Report 35 シュプレヒコールにかき消されるもの(前編)(5)
ンネの報告に、女子たちはどよめく。
「チッ、チョロチョロと。ネズミみたいにウザいヤツだね」
そう言ったのは、ハニーブロンドの女性――クローズ・Dことカテリーナだった。
「ケケ。いっそのこと始末しちまうか」
カテリーナの隣にいるマスクの少女――M・ナイトことサリタが言った。
「いや……五星院翔栄は、基柱派の大幹部格と目されている五星院真の養子。消したら、基柱派を刺激しかねない。まだ泳がせておくことにするわ」
しかし、竜子は同調しなかった。
ンネは胸をなでおろす。彼女は、未成年が犠牲になることだけは避けたかった。
そして実際に会ってみた翔栄は、想像よりもずっと素敵な少年だった。
内向的で刺々しい態度を取るが、素直に言うことを聞いて一緒に踊ってくれる。そして、率直に他人を認めて褒める。ンネ自身の経験から、こういう子どもは早熟さゆえに「生きづらさ」を抱えがちだが、反面才覚に恵まれている。成長が楽しみだが、花が開くその前に周囲の悪い大人や子ども同士の同調圧力で芽を摘み取られてしまうことが多いのだ。ンネは、そういった悲しい光景を何度となく目にしてきた。
「あと、猫寺師佐武朗も……」
竜子が間をおいてから、続けてそう言った。
その言葉に、ンネは我慢していた感情が口を突いて出た。
「猫寺師……。また無関係な学生が犠牲になるのを、黙って見ているだけッスか……」
すると、サリタが「あぁ?」と威嚇するような声をあげた。
「何、いまさら良い子ぶってんだ? アタシたちはこれまで何人も死なせてきて、殺してきたじゃねーか」
「そうじゃないッス。これ以上一般人を死なせたら、それこそ基柱派に睨まれるんじゃないかって」
「そんなことは織り込み済よ」
竜子が反論してきた。
「紅の暁関係者は、関係性が薄かれ濃かれこの国の秩序を乱す反乱分子と、【絡繰】では見なしているの。そんな学生が悲惨な殺され方をしようと、基柱派は動かないわ」
「……承知ッス」
そう言いつつ、ンネは全く承知していなかった。
人間の命の価値を、大きな存在が勝手に決めるという傲慢。そんな理不尽に屈せざるを得ない自分の無力さに、憤懣やるかたない気持ちを覚えた。
竜子はそんなンネの気持ちを全く斟酌することなく、根拠薄弱な自信の言葉を表明した。
「大丈夫よ。偽・五星六道祭が成功して「門」を手に入れた猫寺師を交渉材料にすれば、私たちは反基柱派全体の主導権を手に入れることができるわ。――私たちは強い。どんな相手でも、強かに利用してやるまでよ」
「誰を利用するって?」
その時であった。
上方から、低く野太い声が響いた。
ンネが目を凝らすと、詰まれた木製パレットの山の上に人影が立っているのを見つけた。
バッ――人影は、竜子の背後に飛びかかった。
「竜子!」
ンネは考える間もなく、人影に向かって飛びかかった。
周囲の埃が舞い散り、神速の一跳びで人影に辿り着く。
彼女の強さはS2級であり、チーム・シソーラスのなかでも最強の戦闘力を誇る異能者だ。相手が並の術師なら、突き出された拳一つで簡単に粉砕できる――はずだった。
ガッ!
だが、その右手はいとも簡単に、人影の右手で受け止められてしまった。
互いに着地すると、ンネはすぐさま左足でソバットを繰り出す。
スッ――
「!」
だが、それも左膝で返り討ちにあいそうになった。
ンネは止むなく、飛び退いて間合いを取り直した。
「フン。さっきは偉そうに持論をほざいてたが、これがチームの主力なら期待できそうにないな」
そう言う人影の姿が、灯りの光に照らされてはっきりと映し出された。
筋骨隆々であることをアピールするかのようなピッチリとしたTシャツを着た長身男性が、竜子の背後に立っていた。精悍とした顔つきであるが、その表情からはどことなくドス黒い欲深さが滲み出ていた。
「猫寺師佐武朗……!」
その男――猫寺師の顔を、ンネは以前竜子にタブレット端末で見せられて知っていた。だが、目の当たりにするのは初めてであった。
「シソーラス……。さっき貴様『どんな相手でも利用する』って言ってたが、儂は入ってないよなあ?」
猫寺師はその左手で竜子の顎をつかみ、脅すように問いかける。
「も、もちろんですとも。Λ・スピーカー」
竜子は震え声でそう言った。Λ・スピーカーとは、猫寺師佐武朗に乗り移っている和谷露陣が、前の肉体である和谷明陣だった頃に、【絡繰】から与えられた異能者としてのコードネームだ。
佐武朗――露陣は「そうだ、それでいい」と言って、竜子を解放した。
「儂もお前らと気持ちは同じだ。16年前も基柱は目の上のたん瘤で、儂も大嫌いだった。――全く、儂が【絡繰】に一体どれだけの貢献をしてきたかと思うとはらわたが煮えくり返るわ! 現在の異能技術も、元を質せば和谷製薬が開発したものであろうに! その恩義を忘れて、基柱派の連中は術師界行政府と結託し、わが社を潰しおった!! これは許しがたいことだ!!」
ンネたちは、揃って「年寄りの自慢話が始まった」と呆れ声をあげたかった。だが、我慢して心の中だけでぼやくだけに留めた。
「ガロとかいう反基柱派のリーダーは、儂の頃にはいなかったのでよく知らん。だが、えばりくさった基柱に臨もうとするその意気や良し。だが、今は直接頭は垂れん。この計画の成功を手土産にしてだな……」
露陣はそこで言葉を止めた。
そして、不敵な笑みを浮かべた。
「ほう。早速ネズミがかかったようだ」
そう露陣が言うと、一同に緊張が走る。
ネズミとは言うまでもなく、五星院翔栄のことであるからだ。
★
「――!?」
自室にいた翔栄は、不意に霊波動のS波を浴びせられた。
昨夜。世を徹して踊ってしまったことに加え、やむを得ない人助けまでしてしまい、夕方近くまで寝てしまった翔栄は、今後の方針を練っていた。そんな最中に、それは来た。
(……探られたッ!! 遁甲か!?)
