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第21話 七十二時間

《71:59:58》


数字が一秒減る。


作戦室の空気は、警報音よりも重かった。


首都圏の立体地図。


駅。


病院。


学校。


行政施設。


避難所。


四十八の赤い点が、地図上で明滅している。


どれが本当の標的なのか。


そもそも、本当に攻撃が行われるのか。


現時点では何も分からない。


分かっているのは一つだけ。


正体不明の人物が、伊吹透(いぶきとおる)を名指しした。


『今度は、もっと多くの人間を動かしてもらう』


伊吹は消えた動画画面を見つめたまま、動かなかった。


黒瀬玲央(くろせれお)が言う。


「知ってることを全部話せ」


「分かった」


伊吹の返事に、いつもの軽さはなかった。


白羽美月が作戦卓を操作する。


「記録を開始します」


《緊急事情聴取》

《対象:伊吹透》

《関連事件:白百合ファンド事件》

《関連人物:通称《先生》》

《記録先:特務公安庁中央管制/法務省監査室》

《統括官:白羽美月》

《隊長:黒瀬玲央》


伊吹が表示を見る。


「僕、容疑者扱い?」


美月は即答する。


「重要参考関係者です」


「同じようなものだね」


「違います」


「今はどっちでもいい」


伊吹は中央の椅子へ座った。


自分から座る。


逃げ道を探すような目はしていなかった。


だが、両手は固く組まれている。


灰原(はいばら)ナギが、受信動画を隔離端末へ移す。


「通信経路、追ってる」


美月が聞く。


「発信元を特定できますか」


「今は無理」


「理由は」


「正式な外部通報回線を何百件も経由してる。通報者保護用の匿名化経路まで使われてる」


獅堂鉄平が顔をしかめる。


「人を守る仕組みを、脅迫に使ってやがるのか」


灰原は頷く。


「追跡を始めると、無関係な通報記録まで開くことになる」


美月の表情が硬くなる。


「令状と上位承認が必要です」


黒瀬が言う。


「七十二時間しかない」


「分かっています」


美月は端末を操作する。


《緊急情報開示申請》

《対象:外部通報匿名化経路》

《理由:複数施設同時攻撃予告》

《申請者:白羽美月》

《審査:中央管制/法務省監査室》


伊吹が小さく言う。


「先生は、それも分かってる」


黒瀬が伊吹を見る。


「何がだ」


「すぐ追えないこと」


伊吹は地図の赤い点を見る。


「この国の手続きが遅いことも、個人情報を開くのに承認がいることも、全部知ってる」


美月の目が細くなる。


「内部事情に詳しい人物だと?」


「少なくとも、素人じゃない」


黒瀬は伊吹の正面に立つ。


「先生について話せ」


伊吹は一度、目を閉じた。


そして、口を開いた。


「最初に声を聞いたのは、四年前」


作戦卓に時系列が表示される。


《四年前》

《伊吹透:白百合ファンド関連組織へ加入》


「加入した時から、先生はいたのか」


「ううん」


伊吹は首を横に振る。


「最初は普通の詐欺グループだった」


「普通?」


獅堂が低く言う。


伊吹は獅堂を見る。


「言い方が悪かった」


「全部悪いだろ」


「そうだね」


伊吹は言い返さなかった。


「最初は、高齢者に架空の投資商品を売る組織だった。電話をかける人間。訪問する人間。契約を作る人間。口座を管理する人間。役割が分かれてた」


美月が尋ねる。


「あなたの役割は」


「最初は電話」


伊吹は答える。


「相手の話を聞いて、資産状況と家族関係を確認する」


「詐欺の対象を選別していた」


「はい」


伊吹は敬語で答えた。


その声に、自分を守る響きはない。


「その後、訪問役になった」


黒瀬が聞く。


「理由は」


「成績が良かったから」


伊吹は乾いた声で答える。


「相手が何を怖がってるか、すぐ分かった」


「それを使った」


「うん」


伊吹の目が少しだけ落ちる。


「使った」


美月は記録を続ける。


「先生が現れたのは」


