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Report 37 FRI-END(後編)(2)

 翌日。

 俺は望夢に教えてもらった住所まで、迎えに行った。

 岸川家から徒歩で十分くらいの距離で、川沿いに建つアパートがそうだ。


(たしか……102号室だったな)


 アパートは古く、木造部分はボロボロである。廊下部分にはトタンの屋根が張られていて薄暗い。今にも、怪異が出てきそうな雰囲気である。

 俺は、[102 間]という表札が貼られたドアの前に立つ。


(人ン家に訪ねるのなんて初めてだ)


 意を決して、ノックしようとしたその時だった。

 ギイイ……。

 扉が開く。そこには、ポロシャツ姿の望夢が立っていた。


「おはよう、翔」

「おう、望夢! 裏山行こーぜ!」


 こうして俺たちは、オトロシの元へと向かった。



   ★


「慌てないで……。ゆっくりと金の気に変わるように念じるのよ」


 小石を両手に乗せる俺を、オトロシが見守りながら指導する。

 今日もやることは、魔術の実践だ。俺は一生懸命になって取り組んだ

 ピキ、ピキ……。カッ!

 すると、両手に乗っている小石が黄金に輝いた。

 スネコスリたちがびっくりして、「きぃきぃ」と鳴き声を上げる。


「やった!」


 俺は快哉(かいさい)を叫んだ。

 昨日は、オトロシのサポートがなければひび割れ状に黄金ができたに過ぎなかったが、今日は一人の力で全面を黄金にすることに成功した。

 俺は、昨日見たときから思っていた。この力を、自分のものにしたいと。

 これまで、妖怪やお化け、またそれを見ることのできる自分自身を嫌っていた俺にとって、この心情の変化は自分でも信じがたいことだった。それほど、オトロシが見せてくれた術が俺にとって魅力的に映ったのである。


「たった二日で……すごいわ、翔。あなたはやっぱり筋が良いわ」


 俺は、ずっと見ていた望夢の方を振り返る。


「望夢! 魔術って、すごいんだな!」


 すっかりはしゃいでいる様子で俺は言った。魔術の素晴らしさを教えてくれた友人に向かって、今の悦ばしき心境を伝えたかった。

 だが、望夢は呆然と突っ立っていたままだった。


「……望夢?」


 名前を呼ぶと望夢は、夢から醒めたような面持ちで、口の両端を吊り上げた。


「――おめでとう、翔」


 望夢は、はっきりとそう云った。

 その時は気づかなかったんだが――望夢の口の端は、ほんのわずかだけ笑い切っていなかった。


 オトロシがにっこりと笑って褒める。

 これで本日の授業は終了となった。




   ★


「オトロシってさ」


 夕暮れの帰り道。俺は望夢に話しかけた。


「すごい力を持っているけれど、やっぱり有名な妖怪なのか?」

「オトロシはね『おどろおどろ』っていう妖怪なんだ」

「おどろおどろ?」

「うん、本人が教えてくれた。鳥居を守る妖怪なんだ」


 鳥居――、オトロシは常に鳥居のそばにいる。それは真っ黒で、今にも崩れ落ちそうだった。


「あと、畏もそうだよ」


 その名を聞いて、翔はびくりとする。


「彼は『わいら』っていう妖怪なんだ」

「へ、へえ」

「『わいら』は『おとろし』とセットの妖怪なんだよ」


 俺は「そうなのか?」と首を捻る。


「うん。『おどろおどろ』は『恐ろしい』がなまったもの。『わいら』は『かしこまる』という意味の『畏(わい)らい』という言葉に由来するんだ。二人とも『畏(おそ)れ敬う』って意味を名に持つ妖怪なんだ」

「おそれ、うやまう?」

「自分よりも高く、強力な存在に対して、かしこまってへりくだるという意味だよ」

「……もしかして、あの鳥居にまつられた神様か?」

「多分ね。この辺りでは昔、土地の神様をまつっていたらしいんだ。でも、ある時から信仰する人もいなくなっちゃったみたい」


 それでもなお、オトロシたちはあの鳥居を守り続けている。そんな彼らに受け入れてくれた自分たちは、特別な存在なのだろうか。そんな風に想うと翔は、訳もわからず感傷的な気持ちになった。


