第2話 第6部隊《リコード》
移送車の窓には、外の景色が映らなかった。
黒い強化ガラス。
内側からは何も見えず、外側からも中は見えない。
黒瀬玲央は、両手を拘束されたまま後部座席に座っていた。
右隣には武装警備員。
左隣にも武装警備員。
正面には、法務省監査室の橘修司。
車内には、余計な会話がなかった。
タイヤの振動。
空調の低い音。
警備員の装備がわずかに擦れる音。
それだけが続いていた。
黒瀬は窓に目を向ける。
何も見えない。
どこへ向かっているのか。
どれだけ走っているのか。
地上なのか、地下なのか。
死刑囚に知らされることはない。
「これから向かうのは、特務公安庁の地下施設です」
橘が言った。
黒瀬は視線だけを向けた。
「特務公安庁?」
「内閣直属の特殊治安機関です。公には存在しません」
「そこで《LAST DAY》を運用しているのか?」
「はい。死刑囚の移管は法務省。運用は特務公安庁。私は監査側の立場です」
「運用側ではない?」
「ええ」
黒瀬はそれ以上聞かなかった。
橘も、それ以上説明しなかった。
移送車が減速する。
警備員の一人が無線に短く応答した。
やがて車は完全に停止した。
扉が開く。
外の空気が流れ込んだ。
黒瀬は目を細める。
そこは地上ではなかった。
巨大な地下搬入口。
天井は高く、照明は白い。
床には無数の誘導線が走り、壁面には見慣れない紋章が刻まれている。
鋭い翼のような意匠。
その下に、短い文字列。
特務公安庁。
ここが、存在しないはずの機関の施設。
黒瀬は警備員に挟まれ、車を降りた。
足元の床は冷たく硬い。
遠くで機械音が響いていた。
搬入口の先には、何重ものゲートが並んでいる。
顔認証。
虹彩認証。
声紋照合。
歩容解析。
生体反応確認。
黒瀬はそれらを黙って受けた。
最後のゲートの前で、橘が立ち止まる。
「ここから先は、特務公安庁の管理区域です」
「法務省の人間が入れるのか?」
「立会い権限があります」
「面倒な立場だな」
「よく言われます」
ゲートが開いた。
その先は、病院の手術室にも、兵器工場にも似ていた。
白い壁。
透明な隔壁。
天井から伸びる機械アーム。
壁際には黒いケースがいくつも並んでいる。
中央には、金属製の椅子があった。
椅子というより、拘束台に近い。
「ここで、あなたにNOXを装着します」
橘が言った。
黒瀬は中央の椅子を見た。
金属製の拘束台。
天井から伸びる機械アーム。
壁際に並ぶ黒いケース。
「ずいぶん大掛かりだな」
「極刑囚制御機構《NOX》――ノクスは、一度装着すれば正規解除なしでは外せません。装着にも専用設備が必要です」
黒瀬は、黒いケースへ視線を移した。
「それが首輪か?」
「はい」
白衣の技官が二人近づいてきた。
その後ろに、黒い制服の職員が立っている。
特務公安庁の人間だろう。
橘とは目が違った。
監査する者の目ではなく、運用する者の目だった。
職員が端末を確認する。
「黒瀬玲央。死刑囚番号照合完了。ラストデイ移管申請、承認済み。第6部隊隊長登録、仮承認」
隊長。
その言葉に、黒瀬はわずかに目を細めた。
「仮承認とは?」
職員は淡々と答えた。
「NOX装着後、統括官による最終承認をもって正式登録される」
「統括官?」
「第6部隊の管理責任者だ」
黒瀬は短く息を吐いた。
「座ってください」
技官が言った。
黒瀬は橘を見た。
橘は何も言わない。
黒瀬は自分で歩き、拘束台に座った。
背中が金属に触れる。
冷たい。
手首が固定される。
足首が固定される。
胸部にベルトが回される。
逃げるつもりはない。
だが、逃げられない形にされると、体の奥がわずかに冷える。
技官が黒いケースを開けた。
中には、細い輪が収まっていた。
マットブラックの制御環。
幅は指二本分ほど。
光沢はない。
装飾もない。
ただ、そこにあるだけで、人間の自由を奪う道具だと分かった。
「首を動かさないでください」
技官が言った。
黒瀬は黙って前を向いた。
機械アームが動く。
黒い輪が黒瀬の首元へ近づく。
皮膚に触れた瞬間、冷たさが走った。
次の瞬間、うなじ側で小さな音がした。
カチリ。
それだけだった。
だが、その音はやけに大きく聞こえた。
首に重みが生まれる。
息ができないほどではない。
苦しいほどでもない。
ただ、そこにある。
もう外れないものとして。
