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Report 36 FRI-END(前編)(1)

 猫寺師と思われる術師に蹴られて病院に搬送された翔栄は、軽い打撲および横隔膜圧迫による一時的な酸欠と診断され、その日に退院となった。

 そして自分の身に起こったこととそれまでの経緯を、直属の上長である不明門小路保安部長に報告すると、叱責の言葉が飛んできた。そして、「この件にはこれ以上首を突っ込まないよう」厳命された。

 だが、これで尻込みするような翔栄ではなかった。


「入るぞ」


 うだるような暑さの真夏の昼下がり。カラオケボックスが入っている古ぼけたビルの前で、翔栄は言った。

 隣にいる夕が「りょ」と返した。


 二人はエレベーターでカラオケボックス「はるぴゅいあ」がある七階へと向かう。

 

「いらっしゃいませ。こちらに名前をご記入ください」


 翔栄が「ウエスギ」と記入する。

 学割は足が着くと困るので、二人とも使わない。

 手続きを終えると、タッチパネル式の選曲リモコンと伝票が渡される。


「712号室になります。飲み物はドリンクバーからどうぞ」


 ドリンクバーの前で翔栄は、「先に行く。俺はコーラで」と言って、712号室の前まで行った。

 廊下に設えられた防犯カメラを矯(た)めつ眇(すが)めつする。


(これなら個室の様子は観られない。中はどうだ)


 室内に入って、防犯カメラがありそうな場所を調べたが見つからなかった。どうやら部屋の中にはないようだ。

 念のため、盗聴術などが仕掛けられていないかも確認する。クリア。


「お待たせー」


 その時、夕が二人分の飲み物を持ってきた。

 彼女が中に入るなり、翔栄は扉を閉める。


「ケガはもう大丈夫なのかい?」

「ああ。何ともねえよ」

「それは良かった。で、話ってなんだい?」


 早速切り出してきた夕。

 翔栄は少しの間をおいてから、こう答えた。


「……いま、お前の兄のことで紅の暁について調べている」

「!」


 夕が目をしばたたかせる。

 そして数瞬の間を置いて、こう問うてきた。


「……ねえ。昨日倒れていたのも関係あるの?」


 だが翔栄はその質問には答えず、突き離す言葉を吐く。


「あとは俺に任せろ。お前はこの件には関わるな」


 すると、夕の目が潤んだ。

 翔栄は気まずそうに、目を伏せて視線を逸らした。


「五星院くんは、優しいね」


 泣き出しそうな声で夕は口を開く。


「だけど人の気持ちをわかっていない。そんなこと言われたら、ますます心配になっちゃうよ。お兄ちゃんのことも……五星院くん、君のことも」


 頭のなかに火がついたような錯覚に陥った翔栄は、テーブルに拳を落として立ち上がった。


「心配、じゃ済まねえほど危険なんだよ! 実際!! 紅の暁に探りを入れていた俺は昨日襲撃されたヤツに、『これ以上、紅の暁と猫寺師に関わるな』って警告されてんだよ!!」

「猫寺師って誰だい?」


 そう言って翔栄は、(しまった)と思った。


「……お前の兄についている政治活動系術師だ。襲撃者の姿は見えなかったが、ピンポイントで名前を出してきたところから、猫寺師だろう」


 すると夕は「ああ」と、悲嘆とも呆れともつかない声をあげた。


「お兄ちゃんは利用されているんだ。昔っから他人の期待に応えようとするけれど、主体性はない人だったから」

「利用されていようが何だろうか、危ねえことには変わりねえ。だから、お前はこれ以上首突っ込むな……!」


 それっきり、翔栄は黙り込んだ。

 重い沈黙が、二人の間に流れる。そして一分ほど経ってから、


「……わかったよ、五星院くん」


 と、夕がそう言って立ち上がった。テーブルの上にカラオケ代を置いていく。


「じゃあ、僕は帰るね。心配してくれてありがとう」


 夕が扉の取っ手に手をかけて出ようとした――その時、だった。


「俺は――」


 不意に翔栄が言葉をかけた。


「他人の気持ちがわからないし、優しくもねえ。どこにでもいるくだらねえ悪ガキだ」

「五星院くん……?」

「人は俺のことを天才だと褒めそやすヤツもいれば、やっかみを吹っかけてくるヤツらもいる。だけど本当の俺は、ただの悪ガキだと思っている。イジメに遭ったこともあるし、イジメる側になったことだってあった。八つ当たりで何の罪もねえスネコスリを殺そうとしたこともあった。……こんなくだらねえヤツ、もう構うんじゃねえ」


