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第20話 消えた口座

翌朝。


隊舎の食堂には、いつもの薄い味噌汁の匂いが漂っていた。


伊吹透(いぶきとおる)は椀を持ち上げ、一口飲む。


少しだけ考えてから言った。


「今日も安心の薄さだね」


向かいに座る灰原(はいばら)ナギが、味噌汁を見た。


「昨日と同じ」


「うん」


「なら、安心」


「そういう意味じゃないんだけどな」


伊吹の声には、いつもの軽さが戻っていた。


完全ではない。


少し遅い。


言葉を口にする前に、一瞬だけ考えている。


以前の伊吹なら、沈黙が生まれる前に何かを言った。


誰かが不安になる前に笑わせる。


誰かが質問する前に、答えを作る。


今は違った。


一度考え、それから口を開く。


獅堂鉄平(しどうてっぺい)はパンをちぎりながら、その様子を横目で見ていた。


伊吹が気づく。


「何?」


「別に」


「朝から見つめられると照れるね」


「見てねえ」


「見てたよ」


「気のせいだ」


伊吹は少しだけ笑った。


獅堂はパンを口へ放り込む。


「昨日よりは、ましな顔してると思っただけだ」


伊吹の笑みが止まる。


獅堂は味噌汁を飲み、顔をしかめた。


「やっぱり薄いな」


伊吹は小さく息を吐く。


「そこは同意する」


隣では、真神(まがみ)アキラが黙って朝食を取っている。


灰原は端末を見ながらパンを食べていた。


伊吹が尋ねる。


「朝から何見てるの?」


「昨日の施設ログ」


「仕事熱心だね」


「違う」


灰原は画面を指で送る。


「気になる」


「何が?」


「着火装置」


その言葉で、食卓の空気が少しだけ変わった。


伊吹の手が止まる。


獅堂も灰原を見る。


灰原は気にせず続けた。


「構造が変だった」


真神が顔を上げる。


「変?」


「簡単すぎるのに、失敗しにくい」


伊吹は首を傾げる。


「それは良いことじゃないの?」


「作る側には」


灰原は端末に着火装置の構造図を表示する。


小型電池。


手元スイッチ。


加熱線。


灯油へ接続された簡易発火部。


「部品は普通。作りも雑。でも、初めて作った人間の配置じゃない」


獅堂が言う。


「蓮司が作ったんじゃねえのか」


「本人の端末履歴では、爆発物や発火装置を調べた形跡はなかった」


「消したんじゃない?」


伊吹が尋ねる。


灰原は首を横に振った。


「消去痕もない。匿名回線も使ってない」


「じゃあ、誰かにもらった?」


「たぶん」


真神が短く言う。


「共犯者は?」


「作ってない」


灰原は表示を切り替える。


「警察の速報。二人とも、装置の製作者については黙ってる」


伊吹は少しだけ眉を寄せた。


「黙ってるのか、知らないのか」


「分からない」


灰原は着火装置の回路図を拡大する。


「でも、この端子」


黒い画面に小さな接続部が表示される。


「外部信号を受けられる」


伊吹の表情が変わる。


「蓮司くんのスイッチ以外でも、火がついた?」


「配線を追加すれば」


「昨日は?」


「つながってなかった」


灰原は言う。


「でも、最初から増設できるように作られてた」


獅堂が低く言った。


「誰かが、あいつらに渡したってことか」


灰原は頷く。


「可能性が高い」


その時、食堂の扉が開いた。


白羽美月が入ってくる。


普段と同じ黒い制服。


手には端末。


表情はいつも以上に硬かった。


「全員、食事を終えたら作戦室へ来てください」


伊吹が味噌汁の椀を持ったまま尋ねる。


「今日も面談?」


「違います」


美月の視線が灰原の端末へ向く。


「灰原ナギ。着火装置の解析をしていましたか」


「うん」


「何か見つけましたか」


灰原は一度、美月を見る。


「外部信号用の端子」


美月は驚かなかった。


それを見て、黒瀬玲央が食堂の入口で足を止める。


「中央も気づいたか」


美月は黒瀬を見る。


「はい」


黒瀬は食堂へ入る。


「何が出た」


美月は端末を閉じた。


「作戦室で説明します」


伊吹が椀を置く。