「加入から半年くらい後」


伊吹の視線が遠くなる。


「組織のやり方が変わった」


灰原が端末を操作する。


「どう変わった?」


「対象の選び方」


「資産がある人間を選ぶんじゃなくなった?」


伊吹は灰原を見る。


「そう」


「誰を選んだ」


黒瀬が尋ねる。


伊吹は一人ずつ挙げた。


「家族に相談できない人」


「病気を抱えてる人」


「介護してる人」


「子どもに迷惑をかけたくない人」


「借金を隠してる人」


「過去に詐欺被害に遭って、取り返したいと思ってる人」


作戦室が静まる。


「金を持っている人じゃない」


伊吹は言った。


「孤立している人を選ぶようになった」


美月の指が止まる。


「なぜですか」


「動かしやすいから」


伊吹は答えた。


「家族に確認されない。誰にも相談しない。止める人間がいない」


獅堂が拳を握る。


「クソ野郎が」


伊吹は頷く。


「うん」


「お前もだ」


「うん」


伊吹は否定しなかった。


獅堂はそれ以上言わなかった。


伊吹は続ける。


「先生は、対象者ごとの資料を送ってきた」


灰原が聞く。


「どこから情報を取ってた?」


「分からない」


「医療情報は」


「入ってた」


美月の顔が変わる。


「具体的には」


「通院先。病名。薬。治療費。介護認定。家族構成。預金額。過去の相談履歴」


「それは、通常の詐欺組織が入手できる範囲ではありません」


「だから誰も聞かなかった」


伊吹は苦く笑う。


「情報があれば、騙しやすかったから」


黒瀬が言う。


「聞かなかったんじゃない。知ろうとしなかった」


伊吹は黒瀬を見る。


「そうだね」


言い訳をしなかった。


美月は作戦卓へ、新しい項目を追加する。


《先生による不正取得情報》

《医療情報》

《介護情報》

《資産情報》

《行政相談履歴》

《家族構成》

《通信履歴の可能性》


真神が静かに言う。


「役所の情報?」


美月は答える。


「一つの機関から取得できる情報ではありません」


灰原が言う。


「複数のシステムに入れる人か、複数の協力者がいる」


黒瀬は伊吹を見る。


「先生は一人か」


伊吹の表情が止まった。


「何?」


「声の主が一人とは限らない」


伊吹は黙る。


その可能性を、初めて考えた顔だった。


灰原が押収音声の波形を表示する。


「加工が強い。発声の癖は拾えるけど、同じ加工設定を使えば複数人でも一人に見せられる」


美月が尋ねる。


「先生という呼称自体が、個人ではなく組織を示している可能性は?」


伊吹はゆっくり頷いた。


「ある」


黒瀬が聞く。


「会ったことは」


「ない」


「一度も?」


「一度も」


「他の実行役は」


「たぶん、誰も会ってない」


伊吹は思い出すように言う。


「指示は全部音声か文章。指定場所に資料が置かれることもあった。金の受け渡しは別の管理役」


「先生に逆らった人間は」


伊吹は黙った。


美月が聞き直す。


「どうなりましたか」


「消えた」


短い答えだった。


獅堂が顔を上げる。


「殺されたのか」


「分からない」


「分からないで済ませるな」


「本当に分からない」


伊吹の声が少し強くなる。


「急に連絡が取れなくなる。組織内で名前を出すなと言われる。それだけ」


黒瀬が聞く。


「何人だ」


伊吹は指を折ることもせずに答えた。


「僕が知ってるだけで、七人」


「名前は」


「覚えてる」


「全部出せ」


「分かった」


伊吹は一人ずつ名前を挙げた。


作戦卓に記録されていく。


《失踪関係者:七名》

《白百合ファンド関連》

《所在:不明》

《死亡確認:なし》


灰原が検索をかける。


数秒後。


「二人は死亡扱い」


伊吹の顔が固まる。


「誰」


灰原が名前を表示する。


伊吹は画面を見た。


「事故?」


「一人は転落死。一人は焼死」


「時期は」


「組織から消えた後、三か月以内」


伊吹は何も言わなかった。


黒瀬が低く言う。


「偶然じゃないな」


