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Report 34 泰山府君祭(4)

 六合の調査結果は、次のようなものだった。

 夕は、クラスのなかでも寮でも孤立しがちで、特定の仲が良い相手というのがいなかった。

 だが、ある女子生徒が先週、夕のスマホを偶然覗き見てしまったことを口にした。画面に表示されていたのは通販サイトの購入履歴だった。白米、八重桜のドライフラワー、ベニヤ、模造刀、半紙、筆、硯(すずり)、固形墨。

 陰陽道の学校に通っていることもあり、彼女は夕が何らかの儀式呪文を行おうとしているのだとすぐに察した。だが、他人の事情に踏み込むことが怖いのと、うっかりスマホを覗いてしまった罪悪感から、誰にも相談することができなかったのだという。

 しかし翔栄は、それらの材料だけで何をやろうとしているのかが、すぐにピンときた。


 それは、泰山府君祭(たいざんふくんさい)である。


 泰山府君祭とは、道教の神である泰山府君に働きかけて、人間の生死に干渉する秘術である。主に、寿命を延ばしたり死者を生き返らせたりといった用途のために行われていた。汎人界では許可されている術師が祭事として行うが、霊力場を展開しない見せかけのものである。本当の泰山府君祭を行使することは生命倫理に抵触するとして、禁術法で二類禁術に指定されて制限されている。

 そして夕がやろうとしているのは、紛れもなく本物の泰山府君祭であると翔栄は踏んだ。


(半紙、筆、硯、固形墨……。陰陽道を学ぶ人間がこれらを用いる儀式呪文を行使するとしたら、真っ先に泰山府君祭が頭に浮かぶ! 何故なら、泰山府君の別名であり冥界の王である閻魔大王(えんまだいおう)が、被術者の名前と効力を示すためにこれら筆記用具を必要とするからだ! 他にも、ベニヤ板は死の要因を封じ込める依代としての木の人形を作るため。儚くも必死に生きる命を表す贄としての八重桜は、ヤツが養子になっている群青家の群青泰院における泰山府君祭で使われる!)


 桔梗印学園魔導高校女子寮が見えてきた。鉄筋コンクリート5階建てのマンションだ。エントランスはオートロックになっているため、生徒が入ってくるのを待つ。

 すると五分もしないうちに、ショートボブの女子生徒がエントランスに近づいたため、後をつける。そして同時にスッと、気づかれるように入った。


(六合によれば、本人の鍵に書いてあった部屋番号は「310」……)


 翔栄は310号室を目指して階段を昇る。そして三階に辿り着いた瞬間――その異様な霊力場が翔栄に降りかかった。


「!」


 生者の世界と死者の世界の境界が危うくなるような感覚に翔栄は陥った。彼はこの境(あわい)の力を知っていた。

 その発生源の一つは、マージナリスト(・・・・・・・)。そしてもう一つは、汎人界と術師界を隔てる|界境の結界。そして最後は――泰山府君祭を始めとした秘術である。

 ここまで大きい霊力場となると、周囲にも被害を生みかねない。

 だが、もっと恐るべき霊力場の流れを翔栄は感じ取っていた。

 それは、術師自身の霊力場が感じられないことだ。

 これだけの禁術を行うのであるから、術師自身の霊力場も膨大であるはずなのだ。それを感じないということは――術師自身が自分の術の力場に、吞み込まれかけているということだ。

 翔栄は「一刻の猶予もない」と、310号室へと駆け出した。インターホンを鳴らし、ドアを叩く。反応がない。


「チッ!」


 翔栄は舌打ちをして、火気符を取り出し、ドアノブに貼り付けた。


「《我(ワレ)、以火気(カキヲモッテゴンキ)克金気欲(ニカタントホッス)》!」


 するとドアノブは真っ赤になり、ドロドロと溶け出す。デッドボルトも融解して、ドアが強引に開く。

 だが、チェーンがかかっていた。翔栄は慌てず、もう一枚をチェーンに貼り付けて同じ呪文を詠唱した。するとチェーンも同様に赤く溶けて、ようやくドアが開放された。


「ぐっ……!」


 さらに強い霊力場が、翔栄に襲いかかる。

 だが、翔栄は怯まず中へと足を踏み入れる。なかは1Kの単純な構造であるはずなのだが、わずか30センチ先の空間が水中での視界のように歪んでしまっていて、まともに見えない。それは、暴走した界境のようであった。虚構と現実、生と死の境界が崩れそうな錯覚と戦いながら、翔栄は一歩一歩と前に進む。


