第3話 ひばりの森こども園
出動車両の中は、作戦室よりも狭かった。
黒い装甲車両。
窓は小さく、外の光はほとんど入らない。
座席には固定具があり、壁には救助装備と制圧用装備が並んでいる。
黒瀬玲央は、車両後部の座席でWRISTを確認していた。
《作戦区域:ひばりの森こども園》
《任務種別:人質救出/爆発物処理》
《救助優先度:最優先》
《武装権限:統括官承認制》
《目的:人質全員の生存確保》
《犯行声明の配信開始まで:18分34秒》
画面の下に、任務前承認装備が表示される。
《任務前承認装備》
《非殺傷装備:解除済》
《通常拘束具:解除済》
《低出力スタンバトン:解除済》
《防弾装備:解除済》
《爆発物処理キット:解除済》
《小型偵察ドローン:解除済》
《大型防弾シールド:解除済》
《救助ワイヤー:解除済》
《殺傷武器:未承認》
《特殊拘束具:未承認》
運転席側から、白羽美月の声が通信で入った。
『今回の任務に必要と判断した装備は、事前に承認しています』
黒瀬は表示を確認した。
「殺傷武器はなし、か」
『はい。必要が発生した場合は、隊長または担当者から申請してください。承認するかは内容次第です』
「分かった」
黒瀬はWRISTを閉じた。
隣では、伊吹透が送られてきた犯人側の声明文を読んでいた。
「文章、荒いね」
伊吹は軽い口調で言った。
だが、目は笑っていない。
「自分たちは正しい。社会が悪い。子どもたちは未来の象徴。だから世界に訴える。……うん、最悪」
黒瀬は伊吹を見る。
「交渉できる相手か?」
「できるよ。時間稼ぎくらいなら」
伊吹は端末を指で弾いた。
「ただ、説得は無理。こういうタイプは、止める理由より、見せる理由を先に作ってる」
「犯行声明の配信か」
「そう。自分たちが世界を変える瞬間を、誰かに見てほしいんだよ」
車両の向かい側で、灰原ナギが小型端末に園の見取り図を展開していた。
画面には、警察から送られてきた熱源反応、電源系統、監視カメラの死角、そして建物内の微弱な電波ノイズが重ねられている。
灰原は細い指で、三つの赤い反応を順に拡大した。
「爆発物の反応、三箇所」
黒瀬が聞く。
「どう分かる?」
「電源の流れが変。熱も出てる。あと、園内の配線にない線が三本増えてる」
灰原は画面を指で弾いた。
「一つは玄関。二つ目は遊戯室付近。三つ目は職員室。全部、園の設備じゃない」
「玄関は退路封鎖か」
「たぶん。遊戯室は人質用。職員室は……配信用の機材か、爆発物の制御装置」
獅堂鉄平が低く聞いた。
「爆発したら?」
「玄関は正面から入る人間を潰す。遊戯室は人質ごと。職員室のは規模が読めない」
灰原は表情を変えずに続けた。
「でも、一番危ないのは遊戯室」
「解除はできるか?」
黒瀬が聞く。
灰原は一秒だけ黙った。
「見れば分かる」
「見に行く必要があるな」
「そう」
真神アキラは、壁に背を預けて目を閉じていた。
眠っているようにも見える。
だが、黒瀬には分かった。
呼吸が浅い。
全身の力が抜けている。
いつでも動ける状態だ。
「真神」
黒瀬が呼ぶと、真神は目を開けた。
「何だ?」
「園内に入ったら、殺すな」
真神の目がわずかに細くなる。
「止めるだけか」
「そうだ」
「相手が撃ってきても?」
「止めるだけだ」
短い沈黙。
真神は黒瀬を見ていた。
黒瀬も目を逸らさない。
やがて、真神は小さく息を吐いた。
「面倒な命令だ」
「できないとは聞いていない」
「できる」
「ならいい」
車両の前方から、美月の声が再び入る。
『第6部隊、まもなく現場外周に到着します』
全員のWRISTに、現場地図が展開される。
ひばりの森こども園。
周囲には警察車両。
規制線。
報道車両。
野次馬の熱源反応。
上空には報道ドローンらしき反応もある。
黒瀬は表示を見ながら言った。
「報道が近い」
『すでに一部報道機関が現場を把握しています。特務公安庁の名前は出せません。あなたたちは警察特殊救助班として処理されます』
