Report 36 FRI-END(前編)(5)
五年一組は騒然となった。騒ぎを聞いて中田と渡邊が駆けてくる。
中田は間を椅子に座らせ、傷口に清潔なガーゼを押し当てる。消毒液を含ませたガーゼが傷口に触れると、間はほんの少しだけ顔をしかめた。
「間君、痛くない?」
中田の呼びかけに対し、間は「少ししみる」と答えた。
意識ははっきりとしている。傷口も見た目ほどひどくはなく、切り口は深さ二ミリにも満たない軽微なものである。だが出血がひどく、また頭を打ったということもあり、間は救急車で病院に搬送されることになった。
渡邊は、間に付き添い病院へ向かった。五年一組は他の先生が監督となり、一日自習となった。
けれども、色紙に名前が書かれていた児童は――猫の死骸の件で警察から聴取を受けている洋平を除いて――全員応接室に呼び出された。そして、渡邊が帰ってくるまで別の教員の監視下で、待機するよう命じられた。白いポロシャツを着た太り気味の年配の教師が、俺たちを見張っている。
樹達の視線が痛く感じられる。
――お前のせいだ。
アイツらの目は、そう訴えていた。
渡邊が戻ってきた。
彼は白いポロシャツの教員に一礼をして、交替した。それから、まず間の容態について話があった。
間の怪我は、入院には至らなかった。傷口にガラスは残っておらず、またその他の部位に怪我はなかった。検査結果も良好である。切り口はきれいで、傷も残らないとのことだ。治療を受けた後、間は病院に駆けつけてきた父親に迎えられて帰宅した。
そして、渡邊から俺たちへの尋問が始まった。
「これは君たちがやったんだね?」
渡邊が、寄せ書きを右手にして云う。
その顔は、これまでに見せたことがないほどに険しかった。俺、樹、タカ、章太の四人は「はい、そうです」と、葬式ごっこの事実を認めた。
そして、今まで間に対して行ってきたことを追及された。
いじめが発覚した。
「明日の放課後、改めて間君と間君のお父さんに謝罪をします。私のほうからも連絡しますが、みんなの口からも保護者の方に必ず伝えてください」
樹とタカと章太の三人は、それで教室へと帰された。だが今回、間に直接危害を加えた俺は引き続きその場に残された。
「植杉くん」
名前を呼ばれ、俺はドキリとする。
「もう少しガラス片がずれていたら、間君は左目を傷つけるところだった。どんな理由があったにせよ、二度とこんな乱暴をしてはいけないよ」
渡邊の叱責に対し、俺は無言のままだった。
扉が開かれる。岸川であった。連絡を聞きつけ、急遽会社から出っ払って来たのだ。
岸川が、俺をぎろりと睨む。呆れてものも言えない、といった顔つきだ。
そして、三人での面会が始まった。
まずは岸川が頭を下げ「このたびは、うちの翔がとんでもないことを致しました。大変申し訳ありません」と述べた。
続いて渡邊も頭を下げて、謝罪する。
「いえ。今回の件は僕の責任です。間君のいじめに気づき、僕がもっと早い段階で指導していれば、事前に防ぐことはできました。こちらこそ、深くお詫び申し上げます」
弱々しいが、はっきりと渡邊はそう云った。
それから、「間君の保護者の方からは、警察沙汰にはしないでほしいと……」「通り魔の件もあって、クラスの子達も興奮しており……」等々の言葉を渡邊が口にするのを、俺は話半分に聞いていた。
頭の中では、罪の意識と今後の不安がごちゃまぜになって、周りの言葉はほとんど頭に入ってこない。
それから俺は、岸川につれられて即時帰宅ということになった。情緒不安のためという学校の配慮である。
退室するとき、岸川はもう一度深々と頭を下げた。そして俺の手をひっぱり、学校を出る。
自宅に着くまで、二人は無言のままだった。そして家に着くなり、岸川は美佳を呼び出した。
間の容態や俺がしでかしたことを簡単に説明した後、「じゃ、俺は会社に戻るから」と告げる。
そして、冷ややかな声色で静かに言った。
「お前なんか、引き取るんじゃなかったよ」
引き戸が、ぴしゃりと音を立てて閉まる。
俺はしばらく玄関に立ち尽くしていた。両目から熱い涙が一粒、二粒と零れ落ちた。
★
次の日の朝。東棟三階の体育館で、緊急の全校集会が開かれた。
議題は赤マントの件についてである。
朝の集団登校の徹底、集団下校の励行、クラブ活動は運動系の課外クラブ以外は活動休止、放課後は即時帰宅、帰ってからも一人で遊ばないこと……等々といった注意を、校長が壇上に立って述べた。
そして昨日の葬式ごっこについても、その顛末が――個人名は伏せられて――話された。
「お前のせいで、オレらまで呼び出されたじゃねーか」