「生体同期、開始」
技官の声が響く。
「心拍確認」
「呼吸確認」
「体温確認」
「血中酸素確認」
「神経反応確認」
「位置認証、登録」
「違反監視、起動」
首元のNOXに、細い白線が一瞬だけ走った。
すぐに消える。
「NOX、装着完了」
拘束が外された。
黒瀬はゆっくりと立ち上がる。
首に手をやった。
黒い輪は、皮膚に吸い付くようにそこにあった。
「外せるのか?」
「正規解除コードなしでは不可能です」
「破壊は?」
「通常手段では不可能です」
「通常ではない手段なら?」
技官は一度だけ黒瀬を見た。
「首が先に壊れます」
黒瀬は答えなかった。
職員が別のケースを開ける。
中には、腕時計型の端末が入っていた。
「左腕を」
黒瀬は黙って左腕を出した。
端末が手首に巻かれる。
黒い本体に、薄い表示面。
側面には細いスリットがある。
装着された瞬間、画面が起動した。
《戦術端末:WRIST》
《個体認証:黒瀬玲央》
《NOX同期:完了》
《所属:第6部隊》
《役職:隊長》
《残刑日数:37》
三十七。
独房の壁には存在しなかった数字が、今は左腕に表示されている。
見えるようになっただけで、命が軽くなった気がした。
「戦術端末《WRIST》――リストです」
橘が言った。
「任務情報、通信、地図、残刑日数の確認に使います。武装使用や装備解除の申請も、この端末を通して行います」
「判断するのは?」
「NOXです。ただし、承認権限は統括官側にあります」
黒瀬はWRISTの表示を見る。
《武装権限:制限中》
《外出権限:なし》
《通信権限:制限中》
《処分審査:待機》
自由を与えられたわけではない。
独房が、広い施設に変わっただけだ。
その時、装着室の扉が開いた。
空気が変わる。
入ってきたのは、若い女だった。
二十代半ばほど。
黒い制服に、白いラインの入ったコート。
肩口で揃えた髪。
硬い表情。
背筋がまっすぐだった。
人に命令することに慣れている立ち方だった。
橘がわずかに姿勢を正す。
「白羽美月統括官」
女は橘を見る。
「法務省の立会いは、登録完了までと聞いています」
「その通りです」
「では、ここからは私が引き継ぎます」
美月の視線が、黒瀬へ移る。
「黒瀬玲央」
黒瀬は黙って美月を見た。
「私は白羽美月。第6部隊統括官です」
統括官。
つまり、この女が第6部隊を管理する人間。
そして、黒瀬たちのNOXに関わる権限を持つ者。
美月は端末を取り出した。
「あなたは第6部隊の隊長として登録されます」
「死刑囚を隊長にするのか?」
「私の判断ではありません」
美月は即答した。
「私は反対しました」
黒瀬は表情を変えなかった。
「当然だ」
美月の目がわずかに動く。
「あなたは元内閣危機管理局・特殊即応隊隊長。現場判断能力、戦闘能力、指揮経験はあります。ですが、現在は死刑囚です」
「分かっている」
「部下四名を殺害した記録もあります」
その言葉で、装着室の空気が少しだけ沈んだ。
黒瀬は何も言わなかった。
美月は続ける。
「私は、あなたを信用しません」
黒瀬は静かに答えた。
「それでいい」
「反論しないんですか?」
「信用される理由がない」
美月は黒瀬を見たまま、少しだけ黙った。
「では、なぜ参加したんですか?」
黒瀬はすぐには答えなかった。
左腕のWRISTを見る。
残刑日数、三十七。
それから、面会室で見た映像を思い出した。
保育施設。
泣いていた子ども。
窓に貼られた折り紙。
「助けを待っている人間がいる」
黒瀬は言った。
「それだけだ」
美月はすぐには返さなかった。
橘だけが、静かに黒瀬を見ていた。
美月は端末を操作する。
WRISTが反応した。
《統括官認証要求》
《白羽美月》
《第6部隊》
《隊長登録:黒瀬玲央》
《承認待機》
美月の指が、画面の上で止まる。
一秒。
二秒。
迷いがあった。
黒瀬には、それが分かった。
この女は、死刑囚を道具として使うことに慣れていない。
少なくとも、慣れきってはいない。
美月は言った。
「黒瀬玲央」
「何だ?」
「命令違反、逃亡、民間人への危害、隊員への攻撃。いずれかを確認した場合、私は即座に処分申請を行います」
「分かった」
黒瀬の返事は短かった。
美月は承認に触れた。
《承認》
《第6部隊》
《隊長:黒瀬玲央》
《登録完了》
NOXに白い線が一瞬だけ走った。