 スッ。

 夕が再び翔栄の対面に座った。


「それはズルいよ、五星院くん」

「……あ?」

「関わりに来たのは僕の方だけど、五星院くんは僕の家の事情まで踏み込んできた。なのに『構うな』なんて、ズルいよ」


 翔栄が呆れ顔をして、「お前な。あれは家の仕事で――」と言いかけた。

 だが遮るように夕が言う。


「お兄ちゃんのことは任せるよ。でも、五星院くんのことはあきらめない。僕はね、もっともっと君のことが知りたいんだ」

「……。どうしようもねえバカだな」


 翔栄はしばらく沈黙する。それから、大きくため息をついた。


「わかったよ、知りたいってんなら話してやる。あれはまだ、俺がまだ汎人界にいた頃のことだ。……」


 そして、訥々(とつとつ)とした口調で翔栄は語り始める――




   ★


 俺の汎人名は、植杉翔(うえすぎ かける)ってんだ。ものごころついたときから、霊障物や妖獣が見えた。いわゆる、未登録術師ってヤツだった。

 両親は小学校に上がる前に死んだ。父親は病気で、母親は心労が祟って自殺した。そっからはずっと親戚中をたらい回しだ。わかるだろ? 未登録術師って言われたヤツが、どういう扱い受けているのか。俺も例に漏れず、そうだった。家では居場所がなく、学校ではいじめられっぱなしだ。


 術師になった切欠は11歳の初夏、ある事件に巻き込まれてのことだった。

 

 当時いた秋田県K市紅淵町(べにぶちちょう)は、紅淵山のふもとにある町だ。内陸部にある町で、田沼時代に開山した紅淵銅山が現役だった頃はある程度栄えていたが、高度経済成長期に閉山してからは衰退する一方らしい。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 紅淵町で俺は、保護者夫婦との間は冷え切っていたが、学校ではこれまでにない厚遇を受けていた。クラスのトップカーストのグループに入ることができたんだよ。休日には、グループの連中と一緒にボウリング場やゲームセンターで遊ぶまでの仲になった。

 今考えりゃバカみてーだが、その頃の俺にとっては格別に嬉しいことだった。

 だがそんな平穏は、ある事件を切欠に崩されることになったんだ。……


 ……

 …………

 ………………


「なあなあ、また赤マントが出たんだってよ」


 天パのクラスメイト――洋平がにやけ面で俺に話しかけた。窓際の学習机に腰をかける俺は、朝っぱらから何の話だと思いながら「赤マント?」と訊き返した。


「噂になったじゃん」

「知らねーよ」

「いやいやいや! 二ヶ月くらい前に、空港があるT町で女子中学生が行方不明になった事件あったじゃん! その中学生が住んでいた辺りで、赤いコートを着た不審者が目撃されたって!」

「ふーん。そのとき、まだオレ秋田にいないし」


 四月の初め、母方の親戚である岸川家に引き取られた俺はW小学校に転校してきた。だから、三月に起きた事件など知るよしもない。


「あ、そうか。わりー」

「おす」


 すると大柄な少年が、俺と洋平に挨拶をしてきた。Tシャツから覗くピッチングで鍛えられたその腕は、今にも剛速球を繰り出してきそうだった。


「おはよ、樹(たつき)」

「赤マントだろ。タカが見たって、いってたぜ」


 樹が話に加わってきた。こいつは、五年一組の男子グループをひとまとめにするリーダーだ。


「みんな、知ってんだな。どんなヤツなんだ?」

「化けもんだよ」


 化けもん。その言葉に俺はどきりとして、つばをごくりと飲んだ。

 俺がこのクラスに転入してから、約一ヶ月が過ぎる。今のところ、俺が「お化けを見られる」ことを知っている人間は、学校の中だと誰もいない。


「どした?」


 樹が訊く。


「な、なんでもない」


 お化けとか妖怪といったキーワードは、俺にとってトラウマを呼び覚ます引き金(トリガー)である。動揺を隠し切れなくなり、変に見られるのを怖がった俺は、意図的にそうした話題を避けてきた。


