第24話 未処理の証言者
東央医療センターから第6部隊が戻って、十八分。
白羽美月は、管制記録の中に三十七秒の空白を見つけた。
障害が起きた時間ではない。
第6部隊の出動先が登録され、東央医療センターの施設情報が車載端末へ送られた直後。その三十七秒間だけ、外部連携へ渡った記録の複製が抜け落ちている。
時刻表示は途切れていなかった。
削除履歴も、通信障害も残っていない。
そこに何もなかったように、前後の記録だけがつながっていた。
美月は同じ時間帯に動いた系統を一つずつ切り分けた。
救急指令。道路管制。病院の受入照会。出動車両への経路送信。
WRISTの判定系統にも、LAST DAYの管理領域にも異常はない。欠けているのは、その中枢から外へ受け渡された後の記録だけだった。
誰かが全てを見ているわけではない。
正規の経路を通った情報だけが、どこかで拾われている。
その違いは小さく見えて、決定的だった。
美月は解析結果を閉じると、隔離解析室へ入る直前の黒瀬たちを呼び止めた。
「通常の管制へ、次の目的地を登録しないで」
黒瀬が振り返る。
「何か出たか」
「東央医療センターへの出動記録に三十七秒の欠落がある。中枢へ侵入された形跡はない。でも、外部へ連携した情報が抜かれた可能性は消せない」
灰原ナギが、美月の端末に表示された時刻を見る。
「目的地を登録した直後か」
「そう。先生が病院の設備へ細工したのも、私たちが着いてからじゃない。先に用意して、必要な情報だけ別の経路から拾っていた可能性が高い」
「こっちの動きを、全部見てるわけじゃない」
「少なくとも、その証拠はない」
美月は断定しなかった。
「だから、次は見せる情報を減らす。車載端末の外部同期は切る。部隊への伝達経路も一つにまとめない。行き先が決まったら、出動直前まで通常記録には載せないで」
橘は数秒だけ考え、頷いた。
「伝達経路の選定は任せます。通常の出動記録は、各部隊が動いた後に反映させてください」
「分かりました」
美月はすでに、通常管制と車載回線を通る情報の切り分けを始めていた。
東央医療センターで何が見られ、どこから漏れたのか。帰還した直後から、管制記録を洗い直していた。
黒瀬は隔離解析室の扉へ手をかけた。
「こっちは解析に入る」
「外側の記録は私が追う」
扉が閉じる。
以後、室内は外部通信から切り離された。
◇
作業台の中央に、黒い記録媒体が置かれていた。
東央医療センター地下二階。
登録された設備が存在しない旧保管区画で、異常な電力消費の発生源となっていた装置。その内部から、灰原が回収したものだった。
手のひらに収まる大きさで、製造番号も規格表示もない。
沙羅が病室に残していた紙片と同じ記号が、表面に四つ刻まれている。
黒瀬、伊吹透、灰原、橘の四人だけが、隔離解析室に入っていた。
獅堂鉄平と真神アキラは医療区画で処置を受けている。美月は外で通信記録の追跡を続けていた。
室内へ入る前に、全員のWRISTは一時的に外されている。
解析装置も外部回線を持たない。
ここで開いた情報が、そのままLAST DAYの中枢や管制へ流れることはなかった。
灰原は記録媒体を直接起動せず、読み取り専用の装置へ固定した。
「実行領域には触れない。まず全領域を複製して、表示用のデータだけ抜く」
「どれくらいかかる」
黒瀬が聞く。
「正常なら二十分。ただし、自動消去以外にも何か仕込まれていたら止める」
「開いた瞬間に、外へ信号が出る可能性は」
「この部屋からは出せない。電波も有線も遮断してる」
灰原は画面から目を離さなかった。
「でも、安全だとは言わない。壊すためだけの命令が入ってたら、複製より先に消える」
伊吹は、作業台の端に並べられた紙片を見た。
沙羅が残したのは、四つの記号と、途切れた数字。人名も、場所も書かれていなかった。
あの病院で先生が狙ったものが、沙羅自身だったのか、この記録媒体だったのか。それさえ、まだ確定していない。
「先生が、わざと残した可能性は」
伊吹の問いに、橘が答える。
「あります。こちらに読ませることまで含めて、計画されているかもしれません」
「なら、出てきた場所も名前も、そのまま信じられない」
「ええ。ただし、罠であることと、記録された人間が実在することは別です」
解析装置の表示が切り替わった。
複製率が百パーセントに達する。
「取れた」
灰原は元の記録媒体を装置から切り離し、遮蔽容器へ戻した。
以後の操作は複製した領域だけで行う。
先頭にあったのは、四件の索引だった。