「どこだッ! 群青!!」


 そのとき、ローファーの先端に何かがぶつかった。

 それは、床に倒れ込んだ夕だった。その手には、鳴弦に使うであろう弓が握られていた。


「群青!」


 呼びかけると、夕は「う……うん……。何……?」とうわごとのように言った。


 鮮明ではないが、意識はあるようだ。貴人の力によって、翔栄の姿と音を感知できないようだ。


「《戻れ》!」


 翔栄は貴人を帰還させて、自分の姿を視認させる。

 目の前を向くと――そこには、神棚と二つの文机(ふづくえ)によって逆三角形が描かれる祭壇が作られていた。


 鏡は神鏡として神棚にはめ込まれ、青い木気(もくき)の光を放っている。その前には様々な神具が飾り備えられていた。八足台(はっそくだい)に乗せられているのは、中身の入った水玉に塩と米。そして酒の入った瓶子(へいじ)。それらを挟むように立つ、二つの小さな鉄製の三脚籠(さんきゃくかご)には固形燃料による火が灯され、かがり火となっている。その奥にはどちらも、火が燃え移らないように難燃性のビニールでできた真榊(まさかき)が飾られている。さらにそれぞれの脇に、サカキの枝が入った榊立てが立っていた。その横には、電灯しきの灯篭が配置されている。

 ここまでは汎人界の一般家庭でも時折見られる神棚である。だが、これらの神具一式の前に、一般家庭ではまず見ないものが並んでいた。

 まず三宝(さんぽう)と呼ばれる台があり、そこには八重桜のドライフラワーが乗せられていた。そして模造刀の乗った刀置き。二つの文机(ふづくえ)には各々、半紙、筆、墨の入った硯、磨(す)られた固形墨が並べられており、余ったスペースにはベニヤ板で作られた小さな木の人形(ヒトガタ)が散りばめられていた。さらに文机の縁には、泰山府君、閻魔大王、地蔵菩薩、東嶽大帝(とうがくたいてい)と、同一の神霊的精霊を召喚するための呪符がびっしりと吊り下げるように貼り付けられていた。

 右側の文机の半紙には、蘇らせたいであろう「旭美津子(あさひみつこ)」という名前が書かれている。真から事前に聞いていた、夕の母親の名前だ。散らばった人形は全て瘴気に包まれており、腐食しきっていた。


 紛れもなく、現代陰陽道における伝統的集合呪文・泰山府君祭を行うための準備が整えられていた。


 だが、言うまでもなくその詠唱は失敗している。何故なら、術の対象としているのが「無」であるからだ。

 精霊術において、この宇宙は全て『霊(れい) spirit(スピリット)』でできている。まずは定まった形のない『霊気(れいき) psyche(サイキ)』が始めに存在して、『霊気』同士がぶつかり合うと『霊力(れいりょく) |psycho energy《サイコ・エナジー》』というエネルギーが生じる。『霊力』が物質の生成を促し、形作られてこの世界に現われるのが『精霊(せいれい) spirits(スピリッツ)』なのだ。そして精霊は、滅びればまた『霊気』に戻る。つまり、精霊術とは「有」るものが別の「有」るものへ転じる運動なのである。

 そして精霊術の種類の一つである現代陰陽道もまた、結局「有」るものを別の「有」るものを導く技術に過ぎず、「無」いものを「有」るものにすることはできない。そのような「無」いものねだりをすれば、確実に術は失敗し、行き場のない霊力場は術師に跳ね返ってくる。禁術を行うことで降りかかる「罰(バチ)」とは、大抵この「跳ね返り」を示す。古今東西、死者の復活が成功しなかったのは、このような魔導的な理由によるものである。

 行き場のなくなった霊力場は、周囲の雑多な霊障物を依り代である人形へと誘い込み、瘴気を放つ霊障を引き起こしていた。


「ねー? このヘンな霊力場なーにー?」

「群青さんの部屋から?」


 遠くから女子の声が聞こえる。ドアが開け放たれたことで、霊力場が漏れだしたのだろう。


「くっ……ウゼえ! 《前四土神(ぜんよんどしん)・凶将、勾陳(こうちん)》――《急急如律令》!!」


 略式で召喚する。翔栄の目の前に、魚麟のような鎧をまとって直剣を携えた、金色の鱗を持つ蛇人間の戦士が現れる。


 【十二天将「勾陳」 Koching】

  戦闘力 S1(攻撃 A+ 体力 A+ 射程 D 防御 S1 機動 A+ 警戒 S)

