閑話『誰も知らなかった空白』
## 閑話『誰も知らなかった空白』
歴史書には記録されていない。
王家の公文書にも残っていない。
墓碑にも刻まれていない。
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だが実は、
龍瀬恭平が第三王子へ成り替われたのには理由があった。
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偶然。
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そして不幸。
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空覚王国第三王子。
後のノグランル。
本来の名はアレス。
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彼は幼い頃から持病を抱えていた。
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心臓病。
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王宮最高の医師団が診ていた。
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魔法治療も受けていた。
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薬もあった。
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それでも治らなかった。
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病は静かだった。
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普段は健康そのもの。
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剣も振れる。
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馬にも乗れる。
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執務もできる。
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しかし数年に一度。
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突然悪化する。
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誰にも予測できない。
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王家でも極秘事項だった。
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なぜなら王位継承問題になるからだ。
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その年。
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運悪く。
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最悪の時期が来ていた。
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第三王子は窮屈な王宮を嫌っていた。
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身分を隠し、
お忍びで街を歩くのが好きだった。
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護衛も遠くに置く。
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平民の服を着る。
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市場を見る。
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人々の話を聞く。
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それが唯一の楽しみだった。
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そしてその日も。
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王都の裏通りを歩いていた。
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突然。
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胸が痛む。
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息ができない。
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足が止まる。
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壁にもたれる。
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誰も気付かない。
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ただの若者に見えたからだ。
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王族には見えない。
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豪華な服も着ていない。
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護衛もいない。
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王家の印章も持っていない。
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数分後。
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第三王子は静かに息を引き取った。
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誰にも看取られず。
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王宮から数百メートルの場所で。
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翌朝。
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巡回衛兵が発見する。
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若い男性。
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身元不明。
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所持品なし。
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争った痕跡なし。
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病死と判断された。
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王都では珍しくない出来事だった。
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そのまま手続きされる。
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平民墓地。
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無名墓。
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番号だけが残る。
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一方。
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王宮では騒ぎになっていた。
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第三王子が帰らない。
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捜索隊。
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近衛騎士。
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情報局。
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総動員。
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だが見つからない。
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王家は表向き、
「静養中」
と発表した。
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本当は行方不明だった。
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そしてその数日後。
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龍瀬恭平は変身札を使う。
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第三王子へと姿を変える。
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王宮へ入る。
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驚くほど自然だった。
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なぜなら本物が存在しなかったからだ。
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恭平は後になって知る。
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王家の医療記録。
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心臓病。
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突発悪化。
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行方不明時期。
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全て一致していた。
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その夜。
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恭平は一人で酒を飲んだ。
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勝利感はなかった。
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陰謀でもなかった。
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暗殺でもなかった。
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ただ。
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偶然だった。
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あまりにも大きな偶然。
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「……そうか」
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誰もいない部屋で呟く。
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「君も苦しかったんだな」
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恭平は本物の第三王子を知らない。
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性格も知らない。
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夢も知らない。
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好きな食べ物も知らない。
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だが一つだけ知っている。
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最後まで病と戦っていたこと。
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だから恭平は決めた。
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せめて。
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王子が生きられなかった未来を生きよう。
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王子が見られなかった国を見よう。
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王子が守れなかった人々を守ろう。
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後にノグランルと呼ばれる男は、
一度だけ無名墓地を訪れている。
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護衛も連れず。
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花だけ持って。
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そこには番号しかなかった。
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王子の名はない。
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王家の紋章もない。
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ただ風が吹いていた。
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ノグランルは静かに頭を下げる。
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「借りたままになっている」
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「だから返し続ける」
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その言葉を聞く者はいなかった。
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だがその日以降、
彼は毎年その墓へ花を供え続けた。
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王にも。
宰相にも。
王妃にも。
誰にも告げることなく。
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それが、
龍瀬恭平なりの弔いだった。




