⒈ 目魂(3) おばさ…
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……
謎の機械音が耳に入って気が付いた悠人は、何度か目をしょぼつかせると、徐々に周りの明るさに目が慣れ始め、ゆっくりと瞼を開いた。
「こ、ここは……」
少し前にも同じようなことがあったような………
そんなことを思いつつも、まずは自分が今置かれた状況を理解すべく、周囲を見回す悠人。
すると音の原因であった、《生体情報モニタ》を視界に捉えると、内装からして今いる場所が病院であることが分かった。
あれは夢だったのか、ついついそんなことを思っていまいそうにもなる悠人であったが、より詳しい状況を求めようと口元を覆っていた酸素吸入器を取り外すなり、その場で身体を起こした。
すると彼は、その上でうつ伏せになった一人の少女の存在に気付いた。
「……う、う~ん………」
彼が身体を起こしたことで布団が多少動いたためか、彼女は呻き声を上げると共に目を覚ました。
「……おや、意識が戻ったみたいね」
悠人にはその女の顔に見覚えがあった。
「あれ、貴女はちょっと前に交差点で見かけた………」
「それが何かしら?」
彼女は直接的な疑問で返した。
あまりに端的に返された為、思わず差し支えの無いよう、慎重に言葉を返す。
「……その、何故貴女がここにいるのか、疑問に思いまして………」
「それを聞く前に、救急車を呼んであげた私の気遣いに対して、何か言うことがあるんじゃないかしら?」
そうだったのかと、彼は素直に感謝を述べた。
「早急な対応のおかげで助かりました。ありがとうございます。
……えっとそれで、貴女はどうしてここに…………」
「そうね。あれこれ理由を話す前に、まずは君に起きた異変をこの目で確認した方が早いわ」
「異変?な、何が……?」
「良いから見なさい」
そう言って彼女は悠人が寝ていたベッド横の床頭台へと置いていた、自身の通学カバンに向かって手を伸ばし、何やら色々な携行食に腕輪型の電子デバイス等と入った物の中から、一本のペンのような形状をしたガジェットを取り出す。
胴軸のような部分から長方形型の小型パネルが現れ、一瞬にして手鏡が展開されてはそれを彼の顔の前に突き出した。
「一体何を見せたい……って、何だよこの右目は変色?それに瞳孔の形もなんか変になっているし………まさかッ!
この現象がなんなのか知っているのか?教えてくれ!どうしたら治るんだ?」
彼が動揺するのも無理はない。
何故なら、右目が普段の濃褐色をした瞳とはまるで違い、【碧眼】ー即ち、青い目をしたその瞳は僅かに発光さえもしていた。
同様にいつもならば黒い丸の形をしたそれは、黒丸だけでなくその周りを糸のような細い形をした黒い物体が一つずつ上下左右に形成されていた。
凡人には理解不能なこの状況。
「落ち着きなさい。これから順を追って話すから、まずは深呼吸して冷静になって」
彼女の指示に従い、取り敢えずは深呼吸して一旦彼女の話を黙って聞く体勢に入った悠人。
そんな彼の様子を見計らい、彼女は今一度話を続ける。
「それじゃあ、説明を始めるわ。
まずそれの正体だけど、さっき目覚める前に目の移植だとか何とか、妙な試練を受けた記憶はあるかしら?」
「……あ、ああ、朧気ではあるけれど“生き返りたいなら目の移植をしてもらう”だとか何とか言っていたのは何となく………けど、何でそれを知って…………」
「順を追って話すと言ったでしょう。いいから話を聞きなさい。
要はその試練で貴方は移植に成功し、眼球――、言うなれば、生命活動を維持する為の《新たな器官》を手にし、貴方は生き返った。
それと肝心の――、その瞳を元に戻す方法だけれど、目を一度閉じてから………貴方が普段、鏡の前で日常的に目にしている元の『目』を頭の中に思い浮かべ、そのイメージが固まったところで、再び目を開く――。
そうすれば、自分が想像する普段の馴染み深い瞳へと戻る筈よ。ほら、やってみて」
言われた通りに頭の中で、普段から何気無く鏡の前で目にしている、いつもの自分の眼球のことを思い浮かべながら、一度目を閉じる悠人。
そして再び目を開け、彼女の寄越した手鏡で右目を確認してみると、隣に並ぶ左目と遜色の無い――かつての状態を取り戻していた。