遁甲。それは遁甲盤を用いて日時や方位の吉凶を占う、先史時代より中国に存在する占術であり、日本には七世紀初頭に伝えられた。
十干や十二支、天体、道教の神々を構成要素とする点は陰陽道と共通しているが、遁甲特有の概念として「八門」というものがある。八門は開門・休門・生門・傷門・杜門・景門・死門・驚門の八種類があり、この順で八方に時計回りに配置される。開門・休門・生門・景門が吉方とし、傷門・杜門・死門・驚門を凶方とする。
(階段に潜んでいる術師に《サモン・ディポーテーション》を打たれた時、それしか頭になくて即帰還させたが……。あの時、同時に遁甲式をマーキングされたか!? 五星院家のP霊波動予知体質すら見抜けない隠形をかけて!?)
そう考えた翔栄は、「《八門開示》!!」と唱えた。
遁甲は陰陽道と共通点が多く、現代においては陰陽道に組み込まれているため、翔栄が行使しても「陰陽道しか使えない」という制約には引っかからない。
翔栄の周囲に、八つの門が出現する。それを見て翔栄は――息を呑んだ。
凶方である死門が肥大化して、開け放たれている。その扉には血のような赤い染みが付着しており毒々しく輝いていた。
対して、対となる生門は閉じようとして縮こまってしまっている。
(やはりマーキング……! 相手の吉方と俺の凶方を繋がれた! 現在地が探知されている!! クソッ、しくじった!!)
制約もなしに遁甲を使える術師が大学内に潜んでいるなど、常識的な考えでは思いつくはずもない。
だが、失態は失態だ。言い訳している余裕はない。
現在地情報が筒抜けと悟った翔栄は、死門へ向けて両手を合わせた。
「《閉》!!」
翔栄は合掌を向け、扉が閉まるよう命じた。
ズ、ンッ――
すると、猛烈な重みが翔栄を襲った。
「う……ぐ、ぐぐ……!!」
とてつもない霊力場だ。この術師は間違いなく、S1級以上の霊力の持ち主である。
だが、少しずつではあるが死門は閉じていった。
ギ、ギギ――ギィイイイ……ガシャン。
死門が閉じた。
すると翔栄はすぐさまに、右手の人差し指と中指で刀印を作って生門に向け、鍵を差し込むようにねじる動作をする。
「《開》!!」
指示呪文を唱えると、閉じかかっていた生門が勢い良く開かれた。
(……居場所を突き止められた! もうここにはいられない!!)
翔栄は出現した八門を消して、すぐさま行動に取り掛かった。私物のノートPCやスマートフォン、貸与されたタブレットなどの端末、身分証など、必要なものだけをスーツケースに急いでまとめる。
それから、「《エマジェンシーコード甲、発動》!!」と詠唱した。
パァァァァ――
すると、霊的結界によって護られているスーツケースや身に着けているもの以外の、部屋の私物が全て烏の羽と変化した。やがて黒い霧となり、消散していく。翔栄は自分がここに住んでいた形跡を、一切迷うことなく、一瞬で全て消し去ったのだ。
そして自室が出て、扉に鍵をかける。廊下に出たら階段を一気に駆け降りて、マンションの外へと飛び出す。
(まずは、不明門小路保安部長へ報告だ。それから本庁舎に――)
思考を巡らしながら、懐より私物のスマートフォンを取り出したその時、であった。
「――」
左脇腹に強い衝撃を受けて、ふっとばされた。道路を十メートルほど転がって、標識に背中から叩きつけられる。
「ごっふ……!」
大量の唾液が、口から溢れ出る。失神しそうになりそうなところをどうにか堪えて、自分を奇襲した敵について確認する。
(い、な、い)
目視できない。勁路を含む、あらゆる感覚器官で感知できない。
となれば、可能性は一つ。
霊的結界によって、隠形されているということだ。
混乱する頭で、翔栄は自分がいまやるべきことを考える。
自分が最悪の事態に陥った場合、何を為すべきなのか。
それは、敵の情報を少しでも現場に残すこと。さらにその前に、こちらの情報を敵に少しでも渡さないようにすることだ。
翔栄は、《エマージェンシーコード甲・セカンド》を短縮詠唱する。
すると、衝撃で落としたスマートフォンがさっきと同じように烏の羽に変化した。そして、黒い粒子となって霧散していく。
スーツケースの中からも、黒い霧が出ていた。
翔栄は私物・貸与品問わず、全ての端末を消滅させたのだ。
――ぐりっ。
「痛ゥ……!!」
頭を見えない足に踏まれ、アスファルトに押し付けられる。
『小僧。今から言う事をよく聞け』
変声機を通したかのような声が、耳ではなく脳内に直接響いた。
『これに懲りたら、二度と猫寺師佐武朗と紅の暁に探りを入れるな。さもなくば……』
ぐっ、と頭にかかる重みに力が入る。
翔栄は頭を全く動かせないので、顎のみで首肯の合図をした。
『いい心がけだ』
そう言い残すと、襲撃者の気配は消えた。
朦朧とする翔栄は、その場で意識を失った。