「嫌な言い方だね」


美月は答えなかった。


作戦室。


中央の立体作戦卓に、白百合ファンド事件の資料が表示された。


《広域投資詐欺・連続致死事件》

《通称:白百合ファンド事件》

《被害者数:一万二千人以上》

《被害総額:推定四百七十億円》

《資金流出先:反社会組織/国外不明口座》

《捜査状況:継続中》


伊吹は表示を見上げた。


二年前。


裁判。


被害者。


送金。


逃げた金。


すべて知っている情報だった。


だが、美月が次の画面を開くと、伊吹の表情が変わった。


《国外不明口座群》

《追跡不能資金:約百三十二億円》

《一部資金:国内へ再流入》

《再流入確認時期:三か月前》

《使用先:複数》


黒瀬が尋ねる。


「何に使われた」


美月が項目を開く。


《通信機器》

《無登録車両》

《工業用薬品》

《小型無人機部品》

《施設図面》

《偽造身分証》

《簡易発火装置部品》


灰原が目を細める。


「昨日の装置」


「部品の一部が一致しました」


美月は答えた。


伊吹は画面を見たまま言う。


「白百合ファンドの金で、あの装置を作った?」


「現時点では断定できません」


「でも、同じ口座から金が出てる」


「はい」


獅堂が作戦卓へ近づく。


「被害者から奪った金で、被害者の家族に武器を渡したってことか」


美月は答えない。


否定できないのだ。


黒瀬が聞く。


「蓮司との接点は」


「匿名の被害者支援掲示板です」


画面が切り替わる。


《民間被害者支援フォーラム》

《登録者数:三千八百十二名》

《匿名利用者:多数》

《管理者:不明》

《サーバー所在地:国外》

《関連投稿:復讐/自力救済/制裁》


伊吹が眉を寄せた。


「こんなもの、前からあった?」


「事件直後から複数存在しています」


美月は答える。


「しかし、この掲示板は三か月前に開設されています」


「金が戻ってきた時期と同じ」


灰原が言う。


「一致します」


美月が一つの投稿を拡大した。


《投稿者:ORCHID》


奪われたものは、法では戻らない。

加害者は守られ、被害者だけが耐える。

正義が動かないなら、自分たちで動かすしかない。

必要なものは用意する。

必要なのは、覚悟だけだ。


獅堂が顔をしかめる。


「胸くそ悪いな」


真神が言う。


「蓮司は、これを見た?」


「複数回接触した記録があります」


「返信は」


「暗号化されており、現在解析中です」


灰原が作戦卓の表示へ近づく。


「端末を見せて」


美月は一瞬迷った。


「任務対象外の外部掲示板です。限定的な解析権限を申請します」


灰原のWRISTに表示が出る。


《設備外部接続申請》

《対象:被害者支援フォーラム保存データ》

《目的:通信構造解析》

《アクセス範囲:提供データ内に限定》


美月が承認する。


《限定承認》


灰原は端末を接続した。


立体作戦卓の一部に通信経路が表示される。


複数の国外サーバー。


匿名化回線。


使い捨ての中継点。


灰原の指が止まる。


「作りが変」


伊吹が言う。


「今日は変なものが多いね」


「そうじゃない」


灰原は一つの通信経路を拡大する。


「隠してるように見せて、少しだけ追えるようにしてる」


黒瀬の目が鋭くなる。


「誘導か」


「たぶん」


「誰かに見つけさせたい?」


美月が尋ねる。


灰原は頷く。


「全部は見せない。でも、存在は気づかせる」


伊吹は投稿者名を見る。


ORCHID。


英語で、蘭。


「趣味が悪いね」


黒瀬が伊吹を見る。


「知ってる名前か」


「知らない」


伊吹は答えた。


すぐに。


黒瀬はその顔を見る。


伊吹が気づく。


「今のは本当」


「聞いてない」


「顔が聞いてた」


黒瀬は作戦卓へ視線を戻した。


美月が次の資料を表示する。


《蓮司端末・削除済み通信復元》

《相手:ORCHID》

《通信回数:十一回》

《添付ファイル:一件》

《添付内容:民間金融相談センター内部図面》

《送信者メッセージ:未復元》


黒瀬が言う。


「施設図面まで渡してる」


「はい」