美月が中央管制へ照会を送る。


《白百合ファンド関連失踪者再調査申請》

《過去死亡事案との関連照合》


伊吹は自分の手を見る。


「僕が話してたら」


誰もすぐには答えなかった。


伊吹は続ける。


「裁判で全部話してたら、助かった人がいたのかな」


黒瀬が言う。


「分からない」


伊吹の顔が歪む。


「そこは慰めてくれないんだ」


「事実がない」


「そうだね」


黒瀬は続けた。


「だが、今話せば、これから助かる人間はいるかもしれない」


伊吹は黒瀬を見る。


黒瀬の表情は変わらない。


優しくはない。


責めてもいない。


ただ、今できることだけを見ている。


伊吹は小さく頷いた。


「続ける」


美月が尋ねる。


「白百合ファンドの裏帳簿について説明してください」


伊吹は一度、息を整えた。


「表の帳簿は、被害者から集めた金と配当偽装の記録」


「裏は」


「誰が、どの被害者を担当したか」


「それだけですか」


「違う」


伊吹は首を横に振る。


「対象者が、どの言葉で動いたか」


作戦室の全員が黙る。


灰原が聞く。


「言葉?」


「記録されてた」


伊吹は答える。


「家族」


「病気」


「孤独」


「罪悪感」


「希望」


「恐怖」


「何を言えば、相手が動くか」


美月の目が鋭くなる。


「心理反応の記録ですか」


「そう」


「被害者一万二千人分?」


「全員じゃない」


伊吹は考える。


「でも、数千人分はあった」


灰原が呟く。


「学習データ」


伊吹が灰原を見る。


「何?」


「人を動かすためのデータ」


灰原は作戦卓へ複数の項目を出す。


「年齢、家族構成、病気、資産、話した言葉、反応、送金したかどうか」


黒瀬が理解する。


「詐欺の記録じゃない」


灰原は頷く。


「行動予測の記録」


美月が言う。


「先生は、金だけではなく、被害者の心理反応を集めていた」


伊吹の顔から血の気が引く。


「実験してた?」


灰原は答えない。


答えなくても、意味は同じだった。


白百合ファンド。


被害者一万二千人。


四百七十億円。


それは資金集めだった。


同時に、人間がどの言葉で動くかを試す巨大な実験だった。


獅堂が低く言う。


「人を実験台にしたのか」


伊吹は目を伏せる。


「僕らがした」


獅堂は伊吹を見る。


だが、何も言わなかった。


真神が尋ねる。


「裏帳簿はどこにある」


伊吹は答える。


「三つに分けられてた」


美月がすぐに記録する。


「保管場所は」


「一つ目は、警察が押収したサーバー」


「裁判証拠に含まれたものですか」


「中身は抜かれてたと思う」


「二つ目は」


「国外口座と一緒に管理されてた」


「三つ目は」


伊吹が黙る。


黒瀬が見る。


「伊吹」


「僕が持ってた」


空気が変わる。


美月が一歩前へ出た。


「現在も保有しているのですか」


「違う」


伊吹はすぐに答えた。


「逮捕される前に隠した」


「どこへ」


「分からない」


獅堂が低く言う。


「ふざけんな」


「ふざけてない」


「自分で隠して、分からねえのか」


伊吹は額を押さえる。


「場所を知らないようにした」


黒瀬が聞く。


「どうやって」


「複数の配送業者を使った」


伊吹は説明する。


「データを小型記憶媒体に入れて、荷物に隠した。別の荷物と何度も入れ替えた。最後は、受取人を指定せずに保管期限切れで転送されるようにした」


灰原が顔を上げる。


「追跡番号は」


「暗記した」


「覚えてる?」


伊吹は少しだけ苦く笑った。


「全員覚えてるって言ったでしょ」


「荷物も?」


「大事なものはね」


美月が言う。


「番号を」


伊吹は十六桁の数字と英字を口にした。


灰原が即座に検索する。


「古い。通常の照会では出ない」


「配送会社の保管記録は」


美月が尋ねる。


「中央照会が必要」


美月は申請を送る。


《緊急物流記録照会》

《対象期間:二年前》