  霊力 S2 力場安定性 S2 教養 S1 技術 S1 崇高 A+ 美 C 忠誠心 S 使役難易度 II

  五行:土 干支:辰 吉凶:凶将 所掌:戦闘・訴訟


「ドアが壊れていないように見せかける霊的結界を張れ!!」


 すると勾陳は「御意」と答えた。

 彼は本陣を守るために、他者の目を欺いて、物理的にも中へ侵入させない結界を張る力を持っている。


「おい! 群青! しっかりしろ群青ッ!!」

「……ご、五星院……くん。……僕を、逮捕しに……きたのかい……」

「話は後だ!! 今から玄武を喚起して、水気(すいき)をこの場に叩き込む! それからテメエの手で、術の対象をオフクロからテメエ自身に変更しやがれ!!」


 水生木(すいしょうぼく)。陰陽五行説において、「水は木を育む」として水気は木気を助力する力を持つ。玄武は、翔栄の持ちうる式神のうち最大の水気を持つ。

 そして、この泰山府君祭の霊力場を支配している泰山府君は、陰陽道において木気の性質を持つ。その理由は、泰山府君と同一視される中国の神・東嶽大帝が五嶽(ごがく)と呼ばれる中国の五大霊山のうち「東」に位置するため、その方角を司ると信じられているからだ。東は、陰陽道において木気の性質を持つと解される。


「……ダ、ダメだよ。……そんなことしたら、お母さんを蘇らせられなくなっちゃう……」

「できるわけねえんだよ、んなこと!! いいから、対象をさっさとテメーに変更しろ!!」


 けれども、夕は首を横に振った。


「……お母さんが死んで、ウチは壊れちゃった。……お姉ちゃんとお兄ちゃんも別々の家に行って……。家族がもう一度、一つになるには……これしか、ないんだ……」


 その言葉を聞いた翔栄の脳裏に、昼休みに聴いたワンプロの「歌ってみた動画」が流れる。


「お前が唄っていた、あの歌みてえにか?」


 翔栄は、いま自分の口を突いて出た言葉に自分自身でびっくりした。

 創作物で心を動かされ、目の前の人間に伝えることなんて初めてのことだった。


「……聴いたんだ」


 虚ろだった夕の目に、初めて光が宿った。


「……そうだよ。僕はもう一度、家族が一つになることを願って、ワンプロの歌を唄ってみたんだ……。ネットを通じて、お姉ちゃんとお兄ちゃんが気づいて連絡をくれるんじゃないかって……。でも、ダメだった。……おじい様とおばあ様が厭(いや)な顔するだけで、お姉ちゃんもお兄ちゃんも何にも反応がなかった……。だから、最後の手段としてこの術を……。僕は、この願いが叶わなきゃ、もう生きていたって仕方がない……」


 グッ。翔栄は右手で夕のパーカーの襟首をつかみ、自分の方へ引き寄せた。


「ざけんなよ……、テメーいま生きてんだろ! だったら死人やテメーを捨てたクソ家族なんざに縋(すが)らず、テメー独りの力で生き抜いてみせろッ!!」


 それから翔栄は、「《後三水神(ごさんすいじん)、凶将・玄武(げんぶ)》!! ――《急急如律令》!!」と唱えて、その右手に玄武を喚起させる。


「動画を見りゃあわかるぜ……。家や組織に守られてんのに駄々こねてる俺と違って、テメーは自分一人の力で好きなことをやって生きていける! だったら、『生きたい』って強く願いやがれ!! さもなくば今、俺がぶっ殺すぞ!!!!!」


 ガッ! 夕は翔栄の右手をつかんだ。その握る力は、生きたいという意志を確かに感じた。


「……何にも知らないのに、ずいぶん勝手を言ってくれるね」

「ああ、勝手だ。他人の事情なんざ知ったことか」

「じゃあこの力も……勝手に借りさせてもらうよ!」


 ブワッ――部屋中に水気が充満する。神鏡に放つ木気の青い光が、部屋中を照らす。また、文机に貼られていた全ての呪符が青く光り出した。翔栄が夕に譲り渡した莫大な水気が、泰山府君の木気の霊力場をブーストさせたのだ。


