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Report 37 FRI-END(後編)(1)

 昼食を済ませた後すぐ、俺は間との約束の場所に向かった。あの細い裏路地を抜けてすぐ、麓の林である。

 俺が着いたときには、既にチェック柄の半袖シャツを着た間がいた。


「やあ」


 間が軽く微笑んで言った。

 ピンク色の光の球が現れる。俺たちはそれに着いていく。

 あの妖しげなけもの道を通り抜けると、昨日の広場が見えてきた。まぶしく輝く緑の絨毯の上に、たくさんのスネコスリ達がたわむれている。

 俺は駆け出すように中へ入った。

 ぬっ。

 すると、藪の中から巨大な緑色の顔が突き出してきた。


「わあっ!」


 俺は、驚いて尻餅をつく。畏であった。


「畏。お客さんを驚かせちゃダメ」


 聞き覚えのある優しげな声。翔が振り向くと、そこにはオトロシがいた。


「オトロシ!」


 間は、笑顔で彼女の名前を言った。オトロシの顔がほころぶ。


「こんにちは、二人とも」


 俺も続けて「こんにちは」と挨拶をした。


「――オトロシはああ云ったがな。俺は認めんぞ」


 畏は舌打ちをし、捨て台詞を残して茂みの中に顔を引っ込める。オトロシが少し困ったように微笑んだ。

 青天井からは、昨日は見えなかった太陽が鎮座している。草花が昨日よりずっと輝いて見えるのはそのせいだ。


「今日は、面白いものを見せてあげるわ」


 オトロシはそう云って、小石を拾い上げる。

 カッ――

 すると、小石は金色(こんじき)に輝き始く黄金に変化した。

 スネコスリたちが興奮して、オトロシの周りで飛び跳ねる。


「……」


 俺は、目を丸くした。

 オトロシが柔らかく微笑む。

 彼女は、鳥居と反対側の茂みに向かった。昨日は気づかなかったが、そこは泉につながっていた。

 泉は、半径三メートルくらいの円を描いており、その中心から滾々(こんこん)と水が沸き続けている。その水をオトロシは、両手で掬い上げる。


「次は、この水を花びらに変えてみせます」


 オトロシは、掬い上げた水に息を吹きかけた。すると水が、赤く光り始める。それからすぐ、水の表面に無数の突起が生まれる。それは、赤い花びらだった。花びらたちはオトロシの息と風に吹き上げられ、宙に舞った。濡れた花びらは太陽の光を浴びて、きらきらと輝く。

 俺は、目の前で何が起こったのかを認識するのに、時間がかかった。オトロシは、何の変哲もない石を黄金にして、水を花びらに変えてしまった。怪異を見慣れてはいるが、こんな芸当を目の当たりにしたのはこれが初めてであった。


「『魔術』だ」


 間が云った。

 その目は、まるでお菓子の山を見る小さな子どものようだった。


「その説明をするには、まず、『呪い』について話す必要があるわね」


 呆然としていた俺の意識を引き戻したのは、オトロシの言葉だった。


 俺はこわごわ「呪い??」とつぶやいた。


「そんなに怖がることはないわ」


 オトロシは、驚き慄く子どもをなだめるような、母性的な声色で先ほどの現象を説明した。


「『呪い』というと、何かおそろしい力のことのように聞こえるけれど、本来は違うのよ。元々は、そのものに宿る意味を書き換えたり加えたりして、ある状態からある状態へ変える力のことを『呪い』っていうの」