WRISTの表示が切り替わる。
《隊長権限:限定付与》
《部隊通信:制限解除》
《任務受信:待機》
美月は端末を下ろす。
「これで、あなたは第6部隊の隊長です」
「他のメンバーは?」
「すでに待機しています」
黒瀬は橘を見た。
「橘」
「はい」
「ここから先は、特務公安庁の管轄か?」
「そうです」
「法務省は見ているだけか?」
「見ているだけではありません」
橘は静かに言った。
「記録します」
黒瀬はそれ以上聞かなかった。
美月が背を向ける。
「来てください。作戦室へ案内します」
黒瀬は美月の後について、装着室を出た。
廊下は長かった。
片側の壁は透明な隔壁になっていて、その向こうに訓練区画が見える。
射撃場。
格闘訓練場。
爆発物処理室。
医療区画。
車両整備スペース。
どれも最新設備だった。
ただし、窓はない。
空もない。
ここは基地ではなく、地下に作られた檻だった。
「第6部隊の隊舎は、特務公安庁地下第五区画にあります」
美月が歩きながら説明する。
「隊舎内の移動は認められています。ただし、外出は任務、医療搬送、統括官承認時のみ。無断で区域外へ出た場合、NOXが警告を発します」
「警告の後は?」
「違反内容によります」
「処分もある?」
「あります」
黒瀬は首元のNOXに触れた。
そこにあるだけで、呼吸の仕方まで管理されている気がする。
「俺は現場で何を任される?」
黒瀬が聞いた。
美月は歩きながら答える。
「現場指揮、隊員配置、救助優先順位の判断。状況に応じた作戦変更の提案です」
「提案?」
「最終承認は統括官である私が行います」
「隊長でも、武器は勝手に使えないわけか?」
「はい。通常時、銃器、刃物、特殊装備はロックされています。必要な場合はWRISTから申請してください。私が確認し、承認します」
黒瀬は黙って聞いていた。
必要な情報だった。
美月は続ける。
「あなたが勝手に隊員へ武装使用を命じても、NOXは解除しません」
「分かった」
「分かっていない場合、死人が出ます」
黒瀬は美月を見た。
「だから確認した」
美月は一瞬だけ言葉を止めた。
それから前を向く。
「作戦室です」
扉の前で、美月が止まる。
扉には白い文字でこう表示されていた。
第6部隊
リコード。
記録し直す。
刻み直す。
死刑囚の部隊にしては、ずいぶん綺麗な名前だった。
美月が認証を通す。
扉が開く。
中には四人いた。
一人目は、椅子に座って端末を触っている男だった。
細身。
整った顔。
表情は柔らかいが、目だけはよく動く。
美月が紹介する。
「伊吹透。交渉、心理分析、偽装工作担当」
伊吹は椅子に座ったまま、軽く手を上げた。
「伊吹です。よろしく、隊長さん」
黒瀬は伊吹を見る。
「立たないのか?」
「立った方が印象いい?」
「悪いよりはな」
伊吹は笑って、ようやく立ち上がった。
「じゃあ改めて。伊吹透です。人の顔色を見るのと、嘘を見抜くのが少し得意です」
「嘘をつく方もか?」
「そっちはもっと得意」
「使いどころは間違えるな」
「努力します」
「努力じゃ足りない」
伊吹は肩をすくめた。
「厳しい隊長だ」
美月が次へ視線を移す。
二人目は、作戦卓の端で小型ドローンを調整している女だった。
細い指。
乱れた髪。
目の下に薄い隈。
だが、手元の動きだけは異様に正確だった。
「灰原ナギ。爆発物処理、電子戦、機械工作担当」
灰原は工具を置かずに言った。
「灰原ナギ。爆弾なら見れば分かる。機械なら触れば分かる」
黒瀬は聞いた。
「人間は?」
灰原は少しだけ黙る。
「分からない。だから、あまり話しかけないで」
伊吹が横から笑う。
「ナギちゃん、人見知りなんだよ」
灰原は伊吹を見ずに言った。
「うるさい。分解するよ」
「人間は分解しないでね」
黒瀬は灰原の手元を見た。
分解されたドローンは、すでに別物のように組み替えられていた。
「任務中に必要なことを話せればいい」
灰原は一度だけ黒瀬を見た。
「それなら、たぶん大丈夫」
三人目は、壁際に立つ男だった。
動きがない。
呼吸も浅い。
目だけが鋭い。
そこに人間がいるというより、刃物が立っているようだった。
「真神アキラ。近接戦闘、潜入、制圧担当」
真神は何も言わない。
黒瀬と視線が合う。
相手の距離、姿勢、呼吸を見ている目だった。
黒瀬は言った。
「黒瀬だ」
真神は短く答えた。
「真神」