《理由:複数施設同時攻撃予告関連》

《追跡識別番号:入力済》


伊吹が言う。


「たぶん、もうそこにはない」


黒瀬が聞く。


「なぜだ」


「先生が僕を見てるなら」


伊吹は地図上の四十八地点を見る。


「裏帳簿を探してる可能性もある」


灰原が聞く。


「先生は場所を知らない?」


「知らないと思う」


「なぜ隠した」


伊吹はすぐには答えなかった。


「保険」


「自分の?」


「うん」


伊吹は認める。


「組織に殺されそうになった時、交渉材料にするつもりだった」


獅堂が吐き捨てる。


「最後まで詐欺師だな」


伊吹は頷く。


「そうだね」


黒瀬が言う。


「なら、先生はお前を殺せない」


「帳簿の場所を知らない間はね」


「今回の脅迫は、それを聞き出すためか」


伊吹は考える。


「可能性はある」


「四十八地点は偽物?」


美月が尋ねる。


「それは分からない」


伊吹は首を振る。


「先生は、人を試すためなら本当に殺す」


作戦室の空気が再び重くなる。


カウントは進んでいる。


《71:31:42》


灰原が赤い地点を拡大する。


「四十八地点、共通点を探す」


美月が言う。


「中央管制へ全地点の警戒強化を申請します」


黒瀬が止める。


「一斉に動かすな」


美月が見る。


「理由を」


「相手は人を動かすのが目的だ」


黒瀬は地図を見る。


「四十八地点すべてに警察や消防を出せば、それだけで首都圏の対応力が削られる」


灰原が頷く。


「偽情報で分散させる可能性」


伊吹が言う。


「先生ならやる」


美月は考える。


「では、秘密裏に確認します」


「どうやって」


獅堂が聞く。


黒瀬は灰原を見る。


「公開情報から異常を拾えるか」


「監視カメラ、設備異常、通報件数、通信量、電力使用」


灰原は答える。


「正式アクセス権があれば」


美月が申請項目を開く。


「四十八地点すべてでは権限が広すぎます」


黒瀬が言う。


「絞れ」


灰原は地図を回転させる。


「共通点を探す」


駅。


病院。


学校。


行政施設。


避難所。


用途は違う。


場所も離れている。


真神が地図を見て言った。


「全部、人が集まる場所」


獅堂が答える。


「それだけなら他にもある」


伊吹は赤い点を見つめる。


先生の言葉。


一人を救えば、別の誰かが死ぬ。


全員を救おうとすれば、もっと多く死ぬ。


救う相手を選んでもらう。


伊吹は尋ねた。


「その四十八か所、過去に何か共通する事件は?」


美月が検索をかける。


「範囲が広すぎます」


「白百合ファンド」


伊吹が言った。


「被害者との関係」


灰原がすぐに照合する。


被害者住所。


勤務先。


通院先。


家族の学校。


相談施設。


数秒。


地図の赤い点のうち、三十七地点が白く縁取られた。


《白百合ファンド被害者関連:三十七地点》


全員の表情が変わる。


美月が言う。


「残り十一地点は」


灰原が照合範囲を広げる。


「被害者本人じゃない。遺族、支援者、担当警察官、裁判関係者」


次々に線がつながる。


《四十八地点すべて:白百合ファンド事件との関連を確認》


伊吹は息を止めた。


無関係な場所ではない。


先生が選んだ場所だ。


事件の被害者。


遺族。


支援者。


捜査した者。


裁いた者。


白百合ファンドに触れた人間がいる場所。


黒瀬が言う。


「攻撃予告じゃない」


美月が見る。


「では何ですか」


黒瀬は地図上に広がる線を見る。


「口封じ候補だ」


伊吹の顔から色が消える。


灰原が新しい照合を始める。


「四十八地点にいる関係者、抽出する」


名前が並ぶ。


被害者。


遺族。


弁護士。


元捜査員。


医師。


支援団体職員。


裁判所書記官。


その中に、一人の名前があった。


伊吹が画面を見て固まる。


黒瀬が気づく。


「知ってる名前か」


伊吹は答えない。


表示された人物。


水城沙羅(みずきさら)