「意味……?」

「そう。例えばね……」


 オトロシ、そう云って茂みの中に生える花を一つつまみ取り、俺の前に差し出す。それは、熟れた桃色をしたサツキツツジの花弁であった。


「これは、何?」

「ツツジ」

「そう。ツツジ。じゃあ、これが『ツツジ』じゃないとしたら、あなたはこれをなんて呼べばいいのかしら?」

「植物? 花?」


 俺は少し考える。そして、頭の中に浮かんだ単語をおもむろに口にした。


「『植物』でも『花』でもないとしたら?」

「……ピンク? みつの入った花びら?」

「『ピンク色のとあるもの』でも、『蜜の入った花びら』でもなくなったら?」

「うーん……。ああ、もう! わかんねーよ!」


 頭がこんがらがる。オトロシはくすくすと笑う。俺は、彼女の質問の意図が分からなった。


「じゃあ質問を変えるわね。さっきあなたは、これを『ツツジ』『植物』『花』って呼んだけれど、何故あなたはそう呼んだのかしら?」

「なんでって、それツツジだし、植物だし、花じゃん」

「訊き方を変えるわね。それじゃなんで、これが『ツツジ』だって分かったのかしら?」

「そんなの『ツツジ』だって知ってるからに決まってんじゃん」


 俺は、何だか少し馬鹿にされているような気分になった。ぶすっ、と頬を膨らまして、答える。そしてオトロシは、この問いの核心を口にした。


「あなたがこれを『ツツジ』だと理解したのは、あなたがこれを『ツツジ』だって『意味付け』したから、という風には考えることはできない?」


 俺は、オトロシが云ったことが理解できなかった。

 そして、少しの間考え込んだあと、俺は反論を試みる。


「――そんな、バカな。その花がツツジだってことはずっと昔の人がそう決めたから、オレ達はツツジだって分かるんじゃん」

「じゃあ、これが『ツツジ』だって、誰も名付けなかったら?」


 反論は失敗した。俺は、何と云っていいのか分からなくなった。そして、そのまま黙り込んでしまった。


「それが、『呪い』なのよ」


 オトロシが、子どもを諭す母親のような口調で解説をする。


「『これ』はそのままでは『これ』でしかなく、そこに『花』とか『植物』とか『ツツジ』とか名付けたり、意味を加えたりしたから、あなたや私は『これ』がツツジだと分かったんじゃないかしら?」


 ――そんなこと、今まで考えたこともなかった。

 俺はこれまで、当たり前のことは当たり前のことだという風にしか受け取ってこなかった。だから、どうしてこれが「ツツジ」と言えるのか、「ツツジ」でなかったら「これ」はなんなのか、そうした疑問は普通の生活の中ではまず抱いた憶えがない。


「名付けることは、最も原始的な呪いなのよ。あなただって、生まれてすぐ『植杉翔』って名前をつけられたでしょう」


 翔は少し考える。両親のことは、余りよく憶えていない。冷遇されていたということだけは、記憶に残っている。けれども、他の子どもが普通すぐに名前をつけられることから、自分もそうだったのだろうなと思い、首を縦に振った。

 オトロシは腰をかがめ、地面に落ちている小枝を拾う。そして、翔に質問をした。


「これは?」

「枝」

「では、『これ』につけられた『枝』という意味を取り消します」


 小枝が光り始めた。


「……!」


 そして「それ」は、枝ではなくなった。

 「枝」だったときの形状を保つことができず、ぐにゃぐにゃと曲ったり、ぺらぺらに平べったくなったりを繰り返した。


「今度は、『これ』に新しく『炎』という意味を与えます」


 そう云ってオトロシは、泉に向かって「それ」を放り上げた。

 ――俺は、息を呑んだ。

 「それ」は真っ赤に燃え盛る「炎」に変化(へんげ)したのだ。


「こんな風に『呪い』を与える術を、『魔術』っていうのよ。何ら特別な力じゃない。みんなに与えられているものなの。そのことにさえ気づけば誰だって使うことができるのよ」

「できねーよ! あんな水を花びらに変えたり、木の枝を炎に変えたりなんて!」


 俺は、目の前で起こっていたことを信じられないでいた。そればかりか、彼女はこの摩訶不思議な能力が、誰にも備わっているのだと言ってのけた。困惑が頂点に達する。

 オトロシは、くすくすと笑ってこう述べた。


「種明かしをするとね。私はある法則に則って、『魔術』を行使したの。」

「ある法則?」

「そう。陰陽五行説って知ってる?」


 俺は首を横に振った。


「陰陽五行説はね、大昔の中国で作られた考え方なの。この世界は五つの『気』に満ちていて、木(もく)・火(か)・土(ど)・金(きん)・水(すい)の五種類に分けることができるって考えたのね。これを五行って言うの」

「もく、か、ど、きん、すい……。これって曜日?」

「よくわかったわね。そう、五行に日と月を加えたものを七曜(しちよう)って言うのよ。話を戻すとね、五行は陽の循環と陰の循環に分けることができるの」


 俺は「循環?」と首を捻った。


「ええ。木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む。これが五行の陽の循環。木は火の燃料となり、火は土を固めて灰を生み、灰の中から金属が出てきて、金属の表面に水滴がつき、水を得て木が育つ。これに対して五行の院の循環は、木は土に克(か)ち、土は水に克ち、水は火に克ち、火は金に克ち、金は木に克つの。木は大地から養分を吸い取り、大地は水を吸い取って堰き止め、水は火を消し、火は金属を溶かして、金属は木を切り倒すの」

「う~ん……」


 俺はわかったようなわからないような気持ちになる。悩む俺を見て、オトロシはくすくすと笑う。


「さっき私が見せたのは、全部『陽の循環』ね。土の気を持つ石を、金の気を持つ黄金に変えたわ。そして、水を花びらに変えたのは、水の水気(すいき)が木気(もっき)に変わったから。最後に枝が燃えたのは、枝の木気を火気に変えたからよ。この陰陽五行説を覚えれば、あなたも魔術が使えるようになるわ」


