作に出てくる違法薬物は、架空のものです。投与後、「催眠術のように何でも言うことをきかせる効用」を持つ薬物など存在しません。また、薬物依存の方への差別的意図は一切ございません。ちなみに、かつて実在した数々の自白剤等は、現代医学においてその効用が否定されています。
(一体、どういう状況なのよこれ!!)
デモの解散後、ひっそりと日魔のキャンパスに戻った圭子は、巨椋のパーカーにかけた《サイブレーティブ・ワイアタップ》を通じて盗聴をしていた。今日起こった出来事は、紅の暁が存続できるかどうかの分かれ目といえるほどであり、何としても射程内に入り込んで諜報したかった。
だが、様子は途中で一変する。異形の姿になった猫寺師が自治会役員室に乱入してきたのだ。そして耳をつんざく、呪文の応酬と思しき物音や悲鳴。それから、猫寺師による服毒の宣言がなされた。
(宇隆の反応からして、猫寺師の言っていることは恐らく本当……。だとしたら猫寺師はああ言ったものの、クラブの客全員には盛れなかったことになる! ヤツの呪文に操られていない私が証拠!)
圭子は既に、匿名で魔導警察と陰陽保安局に通報を終えている。特別諜報員としての役目は果たした。警察や保安士が来る前にこの場を去る必要がある。猫寺師やヤツに操られている連中が、シラフでいる自分を見つけて無事に済ませるとは思わない。
ところが、であった。
(……猫寺師は、連続殺人の犯人であるとも白状している。そんな狂暴な人物が、私みたいに盛られずに済んだ人間を無事に済ませるとは思えない。もし、シラフの人間や事情を知らない人間が大学構内、特に学生自治会館にいるなら見つけ出して避難させなければ。――クソッ、自分の甘さをこれほど呪ったことはないわ!!)
しかし意に反して圭子は、文学部一号館のラウンジを出て、隣の駐箒場に向かい、自分の飛行箒のロックを外す。そして、キャンパス内では使用を禁止されている飛行箒を起動させて、学生自治会館に向かった。
(学生自治会館には放送室がある!! 機材を使って、異状をキャンパス全体に伝えなくては!! ――いない!? 盛られてないシラフの人間! もしくは、事情を知らなそうな人間は!?)
だが学生自治会館に近づくと、またしても想定外の出来事に遭遇する。
入り口付近でウロウロしているワインレッド頭の男子が、声をかけてきたので急停止する。
「ブッキー?」
火村だった。
思わず(お前かよッ!!)と、声に出そうになった。
「なんで、アンタがこんなところにいるの??」
「いや、この活動もう辞めようかなと思って……。今日みたいなことがあったら、命が危ないし。あと、償いにもなっていないなっておもって……」
圭子は眉をひそめて「償い?」と言った。
「あ、いや! 何でもない! ……で、ふんぎりつかなくて相談しようかと思ったら、皆さん忙しいみたいで……。そしたら、上でドタバタ音がして」
今日の出来事の重大さ、わかってないのか。紅の暁が解散するかどうかの瀬戸際なんだ。中核メンバーたちは、お前のようなイチ参加者に構っている場合じゃないんだよ。
頭の中で文句の言葉が一気に溢れ出てきて、本当に怒鳴りつけてやろうかと思った圭子だったが、そこで違和感を覚えた。
「――アンタ、猫寺師が入り口から入ってくるとこ見てない?」
火村がさっきから入り口でウロウロしていたのなら、猫寺師の姿を見ているはずだ。と、すると裏口から入ったのか。
「猫寺師さんって……反アンシーライズ騎士団の? あの人、連行されちゃったでしょ。釈放されたの?」
ガッシャアァァァン!!
入口左上の窓ガラスをぶち破って、巨体が圭子たちの前に飛び降りた。
喉から腹にかけてばっくり裂けた異形の怪物だったが、上半分の顔に見覚えがあった。猫寺師だ。
「……!」
圭子はその姿を見てゾッとした。異様な風体もさながら、こんな禍々しい霊力場を感じたことは今までなかった。
(……A級である宇隆の攻撃に難なく堪えたことや、この規模の術を使えることを鑑みると、猫寺師は間違いなくS1級以上、いやS2級以上は確実……! 私が戦える相手じゃない!! 校内放送はもう無理だ! 自分と火村が助かることを最優先に考える!!)