《WITNESS_INDEX》
《TOTAL:04》
伊吹の喉がわずかに動く。
「証言者」
灰原は最初の領域を開いた。
《WITNESS_01》
《水城沙羅》
《最終確認地点:東央医療センター・特別個室1207》
《状態:処理失敗》
誰も言葉を発しなかった。
東央医療センターで起きたことが、短い四文字へ置き換えられている。
十二階西病棟の遮断。
酸素濃度の上昇。
換気停止。
閉ざされた避難路。
四百人を超える患者と医療従事者を巻き込んだ一連の異常が、沙羅一人を処理するための手段だったとすれば、先生にとって周囲の命は最初から数に入っていない。
黒瀬が画面を見たまま聞く。
「更新時刻は」
「病院の制御を奪われた時刻より前。攻撃が失敗した後に書き換えられた記録じゃない」
灰原が別の領域を示す。
「《処理失敗》は結果じゃなく、予定していた処理が完了しなかった場合に表示する条件分岐だった。病院内の装置が、沙羅の生体監視が途切れなかったことを拾って確定した可能性が高い」
「先生が、ここから沙羅の状態を直接見ていたわけではない?」
伊吹が確認する。
「少なくとも、この媒体は違う。病院側の監視情報を使って、あらかじめ決められた結果を記録しただけ」
先生がLAST DAYの中枢へ入り込み、今も彼らの手首を見ているわけではない。
病院の中に置いた装置と、病院が持つ情報を使った。
だからこそ、侵入経路を潰せば届かなくなる。
だが同時に、それは先生が一つの失敗で止まらないことも意味していた。
灰原が二件目を開く。
《WITNESS_02》
《久我秀明》
《最終確認地点:神奈川県・横浜拘置支所》
《状態:未処理》
橘が目を細めた。
「久我秀明。白百合ファンドの資金管理を担当していた人物です」
伊吹も名前を覚えていた。
表へ出る人間ではなかった。
勧誘担当が集めた金を複数の口座へ分け、架空名義の会社を通して消していた。逮捕後も、資金の最終移動先については黙秘を続けている。
「まだ拘置支所にいるのか」
「この記録だけでは判断できません」
橘は記載された地点を見た。
「移送や接見の情報まで、先生側が把握しているとは限らない。あくまで最終確認地点です」
三件目。
《WITNESS_03》
《藤崎絵里》
《最終確認地点:東京都・児童自立支援施設つばさ寮》
《状態:未処理》
そして四件目。
《WITNESS_04》
《相馬冬樹》
《最終確認地点:長野県・御影療養所》
《状態:未処理》
橘の目が、最後の施設名で止まった。
「御影療養所は、八年前に閉鎖されています」
「今は何がある」
黒瀬が聞く。
「建物は残っています。国有地ですが、現在は常駐管理の対象から外れているはずです」
「相馬がそこにいるとは限らない」
「ええ。この記録が古い可能性も、意図的に誘導している可能性もあります」
灰原が各領域の記録時刻を並べた。
「三人とも、最終確認の時刻が違う」
久我秀明。
《最終確認:七月二十三日 18時42分》
藤崎絵里。
《最終確認:七月二十四日 05時10分》
相馬冬樹。
《最終確認:七月十九日 23時08分》
「一番新しいのは藤崎絵里」
伊吹が言う。
「でも、それが今いる場所とは限らない」
「その通りです」
橘が紙へ三つの時刻を書き写す。
「久我は拘置支所へ確認できます。ただし、通常の照会を使えば、こちらがこの記録を開いたことまで知られるおそれがある」
黒瀬は三人の名前を見比べた。
「第6部隊は、つばさ寮へ向かいたい」
そこで言葉を切り、橘の判断を待った。
橘はすぐに答えず、更新時刻、移動距離、対象者の置かれた状況を一つずつ確認した。
「横浜拘置支所には第2部隊を向かわせます。御影療養所は第4部隊。両隊の責任者にだけ、出動直前に目的地を伝えます」
伊吹が画面を見たまま口を開いた。
「三か所へ部隊を分けること自体が、先生の狙いだったら」
「その可能性はあります」
橘の声に迷いはなかった。
「それでも、名指しされた人間を放置することはできません。全隊共通で、証言や記録の回収より対象者の保護を優先します。現地が罠だった場合は、接触を急がず各隊の判断で離脱してください」
黒瀬が頷く。
「第6部隊も、その方針で動く」
三地点への配置が決まり、黒瀬が受け持つべき現場も定まった。
伊吹は三件目の名前を見ていた。
「藤崎絵里という人に、何がある」
橘の視線が止まる。
「名前に覚えがあります」
「誰です」
「白百合ファンド事件で亡くなった被害者の娘です」
伊吹の呼吸が浅くなった。