伊吹が小さく笑う。
「肩書きだけはまともだね」
黒瀬は言った。
「笑うところじゃない」
「笑ってないとやってられないんだよ」
その軽さは、逃げではない。
伊吹はそういう男なのだろう。
黒瀬は、それ以上言わなかった。
車両が大きく減速する。
タイヤが路面を噛む音。
外から、遠くざわめきが聞こえ始める。
警察の拡声器。
報道陣の声。
泣き崩れる保護者。
ヘリの音。
現場の空気が、車内にまで入り込んできた。
車両が止まる。
後部ハッチが開いた。
白い昼の光が差し込む。
黒瀬は立ち上がった。
首元のNOXに、制服の襟が触れる。
重い。
だが、今は気にする時間ではない。
「降りるぞ」
誰も返事をしなかった。
だが、全員が動いた。
外へ出ると、ひばりの森こども園の門が見えた。
青い門。
丸い看板。
壁に描かれた動物の絵。
小さな靴箱が並ぶ玄関。
そのすべてを、警察車両と防弾盾が囲んでいる。
平和な場所に、銃口が向いていた。
規制線の向こうでは、保護者たちが泣いていた。
「うちの子が中にいるんです!」
「お願いです、助けてください!」
「何でまだ突入しないんですか!」
警察官が必死に抑えている。
だが、抑えられるものではない。
子どもを奪われた親の声だった。
獅堂が一瞬だけそちらを見た。
すぐに視線を戻したが、拳が握られていた。
黒瀬は見逃さなかった。
警察の現場指揮官らしき男が駆け寄ってくる。
五十代ほど。
防弾ベストの上に指揮官用の腕章。
顔には疲労と苛立ちが浮かんでいた。
指揮官の視線が、黒瀬たちの首元を一瞬だけかすめた。
制服の襟で隠れてはいる。
だが、黒い制御環の輪郭までは隠しきれない。
「……ラストデイ部隊か」
周囲の警察官には聞こえない声だった。
美月が答える。
「表向きは、警察特殊救助班として扱ってください」
指揮官は苦い顔をした。
「噂は聞いている。死刑囚を現場に出す部隊だとな」
美月の表情は変わらない。
「彼が第6部隊の隊長です」
指揮官の視線が、黒瀬へ向いた。
「君が隊長か」
「ああ」
「死刑囚に任せる現場ではない」
黒瀬は園舎を見る。
「だったら、警察だけで終わらせろ」
指揮官は黙った。
黒瀬は続ける。
「できないから、俺たちが呼ばれた。違うか?」
数秒の沈黙。
指揮官は苦い表情のまま、端末を差し出した。
「……犯人は八名。園児と職員は遊戯室に集められている。園長だけは別室にいる可能性がある。声明配信まで、残り十五分だ」
WRISTにも残り時間が表示される。
《犯行声明の配信開始まで:15分12秒》
黒瀬は端末を受け取らず、画面だけを見た。
「要求は?」
「現時点では声明配信のみ。金銭要求はない」
伊吹が小さく言う。
「やっぱり見せたいタイプだ」
黒瀬は続けた。
「犯人との通話録音は?」
「ある」
伊吹が横から手を出した。
「録音、こっちに回して」
指揮官が眉をひそめる。
伊吹は軽く笑った。
「声でだいたい分かるから」
指揮官は一瞬だけ美月を見る。
美月がうなずくと、録音データが伊吹のWRISTへ転送された。
伊吹は片耳にイヤホンを入れる。
「さて。どんな面倒な人たちかな」
数秒、録音が流れる。
伊吹の軽い表情が、少しずつ薄くなっていく。
「声、若い。二十代前半から三十代前半。主導してるのは一人じゃないね。話し方が揃ってない」
「内部分裂は?」
黒瀬が聞く。
「可能性あり。少なくとも、全員が同じ覚悟ではない」
「使えるか?」
「使えるかも」
伊吹は軽く言った。
「崩せる相手が一人でもいれば、穴になるよ」
黒瀬は灰原を見る。
「ドローンは?」
「飛ばす」
灰原は小型ドローンを地面に置いた。
虫のように小さい機体だった。
羽音もほとんどしない。
灰原のWRISTから、半透明の操作画面が浮かぶ。
「窓の隙間から入れる。換気口が使えれば、遊戯室まで行ける」
美月が言う。