「犯行を起こさせたのは、そいつか」


「少なくとも支援しています」


伊吹は腕を組む。


「蓮司くんに、僕がリコードに入ったことを教えたのも?」


美月が一拍置く。


「可能性があります」


作戦室が静かになる。


LAST DAY制度は非公開。


一般の報道では、リコードは警察特殊救助班として処理されている。


伊吹が第6部隊に所属していること。


任務に出られること。


交渉支援を担当していること。


それを知る人間は限られる。


伊吹が言った。


「内部から漏れてる?」


「まだ断定できません」


美月の声は硬い。


黒瀬が言う。


「断定できないだけで、可能性はある」


「はい」


獅堂が腕を組み直す。


「特務公安庁の中に、犯人を作ってる奴がいるってことか」


美月は否定しない。


代わりに、別の可能性を示した。


「警察、検察、法務省、裁判関係者。伊吹透の移送記録や任務投入情報へ接触できる人間は、特務公安庁以外にも存在します」


伊吹が笑う。


軽い笑いではなかった。


「候補が多くて安心したよ」


美月は伊吹を見る。


「安心できる状況ではありません」


「皮肉だよ」


「分かっています」


「成長したね、美月ちゃん」


美月の眉がわずかに動く。


「統括官です」


その返しに、伊吹の口元が少しだけ上がる。


だが、その笑みはすぐに消えた。


画面に新しい通知が浮かんだからだ。


《警察取調速報》

《主犯:三枝蓮司》

《供述更新》

《支援者について一部供述》


美月が通知を開く。


音声記録が再生された。


蓮司の掠れた声。


『名前は知らない』


取調官の声が続く。


『ORCHIDと名乗った人物ですか』


『そうだ』


『実際に会いましたか』


『一度だけ』


伊吹の表情が変わる。


取調官が尋ねる。


『どこで』


『被害者の集会だ』


『顔は』


『分からない。マスクをしていた』


『性別は』


蓮司が沈黙する。


やがて答えた。


『男だと思ってた』


取調官が聞く。


『違うのですか』


『分からない』


蓮司の呼吸音。


『声が、変だった』


伊吹の眉が寄る。


『機械で変えてた』


『何を話しましたか』


蓮司はしばらく黙った。


そして言った。


『伊吹透を、お前の前に連れてこられるって』


作戦室の空気が凍る。


『あいつは死刑囚になった。でも、まだ使われてる』


『誰に』


『国に』


『それを聞いて、どう思いましたか』


蓮司の声が低くなる。


『許せなかった』


『だから立てこもりを?』


『違う』


蓮司は言った。


『あいつが言ったんだ』


『何と』


短い沈黙。


『伊吹透に、本当のことを言わせろって』


音声が切れた。


誰もすぐには喋らなかった。


伊吹は作戦卓を見つめている。


黒瀬が聞く。


「伊吹」


「うん」


「心当たりは」


「ない」


今度も即答だった。


だが、その後に続いた言葉は遅かった。


「僕に本当のことを言わせたい人間なら、たくさんいる」


「具体的には」


伊吹は少しだけ目を伏せる。


「被害者」


「他には」


「警察」


「他には」


「検察」


黒瀬は黙って待つ。


伊吹は息を吐いた。


「組織の人間」


美月が尋ねる。


「白百合ファンド事件の実行組織ですか」


「うん」


「あなたの知る限り、組織は壊滅したのでは?」


「捕まった人間はね」


伊吹は作戦卓の口座情報を見る。


「金は消えた」


「百三十二億円」


美月が言う。


「それだけじゃない」


伊吹は首を横に振った。


「白百合ファンドには、表の帳簿と裏の帳簿があった」


美月の目が鋭くなる。


「裁判記録に、その情報はありません」


「言ってないから」


獅堂が伊吹を見る。


「何で黙ってた」


伊吹は少しだけ笑った。


「聞かれなかった」


黒瀬の声が低くなる。


「伊吹」


笑みが消える。


伊吹は作戦卓を見たまま答えた。


「言えば、殺されると思った」


作戦室が静まり返る。


灰原の指が止まる。


真神が伊吹を見る。


美月が尋ねる。


「誰に」


「分からない」


