第4話 三分の猶予
東側非常口は、園舎の裏手にあった。
表側の騒ぎが嘘のように、そこだけ静かだった。
低い植え込み。
色あせた三輪車。
壁に立てかけられた小さなスコップ。
雨よけの屋根の下に、黄色い長靴が片方だけ転がっている。
ここが保育施設であることを、嫌でも思い出させるものばかりだった。
黒瀬玲央は、非常口の脇で膝を落とした。
すでに真神アキラが、扉の横に張られた細いワイヤーを確認している。
真神は指先でワイヤーの張りを見た。
「簡易警報だ」
通信越しに、灰原ナギが言う。
『爆発物じゃない。扉を開けたら、内側のベルが鳴る仕掛け』
「外せるか?」
黒瀬が聞く。
真神は短く答えた。
「外す」
それだけだった。
真神は装備ポーチから薄い工具を取り出し、ワイヤーの固定具に触れた。
金属音はしない。
動きも小さい。
黒瀬のWRISTには、犯行声明の配信開始までの時間が表示されていた。
《犯行声明の配信開始まで:02分41秒》
三分もない。
だが、焦れば終わる。
黒瀬は呼吸を整えた。
園舎の中には園児二十六名。
職員六名。
武装犯八名。
爆発物三箇所。
そして今、自分たちが使える入口は、この東側非常口だけだった。
通信に白羽美月の声が入る。
『黒瀬、状況は?』
「非常口の警報を解除中。爆発物反応はなし」
『突入許可は出しています。ただし、遊戯室への接近は慎重に。爆発物の位置が近すぎます』
「分かってる」
黒瀬は短く返した。
その横で、獅堂鉄平が大型防弾シールドを片手で支えている。
大きな体が、非常口の陰に収まっていない。
だが、獅堂は動かない。
ただ、園舎の中の気配を聞くように、静かに立っていた。
灰原は獅堂の背後で、特殊解除ツールの入った金属ケースを抱えている。
顔色は変わらない。
ただ、工具を握る手にだけ、わずかな力が入っていた。
「灰原」
黒瀬が呼ぶ。
「何?」
「職員室に着いたら、どれくらいで見られる?」
「状態による」
「最短は?」
「十秒」
「最悪は?」
灰原は少しだけ間を置いた。
「配線を間違えたら、遊戯室ごと爆発する」
獅堂が灰原を見る。
「冗談か?」
「違う」
灰原は淡々と答えた。
「だから、見てから考える」
獅堂は黙った。
黒瀬は扉へ視線を戻す。
真神が指を止めた。
「外れた」
黒瀬はうなずく。
「入る」
真神が扉を少しだけ開いた。
音はしない。
中は薄暗かった。
昼間の園舎のはずなのに、カーテンが閉められ、照明の一部が落とされている。
廊下には、散らばった上履き。
落ちた帽子。
壁に貼られた動物の絵。
その上を、黒瀬たちの影が通った。
黒瀬が先に入る。
続いて真神。
灰原。
獅堂。
獅堂は最後尾に立ち、扉の外と中を一度だけ確認した。
大きなシールドが、廊下の光を少し遮る。
通信越しに伊吹透の声が入った。
『こっちは犯人との回線を維持中。相手、かなり苛ついてるよ』
黒瀬は小声で返す。
「切るな」
『切らないよ。あっちが切りたくなるまではね』
伊吹の声は軽い。
だが、呼吸は少し速かった。
彼も、外で戦っている。
黒瀬はそう判断した。
廊下の先で、小さな物音がした。
真神がすぐに手を上げる。
全員が止まる。
足音。
一人。
軽くはない。
大人の足音だった。
真神が壁際へ滑るように移動する。
黒瀬は低出力スタンバトンに手をかけた。
獅堂が灰原の前へ半歩出る。
足音が近づく。
廊下の角から、男が姿を見せた。
二十代半ばほど。
片手に拳銃。
もう片方の手にはスマートフォン。
男は黒瀬たちに気づくより先に、真神の影に入っていた。
真神の動きは速くなかった。
ただ、無駄がなかった。
男の銃口が上がる前に、真神の手が男の手首を押さえる。
もう片方の手で顎をずらし、声を出させない。
足を払う。
壁にぶつけないように床へ落とす。
低出力スタンバトンの白い光が、一瞬だけ男の脇腹に触れた。
男の体から力が抜ける。