 そう言ってオトロシは、小石を拾い上げて俺の両手の皿に置く。そして彼の後ろに回り、両手首を握った。

 その感触は柔らかかった。胸が少し高鳴り、頬がほんのりと紅潮した。


「想像して。あなたは、この石をどんな風に変えたい?」

「さっきオトロシがやったみたように、黄金にしたい」


 俺がそう言うと、オトロシは「分かったわ」と答える。

 そして、目を閉じた。


「……あ」


 俺は声を漏らした。

 両腕が、ぽかぽかと温まっていくような感覚がする。オトロシの両手が、ほんのりと光り始める。ゆっくりと、手のひらの器の上に光が集まってくる。


「どんな感じ?」

「ぽかぽかしているような、心地いいような……」


 不思議な気分だった。心と身体が、光に満たされていくようである。

 怪異と出逢ったときの感覚に似ている。だが不快感はなく、むしろ心地良い。


「――思い浮かべて」


 耳元で、オトロシの声がする。

 ――石。光る。金色に。きらきらとかがやいて……。

 頭に、電気のようなものが走る。ぅ、うんと風が鳴る。


 ぴしっ、という小さな音がした。

 小石に、金色の裂け目が生まれた。


 割れ目からは、光の粒子が一瞬拡散した。


「……」


 翔は、あんぐりと口を開けたまま、石を見つめる。隣で望夢が、目を見開いていた。


「『呪い』をかける力の源――それを人は、『霊力(れいりょく)』と呼ぶわ」


 後ろから聞こえるオトロシの声が、翔の意識を目の前の小石へと引き戻した。


「あなたは『土は金を生む』という法則に則って、『これ』から『小石』という意味を取り去り、『黄金』という意味を加えようとした。この金色のひび割れは、そうして起きたことなのよ」


 俺は驚きのあまり何も云えず、しげしげと小石を見つめている。石には確かに黄金の切れ目がついていた。


「この力は、誰でも持っているの。でも、気づかないだけ」


 これは本当に、自分がやったことなのか。

 俺は納得することができず、オトロシに訊いた。


「でも、これはオトロシがオレにエネルギーをくれたから――」

「私はあなたの背中を、ほんの一押ししたに過ぎないわ。これは、紛れもなくあなた自身の手でやったことよ」

「オレが……」

「あなたは、すでに自分に霊力が備わっていることを知る切欠を経験しているわ」


 経験。数々に渡る怪異との遭遇。拳や投げるものに力を込め、怪異を撃退する。今考えてみれば、あれは『呪い』の一種だったのか。

 そんなことを思い巡らしながら、俺は小石を握りしめていた。


「さあ。次は『水は木を生む』法則に則って、『水』を『花びら』に変えましょう。まずは泉の水を手で掬って……」




   ★


 日が沈む前に、俺たちはオトロシに断って森を出た。

 あれからオトロシにいわれるまま魔術の練習をしたが、俺はまだ放心状態だった。


(オレが、石から金を生んで、水を花びらに変えて――マンガの主人公みたいな、不思議な力を……。未だに信じられねえや)

「みんな、見えないんじゃないんだよ」


 木々に細切れにされた夕陽の中で、間が云った。


「魔術といっしょさ」

「うん?」

「見ようとしていないから見えないんだ」


 俺は「どういうことだ?」と言った。


「彼らは、はなっから怪異や魔術の存在を信じていない。そして、友だちとの遊びや、クラスでの立ち位置。夕飯のこととか、宿題のこととか……目先のことばっかりていっぱいなんだ。それじゃあ、気づきやしないさ」


 そう言われて俺は、普段使わない脳みそをフル回転させていた。顔を渋め苦悩する翔を見て、間は口の両端をわずかに吊り上げてこう云った。


「僕らは、ほんの少しだけ感じやすかった。ただ、それだけのことさ」

「感じやすい……。それって、センサイってことか?」

「そうともいえるかもしれない」


 自分の人格や、備わった能力について深く考えるということを今までほとんどしてこなかった俺は、頭を悩ませた。


(――自分。そういえば自分って、本当はどんなヤツなんだろう。考えたこともなかった)


 頭がこんがらがってきたので、話題を変えることにした。


「お前もできるのか? その、まず、まじゅちゅ……」

「魔術」

「そう、それ」


 俺の問いかけに対し、間はあっさりとこう答えた。


「僕、できないんだ」


 予想外の回答に、翔は面食らってしまう。


「……見えるのに?」

「うん。オトロシに手伝ってもらってもダメだった」


 しばらく無言で歩き続ける二人。

 そして林を抜け、裏路地に出る。


「じゃあね、植杉くん」


 間が云った。「植杉くん」という響きに翔は、どこかこそばゆくなる。


「なあ、その」


 翔、帰ろうとした間を呼び止める。


「その『ウエスギクン』っての、やめてくれねえか? 何か、よそよそしいっつーか……。授業みてえ」


 頭をカリカリと掻きながら、翔は間に告げる。


「翔でいいよ。オレも、望夢って呼ぶから」


 間、驚いて目を開く。しばらくの沈黙の後、はにかみながらゆっくりとこう呼んだ。


「――翔」


 その呼びかけに翔は、笑顔で答えた。


「おう、望夢!」


 間――望夢は、恥ずかしさと嬉しさが入り混じった表情をする。


「僕。人を呼び捨てにしたの、生まれて初めてだ」

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