「母親の名前は」
「藤崎良子。被害額は二千八百万円。入金後、自宅マンションから転落して死亡しています」
記憶が戻った。
伊吹が直接勧誘した相手ではない。
顔も知らない。
けれど、名前は知っていた。
入金後に何度も返金を求め、担当者会議で《対応終了》に分類された顧客。死亡が分かった後も、社内で問題になったのは警察が動くかどうかだけだった。
「娘がいたのか」
「当時、九歳です」
「今は」
「十七歳」
解析画面には、児童自立支援施設の名前が表示されている。
「どうして、その子が証言者になる」
「母親が記録を残していた可能性があります」
橘が答える。
「白百合ファンドとの通話、振込記録、接触した人間。娘が何らかの形で受け取っていたなら、事件をつなぎ直せる証拠になる」
「だから、先生は十七歳の子まで消すのか」
灰原の問いに、誰もすぐには答えなかった。
画面上の《未処理》という文字が、その答えに見えた。
だが、それも先生側が用意した表記にすぎない。
恐怖を与え、第6部隊を動かすための言葉かもしれない。
だからといって、藤崎絵里の命を賭けて無視することはできなかった。
黒瀬が立ち上がる。
「必要な情報だけ紙へ移す。記録媒体も複製データも、この部屋から出さない」
「位置情報は?」
灰原が聞く。
「車載端末へ直接入れない。地図も紙で持つ」
橘が三枚の指示書を作り、それぞれ別の封筒へ収めた。
電子記録なら消される。
通信に乗せれば拾われるかもしれない。
先生が全てを見ているわけではない。
見える経路へ情報を流した時だけ、先回りされる。
ならば、その経路を使わない。
単純で、不便で、今はそれが最も確実な対抗策だった。
◇
隔離解析室を出ると、伊吹の手首へWRISTが戻された。
装着認証。
残り時間が表示される。
《69:41:26》
端末を外していた時間も、残り時間から正確に引かれていた。
先生が見ていなくても。
事件が起きていても。
伊吹のLAST DAYだけは、誰の事情も待たずに進んでいる。
廊下には、処置を終えた獅堂と真神が待っていた。
獅堂の両腕には新しい固定具が巻かれ、真神の右手は指先まで薄い保護材で覆われている。
黒瀬は二人の状態を見た。
「医療班の判断は」
「条件つきで復帰できる」
真神が答える。
「獅堂は両腕に強い衝撃を受けたら後退。俺は右手での切断作業を禁止された」
「その条件を守れないなら、ここに残れ」
「守る」
獅堂が短く答えた。
普段なら何か言い返していた。
だが、東央医療センターで一度動かなくなった両腕を、本人が最もよく理解している。
橘は別の通路へ向かった。
第2部隊と第4部隊へ出動を伝えるためだった。
黒瀬は第6部隊を率い、車両区画へ向かう。
途中、黒瀬が伊吹の歩調に合わせた。
「現地では、必要になるまで車内にいろ」
伊吹は理由を聞かなかった。
「藤崎絵里が、僕の顔を知っている可能性があるから?」
「顔を知らなくても、名前を知っているかもしれない。白百合ファンドにいた人間が来れば、保護を拒む可能性もある」
「分かってる」
伊吹は足を止めなかった。
「僕が前に出ることで、相手を追い詰めるなら出ない。でも、当時の人間にしか分からないものが出たら呼んでほしい」
「命令には従えるか」
「従う」
「謝りたくなっても、勝手に話すな」
胸の奥を見抜かれたように、伊吹は黙った。
謝罪は、口にした側だけを軽くすることがある。
母親を失った少女の前へ突然現れ、許すか拒むかを選ばせる。それは救助ではない。
今、藤崎絵里に必要なのは、伊吹の後悔を聞くことではなく、生きたまま安全な場所へ移ることだった。
「分かった」
しばらくして、伊吹は答えた。
黒瀬は一度だけ頷く。
「なら来い」
◇
美月は、隔離解析室の扉が閉じてから一度も手を止めていなかった。
黒瀬たちが何を解析しているのか、内容は知らされていない。
その間も、三十七秒の欠落が生じた外部連携を追い、次の出動で使える伝達経路を選別していた。
やがて隔離解析室の扉が開き、橘から三つの目的地が紙で渡された。
第2部隊、第4部隊、第6部隊。
三隊の情報が同じ場所へ集まらないよう、連絡経路を分ける。施設名は端末へ入力せず、必要な照会だけを個別に行った。
その一つに、異常が見つかった。
児童自立支援施設つばさ寮。
十五分前、施設から救急要請が出ている。
搬送対象は十七歳の女性。
夕食後に突然倒れ、呼びかけへの反応が低下。自発呼吸あり。
受け入れ先は、都立青南医療センター。