真神は通常拘束具で男の手首を固定し、口元を押さえたまま黒瀬を見た。
「一人」
黒瀬は男のスマートフォンを拾い、画面を見る。
園内の配信準備画面。
グループ通話。
職員室のカメラ映像。
「こいつは外周確認か」
灰原が画面を覗く。
「違う。職員室に戻る途中。配信機材を見に行ってた」
「なら急ぐ」
黒瀬は通信を入れる。
「伊吹、犯人の一人を拘束。まだ気づかれてない」
『人数は?』
「残り七」
『了解。じゃあ、こっちは七人いる前提で話を続ける』
伊吹は軽く言った。
『人数の話は出させないようにするよ』
「頼む」
黒瀬は通信を切る。
真神が拘束した男を用具室の中へ引き込む。
扉を閉める直前、男の呼吸を確認した。
黒瀬は真神を見る。
「次も静かにやれ」
「面倒だ」
「できるだろ」
「できる」
「ならいい」
真神は何も言わなかった。
だが、反論もしなかった。
廊下を進む。
職員室は遊戯室の反対側にあった。
遊戯室からは、かすかに子どもの泣き声が聞こえる。
小さく、途切れ途切れに。
獅堂の足が一瞬だけ止まった。
黒瀬は振り返らない。
「獅堂」
「分かってる」
声は低かった。
「今は職員室だ」
「ああ」
獅堂は再び歩き出した。
職員室の前に着く。
扉は半開きだった。
中から男の声が聞こえる。
「だから映像が乱れてんだよ! 配信前に直せ!」
別の声が怒鳴り返す。
「分かってる! 回線が落ちるんだ!」
灰原が黒瀬の隣で小さく言った。
「二人」
真神が首を少し傾ける。
「一人は机の前。もう一人は窓側」
黒瀬は獅堂へ視線を送る。
獅堂がシールドを構えた。
灰原がケースを床に置く。
黒瀬は短く言った。
「非殺傷で制圧。銃声を増やすな」
真神が黒瀬を見る。
「騒がせるな、という意味か」
「ああ。人質の近くで犯人を刺激したくない」
「分かった」
黒瀬は扉の隙間から中を確認する。
机の上には配信機材。
床には延長コード。
職員用のパソコンが無理やり接続されている。
その奥に、園の設備とは明らかに違う黒い箱があった。
「行け」
黒瀬の合図で、獅堂が扉を押し開けた。
大きなシールドが先に入る。
「何だ――」
机の前にいた男が銃を向ける。
銃声。
弾がシールドに当たり、鈍い音を立てた。
獅堂は下がらない。
一歩、前へ出る。
「灰原!」
黒瀬が叫ぶ。
灰原は獅堂の背後を低く抜け、職員室の奥へ滑り込む。
真神が窓側の男へ向かった。
男がナイフを抜く。
真神は刃を避け、手首を押さえ、肘を落とす。
骨が折れるほどではない。
だが、武器は落ちた。
黒瀬は机の前の男へ低出力スタンバトンを当てる。
男の体が震え、膝から崩れる。
「拘束」
黒瀬が言う前に、真神が動いていた。
二人の男は、声を上げる前に床へ伏せられる。
獅堂はシールドを構えたまま、職員室の外を見ている。
「遊戯室側、まだ動きはない」
黒瀬は灰原を見る。
「灰原」
「見てる」
灰原は職員室の机の下に膝をついていた。
そこには、園の設備ではない黒い箱があった。
複数の配線。
小型端末。
無線発信機。
電源装置。
だが、爆弾そのものではない。
灰原は特殊解除ツールを取り出し、黒い箱に近づけた。
「制御装置だ」
「止められるか?」
「遠隔起爆の信号なら止められる」
「遊戯室の爆弾は?」
「本体は残る。ここで止められるのは、外から一斉に起爆する命令だけ」
黒瀬は短く考える。
「それでいい。まず遠隔を切れ」
灰原は黒瀬を見ない。
「切った瞬間、向こうが異常に気づくかもしれない」
「気づかれる前提で動く」
「分かった」
灰原の特殊解除ツールが、黒い箱の信号を読み取る。
WRISTに、灰原の解析結果が共有された。
《不明制御装置:検出》
《遊戯室および玄関の爆発物と接続疑い》
《遠隔信号:確認》
美月の声が入る。
『灰原、状況を報告してください』
「遠隔起爆の中継。遊戯室と玄関をまとめてる」
『止められますか?』
「爆弾そのものは止められない。でも、外から起爆する信号は切れる」
