第34話 いじめの理由は嘘? それでも信じる七海と疑う僕
週末を終えた月曜日。
花園さんの状況は、すでに一変していた。
教室に入ってすぐに視界に入ったその姿――孤立しているのは一目でわかる。
普段なら必ず誰かがそばにいる花園さんが、一人で座っている。その姿は逆に目立っていた。
いつも一緒にいる友達も、花園さんを気にする視線は送っていたが、近づこうとはしない。このまま誰も声をかけないだろう――そう思ったが、一人だけ例外がいた。
言うまでもない。七海さんだ。
彼女は花園さんに話しかけていた。しかし、花園さんの反応は冷たい。
表情までは聞き取れなかったが、全身から「私に構わないで」というオーラが噴き出していた。
――きっと、週末にサッカー部でなにか起きたのだろう。
普段、花園さんと一緒にいる友達は全員サッカー部員。理由は想像がつく。
というか、その事態を誘発した黒幕は、他でもない僕自身なのだから。
氷室部長、椿木副部長はもう花園さんに従わなくなった。
そして僕の指示通り、今度はサッカー部全員が花園さんを無視している。
――自業自得。
下級生を自分勝手な理由でいじめ、先輩を脅してまで東野を追い詰めたのだ。当然の報い。
本来なら「ざまあみろ」と胸を張っていいはず。
……なのに、なんだろう。心の奥がまったく晴れない。むしろ重苦しさだけが残る。
「夏目君」
ぼんやりしていると、不意に肩を叩かれた。
「ほわっ!」という情けない声を漏らし、顔を上げると――そこに立っていたのは神楽坂さんだった。
「なんだ、神楽坂さんか……驚かさないでよ」
「驚かすつもりはなかったわよ。というかほわって声で驚く人、初めて見たわ」
うるさいな。僕が一番びっくりしてるんだよ。
「ずっと横に立ってたのに、夏目君ったら全然気づかないんだもの」
「あ、ああ……そうなの?」
普段は周囲の気配に敏感なはずなのに、今日はまったくダメだった。
「やっぱり、夏目君に悪役は無理ね」
神楽坂さんは、ため息混じりにそう言った。
「……なんだよ、それ」
「だって、自滅しているじゃないの」
神楽坂さんは腕を組んだまま、鋭い視線を僕に投げかける。
「自分でシナリオを作って、その通りになった途端……罪悪感に押し潰されそうな顔をしてる」
「……そんな顔してないよ」
「してるわよ。いい加減、認めなさい」
彼女は溜息をひとつ落とし、淡々と告げた。
「夏目君は悪役を気取っているみたいだけど、向いてない。――そもそも無理なのよ。人の痛みを思い描ける想像力を持つ人間が、本気で人を陥れられるはずがないんだから」
その声音は冷たくも優しくもなく、ただ真実を言い切るだけのものだった。
駄々をこねる子供をあやすような口調なのに、反論を許さない力強さがあった。
僕はその言葉を素直に受け入れられず、ただ黙って視線をそらす。
向けた先では、花園さんに素っ気なく拒絶されながらも、健気に話しかけ続ける七海さんの姿があった。
――どうして、そこまで必死になれるんだろう。
仲がいいわけでもないのに。
僕には理解できない。理解できないからこそ、胸の奥がざわつく。
苛立ちとも、焦燥ともつかない感情。
その得体の知れないものを、放課後までずっと抱え続けることになった。
放課後。
気づけば僕は、七海さんの後を追っていた。
彼女は鞄を持つとすぐに教室を出ていき、その視線の先には同じように席を立った花園さんの背中。
七海さんは迷いなくその後を追い――そして、僕はそのまた後ろをついていく。
はたから見れば、奇妙な縦列行進だろう。
「花園さん!」
七海さんが何度か声をかける。だが、花園さんは一切振り向かない。むしろ逃げるように歩調を速める。
七海さんも負けじと早歩きになり、僕も自然と歩幅を合わせた。
……三人そろって一定距離を保ちながらの早歩き。客観的に見れば間抜けすぎる光景だというか、普通についてきてる僕が一番バカかもしれない。だが、後ろに僕がいることに気づかない七海さんも相当アホだ。一度でも振り返ったら、即アウトなのに。
やがて、一角を曲がり、人通りの少ない廊下に入ったところで、花園さんが足を止めた。
七海さんも立ち止まり、僕も同時に足を止める。僕は少し距離を取り、廊下の角に身を隠す。視覚は遮ったが、耳は澄ませて二人の会話を拾った。