「組織の幹部ですか」


「名前を知らない」


「顔は」


「見たことがない」


黒瀬が言う。


「声は?」


伊吹は一瞬黙った。


蓮司の供述。


声が変だった。


機械で変えていた。


伊吹はゆっくり答える。


「聞いたことはある」


美月が作戦卓を操作する。


「説明してください」


伊吹は椅子へ座った。


初めて、自分から座った。


いつもの余裕はない。


「僕らの上に、管理役がいた」


「名前は」


「誰も知らない」


「呼称は」


伊吹は答えた。


「先生」


獅堂が顔をしかめる。


「ふざけた名前だな」


「僕らが勝手にそう呼んでた」


伊吹は続ける。


「電話だけ。指示だけ。声は加工されてた」


灰原が尋ねる。


「音声データは?」


「裁判の証拠に少し残ってるはず」


美月が検索する。


数秒後、画面に表示が出た。


《白百合ファンド事件・押収音声》

《発信者:不明》

《音声加工:あり》

《通称:先生》

《捜査上の身元特定:失敗》


美月が伊吹を見る。


「なぜ、この人物について供述しなかったのですか」


伊吹は答えない。


黒瀬が言う。


「さっき言っただろ。殺されると思った」


美月は黒瀬を見る。


「供述すれば捜査機関の保護対象になった可能性があります」


伊吹が小さく笑う。


「保護?」


美月の表情が硬くなる。


伊吹は続ける。


「僕は死刑判決を受けた。組織の中核実行者。被害者一万二千人。誰が守るの?」


「捜査上必要であれば」


「必要じゃなかった」


伊吹は美月を見る。


「裁判は、僕らを捕まえれば終わった」


美月は否定しようとした。


だが、言葉が出なかった。


伊吹は作戦卓へ目を戻す。


「主犯格は捕まった。実行役も捕まった。金は一部消えた。でも、事件としては終わった」


黒瀬が言う。


「終わってなかった」


「うん」


伊吹は表示されたORCHIDの投稿を見る。


「先生が生きてるならね」


灰原が押収音声を再生する。


低く加工された声。


性別も年齢も分からない。


『対象は家族との関係が弱い』


『医療費の支出がある』


『不安を先に聞け』


『金の話は最後にしろ』


伊吹の顔から色が消えた。


音声が続く。


『人は、正しい言葉では動かない』


一瞬。


伊吹の指が震えた。


『信じたい言葉で動く』


灰原が音声を止めた。


「知ってる声?」


伊吹はすぐには答えなかった。


黒瀬が言う。


「伊吹」


伊吹は画面を見たまま答える。


「先生だ」


美月がORCHIDの通信音声と照合を開始する。


《音声照合中》

《加工方式:類似》

《発声間隔:一致傾向》

《語彙選択:一致傾向》

《同一人物推定:六十八パーセント》


獅堂が低く言う。


「生きてやがったか」


真神が尋ねる。


「伊吹を狙ってる?」


伊吹が答える。


「分からない」


黒瀬はORCHIDの投稿を見る。


「殺すなら、立てこもりに呼び出す必要はない」


「うん」


「本当のことを言わせた」


「うん」


「何のためだ」


伊吹は考える。


詐欺師として。


人の言葉の裏を読む人間として。


先生が何を望んでいるのか。


蓮司へ武器を渡した。


施設の図面を渡した。


伊吹がリコードにいると教えた。


伊吹を現場へ呼び出した。


そして、母親を騙した事実を言わせた。


伊吹は静かに言う。


「確認したかったんじゃないかな」


「何を」


「僕がまだ使えるか」


美月が眉を寄せる。


「使える?」


伊吹は自分の口元を指す。


「言葉が」


作戦室に沈黙が落ちる。


伊吹は続ける。


「先生は、人を動かす人間を集めてた」


「詐欺師を?」


「詐欺師だけじゃない」


伊吹は過去を思い出す。


直接会ったことのない者たち。


電話の向こう。


指示だけを出す声。


「営業」


「宗教勧誘」


「政治団体の運動員」


「カウンセラー」


「元警察交渉官」


美月の目が鋭くなる。


「何のために」


「人を動かすため」


「目的は」


「分からない」


伊吹は首を振る。


「金だけだと思ってた」


画面には、工業用薬品。