黒瀬が言う。
「やれ」
「分かった」
その瞬間、伊吹の通信が割り込んだ。
『隊長、まずい』
「何だ?」
『向こうが人数確認を始めた。さっき拘束した一人、戻ってこないって気づきかけてる』
黒瀬は職員室の入口を見る。
「どれくらい持つ?」
『一分。長くて二分』
「十分だ」
『君の十分は、毎回ちょっと怖いね』
伊吹の声は軽い。
だが、背後では犯人の怒鳴り声が聞こえていた。
『こっちはもう一回、配信の話で引っ張る。そっちは急いで』
通信が切れる。
灰原の工具が、黒い箱の一部を外した。
小さな電子音。
職員室の照明が、一瞬だけ揺れる。
獅堂がシールドを構え直した。
「来るか?」
黒瀬は答える。
「来る」
廊下の向こうで、足音がした。
複数。
遊戯室側からだ。
黒瀬は真神を見る。
「音を出すな。倒せばいい」
真神は通常拘束具を手に取った。
「分かった」
獅堂が職員室の入口に立つ。
シールドが、廊下を塞ぐように構えられた。
「灰原は続けろ」
獅堂が言った。
灰原は振り返らない。
「言われなくても」
足音が近づく。
犯人の声。
「おい! 職員室、何してる!」
獅堂は動かない。
黒瀬はスタンバトンを握る。
真神が壁際へ消える。
一人目の犯人が角を曲がった。
獅堂のシールドを見て、目を見開く。
「な――」
言葉は最後まで出なかった。
黒瀬が低く踏み込み、腕を弾く。
銃口が天井へ逸れる。
真神が背後から膝を崩す。
通常拘束具が手首を固定する。
二人目が叫ぶ。
「侵入者だ!」
その声は、遊戯室まで届いた。
黒瀬は舌打ちした。
灰原が低く言う。
「あと十秒」
「急げ」
「急いでる」
廊下の向こうで、子どもの泣き声が強くなった。
伊吹の通信が入る。
『隊長、ばれた。遊戯室側、動くよ』
黒瀬は職員室の奥を見る。
灰原の工具が最後の動きをする。
「切る」
小さな音。
カチリ。
特殊解除ツールが読み取った解析結果が、WRISTに表示される。
《遠隔信号:遮断》
《玄関側接続:切断》
《遊戯室側接続:切断》
黒瀬は息を吐く。
だが、灰原の表情は緩まなかった。
「まだある」
「何が?」
「遊戯室の本体に、別の起爆回路が残ってる」
灰原はドローン映像を拡大した。
銀色のケースの側面。
そこに、小さな赤いランプが点滅している。
「遠隔は切った。でも、あれは単独でも動く」
「手動か?」
「たぶん。近くで起爆できる」
黒瀬はWRISTの映像を見る。
遊戯室の中。
犯人の一人が、銀色のケースの前にしゃがみ込んでいる。
手には、小型の起爆端末。
そのすぐ近くに、子どもたちがいる。
美月の声が入る。
『黒瀬、状況は?』
黒瀬は短く答えた。
「遠隔起爆は止めた。だが、遊戯室側が手動に切り替えた」
『突入は危険です』
「待てばもっと危険になる」
遊戯室の映像で、犯人が叫んでいた。
音声は拾えない。
だが、口の動きで分かった。
誰だ。
どこから入った。
今すぐ始めろ。
伊吹の声が通信に入る。
『隊長、もう言葉じゃ引っ張れない。向こう、話を聞く余裕がなくなってる』
「分かった」
黒瀬は職員室の入口に立つ。
遊戯室までの廊下。
距離は短い。
だが、その先に爆弾と子どもがいる。
黒瀬は全員に言った。
「ここから先は、失敗できない」
真神が答える。
「最初からそうだ」
灰原が特殊解除ツールを握り直す。
「遊戯室に行く。見ないと止められない」
獅堂がシールドを構えた。
「俺が前に出る」
黒瀬は全員を見た。
第6部隊。
死刑囚だけで作られた救助部隊。
まだ互いを知らない。
まだ信頼もない。
それでも今、同じ方向を見ている。
遊戯室。
そこに、子どもたちがいる。
黒瀬は低く言った。
「行くぞ」
首元のNOXに、白い光が一瞬走った。
それは許可の光ではない。
命を使えという、国家の命令だった。
だが、黒瀬たちは走り出した。
誰かの明日を、まだ終わらせないために。