「……なに。何の用?」
花園さんの声。顔は見えないが、言葉の端々に苛立ちがにじむ。
「ねぇ、花梨ちゃん。聞きたいことがあるの」
七海さんの声は、相手の棘を気にする様子もなく、普段通りの調子で落ち着いていた。
「まずはね、女子サッカー部のいじめ。――私たち写真部が調査してたの、知ってるよね?」
静かな問いかけ。だが花園さんからの返答はなく、気まずい沈黙だけが流れる。
「一年の東野静ちゃんをいじめていた黒幕は……本当に花梨ちゃん、あなたなの?」
七海さんの声には責め立てる響きはない。むしろ心配するような優しさがにじんでいた。
しかし、それでも返事は返ってこない。廊下には二人の息づかいだけが残る。
やがて七海さんは、少し肩をすくめて言った。
「まあ、この際どうでもいいや。だって、花梨ちゃんが黒幕なのは――最初から凪君が気づいてたみたいだから」
「……えっ。夏目君が?」
初めて花園さんが反応した。声色に動揺が混じる。
ちょ、ちょっと待て七海さん!? なにを自然に暴露してるんだよ! 心の中で盛大にツッコミを入れるが、ここは声に出さずに飲み込む。
「……はぁ」
長い溜息の後、花園さんは低く笑うように呟いた。
「なんか変だとは思ってたの。……結局、私は最初から夏目君の手のひらで踊らされてたってわけね。あの時、夏目君が私のところに来た時点で、彼の計画は進んでいた――私、完全に踊らされてたんだ」
吐き出すような言葉は、諦めと苛立ちが入り混じっていた。
「なら、もう知っているんだよね。私が東野をいじめていただけじゃなくて、三年生の先輩たちを脅して、いじめを強要していたことも」
「うん。知ってる」
「……そっか。だよね」
花園さんは自嘲するように笑った。
「土曜日に部活へ行ったらさ、氷室部長と椿木副部長に呼び出されたの。もう“あんたの脅しには屈しない。万引きのことを先生に言うなら言えばいい”って言われたわ。それからよ。周りは東野と普通に話すようになって、逆に私を無視し始めた。立場が逆転するなんて、本当に一瞬だった」
「……なんで、静ちゃんのことをいじめたの?」
七海さんの問いかけに、花園さんは眉をひそめる。
「あれ、夏目君に聞いてないの? 単純な話よ。東野が邪魔だった。三年が引退したら、綾と皐月と私の三人で2トップを組めるはずだった。念願だったのよ。でも東野が入ってきたせいで、その計画が滅茶苦茶になった。だから、消えてほしかった」
「うん、それは夏目君からも聞いた。で――本当の理由は?」
「えっ……なによ、それ」
「ごめん。その話、私は嘘だと思ってる。……そんな理由で、花梨ちゃんがいじめをするなんて、ありえない」
「は? 意味不明なんだけど」
花園さんの声はわずかに震えていた。
「花梨ちゃんは努力家で、まっすぐで……曲がったことが嫌いな人だよ。だから、そんな理由でいじめなんて絶対にしない。先輩たちを脅して強要するなんて、絶対にありえない」
七海さんの瞳は迷いなく、ただ真っ直ぐに花園さんを映していた。
責めているのではない。ただ信じている。――その強さが逆に花園さんを追い詰めていく。
「バ、バカじゃない! 楓ちゃんがどう言おうが、私は東野が目障りで……消えてほしかった。それだけよ!」
「……違う。絶対、違う」
七海さんの声は強く、それでいて揺るぎがなかった。
――出た。七海さんの頑固モード。
一度「こうだ」と信じてしまえば、絶対に曲げない。人を信じる方向に頑固なのが、彼女らしいところだ。
これ以上聞いても平行線だろう。僕は一歩引き、その場を離れることにした。
廊下を歩き、窓際まで来ると、外を見つめながら深く息を吐く。
――花園さんが東野をいじめた本当の理由。確かに、どこか腑に落ちない。
レギュラーを守るために誰かを蹴落とす、なんて話は理解できる。だが、先輩たちまで脅して東野をいじめさせるなんて、やりすぎだ。
そして、さっきの動揺ぶり。……なにかを隠しているのは明らかだった。
……はぁ。何を真剣に考えているんだ、俺は。
東野はもう救われた。花園がいじめられるのは自業自得。
それで、解決でいいはずだろう。
そもそも、あの写真に写っていた東野の惨劇は、もう回避されたのだから。




