Report 37 FRI-END(後編)(5)
「中田……。くそっ、やはりこの前邪魔したのはお前か!!」
中田の姿を視認した渡邊は、木々に身を隠した。
「渡邊!」
「待って! 置いてかないで!」
俺は中田にすがりつくように言った。
「くっ……、私から離れないでよ!」
中田は少しばかり逡巡してから俺にそう告げて、渡邊を追った。
二人は草木を掻き分けて、けもの道を進んでいく。
「ねえ、先生も、魔術師なの?」
「!」
俺がそう訊くと、中田は驚いた顔で振り向いた。
「どうして、そう思うの」
「だってさっき、撃ったら、アイツの刃が、ドロドロに溶けた、じゃん。あんなの……ハァハァ、普通の、拳銃じゃ、無理でしょ」
「……ええ、そうよ。この銃で、『火』の気を弾丸に与えたの」
それから「あなたはどうして魔術を?」と問い返した。
どうやら、さっき渡邊を迎撃したところを見られたようだ。
「……裏山の泉にいる、妖怪に、教えられたんだ。ハァハァ……、そいつ今、俺の友だちを連れ去っちゃって……、ハァハァ、この山にいる。多分」
俺は息を切らしながら返事をする。対して中田は、全く息が切れていない。彼女のそれは、大人と子どもの違いだけでは説明できず、何か特別な訓練を受けているのだと、子どもの俺でもわかった。
「い、いつもの泉に出られない!」
「くっ……。一旦は広い場所に出た方がいいわね。――《オン・マリシエイ・ソワカ》」
中田は、右手と左手の人差し指と中指を立て、右手を空中で切った後、左手の薬指・小指・親指の三つの鉤の中に入れて、詠唱した。
日章旗のような赤い霊光が迸り、二人を包んだと思ったら光のちりとなって消えた。
すると、不思議なことが起こった。
ぐわんっ。
空間が歪み、異臭がしてきた。腐った魚のような、厭な臭いだった。
「これであなたの言っていた裏山の泉に出られるわよ」
摩利支天の真言である。喚起することにより加護を得て、霊的結界からすり抜ける結界を対象の術師に展開することができる呪文だ。
俺と中田は草木を掻き分けて、泉のある野原に出た。
「くっ……」
中田が顔をしかめた。
スネコスリの死骸はなくなっていたが、流れ出た体液は雑草や地面にしみ込んでいた。そのため、当たり一帯は匂いが立ち込めて、ハエをたからせていた。
「う……」
俺は込み上げる吐き気をどうにか堪える。
「ここにいたスネコスリを片付けたのも、先生とあの特殊部隊みたいな人たち?」
俺がそう訊くと、中田は頷いた。
「ええ、そうよ。証拠だからね」
彼女はそれだけ言うと、周囲の警戒に戻った。
訊きたいことは、互いに山ほどといった感じだ。
だが、いつ渡邊が再び襲いかかってくるのではないかというこの状況では、悠長に話をしている余裕などない。
今か今かと待っていたが、渡邊は一向に現れない。
「……どうやら逃げたようね。あなた、私と一緒に来て。聴取を――」
中田がそう言いかけた、その時だった。
――ヒュンッ。
陰樹から、血の刃が中田の首を目掛けて飛び出すのを俺は見た。
「先生ッ!」
俺は中田を突き飛ばす。
直後、彼女の頭があった場所に血の刃が伸長した。逃れたのは、間一髪だった。
「し、しまった!」
渡辺が木々の向こうから、姿を現した。
すると、転がった中田は即座に発砲する。弾が渡邊の右足を掠めると――
「ぎゃあっ!」
そこから炎が上がった。さっきの刃に当たった時の反応といい、どうやらこの弾丸には「火」の気が込められているらしい。
渡邊はその場に悶絶しながらも、地面に脚を叩きつけて消火する。
「殺してやるッ!!」
渡邊は両手から、血の刃を生成し伸長させる。
「う、うわああああッ!!」
血の刃の属性は「金」。だが、それに克つ「火」は俺の周りにはない。
俺は咄嗟にイメージして、「土」の気を持つ地面に両手をついた。
頭のなかのイメージは――中田が持っているような銃砲が地面に二つできて、それがヤツの両腕を撃ち抜く映像だ。
バシイッ!