《元白百合ファンド実行グループ》

《内部告発協力者》

《現在地:東央医療センター》

《入院中》


美月が言う。


「裁判記録では、身元保護対象になっています」


伊吹の声が掠れる。


「生きてたのか」


「知り合いですか」


伊吹は画面から目を離さない。


「僕を組織に入れた人」


黒瀬の表情が変わる。


「先生について知ってるか」


「僕より知ってる」


その瞬間。


灰原の端末に警告が出た。


《東央医療センター》

《設備異常を検知》

《非常用電源:遠隔切替》

《監視カメラ:一部停止》

《通信障害:発生》


灰原が叫ぶ。


「一か所動いた!」


美月が作戦卓を切り替える。


東央医療センター。


地上十四階。


入院患者四百人以上。


集中治療室。


手術室。


非常用電源。


伊吹が立ち上がる。


「沙羅が狙われてる」


黒瀬は美月を見る。


「出るぞ」


美月は即座に任務申請を開く。


《緊急任務申請》

《作戦区域:東央医療センター》

《事案:設備障害/通信遮断/攻撃予告関連》

《救助優先度:最優先》

《参考関係者:水城沙羅》

《第6部隊リコード出動申請》


中央管制の承認表示が点滅する。


《審査中》


獅堂が言う。


「待ってる暇あるのか」


美月は画面を睨む。


「緊急簡易承認を申請します」


《統括官緊急権限使用》

《任務前基本装備:承認》

《防弾防刃装備》

《救助装備》

《防煙マスク》

《低出力スタンバトン》

《小型偵察ドローン》

《灰原ナギ:設備侵入端末/限定承認》


黒瀬が隊員を見る。


「獅堂、病院内の避難路確保」


「任せろ」


「真神、沙羅の病室を先行確認。敵性人物がいても殺すな」


「了解」


「灰原、電源と通信を戻せ。生命維持設備を最優先」


「分かった」


黒瀬は最後に伊吹を見る。


「お前は水城沙羅について全部話せ」


伊吹は頷く。


「現場へ行きながら話す」


「今回は最初からだ」


伊吹は一瞬だけ黙った。


そして答えた。


「うん」


軽い返事ではなかった。


美月が正式に命令する。


「第6部隊リコード、出動してください」


《緊急任務受領》

《作戦区域:東央医療センター》

《救助対象:入院患者/医療従事者》

《重要参考関係者:水城沙羅》

《攻撃主体:不明》

《第6部隊リコード出動》


作戦室の扉が開く。


全員が走り出す。


地図上では、東央医療センターの赤い点が強く明滅している。


四十八地点のうち、一つ。


残り四十七。


七十二時間のカウントは、止まらない。


《71:28:03》


伊吹は走りながら、WRISTに表示された水城沙羅の名前を見た。


自分を詐欺組織へ連れていった女。


自分より先に逃げようとした女。


内部告発をした女。


死んだと思っていた女。


そして、先生の正体に最も近いかもしれない人間。


伊吹は小さく呟いた。


「今度は、隠さない」


黒瀬が前を走ったまま答える。


「聞こえてる」


伊吹は少しだけ息を吐く。


「独り言だよ」


「なら、返事はいらなかったか」


伊吹は一瞬だけ目を見開いた。


灰原が前を走りながら言う。


「それ、獅堂の真似?」


獅堂が振り返る。


「走りながら喋るな!」


伊吹の口元に、ほんの少しだけ笑みが戻る。


だが、その目は笑っていなかった。


東央医療センター。


四百人を超える患者。


停止し始めた設備。


消えた監視映像。


そこに、水城沙羅がいる。


先生は、最初の一手を動かした。


第6部隊リコードは、七十二時間の最初の現場へ向かった。

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