小型無人機。


施設図面。


発火装置。


伊吹は続ける。


「でも違ったみたいだね」


黒瀬が言う。


「白百合ファンドは資金集めだった」


「たぶん」


「何のための」


伊吹は答えられない。


その時、作戦卓に新しい通知が入った。


《外部通信受信》

《送信元:不明》

《宛先:第6部隊リコード

《指定受信者:伊吹透》


美月が即座に言う。


「開かないでください」


灰原が通信を解析する。


「中央回線を通ってない」


「侵入ですか」


「違う。正式な外部通報回線を使ってる」


「発信元は」


「中継されてる」


黒瀬が画面を見る。


「内容は」


灰原は一度、美月を見る。


「動画」


「安全確認後に隔離再生してください」


灰原は通信データを切り離す。


独立した画面が開いた。


暗い部屋。


椅子が一脚。


そこに誰かが座っている。


顔は映らない。


声だけ。


加工された声。


『久しぶりだね、伊吹透』


伊吹の顔が固まった。


音声が続く。


『三枝久美子を覚えていた』


『安心したよ』


獅堂が低く唸る。


黒瀬は画面から目を離さない。


『忘れていたら、君を選んだ意味がなくなる』


伊吹は拳を握った。


『人は、信じたい言葉で動く』


押収音声と同じ言葉。


同じ間。


同じ冷たさ。


『君は、それを誰より知っている』


画面の人物が、わずかに顔を上げる。


それでも暗くて見えない。


『今度は、もっと多くの人間を動かしてもらう』


美月が即座に通信遮断を指示する。


「灰原、切ってください」


「待って」


伊吹が言った。


美月が見る。


「これ以上、受信する必要はありません」


「僕宛てだ」


「だからこそです」


伊吹は画面から目を離さない。


「最後まで聞く」


美月の表情が硬くなる。


黒瀬が言う。


「統括官」


美月は黒瀬を見る。


「記録を取った上で、再生継続を申請する」


美月は一瞬迷った。


それから答える。


「……再生継続を承認します。ただし応答は禁止です」


灰原が再生を続ける。


加工された声。


『君たち第6部隊は、よく人を救う』


『それは素晴らしい』


『だから次は、救う相手を選んでもらう』


画面に地図が表示された。


首都圏。


複数の地点。


駅。


病院。


学校。


行政施設。


避難所。


赤い点が、次々と灯る。


《対象候補:四十八地点》


伊吹の呼吸が止まる。


声が続く。


『一人を救えば、別の誰かが死ぬ』


『全員を救おうとすれば、もっと多く死ぬ』


『正しい言葉では、人は動かない』


『恐怖で動く』


『希望で動く』


『罪悪感で動く』


『君は、どれを選ぶ?』


画面に一つの時刻が表示された。


《残り七十二時間》


灰原が息を呑む。


美月の表情が変わる。


黒瀬は画面を睨む。


最後に、加工された声が言った。


『楽しみにしているよ』


『嘘つき』


動画が切れた。


作戦室に警報が鳴る。


《重大脅威情報》

《複数施設同時攻撃予告》

《信頼性:解析中》

《第6部隊リコード

《緊急待機命令》


誰も動かなかった。


七十二時間。


四十八地点。


一人を救えば、別の誰かが死ぬ。


伊吹は消えた画面を見つめていた。


二年前。


自分は、先生の言葉で人を動かした。


今度は、先生が伊吹を動かそうとしている。


黒瀬が言った。


「知ってることを全部話せ」


伊吹はゆっくり頷いた。


軽口はなかった。


逃げる笑みもなかった。


「分かった」


美月が伊吹を見る。


伊吹は言った。


「今度は、最初から話す」


作戦卓に、七十二時間のカウントが始まる。


《71:59:59》


数字が一秒減った。


白百合ファンド事件は、終わっていなかった。


消えた百三十二億円。


正体不明の先生。


四十八の攻撃候補。


そして、その中心に伊吹透がいる。


嘘つきが、本当の言葉を使った翌日。


過去の声が、もう一度彼を呼んだ。

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