「お前……、本当に色々知っているんだな。知っているだけじゃなくて、何ていうか。……よくそんな風に考えられるなって」


 望夢は少し首をかしげる。俺の台詞の意図が、よく分からないようだ。


「いや、ヘンな意味じゃなくてさ。ほら、きのうの『見ようとしないから見えない』とか。オトロシの話も、分かっていたみたいだし」


 こいつは、妖怪や魔術に対してただならぬ関心を抱いている。昨夕話してくれた動機からすれば、無理からぬことだ。ただ、彼のそれは単なる薀蓄(うんちく)ではない。精緻(せいち)に考えられて体系化された思想を有していることを、言葉を通じて俺に感じさせるのだ。


「どうしてお前は、怪異とか『呪い』とかについて、こんなにふかく考えられるのかなって、思ったんだ」

「簡単なことだよ。見えるから、知りたいのさ」


 望夢は微笑んでそう答える。そして、逆に俺に対してこう訊き返した。


「知ったことを、自分なりに考えてまとめてみたい。ただ、それだけさ。翔だって、呪術がキレイだって思ったから、使えるようになりたいって思ったんでしょ?」

「それは……、その通りだ」

「おんなじだよ」


 そうなのだろうか。たしかに、自分はオトロシの呪術を見て、すっかり熱中してしまっている。それでも俺からしてみると、望夢の知的欲求の旺盛ぶりは比較にならないように映り得た。

 西に沈む太陽は、雲を真っ赤に焼いた。

 それを見て俺は、赤マントのことを思い出した。


(――あれは、なんだったのだろうか)


 蘇る、赤マントのビジョン。コートのような衣服をはためかせた人影、瞬く間に消えた鋭い刃。

 俺は、身体をぶるりと振るわせる。


「なあ。『赤マント』って、いるだろ?」


 こいつなら、何か知っているかもしれない。俺の頭に、そうした思惑がよぎる。


「うん。有名な都市伝説だね」


 俺の予感は的中した。望夢は淡々した口ぶりでそう言った。


「としでんせつ?」


 俺が問うと、望夢は流暢(りゅうちょう)に説明する。


「街や学校とか、人が住んだり暮らしたりするところでささやかれるウワサのこと。トイレの花子さんとか、口裂け女とか。赤マントもその一つ。夕方になると現れて、子供を連れ去ったり、暴行を加えたりするんだ。この街だけじゃなく、日本中でうわさになったこともあったよ。ずっと昔から、たびたびウワサになる怪人さ」

(そういやそんなこと、岸川やばあさんが言っていたな)


 この前の晩、岸川やセツが言っていたことを思い出す。セツの年齢から考えれば、赤マントという妖怪が認知され始めたのは今から相当昔のことになる。

 だが今は、そうした聞いた話は脇に置いておいて、自分が経験したことについて望夢に打ち明ける。


「オレ、見たんだ」


 望夢は、少し驚いたような顔をした。


「どんな、感じだった?」

「冬に着るコートみてーな上着を着ていて……。遠かったし、夕やけがまぶしかったから色は分かんねえ。右手には、何か細い刀みたいなの持っていた。それで、烏みたいな怪異を真っ二つにしていた」

「どこで見たの?」

「家の近く。家ばっかで、人っ気があんまないところ」


 望夢は、右手で顎をさすりながら考察する。


「夕方の辻に現れた、長い上着を着る不審者……。凶器は特にこれといったものがないんだけれど、ナイフというのがよく聞くパターン……。うん。たしかに、赤マントの特徴に似ている」

「なあ、それって妖怪なのか。それとも、オレたちみたいな人間なのか」

「分からない。目撃談は多いけれど、単なる不審者や通り魔がそう見えたのかもしれないし、どっちともいえない。ただ、翔が見たっていう怪人は、妖怪か呪術を使える人間か、どちらかなのは間違いないと思う。妖怪を斬ることができたのが、その証拠だ」