「責任取れよ」
集会が終わったあと、俺は樹たちから昨日の一件について、執拗に責任を問われた。間は欠席している。
「ごめん、本当にごめん」
複数の男子に責められ、俺は今にも泣き出しそうな顔で謝った。
けれども、樹たちがそれで許してくれる訳もなかった。
「――がはっ!」
タカが俺の腹に膝蹴りをくらわせる。
強烈な吐き気を覚えた。
咳き込む俺を樹たちは、容赦なく床に押さえつけた。
「転校生のくせに、調子こいてんじゃねえよ」
そして弱々しい蹴りが、わき腹にくわえられる。
洋平だった。
引きつった笑いを浮かべ、おっかなびっくり俺を蹴り続けた。
「てめ……!」
俺ににらまれ洋平は、少したじろいだ。だがすぐさま、章太が顔を近づけて舌打ちの連打を浴びせて、今度は俺が目をそらした。
自分がひどくみじめな存在のように思えた。
平穏な日常が、終焉を迎えた。
★
放課後。
渡邉に引き連れられ、また俺たちは応接室に集められた。
今度は校長もいる。朝の集会ではワイシャツ一枚だったが、今はスーツを着ている。やや心許ない前頭部には、汗が浮かんでいた。
それぞれの保護者もすぐに来た。俺には美佳が、樹には両親が、タカと章太は母親が。洋平は両親が共働きで来られず、代わりとしてしたためられた謝罪文を持ってきた。
そして、頭に包帯が巻かれている間が入ってきた。その傍らには、白いワイシャツにカーキのチノパン姿のじいさんと、ベージュのブラウス姿のばあさんが同伴していた。
間の両親だ。
だが二人とも、両親というより祖父母といった方がしっくりくるほど歳を取っていた。彼らは息子と同じく痩せ細っていて、感情が読み取りにくい能面のような顔つきをしていた。
まずは、学校側の代表である校長から謝罪の言葉が述べられた。経緯は渡邉の口から語られた。そして最後に、互いの保護者は形式的な挨拶を済ませる。
特に、直接的な加害者である俺の保護者である美佳は、深く謝罪の念を表明した。今回の件でかかった医療費などについては、岸川の方で全額負担することで話がついた。
間の父は少し戸惑った素振りを見せるも、硬い表情のままこう述べた。
「その……。そんなにかしこまらず。もうこうしたことは起こさないと、お子さんの方に注意していただければ、それで十分ですので」
その態度は、「こんなことは、これまでに何度もあった」とでも言わんばかりの淡白さだった。
★
間が学校に戻ってきた。頭の包帯は取れていた。
代わりに大きめの絆創膏が貼られていたが、前髪に隠れてほとんど目立たない。
間に対して暴力を振るえない分、樹たちは俺を次の標的とした。休み時間の度に、「度胸だめし」といってプロレスごっこや失神ゲームを強要された。
「――ゲホッ」
俺はタカにチョークスリーパーを極められる。首にかかった腕を放されると、床に倒れこんで咳き込む。
「カーン! チャレンジャー、テンカウントダウーン!」
洋平の耳障りな甲高い奇声が教室に響く。
「おい、こいよ」
樹が云った。
俺は息を切らしながら懇願する。
「ごめん……、ちょっ、休ませ……」
「あ? かかってこないの? 男じゃないね」
太ももの裏に、樹の鋭いひざ蹴りが入る。俺は痛みに堪えかねて崩れ落ちる。
ふと、椅子に座って本を読む間の姿が目に入る。樹たちのグループ以外の男子が、何か言葉をかけたり、ゆすったりしていたが、間は相手にしていなかった。
(どうして。せっかく、今度こそ大丈夫だと……。フツーのやつみたいにあそんだり、しゃべったり、ふざけあったりできると、思っていたのに)
このような仕打ちを俺は、樹達が飽きるか授業のチャイムが鳴るまで堪えねばならなかった。
★
翌日のことだった。
「タカ。明日また、ゲーセン行かね?」
三時間目と四時間目の間の十分休み。樹がタカに遊びの誘いをかけた。
「おう。じゃ、章太とヨーヘイも強制参加な」
洋平と章太が承諾した。
「翔。おめーも、もちろん来るよな?」
樹が俺に話しかける。俺は金属製の三角柱定規でデコピンされた額に手を当てながら、びくりと肩を立てて、「え、あの」と曖昧な返事をした。すると樹は、その腫れぼったい下唇を歪ませてすごんだ。
「は? おめー、誰のせいだと思ってんだ? 来なかったら死刑な」
「う、うん。分かったよ」
行っても、金づるやパシリにされることは確実である。けれども行かなければ、もっとひどい目に遭わされるのだ。
昼休み。俺は、北棟脇の敷地のすみにぼんやりとたたずんでいた。樹たちの目を盗んでこっそりと教室を抜け出したのだ。
