Report 36 FRI-END(前編)(6)
気配を感じて、俺は振り向いた。
そこには、月曜に見た光の球が浮かんでいた。
俺は慄いて一歩下がる。
「あれが案内してくれるんだ」
光は、すうっと尾を引いて教室の外に出ていく。
俺たちは光球についていって、校舎の外に出た。校庭では、野球クラブとサッカークラブの部員が練習をしている。他に子どもはいない。誰ともすれ違うことなく、俺たちは学校を出る。
そして、この間と同じ道を辿る。県道から外れた道を通り、そこからまた細い裏路地を通る。
「僕ら以外の誰かに気づかれると消えちゃうから、気をつけて」
「動物でも?」
「うん」
「なるほど。それで、この間は消えてしまったのか」
俺たちは林に入った。ゆるやかな斜面を登る。少しずつ、森は深くなっていく。光は枝葉に遮られ、足元が見えづらくなってきた。心許ないピンク色の光の珠があるとはいえ、光源としては余りにも心許ない。
がさり。俺は身構える。茂みから物音がしたのだ。
「きぃ」
出てきたのは、薄茶色の体毛に覆われた小妖怪だった。
俺は反射的に思った。それは、俺がこの前木の枝で振り払ったのと同じやつだと。
「お前……!」
俺は驚いて声を出す。妖怪は驚いて、茂みの中に戻っていった。
「ダメだよ。大きな声出しちゃ。スネコスリは臆病なんだ」
(スネコスリ――そういえば、あのでかい化けものもそんな風に呼んでたな)
光の珠が明滅した。そして、さっきスネコスリが逃げ込んだ茂みの中へと、入って行った。
「こっち」
間は、翔の手をとって茂みへ入る。光はほとんど届かない。
ザワ……、ザワッ……。
五感に訴えてくる、未知の感覚。だがその一つ一つは、俺にとって既に知り得るものであった。
(……気配を感じる。鳥肌が立つ! ――ここには、そこら中にお化けがいる!)
その仮定は即、具体的な現象として証明された。
木々の陰の向こうに見える、青い光の行列。果実のような洋菓子のような甘い香り。どこから聞こえてくるのか分からない、幽かな祭囃子。暑いような、寒いような、乾いているような、湿っているような、何とも言えない不快な空気が翔を包み込む。
言うまでもない。ここは紛れもなく、異界への入り口だ。
「光を見失わないように。迷ったら、戻れなくなる」
もはや、頼りにできるのは光の珠のみである。光に従い、歩き続ける俺たち。足元は真っ暗だ。自分が踏みつけているのは、本当に泥のぬかるみや腐った葉っぱか、自信がなかった。
ピンク色の光の珠がフッ、と消える。
(えっ?)
翔は驚愕した。だが、それからすぐに猛烈な光が二人を襲う。
それは、日光であった。
俺たちは気が付くと、少し開けた場所に出ていた。枝葉に隠されていた空がぽっかりと見え、そこから日の光が差し込んでくる。地面には草花が生い茂り、草原の一部をそのまま持ってきたかのようだ。木々は円を描くように立ち並んでいる。
そして、草の上にいくつも転がっている白や薄茶色の毛玉。スネコスリだ。
まるで、大屋敷の中に設えられた中庭のようだった。
俺は、信じられないものを見た気持ちで中に踏み入る。
入って左手に、朽ちた鳥居があった。鳥居は塗装が完全になくなってしまったのか、真っ黒な木材がむき出しの状態だった。そのかたわらに、石の台座があった。
その上に、誰か腰をかけていた。朽葉色の和服に広がる、長い黒髪。その人物が女性であることは、後姿からも見て取れた。
「オトロシ」
間が呼びかける。
彼女は振り向き、挨拶の言葉を投げかける。
「こんにちは」
薄い唇が笑みをつくりだす。そこから発せられる穏やかな声。どことなく優美な印象を俺は覚えた。
「あなたが翔ね」
名前を呼ばれて、俺は動揺した。
「どうして、オレの名前を」
「これ、あなたのものでしょう?」
そう云って差し出される彼女のしなやかな指先には、青いプラスチックのネームチェーンが光っていた。ケースの中の紙片には、『植杉翔』と書かれている。
「それは……」
紛れもなく、先週の木曜日に紛失したものだった。俺は驚き、それを受け取ろうとする。
「――貴様は」
茂みの奥から、重たい声が響いた。
ぞくり。全身の肌が、一瞬にして粟立った。
おそるおそる声の出どころの方を振り向く。
「あのときの小僧か」
俺は「ひっ!」と悲鳴を上げる。
茂みの中から、大きな鉤爪を持った手が突き出した。山怪が、その姿を現す。
それは全身が灰緑色の皮膚に覆われていた。肌は顔も含め、全身がざらざらとしてイボだらけであり、ひき蛙のそれを彷彿とさせた。金色に光る目は濁っており、白目と黒目の判別がつかない。大きな鷲鼻が目立つが、このような外見のためおよそ人間らしさを感じられない。
「よくも、山の同胞を」
妖怪が云った。その低い声色からは、はっきりとした怒りを感じ取れた。ごつごつとした手を振り上げる。黒くとがった鉤爪が、陽光を反射する。俺は、恐怖の余り立ちすくむ。