「爆発物に触れないように」
「触らない。見るだけ」
ドローンが浮いた。
地面すれすれを滑るように進み、園舎の壁へ向かう。
黒瀬は園舎を見た。
窓にはカーテン。
一部は内側から塞がれている。
玄関前には、不自然に置かれた通園バッグがいくつもある。
灰原が低く言った。
「玄関前、バッグじゃない」
「爆発物か?」
「たぶん。見た目を誤魔化してる」
「解除は?」
「外からは無理。近づけば起爆されるかもしれない」
獅堂が玄関を見た。
「玄関は使えねえな」
「裏口は?」
黒瀬が聞く。
灰原が園内図を拡大する。
「裏口にも配線反応。非常口は二つ。西側は塞がれてる。東側は反応が薄い」
「薄い?」
「罠かもしれないし、ただの死角かもしれない」
真神が言った。
「俺が見る」
黒瀬は真神を見る。
「単独で行けるか?」
「行ける」
「殺すな」
「分かっている」
真神が園舎の東側へ向かう。
腰には低出力スタンバトンと通常拘束具。
どちらも、任務前に承認された非殺傷装備だった。
刃物は開かない。
銃も解除されていない。
それで十分だとでも言うように、真神は何も言わず園舎の影へ消えた。
その動きは速くない。
ただ、人の視線から外れるのがうまかった。
一歩進むごとに、存在感が薄くなる。
警察官の一人が気づいた時には、真神はすでに園舎の側面に入っていた。
指揮官が目を見開く。
「何者だ、あれは」
黒瀬は答えなかった。
リコードの隊員だ、と言って納得されるとは思えない。
灰原のドローン映像がWRISTへ転送される。
黒瀬の前に、小さな映像が浮かんだ。
廊下。
靴箱。
散らばった上履き。
倒れた観葉植物。
子ども用の絵が壁に貼られている。
その下を、ドローンの視点が進む。
遊戯室。
カーテンの隙間から、内部が映った。
子どもたちが床に座らされている。
何人かは泣いていた。
何人かは泣くこともできず、固まっていた。
職員が数人、子どもたちを抱えるようにして座っている。
その前に、銃を持った男が二人。
別の男がカメラを設置している。
その近くに、銀色のケースがあった。
灰原の声が低くなる。
「遊戯室、爆発物確認」
黒瀬は映像を見た。
ケースから伸びる配線。
床に固定された起爆装置。
近くに座らされた子どもたち。
「爆発範囲は?」
「遊戯室内はほぼ全域。壁は抜ける。隣の保育室にも被害が出る」
獅堂の拳が、音もなく握られた。
伊吹が別の音声を聞いている。
「犯人側、焦ってる」
「何があった?」
「配信機材の調子が悪いっぽい。職員室にいる一人が、誰かに怒鳴ってる」
灰原が顔を上げる。
「職員室の爆発物は制御用かもしれない」
黒瀬が聞く。
「そこを止めれば?」
「遊戯室の爆弾を無効化できる可能性がある。逆に、間違えたら全部起動する」
「行けるか?」
「行くしかない」
美月がすぐに言った。
「灰原単独の侵入は許可できません。爆発物処理担当を人質区域へ近づけるには、護衛が必要です」
黒瀬はうなずいた。
「獅堂」
「分かってる」
「灰原を職員室付近まで送る。子どもを動かす時は、護衛に回れ」
獅堂は大型シールドの固定具を確認した。
「任せろ」
その時、伊吹が顔を上げた。
「まずい」
全員の視線が伊吹へ向く。
伊吹は音声を止め、園舎を見る。
「犯人の一人が、子どもをカメラの前に出そうとしてる」
指揮官が息を呑む。
「何だと?」
伊吹の声から、軽さが消えていた。
「配信前の見せしめだよ。泣いてる子を一人、前に出してる」
黒瀬の目が細くなる。
灰原の映像が揺れた。
遊戯室の中で、男が園児の腕を掴んでいる。
小さな女の子だった。
泣きながら、職員の服を掴もうとしている。
職員が止めようとする。
別の犯人が銃口を向ける。
現場の空気が一瞬で凍った。
美月が言う。
「黒瀬、突入はまだ危険です。爆発物が――」
「分かってる」
黒瀬は短く遮った。
彼は映像から目を離さない。
突入すれば、爆弾が起動する可能性がある。