記録だけなら、不自然ではなかった。
美月は施設へ電話をかけなかった。
相手が施設側の回線を見ているなら、第6部隊が確認を始めたことを教えるだけになる。
代わりに救急指令の送信時刻と、青南医療センターの受入照会を突き合わせた。
受入照会がない。
救急指令上では搬送先が決まっているのに、病院側には患者情報も到着予定時刻も送られていなかった。
さらに、施設側の通報時刻と救急車の出動記録に二分十二秒のずれがある。
本来なら、指令が作成される前に車両が動き始めたことになる。
美月はつばさ寮周辺の道路映像を開いた。
正門前に停車した白い救急車。
赤色灯。
側面の消防本部名。
後部の車両番号。
外見に不自然な点はない。
だが、番号を登録記録へ通した瞬間、別の情報が出た。
同じ番号の救急車は、半年前に廃車となっている。
美月は映像を時間順に追った。
救急車は正門を出てから三つ目の交差点まで赤色灯を使い、一般車両を避けさせている。
その先で赤色灯を消した。
青南医療センターへ向かう幹線道路には入らず、東へ進路を変えている。
固定カメラで確認できたのは、そこまでだった。
現在位置は分からない。
それでも、進める経路は限られる。
工事で一車線が閉鎖されている道路。
車高制限のある高架下。
夕方の渋滞で動かない幹線道路。
救急車の外見を保ったまま目立たず抜けられる道を除外していくと、東へ出る経路は二本まで絞れた。
美月は第6部隊の車両位置と重ねた。
今すぐ出れば、一つ目の分岐を七分で塞げる。
車両区画の監視映像に、第6部隊が入ってきた。
美月は車内回線を開いた。
◇
装甲救命車両の後部扉が開いていた。
灰原は車載端末の外部同期を切り、紙の地図を座席へ広げる。
「つばさ寮まで通常なら四十二分。緊急走行で二十七分。ただ、最後の二キロは住宅地に入る」
「近づく前にサイレンを切る」
黒瀬が乗り込み、全員が続いた。
伊吹は最後列へ座る。
必要になるまで、藤崎絵里の前には出ない。
後部扉が閉まりかけたところで、美月の声が車内へ割り込んだ。
『黒瀬、待って。つばさ寮へは向かわないで』
黒瀬が扉を止める。
「何があった」
『十五分前に、入所者一名が救急搬送されてる。十七歳の女性。名前は藤崎絵里』
伊吹の手が、座席の縁を掴んだ。
「容体は」
『記録では意識障害。自発呼吸はある。でも、その記録自体が偽装されている可能性が高い』
「理由は」
『搬送先は都立青南医療センターになってるのに、病院側へ受入要請が届いてない。通報より前に救急車が動いた記録もある』
車内端末へ、つばさ寮前の映像が転送された。
一台の白い救急車が、赤色灯を回しながら正門を出ていく。
外見だけなら、本物と見分けはつかなかった。
『映像から車両番号を拾って照合した。同じ番号の車両は半年前に廃車になってる』
「現在位置は」
『正確には追えてない。三つ目の交差点を越えたところで赤色灯を消して、固定カメラの少ない道へ入った。ただし、青南医療センターとは逆方向へ進んでる』
美月が二本の経路を車載地図へ送る。
『東へ抜けるなら、このどちらか。今の位置から一つ目の分岐まで七分。そこを先に塞いで』
灰原が外部同期を切った地図上へ、受信した経路だけを固定する。
「二本先の交差点を押さえれば、どちらへ曲がっても確認できる」
黒瀬は前方へ向き直った。
「目的地を変更する。送られた分岐へ向かえ」
装甲救命車両が動き出す。
『黒瀬、相手は救急車の外見を使って信号と渋滞を抜ける。後ろから追うだけでは間に合わない』
「先回りする」
『次の道路映像は私が拾う。進路が変わったらすぐ送る』
美月は救急車の現在位置を見通しているわけではない。
残された通報記録、病院の受入情報、道路映像。その食い違いを一つずつつなぎ、見えない車両の進路を削っている。
それがなければ、第6部隊は誰もいないつばさ寮へ向かっていた。
車両が加速する。
伊吹のWRISTに残り時間が浮かんだ。
《69:38:02》
東央医療センターで守ったはずの時間は、別の場所ですでに奪われ始めていた。
未処理の証言者、藤崎絵里。
白百合ファンド事件のあとに残された、十七歳の少女。
先生が記録媒体を開かれる前から動いていたのか。
それとも、どこかで第6部隊の帰還を知ったのか。
今はまだ分からない。
分かっているのは、一つだけだった。
藤崎絵里を乗せた救急車は、病院へ向かっていない。
第6部隊は、夕暮れの都心へ飛び出した。
人を救うための姿をした車両から、一人の証言者を取り戻すために。