「おい、タカ! 翔に話してやれよ」


 タカと呼ばれた男児――交野高良(こうの たかよし)が、自分の席から返事をした。


「やだよ。お前、話せ」


 そう云ったきり、タカは黒板の方へ向き直ってしまった。


「は? ビビってんのかよ」


 樹が嘲りの意を含めた笑みを浮かべて、大声で云った。するとタカは、また俺たちの方を向いて「パチこいてんじゃねえよ。ブルってねえし」と、少し怒り気味に言葉を返した。


「で? 赤マントってのが、今度は何やったんだよ」


 俺がしびれを切らして、本題に話を戻す。


「おう、そうだな。――三日前によ、猫の首をちょん切っちまったんだよ」

「切った? 刃物で?」

「ざっくり切れてたらしいぜ。な、タカ」


 ガラガラとした独特な声で呼びかける樹。タカは答えない。


「赤いコートみたいなんを着た奴が、曲がり角に入るのを見たんだよな! んで、怖くなって交番にかけ込んだんだろ! だよな、タカ!」


 すると、タカが突然立ち上がって叫んだ。


「うっせーんだよ! 黙れよ!」


 樹はつまらなそうな顔をしながら、「何だよ、あのビビリ……」とこぼし、話を続けた。


 洋平と樹の話をまとめると赤マントは、三月某日と五月四日で二回事件を起こしている。


「赤マントを見たってやつ、他にもまだいるらしいぜ。三年のよぉ……」


 樹は話を続けた。

 情報が少ないので断定はできないが、どうやら幽霊や妖怪の類ではなさそうだとその時の俺は思った。異形のものが自分の近くにいて、猟奇的な行動をおこしているなどということは、認めたくなかった。


(――人間のしわざだ。そうに違いない)


 俺は心を平静に保とうと意識しながら、樹と洋平の話を聞き続けた。

 だが、話は突如中断された。

 樹たちの視線が、廊下と教室を隔てるドアの方へ向いている。

 そこには、見覚えのない小柄な男子がいた。


(誰だ? あいつ?)


 気がつくと、この教室にいた生徒ほぼ全員がその少年を見ていた。揃ってその表情は硬く、招かれざる客を見るかのような目をしている。

 少年は無言のまま、俺の二つ後ろの席の前まで歩き、ランドセルを机の上に降ろした。俺は、この学校に来てからその席に座った者を見ていない。


(――こいつが、いつも欠席していたやつか)


 眉の上辺りで切りそろえられた、真っ黒なストレートヘアー。背は、俺と同じか少し低いかぐらいか。目の周りの彫りはやや深いが、鼻から口許にかけてはのっぺりした感じだ。俺は彼の姿を見て、どことなく陰気な印象を覚えた。


「おい、洋平」


 談笑が弾んでいた朝の教室に、重たい空気が流れる。俺はその違和感に堪えかねて、洋平に訊いた。


「あいつが来て、何でみんな黙りこんじゃってんだよ」

「――ああ、アイツは」


 洋平は、神妙な顔つきで口を開いた。


「洋平」


 だが、それを樹がすごんで止めた。

 洋平は、びくりと身を震わせる。


「調子こくな」


 樹は低く、鋭い声色で洋平をたしなめた。

 俺は訳がわからなかったが、樹のただならぬ様子からして、これ以上追及するのを諦めた。


「はい、おはようございます」


 沈黙を破ったのは、教卓側から発せられた弱々しい挨拶だった。チェックのベストを着た眼鏡の男性が立っていた。

 俺たちの担任である、渡邊征夫(わたなべ ゆきお)だ。


「えーと……。長い連休が終わりましたが、皆さん、どこかに出かけましたか?」


 無理に明るい声色を出して、話題を提供する渡邊。けれども児童たちの沈鬱とした雰囲気はほぐれず、誰一人として反応しない。それどころか、苛立ちの視線を渡邊に向けている生徒さえいる。


 渡邊は「……はは」と苦笑いをして、早々に話題を切り替えた。


「えー、授業も久しぶりになる訳ですが、今日からですね。先週、間望夢(はざま のぞむ)君が退院してきましたので、またみんなと一緒に勉強することになります」


 生徒の視線が、一斉に教室の隅の机に向かう。

 間望夢。それが、謎の少年の名前だった。


「じゃ、間君。休んでいた分の授業とか、分からないところがあったら、他の子に訊くんだよ?」


 間は小さく「はい」とだけ言って、ゆっくりとうなずいた。か細い声だった。


「じゃあ、朝の会を始めよう。今日の日直さん。前に来て」


 渡邊に呼ばれて、黒板の前に二人の日直が出てくる。どこか淀んだ空気の中、朝の会は始められた。




   ★



「なあ、洋平」


 放課後。

 俺は下校途中、一緒に帰る洋平に質問した。


「何でみんな、アイツのこと避けるんだ?」


 洋平は答えない。顔色が見る見る悪くなっていく。だが俺は、質問を続けた。


「樹たちの前じゃ聞けないしさ。教えてくれねえか」

「……お前、あいつのこと聞いていないんだっけ」

「何も」


「お化けが見えるんだって、いうんだ。アイツ」

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