待てば、子どもがカメラの前に立たされる。
どちらも正解ではない。
だから、選ぶしかない。
「伊吹」
「何?」
「電話をかけろ」
「交渉?」
「違う」
黒瀬は園舎を見た。
「怒らせるな。止めるな。そいつらに、まだ配信を始めるなと思わせろ」
伊吹は一瞬だけ黒瀬を見る。
そして、笑った。
いつもの軽い笑いではない。
仕事の顔だった。
「難しい注文だね」
「できるか?」
「できるよ」
伊吹は警察指揮官の端末を受け取る。
固定回線へ接続。
呼び出し音。
一回。
二回。
三回。
誰も息をしなかった。
四回目で、電話がつながった。
スピーカーから、若い男の荒い声が響く。
『何度もかけてくるな! 次に電話したら一人殺すって言っただろ!』
伊吹は軽い声で言った。
「それ、やめた方がいいよ」
黒瀬は伊吹を見る。
周囲の警察官も固まった。
伊吹は続ける。
「今の状態で配信を始めても、たぶん伸びない」
『……何だと?』
「画角が悪い。音も割れてる。声明文も長すぎ。あと、子どもを泣かせるタイミングが早い」
『ふざけるな!』
「ふざけてないよ。見せたいんでしょ? 自分たちが正しいって」
電話の向こうで、男の呼吸が乱れる。
伊吹の声は、薄く笑っていた。
「なら、順番を間違えたら駄目だ。最初に泣き声を出すと、視聴者は内容を聞かない。ただの胸糞悪い映像で終わる」
黒瀬は伊吹を見た。
説得ではない。
犯人の承認欲求に、餌を投げている。
『お前、何者だ』
「配信を失敗させたくない人」
『警察か?』
「警察がこんなアドバイスすると思う?」
数秒の沈黙。
遊戯室の映像の中で、女の子を掴んでいた男の動きが止まった。
伊吹が続ける。
「声明を読ませて。映像の前に、まず言葉。泣き声はその後の方が効く」
『……黙れ』
「黙るよ。でも、その前に一つだけ」
伊吹の声が少しだけ低くなる。
「子どもを前に出すなら、配信が始まってからにしな。今やっても、誰も見てない」
電話の向こうで、荒い呼吸が続く。
やがて、男が怒鳴った。
『三分だけ待つ! 次に余計なことを言ったら撃つ!』
電話が切れた。
遊戯室の映像で、男が女の子の腕を離した。
職員がすぐにその子を抱き寄せる。
誰かが、小さく息を吐いた。
伊吹は端末を返しながら言った。
「三分は稼いだよ」
軽い声だった。
だが、額には汗が浮かんでいた。
黒瀬は短く言う。
「十分だ」
灰原がWRISTを操作する。
《追加装備申請:灰原ナギ》
《申請内容:特殊解除ツール》
《用途:職員室制御装置の確認および停止》
美月は画面を見た。
一秒。
二秒。
「特殊解除ツールは、制御装置に触れるためですか?」
灰原が答える。
「そう。通常キットだけだと足りないかもしれない」
「爆発物本体ではなく、制御側ですね?」
「たぶん。でも、見ないと断定できない」
美月は短く息を吸った。
そして、承認に触れた。
《承認》
《特殊解除ツール:解除》
装備ロックが外れる音がした。
灰原が特殊解除ツールを取り出す。
小さな金属ケースだった。
獅堂が大型シールドを持ち上げる。
金属音が低く響いた。
黒瀬は煙幕弾とスタンバトンを確認する。
真神から通信が入った。
『東側非常口、外部からは使える。内側に簡易ワイヤー。音を立てずに外せる』
黒瀬は答える。
「位置を維持。俺たちが合流する」
『了解』
美月が言う。
「作戦を確認します。東側非常口から侵入。灰原が職員室の制御装置を確認。獅堂が護衛。黒瀬、真神が制圧準備。伊吹は外部から交渉継続」
伊吹が手を上げる。
「外かあ。安全な仕事で助かる」
黒瀬は伊吹を見た。
「逃げるなよ」
「逃げないよ」
伊吹は軽く笑った。
「僕がいないと、犯人たち寂しがるでしょ」
黒瀬は返事をしなかった。
ただ、園舎へ向き直る。
三分。
たった三分。
だが、人一人を救うには十分なこともある。
黒瀬は低く言った。
「行くぞ」
第6部隊は、初めて現場へ踏み出した。