 いずれにしても、異界の存在だということだ。

 望夢は最後に、こう付け加えた。


「いうまでもないけれど、妖怪や魔術師の中には危険なモノもいる。赤マントには気をつけた方がいいと思うよ」

「そうか……、分かった。ありがと」


 そんなことを話していると、裏路地から抜け出ていた。


「じゃあ、また明日ね」

「おう。また明日」


 二人はまた遊ぶ約束をし、それぞれの帰路に着く――はずだった。


「かーけーるーくーん」


 悪意が込められた呼び声。

 道の向こうから、樹たちが近づいてきた。

 俺の全身を悪寒が貫いた。胃がぎりりと締め付けられ、心臓が口から飛び出そうになる。


「昨日おれたちとの約束を破っておいて、望夢くんと何やってんのかなー?」


 樹の後ろにはタカ、章太、洋平もいる。皆そろって、いやらしい顔つきをしている。


(――逃げろ、逃げろ、逃げろ!)


 脳が、身体の全神経に命じた。

 俺は間の腕を掴む。

 そして、全力で駆け出した。


 後ろでした「おい、待てよ!」という樹の罵声は、耳に入らなかった。


 ぐちゃぐちゃに思考が狂い飛ぶ頭の中で、必死に逃げ場所を考えた。

 裏山。そこ以外にない。

 さっきの路地に引き返す。ビールケースを蹴っ飛ばし、砂ぼこりを舞い上げ走る。そして林の中に逃げ込み、楽園への案内人を待った。


 ――来い! 来い!


 だが、その翔の思惑は外れた。

 すぐに出てくるはずのピンクの光球が、いつまで経っても現れない。


 俺は「どうして!」と、思わず叫んだ。


「望夢! こういうときはどうすりゃいいんだ!」

「分からない。こんなことは、初めてだ」


 間も困惑した様子だった。

 このままでは、追いつかれる。

 痺れを切らした俺はナビゲーターを待たず、林の奥へと入っていった。記憶を頼りに、けもの道を上る。


「ひっ!」


 思わず声に出す翔。向こうの側の藪から、がさりという物音。視線を移す。

 人影が見えた。


(――中田?)


 物音の主は、養護教諭の中田であった。いつもの白衣は羽織っておらず、黒いスーツ姿だった。

 完全に予想外の人物の登場に、どう対応していいのか分からない翔と望夢。

 中田は、街の方へ走り去っていく。ここからでは暗くて、表情が伺えなかった。


(今はそれどころじゃない!)


 翔は再び走り出し、森の深くへと分け入る。

 だが違和感を覚えた。

 山の様子が、明らかにおかしかった。

 異界への入り口であるけもの道からは、いつものような妖気が全く感じられない。

 代わりに嗅ぎ取れるのは、かすかな鉄の臭い。

 翔は、怖気に身を震わす。脳内に、ある一つの単語が想起された。


 ――赤マント。


 燃えるような夕日。そして、血の臭い。フラッシュバックする、逆光の中の男。

 よぎるおぞましい予感を、俺は頭を強く揺さぶって振り払う。


(違う。オレたちには、関係ない)

「こっちだ」


 望夢が指を差す。異臭が、徐々に濃くなっていく。光が届かぬ藪の中を、二人は懸命に潜り抜ける。

 そして、野原に出た。

 鮮烈な赤色が目を射る。二人は、その場で立ちすくんだ。


 濃厚な鉄の臭いと、一面の真紅。スネコスリたちが、血の海に沈んでいる。


「う……」


 俺は、腑から搾り出されたような声を上げた。

 スネコスリは、一匹残らず殺されていた。首がないもの、胴体が切り離されているもの、四肢切断されているもの。ふさふさの毛皮は、どれも血でしっとりと濡れている。

 この切り口は、あの烏の死体のそれに酷似していた。

 赤マント。

 ヤツへの恐怖が、俺の痩身(そうしん)を貫く。

 俺はがたがたと震える足で、鳥居のかたわらの石段まで歩み寄る。

 石段には、ずたずたに切り裂かれた和服が転がっている。真っ赤に染まっている着物からは、わずかに朽葉色が見て取れた。

 それは紛れもなく、オトロシの着用していたものであった。


「う、――げえっ」


 堪え切れなくなった俺は、立ったまま嘔吐する。

 そして、そのまま力なくうずくまった。込み上げる胃酸。停止する思考。視界が、ぐるぐると回る。

 ――うそだ。こんなことが、現実にあっちゃいけない。


「うわあ――、ああああああ――!!!!!」


 その絶叫に、混濁する意識は現実に呼び戻される。

 おぞましい声の主は望夢であった。今までに見たこともない、望夢の恐怖の形相。


「の……ぞ……」


 声が出ない。かすれた弱々しい声で、呼びかける翔。

 ドスン!!!!!

