表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/25

第4話 偽博士と毒氷

暗い。冷たい。体が砕けたみたいに痛かった。

闇の向こうに光が見える。白い髭、ぶかぶかの白衣、丸い眼鏡。


世界で一番知ってる声が、静かに呼んだ。

「……弟子よ、起きろ……まだ、旅は終わらんぞ」


ミコの目から涙が溢れた。喉はからからなのに、声を振り絞って叫ぶ。

「師匠……ロジャリ師匠!僕……僕は失敗しました!僕は馬鹿なトカゲです!」


その手が伸びる。温かい。確かに触れられる距離だった。

指先が触れる、その瞬間だった。


バン!


夢の世界は粉々に砕け散った。代わりに現れたのは、生臭い錆の匂いと、耳障りな怒鳴り声だ。


「おい起きろ、神のトカゲ!もう昼だぞ、この馬鹿!」


ミコは跳ね起きた。光じゃない。そこにあったのは安っぽいネオンライトの点滅だった。白衣じゃない。ピンクの派手なエプロンがあった。染みだらけの布に、こう書いてある。


『神乳短大限定!神フルーツ氷 500円』

『ミスコン公式スポンサー』


そしてエプロンの向こうの顔は、師匠ではなかった。

ずるそうな細い目に、薄い口髭、市場の悪党みたいな笑み。


「俺はジャリさんよぉ!北千住一のバズらせ屋、氷屋の天才だ!」

ジャリさんは氷を砕く金物でミコの水槽を叩いた。

「なんだよ、泣いてんのか?気合入れろや。今日からお前は俺の商売道具だ。縁起物だぞ」


師匠じゃない。シンタでもない。インドネシアでもない。

ここは神乳短大。地獄の入り口だった。そしてミコは、悪魔のガラス牢の中で目を覚ました。


ミコは何も言えなかった。ただ心の中で叫ぶだけだった。ごめんなさい、師匠……僕、悪人に捕まりました……


ミコの日々は、同じ悪夢の繰り返しになった。


毎日午前二時、ジャリさんは水槽に水道水をぶちまけてミコを起こす。

「商売繁盛の儀式だ!今日の氷が全部売れるように、神のトカゲ様を拝むぞ!」


それからジャリさんはミコの水槽を担いで、北千住市場へ向かう。

ミコの世界では、この市場は別の名前で呼ばれていた。北千住の闇市。第二話で三人組が胸の話で盛り上がっていた、あの場所だ。生臭さも、あの時と同じだった。


ジャリさんの目的は一つだけだった。見せびらかすこと。


魚屋の前、八百屋の前、肉屋の前に立つたび、彼は大声で叫んだ。

「おい、見ろよ!新しいマスコットだ!神のトカゲ様だ!」


イカを売る親父が怪しんで聞いてくる。

「ジャリさん、それ何だ。珍しいトカゲだな」


ジャリさんは大笑いしながらミコの水槽を揺らした。水がこぼれる。

「これか。神の使いだよぉ。インドネシアから空を飛んで来たんだ」

「触るとバズるぜ。昨日も動画撮ったら百万再生だ。お前らも触るか。千円な」


ミコは水槽の中でじっとしていた。水は汚い。体はだるい。

でも目だけは違った。怒りで燃えていた。


心の中でミコは呟く。気持ち悪い……狂ってる……僕は詐欺の道具にされた……

ロジャリ博士は人間を守れと言った。でも僕が出会った人間は、こんなゴミばかりなのか。


何もできなかった。尻尾は昨日ジャリさんに捕まった時に噛みつかれて、まだ痛む。


午前三時。市場が一番暗くなる時間だ。

ジャリさんはミコを担いで、一番奥へ向かった。ゴミ捨て場の匂いがする場所だ。掃除の人にも見られてはいけない取引の場所だった。


そこに、三つの人影があった。ミコは見た瞬間、目を見開いた。

太ったの。痩せたの。色が黒いの。

アグス・スギオノ・アリフ。

第二話で胸の話をしていた、あのセクハラ三人組だ。今はここにいる。闇八百屋になっていた。


太ったアグスが、サンダルで木箱を踏みつける。そして箱をジャリさんの方へ蹴り飛ばした。

箱の蓋が開く。中身は……


桃だった。色はもう紫に近い。どす黒い汁が滴っている。緑の蠅が何匹もたかっていた。匂いは……死の匂いがした。


ミコは息を止めた。神様……


ジャリさんはしゃがみ込んだ。全く躊躇しない。指で桃を一つ突き刺すと、その指を舐めた。

「うひょー……最高だ。神の味だ」


顔を上げて、アグスに商人の笑みを向ける。

「今週の訳ありは上物じゃねえか。いくらだ」


アグスは黄色い歯を見せて笑った。

「へへ……一箱十円でいいよ。ただし、食中毒は自己責任な」


ジャリさんはポケットを探る。黒ずんだ十円玉を一つ取り出した。そして投げる。

チン。


「上等だ。安すぎんだろ」


闇取引は成立した。


ミコは全てを見ていた。水槽の中で涙がこぼれて、汚い水に混ざった。

あの三人組だ。第二話のセクハラ三人組だ。

昔は口だけで女の子を汚していた。

今は……毒を売っている。人を殺すために。


ミコの拳は固く握られる。水槽のガラスに細いヒビが入った。

こいつらは人間じゃない。悪魔だ。


午前六時。北千住の空がオレンジ色に染まり始めた。

神乳短大の正門前。


女子学生たちが集まり始める。短いスカート、染めた髪、偽物のブランドバッグ。

おしゃべりして、笑って、無防備だった。危険なんて知らない。


そして門の前には、ジャリさんがいた。

屋台はピカピカに磨かれている。新しい看板が掲げられていた。


『本日限定!神の雫DX ー 飲めば内定!飲めば告白成功!』


屋台の上では、ジャリさんが大きな鍋をかき混ぜていた。中身はアグスから買った腐った桃を煮詰めた、どす黒い紫のシロップだ。

湯気が立ち上る。甘い匂いがする……でもその奥に、死体の匂いが混じっていた。


ジャリさんはお玉ですくって、味見をする。

「あー、完璧だ。絶望とZ世代の欲望の味がする」


ミコが乗せられた水槽の方を振り向く。その笑顔は、悪魔の笑顔だった。

「さぁ……神の雫DXで、あのガキどもを釣ってやる」

「金だよ、金!今日で俺は億万長者だ!」


ミコの目が見開かれる。血の気が引いた。

ドクン。


最初の女子学生が屋台に近づいて来るのが見えた。無邪気な顔だった。笑顔で五百円玉を出す。

「一つください!」


ジャリさんは笑う。「はいよ、お嬢ちゃん!」


悔しい。怒り。憎しみ。

ミコの体が震えた。水槽の水が激しく波打つ。


心の中で、ロジャリ博士の声が響いた。

トカゲよ!お前は人間を守るのだ!


でもミコは今、心の中で叫び返す。

こいつ、マジで売る気だ……こいつらを……殺す気だ……

師匠……僕……僕はどうすればいい……!

──────────────

P.S.

この物語は6話で大きく動きます。

更新を見逃したくない方は、

そっとブックマークを…

──────────────

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