第36話 陽光に別れを
聖堂内の炎はますます、激しいものになっていき、遂にその火の手は天井にも届こうとしている。
「な、何を言っているんですかッッ!? シーデちゃんッ!!」
グレースはシーデの呟きに耳を疑った。治療を続ける事も忘れ、叫びにも似た大きな声を発する。
「そうよッ!! 彼を一人でどうにかするなんて無理よッッ!!」
それには、ガラティアも同意見だった。
三人でかかっても、この有り様・・・。そんな事は只の、自殺行為にしかならないッ!
ガラティアは彼女の戦闘能力を高く買っていた。並みのヒトが相手ならば、例えそれが複数人だったとしても、彼女は負ける事は無いだろう。
しかし・・・それは、あくまでも普通のヒトだった場合だ。
彼は、スネイルは・・・普通じゃない・・・。一瞬でも、自分の剣が通じるなんて思ったのが、馬鹿だった。
やはり、彼には誰も、追い付くことなど出来やしないのだ・・・。彼の授かった力と能力、それは、常人が歯向かって良いものではなかった。
彼の存在は・・・そう、まるで、この世界の不条理を具現化した・・・そのモノだった。
しかし、シーデは二人の発した言葉の熱も届いてはいない様子で、もう一度口を開く。
「・・・二人とも、今回の目的を覚えてるっすか?」
「え・・・。シーデさん、いきなり、何を・・・。」
「答えて、下さいっす・・・。」
突然、突拍子もない事を口にした、シーデにガラティアはおずおずと聞き返す。
だが、シーデはそんな言葉は跳ね退け、もう一度促す。
「え・・・せ、聖水の奪取。それが、今回の目的よ・・・。でも、それが、どうしたと言うの・・・。」
そう、それこそが今回の目的だ。だが今はそんな事を言っている場合では無い。
スネイルは今、先程使って見せた聖具に夢中な様子で、何やら振り回して色々と試しているが、いつまた、その牙を向いてくるかわからない状況。
今、自分達に出来る事は何かしらの対策を練る事。それしかない。
「今のこの状況・・・。このままじゃ、只、全滅する・・・。もしくは、騒ぎを気が付いた衛兵が押し寄せて来るって事になりかねないっす・・・。なら、せめて・・・あたしが全力でアイツを引き付けている隙に、二人は出来る限りの聖水を積んでここから離れるっす。それが今出来る、最善策っす。」
「でも・・・。」
確かに彼女の言っている事は、正しい・・・。
それは今回の目的を考えれば、尚更である。それに彼女の言う通り、これ以上戦闘が長引けば、衛兵が来るのは時間の問題。寧ろ、すでに王国より部隊が派遣されていても、おかしくはないだろう。
でも、それが意味するモノは・・・。
「ダメよッッ!! シーデちゃんッ!! だって、一緒に戻るんでしょッ!? みんなの元へ、一緒に帰るんでしょッッ!?」
グレースは悲鳴の様に声を張り上げ、ガラティアの思考を遮る。そして、一人佇んでいるシーデの元へ駆け出そうとする。
しかし・・・シーデはその動きを手を伸ばして制した。
「あたしは・・・本当はみんなと一緒にいたら、イケないヒトなんっすよ・・・。それを、思い出したんっす・・・。みんなの笑顔は、あたしには・・・眩しすぎるんすよ・・・。」
そして、シーデはグレースに陰りのある笑みを見せた。それは、まるで自嘲するかの様であった・・・。
「な、何を、言っているの・・・。そんな事ないですッ!! シーデちゃんの明るさに、みんな救われて来た筈ですッッ!!」
グレースは激しく首を振ると、尚も言葉を荒げた。
そうよ。いつでも明るく、楽しく振る舞うシーデちゃんに、私はどれだけ、元気を貰ってきたか・・・。
それは、レンガ様だって、ドミヤちゃんだって、ユノちゃんだってそうだ・・・。
だから、そんな事を言わないでッ!! そんな事をしようとしないでッ!!
グレースは必死に叫び、シーデを踏み止まらせようとする。しかし、上手く声を出す事が出来なかった。
それは、彼女のシーデの雰囲気がそうさせていた。
こちらから目を反らす様に俯く顔。いつもの明るさが徐々に消えて行く様なその表情は、グレースのよく知る彼女では無かった。
「このあたしは・・・。本物のあたしじゃ無いんすよ・・・。只の、作り物。嘘で塗り固めた姿なんっすよ・・・。本当のあたしは、もっと残忍で狡猾で、醜いんっす・・・。」
「そんな事ーー」
バリンッ!!
そんなグレースの言葉をかき消す様に、炎に晒された窓が割れる。
「ティアさんッッ!!」
そして、その音に乗ずる様に、シーデがガラティアの名前を叫んだ。
「わかったわ・・・。シーデさん、ありがとう・・・。」
ガラティアはそう囁くと、グレースの腕を掴んだ。そして、少し乱暴にその腕を引いた。
「ティア様ッッ!? やめて下さいッッ!!! 離して下さいッッ!!!」
グレースはそんな彼女の腕を振りほどこうと、盛大に暴れる。
しかし、次の瞬間。
パンッッ!!