それだけだった。
黒瀬はそれ以上求めなかった。
四人目は、大柄な男だった。
腕が太い。
首も太い。
顔には古い傷がある。
だが、目つきは荒れていなかった。
「獅堂鉄平。重装備、防護、近接防衛担当」
獅堂は、ゆっくりと顔を上げた。
「獅堂だ」
低い声だった。
黒瀬は短くうなずく。
「黒瀬だ」
獅堂はそれ以上、自己紹介を続けなかった。
ただ、その大きな体を椅子から起こし、黒瀬の方へ静かに向き直った。
作戦室の中にいる全員の首元には、NOXがあった。
伊吹にも。
灰原にも。
真神にも。
獅堂にも。
全員が死刑囚。
だが、全員が同じ目をしているわけではなかった。
諦めた目。
隠した目。
閉ざした目。
何かを守り損ねた目。
黒瀬は、それ以上は見なかった。
美月が中央の卓上端末を起動する。
作戦室の照明が一段落ちた。
空中に立体映像が浮かぶ。
保育施設の見取り図。
周辺道路。
犯人の配置。
人質の推定位置。
爆発物の反応。
室内の空気が変わった。
伊吹の表情から軽さが消える。
灰原の手が止まる。
真神が壁から離れる。
獅堂が静かに立ち上がる。
美月が言う。
「初任務です」
映像に、施設名が表示される。
《ひばりの森こども園》
《人質:園児二十六名/職員六名》
《武装犯:推定八名》
《爆発物反応:三箇所》
《犯行声明の配信開始まで:二十二分》
獅堂の眉が、わずかに動いた。
「園児、二十六人か」
美月が答える。
「はい」
獅堂は少しだけ息を吐いた。
「……分かった」
それだけ言って、背もたれから体を起こした。
黒瀬は映像を見た。
犯行声明。
犯人たちは、ただ立てこもっているだけではない。
世間に見せるつもりだ。
子どもたちを。
恐怖を。
自分たちの正しさを。
二十二分。
判断を待っている時間はない。
だが、焦れば人質が死ぬ。
黒瀬は一歩、作戦卓に近づいた。
「現場の指揮は俺が取る」
誰も反論しなかった。
美月が黒瀬を見る。
「隊長としての初任務です。装備申請は、必要な理由を添えてWRISTから送ってください。私が確認し、承認します」
「承認が遅れれば?」
「必要性が確認できれば、遅らせません」
黒瀬は一度だけ美月を見た。
「なら、それでいい」
黒瀬は立体映像に視線を戻す。
「灰原」
「何?」
「爆発物の位置と種類を最優先で確認しろ。解除できるか、移動できるか、爆発範囲も出してくれ」
「分かった」
「伊吹」
「はいはい」
「犯人の目的を読む。金、思想、見せしめ、私怨。交渉できる相手かどうかも見ろ」
「了解。声と文章が取れれば、癖くらいは拾えるよ」
「真神」
真神が黒瀬を見る。
「突入経路を確認。犯人を殺さず止める方法を優先する」
「殺さずに止める保証はない」
「保証はいらない。可能性を出せ」
真神は一拍置いて、うなずいた。
「分かった」
「獅堂」
「聞いてる」
「避難経路を確保する。園児を動かす時は、あんたが護衛だ」
獅堂は作戦図を見たまま、短くうなずいた。
「分かった」
それから、低く続ける。
「死んでも守りきる」
黒瀬は獅堂を見た。
重い言葉だった。
だが、獅堂の声には迷いがなかった。
「任せる」
黒瀬は最後に、美月を見る。
「統括官」
「何ですか?」
「俺たちは、まだ互いを知らない」
美月はわずかに目を細めた。
「……そうですね」
「だが、現場に出れば時間はない。判断が必要な時は、俺は現場を優先する」
美月の表情が硬くなる。
「命令違反は認めません」
「違反するとは言っていない」
黒瀬は静かに言った。
「助けるために必要な判断をする」
美月は黒瀬を見つめた。
黒瀬も目を逸らさない。
やがて、美月が言った。
「その判断が、任務と人命を守るためのものなら、私は承認します」
「十分だ」
WRISTが震える。
《任務受領》
《作戦区域:ひばりの森こども園》
《任務種別:人質救出/爆発物処理》
《救助優先度:最優先》
《武装権限:統括官承認制》
《第6部隊出動準備》
首元のNOXに、白い光が一瞬だけ走った。
自由の光ではない。
命令の光だった。
それでも、黒瀬は作戦卓に手を置いた。
「第6部隊、初任務だ」
全員が黒瀬を見る。
黒瀬は短く言った。
「人質を全員、生かして帰す」
誰も笑わなかった。
誰も茶化さなかった。
その場にいた死刑囚たちは、それぞれの罪と命を背負ったまま、救助任務へ向けて動き出した。