 キシャアアアアアア――


 人形に宿っていた霊障物が、身の毛もよだつような奇声をあげて除霊されていく。

 そして――




   ★


『君はいつも、独断専行だね』


 スマホの電話口の向こうから真が言った。

 翔栄は「非常事態だ。こうするしかなかったんだよ」と反論する。


『やれやれ……。君の火消しに手を焼いた家の人たちの苦労も、少しは顧みてあげてね』


 夜七時、白金中央公園。

 翔栄は通話を終えて、スマホをポケットにしまう。彼のかたわらには、ベンチに座っている夕がいた。

 あの後、翔栄はすぐに真に連絡を取った。

 すると、真から苦々しい口調で次のような指示が返ってきた。

 

 ――君と夕さんの二人は、誰にも知られないようにその部屋から出て、白金中央公園に来るんだ。京都五星院家(ウチ)の家の人間を迎えに行かせるから、二人とも白金草原(はくごんくさはら)魔導病院(まどうびょういん)で精密検査を受けるように。その間にウチの陰陽師たちが、夕さんの部屋で行われた術の痕跡を全て消す。


 これは真の指示ではない。五星院ヒロ子の指示であろう。

 群青家の人間が禁術を違法に行ったなどといった話が表沙汰になれば、遠縁である五星院家の威信にまでかかわる。隠蔽せよとお達しがあったのだろう。幸いにも、目立った被害は出ていない。

 そういったわけで、夜の公園で二人は迎えを待っている。


「……君は僕のことを知らなかったようだけど、僕は君が転校してきたときから知っているんだ」


 夕はそう切り出して、訥々(とつとつ)と語りだした。 

 初等部六年の新学期の春。翔栄が転校してきた。それ以来、夕はずっと同じクラスだったのだという。そして、何度も同じ係や委員になったのだとも。


「たびたび君と同じ係や委員になっては、僕だけが仕事していたんだよ。事情があるのは承知の上だが、認知すら全くしていないというのはさすがにひどくないかい?」

「それは……、悪いことしたな」


 翔栄は自分でも驚くことに、詫びの言葉が口から漏れ出した。


「だが、これで貸しはチャラだ」


 すると夕は、くすくすと笑った。


「公私混同にもほどがないかい?」

「知るか。陰陽保安士としての俺も、お前の同級生としての俺も、おんなじ俺でしかねえんだよ。家族を想うお前と、歌い手? のお前が同一人物であるようにな」

「あはは。本当に他の人だったら触れづらいことをズバズバ言うねえ」


 その時、闇の中から黒いスーツ姿の男女が現われた。真の言っていた京都五星院家の者だ。


「お前の声を待っているヤツが――喜んでくれるヤツがたくさんいるんだろ。だったらもう、二度と『息の根を止めても』なんていうんじゃねえ。……話は終わりだ。もう、俺なんかに構うんじゃねえぞ」


 そして二人は、黒服たちに連れられるまま車に飲み込み、魔導病院へと連れてかれていった。検査の途中も、会話のないまま二人は大人たちの指示に従うまま別れた。




   ★


 翌々日。朝のホームルームの直後のことである。


「俺、美化係らしいな。放課後残るわ」


 翔栄がそう言うなり、男性の担任教師は目を皿にした。

 美化係とは、美化委員会の決定にしたがってクラス内の美化活動を行う役割だ。今月の美化活動は、「教室内で普段掃除しないところを掃除しよう」である。

 自分でも、何故こんなことをやろうと思ったのかはわからない。いつもやっていないことに、罪悪感を感じたわけでもない。ただ昨日の夕とのやり取りがあって、何となくやろうと思ったのだ。


(たしか、男女二人だったよな……。女子の方が誰だっかなんて覚えてねえや)


 そして放課後――教室に残ったのは、夕だった。


「……」


 呆気に取られて黙っている翔栄に対して夕は、けろっと「また同じ係なんだよね」と言ってのけた。


「……そういうことは、もっと早く言え」


 ため息をつく翔栄。

 夕はいつものように飄々と微笑を浮かべているようで――どこか、はにかんでいるようにも見えた。

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