Report 36 FRI-END(前編)(2)
ザアッと、俺は血の気が一気に引いていくのを感じた。
俺は、洋平が何を言っているのか理解できなかった。
「――は?」
風が吹いて、俺たちの小さな体をなぶる。
そしてしばらく沈黙してから、洋平は間の素性について語りだした。
間が周囲の子どもたちに「お化けが見える」ことを話し始めたのは、一年生の頃からだった。ヤツは口ばかりではなく、行動でも「見える」ことを示してみせた。誰もいないところに向かって突然喋りかけたり、空中を指さして何がそこにあるのかを説明し始めたり(それは、光る毛玉だったり、羽の生えた小人だったりした)といった奇行を、何度も他の子どもたちの前で見せたのである。また大の本好きであり、お化けや妖怪、幽霊に関する本を、いつも教室で読んでいたという。
教師や保護者等大人たちからは感心しないものとして、戒められた。だが子どもたちは皆、からかいながらも彼の行動を楽しがっていた。
子どもたちが間を異端視し、迫害するようになったのは、三学期に起こったある事件以後のことである。
当時、W小学校には五十前半の男性教員が教頭職に就いていた。一年に奇行を繰り返す児童がいるという話を聞いた教頭はある日、間にこんなことを尋ねた。
――どれ。先生の後ろにも、何かついているのかなあ。
教頭がそう云うと間はこう答えたという。
――こいみどりのせいふくをきたおねえちゃん。
するとどうした訳か、教頭の顔は見る見る青ざめていったという。そして間は、激しく叱責された。
教頭の怒り方は尋常じゃなく、間を取り囲んでいた子どもたちは、一様に震え上がったという。その中には洋平もいた。
次の日の土曜。保護者の間で連絡網が回った。
教頭の訃報だった。
教頭が間を怒ったその晩、彼は他の先生たちと一緒に忘年会を行った。一次会を終えた教員たちは、居酒屋を上がろうとした。
その時、先頭だった教頭が歩道に乗り上げてきた大型トラックに轢かれたのだ。居眠り運転だったらしい。
教頭の遺体は凄惨を極める状態で、ほとんど原形を留めていなかったという。目撃した教員たちは事故のショックから立ち直るのに苦労したとのことだ。
一方、間が見たその幽霊というのは、何者だったのだろうか。間の言う「濃い緑色」という特徴と一致する制服を着用しているのは、都市部にある県立高校しかない。そこでは、一人の女子生徒がこの事故の半年から行方不明になっていた。
教頭の死から数日後――紅淵山の麓の森で、女子生徒の遺体が見つかった。
その生徒は教頭の元教え子であったのだが、二人を繁華街で目撃したという証言が後になって出てきた。それ以上の関係を裏付ける証拠や証言は、未だに出てきていない。
いずれにしても、教頭に恨みのある死霊が取り憑いていた――この事件を機にそういう噂が広まった。そして、それを見てしまった間は、境遇が一変することになる。
子供たちの間に対する憧憬は、完全に粉砕されてしまった。
人の死や、その他忌まわしい何かを垣間見られる、悪魔の子。
そういう印象が、子どもたちに植え付けられてしまったのである。そしていつしか間は、いじめのターゲットとなっていったのである。この学校には一学年につき二クラスしかなく、いじめは四年間延々と継続されていった。
「とにかく、アイツには関わらない方がいいよ。じゃあな」
洋平と別れた俺は、重たい足取りで帰路についた。
岸川家は住宅地に建てられた二階建ての一軒家であり、俺を含めて四人が現在居住している。家主であり、関東甲信越電気の社員で羽後発電所に通勤している岸川忠邦、岸川の妻である美佳、岸川の母であり認知症を患っている岸川セツ。そして居候である俺だ。
俺は、インターホンを押す。引き戸がガラガラと開けられる。目の前に、やせ型の中年の女性が現れる。
「おかえりなさい」
美佳だった。落ち窪んだ目に瘦せこけた頬。セツの介護疲れのためか、かなり老け込んでいる。
「……ただいま」
二人の会話は、それで終わった。俺はそのまま二階の四畳半の自室に行き、ランドセルを降ろした。
岸川家にとって、俺はとんだ厄介ものでしかない。ヤツらの俺に対する態度は、極めて薄情だ。もっとも俺の方も、何も期待していないのだが。
(家なんてどうでもいい。学校さえ順風満帆なら、それでいい! ……だから、間のようなヤツには関わらないようにしよう)
★
学校に戻り始めた当初は不気味がって避けられていた間だったが、ほどなくして樹たちのグループを中心にいじめが再開された。
「お前、ふざけんなよ」