閃光をあげて、二つの銃砲が生成される。
それはイジェクターから薬莢を飛ばし、弾丸を発射した。
ビス、ビスッ。
それは見事に渡邊の両腕を貫通し――ヤツの首に着弾した。
「――ごぼ、ごぼぶっ」
渡邊の首に空いた二つの穴から、鮮血が噴き出す。そしてごぼごぼと血を吐き、その場に斃れた。
「……」
俺は自分が今したことを受け入れられず、茫然と突っ立っていた。
心臓が弾けそうに、ドクドクと高鳴っていた。
ザッ。
かたわらで横になっていた中田が、斃れた渡邊の許に駆け寄る。そして首筋に手を当てる。
「19時16分37秒。……死んでいるわ」
死んでいる。
その言葉で、俺はその場にへたり込んだ。
人を。初めて、人を、殺してしまった。
そう思ったら、吐き気が込み上げてきた。
「お、おええええっ」
俺は吐いた。
望夢の家でも吐いたから、黄緑色の胃酸しか出なかった。
「お、おれ、おれ。人を――」
ふわっ――
すると、中田は俺のところに戻ってきて……抱きしめてくれた。
「ごめんなさい。ヤツは何としても、私が仕留めるべきだった。本当にごめんなさい」
その腕は震えていた。押しつけられた彼女の胸からは、心地良い心臓の鼓動と、人間らしいぬくもりが伝わってきた。
それは、まるで怯える子どもを慮る母親のようだった。
「あら。渡邊、死んじゃったの」
ふと、忘れるはずのない声が耳朶を打った。
目の前に見ると、渡邊のかたわらに赤い影が立っていた。
「オトロシ……!」
「もう少し泳がせてから始末しようとしていたのに。弱っちいのね」
オトロシは先ほどと同じように、死者への敬意など微塵も感じられない冷淡な声音でそう言った。
それから「まあ、いいわ」と、渡邊から目を背けた。
「望夢ッ……!」
翔は、オトロシの足にしがみつく望夢に声をかける。
その表情は虚ろで、目の前の渡邊の死体にも全く気にしていない様子だった。
「動かないで!」
中田が拳銃を上にあげて言った。そして懐から、縦開き式のバッジホルダータイプの身分証を出す。
下部には銀メダルのバッジがはめ込まれており、上部には中田の証明写真が印刷されていた。だが、その下の名前は「中田鏡子」ではなかった。
○ ×△ 一等陰陽保安士
「あなたが、植杉くんの言っていた術師ね。望夢くんを放しなさい!」
すると、オトロシは嘲るように笑い出した。
「何で私の子を手放さなきゃいけないの?」
その言葉を聞いて中田は、「実の子……!?」と訝った。
「今のオトロシはヘンだ! 望夢の両親もひどいヤツだったけど、あっさり殺しちゃうし……。そんなヤツに望夢を任せられない!!」
俺ははっきりと言った。
「なあオトロシ! アンタはそんなヤツじゃないだろう!! 優しい笑顔で、俺たちに魔術を教えてくれたアンタはどこいったんだよ!」
そう言うとオトロシは、またしても表情を変えた。
今度は心底軽蔑した顔で、こう返した。
「何も知らないくせに……。少しぐらい優しくしてあげたからって、つけ上がるんじゃないわよこのガキ」
それから、嘲笑を浮かべて喋くり始める。
「スネコスリたちも畏もねー。私が八つ裂きにしたの」
その言葉に、俺は言葉を失った。てっきり、渡邊がやったものだとばかり思っていたからだ。
「なんで……、そんなことを」
「渡邊と陰陽保安士たちの両方にここを勘付かれちゃったから、逃げるためのカモフラージュにね」
それから彼女は「望夢」と呼びかける。
望夢は俺に向かって手をかざす。そして、手のひらから赤い血の紐が飛び出した。
「翔。あのね」