人が通ることがほとんどないため、雑草がそこら中に生い茂っている。校庭で遊ぶ子どもたちの声が、遠く聞こえた。上を見上げれば、雲ひとつない青空が広がっている。
俺は、ゆっくりとひざをおろす。昨日と今日、樹たちにやられた跡が鈍く痛んだ。うなだれた姿勢になると、アリの行列が見えた。俺はおもむろに、一匹のアリを拾い上げる。そして、首をもごうと指をかけた。
「――う、うっ」
できなかった。そのままそっと指を離して解放する。涙が溢れ、視界がにじむ。
――がさり。
誰かが、草を踏んだ。俺は驚いて、音がした方向へ振り向く。
そこには、間が立っていた。胸に五芒星のマークがしつらえられた卵色のコットンシャツが、日光を反射している。
俺は慌てて涙に濡れた顔を拭い、毒づくような口ぶりでこう云った。
「……いい気味かよ」
この数日間、俺は率先して間に危害を加えてきた。それが今やいじめられる側に回り、「ざまをみろ」といった気分なのだろう。
だが、それは違った。
「ねえ」
間が声をかける。俺は聞く耳を持たない。
「行けよ」
「僕、怒ってないよ」
穏やかな口調。それがまた癇に障った。
「行けっつってんだよ!!」
「今日、さ」
若干の間。
そして、予想だにしないことを俺は言われた。
「学校終わったら、いっしょに行かない?」
「――あ?」
俺は眉間にしわを寄せて訝る。
「この前、僕が行こうとしたところ」
静寂。
俺は、どう答えていいのか分からなかった。
そして返答を待たずに、間はこう言い残して去っていった。
「十六時半。教室で待ってる」
ざくっ、ざくっ、と間の足音が遠く聞こえる。俺の濃いワインレッドのTシャツに、汗がにじんでいった。
★
俺は学校に帰った後、自室の畳に転がって考え込んでいた。
間の意図が読めない。間が何をしたいのかが分からず、頭の中が混乱しかけていた。
(何考えてんだ、アイツ。自分にケガを負わせたヤツをさそうか? フツー……)
絡まった思考の糸。間の目的は何か。これまでの二週間の間の様子、また口伝えに聞いたことなどを思い出して、手がかりを探る。
(そういやアイツ、一年のときに親や先生から注意されてたって話だったな……)
洋平の話を思い出す。そして、俺の中で一つの仮定が生まれた。
(まてよ。ということは、アイツは……)
がばり、と起き上がる。仮定は、確信へと変わった。
(間は怪異を見ることができる。そう考えていい。そんでアイツもオレも、「『お化けを見ることができる人間』が自分の他にいる」ことを知らなかった。ということは――)
それは、『自分以外の、怪異を知覚できる存在に対する興味』。
間と関わりたくないと思いながらも――いじめの加害者と被害者という最悪の形ではあるが――自分から、アイツに近づいた。間に近づくことで、この能力について何か分かるかもしれない、この苦しみを分かち合いたいという欲求が、その背後にあったのだ。
そして、それは間も同じなんだ。だから、さっきの間は少し興奮気味であり、裏山や裏路地で遭遇したときも普段見せないような驚いた顔をしていたんだ。
……だが、当時の俺はこの答えを認める訳にはいかなかった。なぜなら、それを認めてしまえば、あのクラスの中での異端者扱いされている間と、自分は同じ性質の存在であることを認めてしまうことであり、それは樹たちと決別することを示していたからだ。
けれども、今となっては樹たちとの関係を修復するのは不可能に近い。俺の中に秘められていた欲求が、身体を突き動かし始めていた。
目覚まし時計を見る。四時八分。
(――アイツが言った四時半の二十二分前。学校までは、二十分かかる)
俺は無心にナップザックを引っつかんだ。そして、部屋から出ようとする。
だが、裏山の光景が頭によぎったとき、足が止まった。
俺は、先週の木曜と金曜のことを思い起こした。
藪の中から覗く大きな鉤爪。金色に光る目玉。そして、赤マント。
(……行こう!)
それでも、俺は再び歩み始めた。今、自分にできること。それは、この欲求に忠実になることだけである。
彼はスニーカーを履き、勢い良く玄関から呼び出していった。空は青々としていて、目を射るようなまぶしさだった。
★
俺は、正門左の北棟の裏を通って、渡り廊下までぐるっと回って校舎に入った。
誰かに見られると、やっかいなことになると思ったからだ。
そして階段を上り、五年一組の教室に到着する。日が当たらない放課後の教室は暗かった。
黒板の上に備え付けられた時計は、四時二十七分を指している。
目を凝らすと、真っ黒な机の海にたたずむ人影が一つあった。間だった。
「来てくれたんだ」
間が、ゆっくりと笑って言った。




