第2話:忌幻視
君はアヴァロン大迷宮第一層『薄暗回廊』へ降り立っていた。
今回受けた依頼は、いつも通りのコボルド自由討伐……ではなく、洞窟苔の採取である。周囲の浮遊魔力を吸って育ったその苔は自然のものとは一味違う薬効をもたらし、探索者向けの傷薬に欠かせない材料として知られていた。
君がこうした地味な依頼ばかり受けるのには理由がある。
新入りのうちは数をこなして信用を得るものだ。つまらない仕事でも手を抜かず、しっかりこなせる人間は信用できる。逆にいえば、そういう手順を踏まずに大仕事を取りにいく人間は信用されないし、大抵は死ぬ。
君にも覚えがあった。新米だった頃、迷宮の地下一階でひたすらコウモリだかナメクジだかを焼いては、二、三匹倒したところで強制的に帰還させられ、馬小屋で眠らされた。あの繰り返しが今の君を作っている。いきなり大きい仕事が出来る者などいない。まずは地道に足元から踏み固めていくべし。
もっとも、君が信用を欲しがるのは帰還のためである。
君の調べたところによれば、この迷宮はいまだ誰も踏破したことがないらしい。最深部には封印された太古の邪神が眠るとか、何でも願いを叶える宝物があるとか、魔界へ通じる門が隠されているとか、根も葉もない噂には事欠かない。
君は迷宮から転移してこの世界に来た。ならば迷宮から転移して元の世界へ帰ることも可能なのではないか。君の経験上、迷宮の最深部にはとにかく凄い何かがあったり、凄い存在が居たりするものだ。
目指すべきは最深部。そのために所属組織から引き出せる助力は残らず引き出しておきたい。信用を積むという結論に至ったのは、ごくごく自然な流れであった。
それに、と君は思う。
この大迷宮というモノは一筋縄ではいくまい、という予感があった。数多の魔に対峙してきた君だからこそ辛うじて気付ける気配、雰囲気。薄ら寒くなるような悪寒めいたものが、この迷宮の深く深く、奥のほうから絶えず漂ってきている。
全身くまなく腐敗した娼婦が、自らの腐敗に気付かぬまま脚を広げて誘っている。よく見ればその体は蠢く蛆が群れを成して形づくったものである。
そういうモノを君は幻視する。
いずれにしても、と君は嘆息した。この大迷宮の底に碌でもない何かがいるのは確かだった。なればこそ準備が肝要である。何が来ても対応できるようにしておかねばならない。
◆
壁にこびりついた緑をごりごりとそぎ落としていると、神経をゾワゾワした何かが撫で下ろした。
会敵の予感である。
戦を生業とする者の中に、稀にこれを備えている者がいる。敵との遭遇が近づくと何となく察知できるというもので、非常に便利なのだが、取得方法も分類も一切分かっていない。スキルなのか魔法なのか、生来の特殊能力なのか、あるいは神か悪魔の加護なのか。分からないまま皆それを当てにしているあたり、探索者という人種はいい加減なものである。
目線の先、薄暗い回廊の奥から現れたのは五体の小鬼の群れだった。
小鬼。
一二〇センチ程度の矮小な体躯に醜悪な面相、緑色の肌をした小人といった風貌の怪物である。体格に比して腕が長く、力も強い。個体差はあるが概ね人間の子供ほどの知能を持ち、狡猾で残忍な性格をしている。不潔な爪で引っ掻かれ、噛み付かれ、錆びたナイフで突き刺されれば命に関わることもある。
彼らの面倒なところは群れることだ。常に数体で行動し、獲物を見つければ仲間を呼び寄せて取り囲む。新米探索者の少なくない数が、彼らを甘く見て返り討ちに遭い、そのまま死んでいる。
もちろん君は新米ではないので余り関係はなかった。
君は小鬼たちが現れても即座に攻撃へうつらなかった。うつらないどころか、爽やかなスマイルさえ投げかけてやる。
友好的な敵ということもある。相手を選ばないむやみやたらな殺戮は、善の者の為すべきところではない。
君を見て顔を見合わせた小鬼たちは、ギャッギャと汚い笑い声をあげ、武器を構えようとした。
──『大凍』
急激に温度を奪われた空気が凍結し、氷の結晶──ダイヤモンドダストとなる。そこへ突風が渦を巻き、猛烈な勢いで小鬼たちを飲み込んでしまった。回転乱舞する氷晶はさながら刃の小竜巻といった風情で、群れをズタズタに刻んでいく。
逃げようとする個体もいたが、一度発現した魔法から身を隠すことは出来ない。耐えるか、無効化するかの二択である。小鬼にどちらが可能かは言うまでもない。
荒れ狂う乱気流は、たちまち五体を凍りつく肉片へと変えた。
あっという間の出来事である。
当然の結果ではあった。十分に練られた『大凍』は高位の悪魔でさえ一撃で葬り去る。ただ、この位階に到達した魔法使いにとって、これは切り札というよりは使い勝手のよい日用品でもあった。
むろん威力の控えめな低位の魔法もあるにはある。あるのだが、それらは大体、迷宮探索に必要な魔法と同じ階位に置かれているのだ。開錠の魔法、隠された扉を暴く魔法、そういうものと枠を分け合っている。
小鬼を丁寧に殺すか、扉を開けるか。
探索者は日々、その選択を迫られている。