 その時、大きな音とともに地面が響いた。

 藪の中から灰緑の肉塊が倒れてきたのだ。

 俺は驚いてその場で尻餅をつく。


「――畏?」


 かろうじて搾り出した声で、翔が呼びかける。

 それは、畏であった。


「……貴、様ら」


 怒りが込められた、低い声。

 全身がずたずたに切り刻まれ、あちこちからどす黒い血を噴き出している。


「貴様らの、せいだ」


 顔がぱっくりと切られ、両目がつぶされている。彼は虫の息であった。


「人の世の、――俗な空気を、お前ら人の」


 畏が右腕を振り上げる。鋭い鉤爪が鈍く光った。

 ――殺される。

 俺は、そう直感した。けれども、立てない。声も出ない。

 パンッ。

 銃声。畏のひたいに穴があいた。穴からは、光の粒が吹き出す。


(……え?)


 木々の中から、数人の黒い影が飛び出てくる。彼らは揃って、ドラマや映画に出てくる特殊部隊のような黒い防護服に身を包み、その手には短機関銃を携えていた。


『撃(て)!!!!!』


 号令とともに、彼らが手にする短機関銃が一斉に火を噴く。

 複数の閃光が、畏からほとばしる。畏はびくん、びくんと身悶えたが、すぐ動かなくなった。

 何が起こったのか、翔は理解が追いつかなかった。

 戦闘員は五人くらいだった。畏を囲むようにして、近づいてくる。フェイスガードがついているため目しか見えなかったが、その瞳は皆一様にゾッとするほど冷たかった。

 異様な状況の中で俺は、身に迫る危機を感じ取った。

 とにかく、この場を離れなければ。

 がくがくと震える両足で何とか立つ。呆然とする望夢の右腕を、引っつかむ。そのまま、藪の中へ駆け込んだ。


「待て!」


 戦闘員の内の一人が、叫んだ。枝が俺の体のあちこちを引っかく。だが気になんてしていられず、ひたすら逃げ続けた。




   ★


(……どれだけ走ったのか、わからない)


 気がつくと二人は、裏山からずっと南にある土手にいた。日はとっぷりと暮れて、川は真っ黒であった。


「翔……」


 望夢が呼びかける。俺は、疲れきったその身体を彼にゆだねた。Tシャツはところどころすり切れており、泥だらけだった。


「あったかいな、お前」


 俺は泣きじゃくり、望夢の懐にうずくまる。

 望夢からは、優しい香りがした。ポロシャツの柔軟剤が、望夢の汗によって気化された匂いである。彼の体温と鼓動、匂いだけが、自分が今生きていることを感じ取ることのできる唯一の寄る辺だった。


「なんで、オレたちだけが――こんな目に」


 せっかく、居場所を見つけたのに。どうして、どうして。

 俺は嗚咽を上げる。絶望に打ちひしがれた二人は、冷たい風のなか身を寄せ合う。

 ――ファン、ファン、ファン。

 土手の向こうから聞こえてくるサイレンが徐々に大きくなってくる。

 パトカーだった。

 二人は身構えた。けれども、もはや逃げる余力もない。

 パトカーが、二人の目の前の道路で止まる。そして中から、見覚えのある男性が出てきた。


「望夢!」


 男性がそう呼んだ。望夢の父親だった。

 ひどく疲れた様子だ。以前見たときも疲労している感じは見て取れたが、今はその時以上の有様である。

 パトカーからはもう一人、降りてきた。

 岸川美佳である。彼女は、落ち窪んだ目でじろりとにらみ、俺に無言の非難を投げかけた。


「望夢、翔君。聞いてくれ」


 望夢の父はそう云い、自分の息子とその友だちにこう告げた。


「飯間君が、通り魔に殺された」

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