それは宙を舞って、俺の足と手にまとわりついた。
「僕、オトロシに魔術を使えるようにしてもらったんだよ」
「わっ! や、やめろ!」
抵抗虚しく、俺は縛り上げられる。立てなくなった俺は、草むらに崩れ落ちた。
「翔くん! ――やめなさせなさい! さもないと撃つわよ!!」
中田に拳銃を向けられるオトロシ。だが全く意に介することなく、オトロシは対応した。
「《土克水魔酔蟲》」
オトロシの足許に霧が噴き出して、黄褐色の煙に変化する。やがて銀色の光となり、瞬く間に凝縮して蠕虫の形になった。
「まずい! 中田先生、避けて!」
ミミズのような銀の虫は宙を舞って、中田の右手に嚙みついた。スッと皮膚に浸透するように溶けて消える。
「あっ! ……うぅ」
俺と同じように、中田はその場に昏倒した。
「先生!」
俺は中田のように這い寄るが、上手く身体が動かない。
「さあ、行きましょう。望夢」
甘ったるい声がした方を見やると、オトロシが望夢をつれて鳥居の前にいた。
「やめろ! 望夢をどうするつもりだ!!」
俺は思わず叫んでしまった。
すると、望夢の目が泳ぎ始めた。そしてギュッと、オトロシのコートの裾をつかむ。
「……あなたなんかに答えてあげる義理はないけれど、この子があなたのことを大切に想っているみたいだから、少しだけ答えてあげるわ」
さっきとは違った、冷え切った声でオトロシは言う。
「これから私たちは、一つになるの。松元も一緒にね」
だが出てきた答えは意味深すぎて、俺を煙に巻いているも同然だった。
「一つになるって……松元も一緒って……、意味わかんねーよ!!」
「……少し喋り過ぎたわね」
それからオトロシはもう俺の方を向かないで、望夢を見つめた。
「紅く――融けましょう」
――ぐわんっ。
オトロシの周囲の空気が歪み、不可思議な変化が起こった。
闇が、迸った。
それは、木々の隙間からかすかに挿し込んでいた真っ赤な夕陽さえも遮るような真の暗黒であり、空間がひび割れるように奔っていった。
闇の中心には――赤黒いぶよぶよがおどろおどろしく蠢いている。
オドロ、オドロ。
頭のなかに、望夢が教えてくれたオトロシの本当の名前が反芻される。
「望、夢」
俺は震える唇で言った。
このおぞましい闇に、望夢が呑み込まれようとしていた。その目は、何故かとろりと陶酔し切っていた。
「翔……」
望夢は振り返る。
「今までありがとう。楽しかったよ」
「やめろ! お前が魔術使えなくたって、俺はずっとお前の友だちだ!! だから、戻ってきてくれよ!! 残虐なことも平気でやってのけて、自分の子どもをわけわかんねーことに巻き込もうとしているクソ親なんかと一緒に行くな!!」
すると望夢は、寂しそうに首を横に振った。
「お母さんが正しいかどうかなんて、どうでもいい。……僕はどうしても、自分の手で魔術を使いたいんだ……」
望夢の身体は、中心の赤いぶよぶよにまで引きこまれていた。もう姿のほとんどが闇と赤いぶよぶよに吞み込まれている。
「望夢――ッ!!!!!」
「さようなら、翔」
そう言い残して――望夢は完全に闇へ呑まれていった。
ぐわんっ。
またもや、空間が歪んだ。
フッと、森一面を支配していた闇の罅が消えた。
消えたのは、それだけではなかった。
黒い鳥居も、赤いぶよぶよも、望夢も、跡形もなく消えていた。
俺は全身を震わせて、すすり泣いた。
後悔ばかりが、俺のなかで蟠る。
俺は、ずっと泣きじゃくっていた。涙が枯れても、嗚咽をずっと繰り返していた。