「無事に成功したようね。これでさっきよりは落ち着いたかしら?」
「もう何が何だか、訳が分からねぇ。一体全体、俺の右目はどうなっちまったんだ」
「混乱するのも無理ないわ。私だって初めはそうだったもの」
そう言って彼女は目を閉じ、そして内なる瞳を開眼した。
「薄々勘付いてはいたが、まさかお前も………」
彼女の両目はさっきまでの濃褐色の瞳ではなく、紫色の眼球ー【紫目】へと瞬時に変色し、それもまた発光していた。
同時に瞳孔の形にも変化があった。
彼女の場合は瞳の中心にある黒丸の瞳孔が見当たらず、代わりに大きさが異なる二つの円の形をした瞳孔が形作られていた。
つまりは二重丸の形をした瞳孔というわけだ。
すぐに目を閉じると、彼女は元の瞳に戻った。
「これで分かったかしら?と言っても、どうやら余計に混乱しているみたい。
お詫びと言うのも変だけど、私が知っていることは全て話してあげるわ。
そうね……例えば、この目を授かった者が持っている体質とか………」
「体質?」
「実際に体験してもらった方が早いわ」
彼女はそう言って学生カバンからカッターを一つ取り出すと、スライダーを上に上げて刃を出し、それで彼の左手の甲狙って一筋の線を入れた。
「なっ、ふざけっ……お、おまっ、怪我人に何てことしやがるっ!」
「良いから」
病んでいる彼に傷を付ける行為をしたにも関わらず、なんてことない顔してそう言う彼女。
自分の手の平の怪我を気遣うように自然と視線がそちらに向かうと、彼は人知を超えた力を目にした。
「なっ、傷が見る見るうちに修復していきやがる」
まさしく彼が言った通り、それは数分と掛からぬ内に傷口を塞いでいった。
「驚いたかしら?このように治癒力が飛躍的に高いのよ。
それと、この目を授かったその時を境に年を取らなくなるの。この姿だって十二年前の高校一年生の時に死んだ時の容姿そのままと言ったところね。
既に一度、死体に化した身体なのだから、成長が止まっているのも無理は無いわ」
「だからどうも同じ高校生だってのに少し大人ぶった話し口調をしていたと思ったら、正体はおばさ…って、悪かったよ。そんな睨むなって」
「まあ、それについては所詮私の経験談だから、あまり当てにならない情報ぐらいに思って頂戴。
それと私が分かる範囲で言うと……そうね。生前前に比べると、いくらか身体能力が上がった感じがするぐらいなものかしら。
これも全部、この不思議な眼球の恩寵なのか、そんなことは知らないけれど。
あ、そうそう!一つ確かめたいことがあったの。ちょっと良いかしら?」
すると彼女は、彼の右腕に巻き付けられた包帯をゆっくりとほどき始めた。
「少し腕を動かしてみて」
「いやいや、流石に治癒力が高いったって、そこまでは……」
疑いぶりながらも彼はゆっくりと腕を上げ、手を広げたり、握ったりを二、三回繰り返した。
「あれっ、痛くない。それどころか、ちょっと前に事故に遭ったってことを疑ってしまうくらいに身体の自由が利くのだが」
「なら、ここの院長を呼んでくるわ。入学二日目にして、入院して学校に来られなくなっただなんていうのも色々と示しがつかないでしょう」
彼女は後ろを向いてひらひらと右手を振りながら、彼のいる病室から出て行った。
「そんな気遣いしなくても、ちょ、待っ………」
彼はその後、彼女が呼んできた院長に、急遽検査を受けることとなり、結果は即時退院。
これには院長も――
『あの危険な状態から、一日足らずで何処も異常が見られない健康状態へと戻っているとは、あり得ない。……人間離れしておる』
――と人のことを、まるで化け物でも見るかのような目をしながら、言ってしまう始末である。
まぁ、一度死んで生き返るだとか――、自然治癒力が明らかに常識を越えていたりだとか――、まさしくそんな存在は化け物であることに違い無い訳だが………。
とは言え、今更自分の身に起きた症状でどう思われようと、生き返りたいと願って現世に居る道を選択をしたのは他でも無い、自分の意志である為――、
人間を辞めて化け物扱いされようが気にする素振りも見せず、もはや彼が完治することはハナッから目に見えていたのだと言わんばかりに、予め彼女が用意した紳士服へと身支度を済ませ、手短に手続きを終えて流れるがまま、悠人は即日退院してしまうこととなるのだった。