ガラティアの平手がグレースの頬を打ち据える。
「しっかりしなさいッッ!! もう・・・こうするしかないのよ・・・。これも・・・私達の、力不足のせいなのよ・・・。」
ガラティアは大きな瞳に涙をいっぱいに溜めながら、彼女に言った。
そうよ・・・。私達が、私が、もっと強ければこんな事にはならなかった・・・。シーデさんと共にあの男を打ち倒す事だって出来た筈。でも、これが現実・・・。それが叶わないのが現実なのだ・・・。
そして、グレースの腕を引いたまま彼女は走り出す。炎が支配する中、聖堂の入り口に向かって。
グレースは顔を伏せたまま、只その動きについて行く。
そして、走りながら、涙に濡れているその顔をシーデに向けた。
「シーデちゃんッッ!!」
シーデはその声に気が付くと、火の粉が雪の様に舞い散る中、今まで見せた中で一番の笑顔をグレースに向けた。
「グレース・・・。ありがとうッ! ユノちゃんを、みんなを・・・宜しくねッッ!!」
それは、全てを優しく包み込む力をも感じさせる、母の様な笑顔だった。
グレースはその太陽の笑みに照らされながら、もう一度だけ、彼女の名を叫ぶ。やがて、その優しい姿は聖堂内に立ち込める煙に紛れ、消えて行った・・・。
シーデは二人が無事に、出て行った事を確認すると、正面に向き直る。自分の倒すべき相手である、男の元に。
「何だ・・・。奴等は、逃げ出したのか・・・。」
スネイルは大剣を振るいながら、興味なさげに言った。
「なにも、邪魔してこないってのは、どういう事っすか・・・。」
シーデは一寸の妨害すらもして来なかったスネイルに、疑惑の目を向けた。
「もう、ガラティアには、興味は無くなったからな・・・。今、俺が興味があるのは、この剣と、これを試し斬り出来る相手だけだ・・・。」
「って事は、あたしは、調理前の野菜ってところっすね・・・。」
シーデの返答にスネイルはふふっ、と低い笑いを溢した。でも、そんな様子は関係なしにシーデは続けた。
「でも・・・。この野菜は只じゃ、切れないっすよ・・・。寧ろ、あんたが野菜に喰われる事になるかもしれないっす・・・。」
そう言うと、地面に手を付き、深く腰を落とした。
二人はちゃんと逃げられただろうか・・・。聖水は持ち出す事には成功出来るだろうか・・・。
シーデには、一つ心残りがあった。
それは、あのユノという少女である。
どこか昔の自分に、姉の後ろに隠れていた自分の幼い頃に似ている少女。
自分を表現する事が下手で、ヒトと関わる事が不器用な少女。そんな少女の、そんな少女の行く末を見守りたい。
そんな想いがあった・・・。
でも、もうその願いは叶わない・・・。
あたしは、既に悪魔にとり憑かれたモノ。少女の、みんなの近く居てはいけない存在なのだ。
この数ヵ月間は、夢の様な日々だった。
全てを忘れて、笑い会える友達も出来た。それは、幼い頃から夢に見ていた日々・・・そのものだった。
あの時、レンガさんが差し伸べてくれた手は、ヘンリーが何度も差し伸べてくれた手。あたしには、そう映っていた。
そして、彼は、袋小路に堕ちていたあたしを救い上げ、日の当たる所へと連れ出してくれた。彩りの豊かな世界に、あたしを連れ戻してくれた。
最初の頃こそ、彼の事など信用はしていなかった。彼も所詮はヒト・・・。いつの日か、裏切る。あたしに不幸の粉を撒き散らす。そう思っていた。
でも・・・彼は、そうはならなかった。
大蛇の時には、あたしと同じ獣人を相手に激しい感情を現し、ドミヤの窮地に涙を流し、ユノを必死に救い出して見せた。
いつの日か、彼の見せたそんな行動の数々があたしの心を、解きほぐしてくれていた。
本当の事を言えば・・・あたしは、まだ彼等と共に居たいのだと思う・・・。
でも、それは許されない・・・。
それは、あたしの心が、この手が・・・痛い程に知っている。
今でもこの手には、村の人達を殺した感触が残っている。一緒に笑いあった仲間の皮膚を切り裂き、泣き叫ぶ子供の頭を砕いた、その感触が・・・。
それに・・・ずっと聞こえなかった。三人の声、姿が・・・もう、あたしには見えていた。
それはあたしの罪の象徴。あの時・・・何もする事が出来なかった自分への罰の証。
今こそ、それを乗り越える時。今こそ、過去を変える時なのだ・・・。
だからあたしは・・・もう一度、闇に沈む。もう戻れない程の深い闇の中へ、その身を委ねる・・・。
そして、シーデの体毛、尻尾が、耳が、その意思に呼応するかの様に逆立ち始め、その瞳の奥には、深い陰りの色を映し出していた。
そんな彼女が発し出した、変化をスネイルは一早く、肌で感じていた。
「ほぉ・・・。良い目をしているじゃないか・・・」
「そうっすか・・・。それは、どうもっす・・・」
シーデは妖しい輝きを放つ瞳をスネイルに向ける。
「お前は・・・アイツらとはどこか纏った空気が違う。そう、思ったのは間違いでは無かったみたいだな。お前のその目は甘えを捨てた・・・いや、闇を呑み込んだ目、そんな目だ・・・。お前のその狂気に満ちた目、俺は嫌いじゃない」
スネイルはそう言うと、曇った笑みを浮かべ笑った。
今、目の前に現れた強者を歓迎するかの様に・・・。
「貴様なんかに何がわかる・・・。あたしを・・・アタシ達ノ事ヲッッ!!」
シーデは獣が唸る様な声で呟く。そして、徐々に怒りの色に染まっていくその瞳で彼を射抜く。
更に深く腰を落とすと、目を見開く。そして、大きく黄色の髪を振り上げ、激烈な速度でスネイルに飛び掛かって行く。
その姿はまさに、怒り狂う金色の獅子。
彼女の鬼神の如き、怒りを波動を纏ったその表情にはもう、太陽の様に笑う彼女の面影は無かった・・・。