「畏。お止しなさい」
オトロシがゆっくりと、しかしてはっきりとした口調で云った。妖怪は、動きを止める。
「しかし、オトロシ――」
「畏」と呼ばれた妖怪は、オトロシの指図を承服できかねているようだ。だが、オトロシの黒い瞳をしばらく見据えた後、その手を引っ込めた。その眼差しからは、彼女の芯の強さを感じ取ることができた。
俺は力が抜けて、そのままぺたりと座り込む。オトロシは俺たちの方を向き直し、また笑顔を浮かべた。
「おどろかせてしまって、ごめんなさい。彼は『畏』。ここの番人なの」
彼女は俺の右手を引く。そして、彼の手のひらにそっとネームチェーンを乗せる。畏は、納得いかないような様子で草むらに伏せっていた。
「畏は、あなたがこの子にしたことに対してすごく怒っているわ」
オトロシの顔から笑顔が消える。
ふと気づくと、彼女の裾に一匹のスネコスリがいた。
それは、俺の姿を見てひどく怯えてたい。
――昨日のヤツだ。
俺は、湧き上がってくる胸の痛みに動揺を覚えた。
「あなたは、この子に何か言うべきことがあるのでは?」
罪悪感。
それは、俺の中で忘れかけていた感情だった。
自分にも他人にもウソをついて、要領よく立ち回ること。それがこの世界で生きていくために、一番大事なことだと思い込んでいた。
だが俺に傷つけられた側からすれば、そんな身勝手な理屈は関係ないことなのだ。
俺はゆっくりと立ち、口を開いた。
「ごめん、なさい」
うつむき、身体をほんの少しだけ折り曲げて、俺は言った。
誠意を見せること。それは、俺が長年封じてきた行為であった。
「キイッ!」
だが、スネコスリはそれを了承しなかったようだ。怒るように鳴き声を上げて、台座の裏へ隠れてしまった。
「あ……」
俺の瞳に涙が浮かんでくる。
「あなたは、この子を一度激しく拒絶した。それはこの子に、大きな心の傷をつけることになった」
オトロシが諭すような口調で言った。
「人と同じように、動物や妖怪にも心はあるのよ。そして一度つけられた心の傷は、一度や二度の謝罪で癒えるようなものではないの。もしあなたが、本当にこの子に赦してもらいたいと思うのなら――、誠意を見せ続けることよ」
「誠意……」
「そう。何度避けられても、懸命に関わり続けるの。相手に自分の正直な気持ちを知ってもらうため。何より、自分から逃げないために」
オトロシの言葉が、俺の心の奥深くへと染み入っていく。
自分から、逃げない。
「今日はもう遅いわ。また、明日いらっしゃい」
ふと上天を見ると、空はもう茜色をしていた。いつの間にか、こんなにも日が傾いていたのである。
「逢魔が刻でなくとも、いつでもどうぞ」
オトロシは、横たわった三日月形の目を細めてそう云った。柔らかな笑顔である。
俺は、ほんのりと赤くなった目を向けて「はい」と答えた。
★
「なあ」
森を下る途中、俺は間にふと呼びかけた。
「いつも、ここに来ているのか」
間が振り返る。木々を縫う夕陽が、ヤツの顔をオレンジ色に染め上げた。
「うん。入院する前の、三月から」
「……何でお前、オレを誘ったんだ?」
しばしの沈黙。そして間は、わずかに微笑んでこう云った。
「君も見えるからさ。だから、見せてあげたいって思ったんだ」
「見えるもの」同士で、その想いを分かち合いたい。その気持ちは、俺にとっても同じであった。
気がつくと二人は、林を抜けていた。そして間は、少しはにかむようにこう言った。
「今日は、ありがとう」
間の声は、少し楽しげであった。その顔に、普段クラスで見るような陰は感じ取れない。
無垢で、ただ純粋に自分が楽しいと思うことを、他人にも分け与えたいと思える優しい少年。その相手が、たとえ自分をイジメた人間であったとしても。
「……」
沸々。
沸々、沸々。
翔のなかに、罪悪感がとめどなく湧き上がってくる。
(――オレは、こんないいヤツをいじめていたのか)
心から詫びたい気持ちが腹の奥から込み上げて、口を突いて出る。
「あ、あの……」
俺は恐怖におびえる心を振り切って、その言葉を口にする。
「ゴメンッ!!」
突然の謝罪に、間は困惑した顔をする。
「え、え?」
「お前には、本当にひどいことをした……。本当に、本当に悪かったと思っている」
ぽた。
ぽたり、ぽたり。
両目が熱くなる。
俺はいつの間にか、溢れかえる涙を抑えられずにいた。
「植杉くん……」
うろたえた声で間が言った。
「それじゃあ、僕のお願い聞いてくれる?」
「あ、ああ! お前の気が済むなら何だって!」
俺がそう言うと、間が微笑んでこう言った。
「明日も、一緒にオトロシのところへ来てくれる?」
「……!」
西日が俺たちを照らし出す。俺は少しばかりはにかんで、
「……もちろん!!」
と返した。
それから、落ち合う時間と場所を約束する。
そうして夕闇のなか、俺たちはそれぞれの帰路に着いた。