「な、何だよあの化け物!!」
火村が猫寺師を指さして言った。
「お前ら……。そうか、運良く免れたヤツらか」
猫寺師の胃に引っ付いた口が、嗄れた声でそう言った。
「――ならば儂の糧となれ」
そう言って猫寺師は、尖った12本の肋骨を圭子に向ける。
「乗って!! 早く!!」
圭子は火村の襟首をつかんで、飛行箒に跨らせた。
「わ、わっ! に、逃げるの!?」
「捕まって!! 発進するわよッ!!」
圭子は火村を自分にしがみつかせる。その感触がした瞬間、思いっきりグリップを捻って、操縦桿を最大限上にあげた。
直後、コンマ5秒前まで圭子と火村がいた場所を、猫寺師の伸長した肋骨が通過した。間一髪だった。
飛行箒はあっという間に、高度100メートルまで達した。
「うわっ、うわわっ! ブッキーどうするんだよ!」
「ブッキー言うな!! とりあえず、魔導警察本庁か陰陽保安局本庁に逃げ込――」
ゴバアッ――
猫寺師の開かれた胸腔と腹腔から、極太の霊力光線が放たれた。
それが圭子の飛行箒のマフラーをかすめる。
機体が大きく揺れた。
「うわあっ!!」
火村が危うく振り落とされそうになる。
「ヨ、操縦桿が効かない! 上昇できない!」
圭子が悲鳴のような声で叫んだ。損傷した飛行箒はコントロールができず、
「えっ! ど、どうするんだ!?」
「急に減速すると、重心の関係で機体が前方にひっくり返りかねない! 少しずつ速度を落として、不時着するしかない!」
後ろで、またしても光線が放たれた。だが、今度は射程外だったようで助かった。
飛行箒はコントロール不能のまま、蒼木倉庫街方面へと蛇行しながら滑空していく。
彼らは夢中で気づかなかったが、何台ものパトカーや霊動鎧が日魔方面へ向かっていた。
★
エルワンは、ライトアップされた日魔大の赤い両扉を潜った。
(さっき、空中に輝いた怪光線の禍々しい霊波動……! あれは間違いなく猫寺師のそれだ! ヤツは間違いなくここにいる!!)
キャンパス内に飛び込むエルワン。目に飛び込んできたのは――異様な光景だった。
「旭……宇隆?」
旭宇隆が、何十名もの学生を引き連れて練り歩いていた。彼らは揃って、焦点の合わない目をして、口から涎を垂らしている。項垂れていたり、天を仰いだりと、行進というより徘徊といった方が適切な様相をしていた。
そして宇隆は、エルワンには目もくれずに通り過ぎようとした。
「お、おい!」
エルワンは慌てて宇隆の肩をつかんで引き留める。
「どうしたんだ! 全員普通の様子じゃないぞ! 猫寺師を見なかったか!? ヤツに何かされたんじゃないのか!?」
「そいつには、何を言っても無駄だ」
嗄れ声が遠くから響いた。
そこには、異形の猫寺師の姿があった。
「猫寺師佐武朗!!」
エルワンは構える。
「懲りずに追いかけて、せっかく拾った命を無駄にするとは……愚かな」
ヴ、ヴ、ヴ、ヴヴヴ――
猫寺師の大口へ、空気中の霊力が充填されていく。
(どの筋肉も反応しなかった!? 霊力場を〔隠形〕されている!)
五星院家の人間は、P霊波動予知体質という最初に到達する霊力場が五行でどの気に対応するかわかる勁路を持っている。
だが、猫寺師の霊力場にはそれが働かない。つまり、霊力場を〔隠形〕されているということだ。
(今から避けても間に合わない! 恐らくは熱線を放出する系統の術。ならば――)
エルワンはケースから五枚の土気符を取り出し、地面に貼り付ける。
「《火生土包焔蓋》!!」
猫寺師から霊力の光線が放出される。
その瞬間、五枚の土気符が光り出した。
グゴオッ――
泥のドームが突如生成され、一瞬で膨れ上がった。猫寺師の霊力砲を火行気と解釈し、火生土の反応が起こったのだ。
(危うかった……ただの熱線で助かった! もし電撃やプラズマだったら木行気だから、俺が完全に殺られていた……!!)