教室の前の廊下を雑巾がけしている間に対し樹が、冗談とも本気ともつかないような調子で云った。
「そんなん掃除しているうちに入るかよ」
外見に違わず非力な間は、雑巾絞りが上手くできず、雑巾がけのスピードも遅い。樹達にとって、「さぼっている」と指弾できる絶好の口実だった。
間は、黙ったままである。
「シカトぶっこいてんじゃねえ。何とかいえよ」
樹が覗き込むように、間の顔を見る。
その時、間のすぐ後ろにあったバケツがひっくり返された。ぶつかったのは章太だ。
彼はチッ、チッ、チッと舌打ちをしながら、間に詰め寄った。
「おい、こんなとこに置いてんじゃねーよ。ぶっ殺すぞ」
間と同じ班である俺は樹たちから離れ、遠巻きにその光景を見ていた。
俺は樹たちに同調しつつも、間自身とは徹底して距離を置いた。ものを隠すなどの間接的な嫌がらせには協力したが、喋りかけたり直接暴力を振るったりするようなことは避けた。自分の経験から、「見えるものは怪異を引き寄せる」ことを学び取っていたからだ。
洋平の話によると、四年前の事件以降、間は自分から「お化け」の存在を示唆するようなことは言わなくなったらしい。時折、何かにおびえるような様子や、何かに驚いて突然声を上げるようなことは事件以後も何度かあったけれど、それを説明することはしなくなったという。
けれども、何かの切欠で間が「ほんもの」を呼び寄せてしまったら――自分にもそれは感じ取られてしまう。そんなことが起これば、自分の五年一組における立ち位置は危うくなることだろう。そうした事態は当時の俺にとって、何よりも恐れることであった。
間とは関わらない。樹たちが間と接触しているときは、できる限り近づかないこと。それが、俺に取れる最善の手段であった。
★
最初の間との遭遇は、アイツが復帰してきてから三日後に起こった。
「お前、最近ちょっとつきあい悪くね?」
授業と授業の合間に、樹が喋りかけてきた。
俺はびくりと肩を震わせて「そうか?」と返す。
「だってさ。オレらが望夢にからんでるときも、遠くから見てるだけじゃん。何で?」
見抜かれていた。俺の首筋に、冷や汗が流れる。それでもどうにか、顔は笑いを取りつくろいながら、差し障りのない返答をした。
「オ、オレ。まだあいつのこと、よく知らなくてさ」
「ノリわりいなあ。関係ねえよ」
樹はそう云って、俺の背中を平手でバンと叩いて去っていった。
俺はヒリヒリとする背中を右手でさする。
まずい。俺はそう思った。
このまま樹とギクシャクとしてしまえば、今の関係が崩れかねない。けれども、間には近寄りたくない。そのジレンマが、俺を少しずつ疲弊させていった。
その日は帰宅してからというもの、むしゃくしゃとした気分でいた。
俺はナップサックを引っさげ、「行ってきます」とだけ言い捨てて外に出た。
空はどんよりとした曇り空だ。俺はなんとなく学校の裏山に足を運んでいた。
裏山は、W小学校の東南にそびえたっている。紅淵山の一部であるが、県道によって本山からは分断されている。ふもとの林ではよく子どもたちが遊んでいるが、中腹からは森が深くなるため、そうそう立ち入ることができない。
俺は人気のないところで少し頭を冷やしたいと思って、林の中に入った。だが今日はただでさえ気温が低く、俺の身体はすぐに冷えていった。半袖のTシャツ一枚に半ズボンという格好では、とてもいられる気候ではなかった。
俺は帰ろうかと思い、林を出ようとする。
「わっ!」
不意に、足に何か触ったような感触を覚える。
びっくりして足許を見ると、それは小さな妖獣だった。
猫とも狸ともつかない、妙な動物が俺のすねにまとわりついている。俺は雰囲気で、妖獣であることを悟る。
「この……野郎!」
俺は、落ちていた太い木の枝を拾う。俺は大きく軌道を描き、思いっ切り小さな妖獣目がけてブンと振るった。敵意を込めて殴りかかれば、怪異にもダメージを与えることができるのを、経験から知っていた。
「キィ!」
怪異は驚いて飛び退いた。スレスレのところで当たらず、上手く避けた。どうも臆病な性格のようで、ぶるぶると震えている。
いい気味だ。そう俺は思った。お前らみたいなのがいるから、オレがこんなに苦しい目にあわなくちゃいけないんだ。お化けも、お化けが見えるやつも、みんなオレの目の前から消えてしまえ。
「死ね……!」
そう思った俺は、木の枝の尖った部分を妖獣に向ける。そして、ブッ刺そうとした。
(……!?)
だが、不意に視線を感じたため攻撃を中断した。
振り返る。
ねずみ色のパーカーを着た少年――間が、木々の向こうに立っていた。