ところが、であった。
《火生土包焔蓋》の泥にヒビが入り始めた。
「!」
猫寺師の圧倒的な霊力場で、変換しきれないのだ。
「まずい! 追加の札を――」
エルワンがさらに黄色い札を三枚貼り付けようとしたが遅かった。ヒビ割れから光線が漏れ出した。エルワンの右脚の太ももをかすめる。
「ぐわっ!」
その熱さと衝撃に、エルワンはその場に転がった。土気符が散らばる。
そして、視界が異様にスローモーションに見えた。
死ぬ。そう思った。
「――」
死を覚悟したエルワンの脳裏に真っ先に浮かんだのは――明日葉萌であった。
「俺は、」
遅延する世界のなかで、取り落とした土気符をそのまま地面に貼り付ける。
ボンッ!! ドームが完全に崩れ落ちた。溢れ出る熱線。
「死ぬわけにはァァァ――」
ズゴゴゴゴォォォ――
直後、エルワンの前に高く分厚い壁が出現した。それは《火生土包焔蓋》の泥のドームよりも数段頑丈なレンガの壁であった。
振り向くと、背後に浅緑に塗装された霊動鎧「七式機・改」が何機も並んでいた。胸にある五芒星をあしらった陰陽保安局の紋章――五行エクスパンダーより、黄色い光線が壁の根元に照射されている。土行気による壁が猫寺師の熱線に触れて生成されたのだ。
陰陽強襲部隊「北斗」第六部隊・武曲である。
『無事か! ジロー=カバントゥ!!』
霊動鎧のうちの一機から、聞き覚えのある声がスピーカーで響いた。陸ヶ丘である。
「フン。こんなコケ脅しでは、蚊トンボは堕とせても霊動鎧は無理か……」
猫寺師が一機の霊動鎧を指さすと、それを挟むように門が二つ、30メートルほどの大きな間隔を出現した。
――ゴォォォォ。
そしてエルワンの脳裏に燃え盛る火のイメージが浮かび、心筋が激しくうずいた。
「! 火行気の攻撃が来るッ!! それも強力な!!」
呼び掛けと同時に、自分自身も土気符を出そうとしたが――遅かった。
「《火遁焼尽颯》」
詠唱と同時に、青白い光線が霊動鎧のコックピットを貫いた。
それは、頭から錐揉み回転で突っ込んだ猫寺師だった。
「――」
余りの速さに、パッと光ったようにしか見えなかった。
二秒ほど遅れて、他の機体が右前腕部に搭載された7.62mm口径機関銃カベイロイズM07 九星を斉射した。
手足に数発食らったが、すぐさま治癒してしまう。
猫寺師は空に向けてを指さすと、中空に二つの門が出現する。同じ要領を繰り返し、空中へ数珠つなぎに門を作っていき、猫寺師は真紅の流星となって去っていった。
(……遁甲の応用による攻撃。そして、五星院家のP霊波動予知体質を以ってしても感知できない〔隠形〕。五行思想が原理になっているが、現代陰陽道じゃない。あれは……忍術!!!)
エルワンは、大学時代に履修した忍術の講義を思い出す。
忍術は、陰陽道のなかでも遁甲を始めとしたいくつかの術を独自に発展させて派生した伝統魔術であり、木遁・火遁・土遁・金遁・水遁の五系統に分類される(なお現代陰陽道のように、接触した霊力場は強制的に五行気へ変換される)。
今のは、『傷門』『驚門』という凶方同士をつないで、攻撃と遁走の両方を図る術だろう。
つねに再現性を求められる現代陰陽道では、干支の原理はほとんどの術の「式」で適用されていない。だが古忍術では、干支はその霊力場の威力と安定性を左右させる。本日、2017年7月29日は丁巳であり、丁も巳もいずれも五行では火を示す。よって、あの威力の忍術を可能にさせたというわけだ。
(あれほどの忍術を使えるとは……。猫寺師佐武朗とはいったい、何者なのだ!? そして、あれだけの使い手が政治活動を煽動……厭な予感しかしない!!)
そのエルワンの予断は、果たして当たっていたのであった。
★
夕は冷たい地面の感触で、意識を取り戻した。
「う……」
頭が重い。意識を失う直前、首筋にチクッとした感触がしたから、魔薬でも入れられたか。
手足が動かせない。導体ごと縄で縛られて拘束されている。
「Je, je, je. お姫様がお目覚めだぜ」
粗野な口調をした少女の声が響いた。
目を空けると、四人の女子が自分を見下ろしていた。人種はバラバラで、何の集まりなのかはさっぱり見当がつかない。
ただし状況から、自分が何をされたのかは推測がついた。
「僕……、誘拐されたのかい?」




