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ナイトメアフィルム ~屋上の惨劇~  作者: 結城智
第四章 惨劇予告の写真は、誰を指していたのか
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第33話 後悔より、選んだ勇気

 実は、楓馬との出来事を詳しく知っているのは舞だけだった。

 楓馬が僕に背を向け、立ち去ったあの日。僕は家に帰り、自室にこもってただ落ち込んでいた。


 そんな時、そっと声をかけてきたのが舞だった。

 舞は鋭い。いや、鋭くなくても、あの日の僕は誰の目にもわかるほど落ち込んでいたに違いない。


「お兄ちゃん、どうしたの?」と問いかけてくる舞に、僕は一度「なんでもない」と突き放そうとした。

 けれど、舞は引かなかった。「なんでもないはずがない」と言って、僕の腕をぎゅっと掴んできた。

 心が弱っていた僕は、その真っ直ぐな瞳に抗えず、気づけば無意識に言葉をこぼしていた。


 あのとき舞は、最後まで黙って僕の話を聞いてくれた。

 普段は生意気で口うるさい妹なのに、その時だけは不思議なくらい優しくて――僕がすべてを話し終えた後、「お兄ちゃん、辛かったね」と小さく呟いてくれた。


 あの言葉に、どれほど救われたことか。

 だから僕は、あの日、舞にだけ打ち明けたことを後悔していない。

 もしあの時も一人で抱え込んでいたら、きっともっと酷い状況に押し潰されていたはずだ。

 悩みというのは、一人で抱え込むものじゃない――あの日、妹からそれを教えられた気がする。


 ……もっとも、だからといって七海さんに話していい理由にはならないけど。


「凪君は、間違ってないよ」


 七海さんが真顔で僕を見つめる。真剣な視線に、言葉が喉でつかえて思わず目をそらした。


「凪君は“助けたかった”んでしょ。友達を。――それって、間違いじゃないよ」


 まっすぐな瞳。吸い込まれるようなその強さは、あの日、舞に話を聞いてもらったときと同じ感覚を呼び起こす。


「でも、結果として僕は楓馬を追い込んでしまった」


 普段なら誤魔化すところなのに、気づけば後悔が零れていた。言ってしまってから、しまったと思ったが、もう遅い。


「じゃあ、放っておけばよかったの?」

「……そうだね。放っておいても、いじめは起きたと思う。どっちにしろ、楓馬は救えなかった」

「それは結果論でしょ。私は経過が大事だと思うの」


 七海さんは膝の上で握った両拳を、ぎゅっと強めた。声は震えていないのに、熱だけがまっすぐ伝わってくる。


「もし何もしなかったら――きっと、今よりもっと後悔してる。『知ってたのに動かなかった自分』って、一生許せないよ。私は、そういう後悔のほうがこわい」


 何もしなかったら? そう言われて、僕は一瞬考え込む。

 事前に楓馬に何かが起こると知っていながら、目をそらしていたら――同じ結末だったとして、僕は自分をどう思っただろう。


 思考が深みに落ちていく。その渦を断ち切るように、七海さんが言葉を差し込んだ。


「ねぇ、凪君。正しいかどうかって、いつも結果だけで決まるわけじゃないよ。あの日、凪君は『助けたい』って気持ちで動いた。その向きは、絶対に間違ってない。私は――その凪君を否定したくない」


「凪君。静ちゃんを助けてくれてありがとう。花梨ちゃんが酷いことをしていたのは事実なんだよね。もしそれが真実なら、私は受け入れるよ」


 七海さんは唇を噛みながらも、真っ直ぐに言葉を紡ぐ。


「それでもね……私は花梨ちゃんも助けたいと思うの。どうしてあんなことをしたのか、本人の口から聞きたい。甘い考えかもしれない。でも私は逃げたくない。『誰かを救うには犠牲がつきもの』なんて、思いたくないから。たとえ可能性が低くても――私はみんなが幸せになる、ハッピーエンドを目指したいの」


 七海さんの瞳は、決して強靭ではなかった。体は小刻みに震えている。


 怖いのだ。それは一目でわかる。けれど、その恐怖を抱えながらも彼女を突き動かしているのは、心の奥にある揺るぎない信念だった。


 その姿に、僕は思わず見入っていた。


 ずっと七海さんを「強い人間」だと思っていた。だが違った。彼女は怖がっている。ただ――恐れながらも、光を消さず前を向こうとしている。その瞳は弱々しいのに、それでも確かに輝いていた。


「……やめろ」


 気づけば、低く、ドスの効いた声が喉から漏れていた。

 冷めた皮肉じゃない。七海楓という人間を壊したくない一心で、感情のままに吐き捨てていた。


「そんなことをすれば――絶望するぞ」


 言葉が熱を帯びる。胸の奥に押し込めていた苛立ちと恐怖が、感情と一緒に噴き出した。


「無駄な正義感なんか、捨ててしまえ。本当は怖いんだろ。逃げたいんだろ。だったら逃げたっていい! みすみす傷つく必要なんて、どこにもないんだ! そんなことをしても――得も、見返りも、何もないんだから!」


 冷酷な言葉のはずなのに、そこにあったのは怒りと哀願が混じった叫びだった。


「本当に――全部を救えると思ってるのか? そんなの無理だ。世界は汚れてる。七海さん一人が足掻いたところで、結果なんてついてこない」


 頑張れば報われる。そんな言葉は、人を頑張らせるために作られた方便だ。

 大体、頑張ってどうする? 仮に七海さんが花梨を助けられたとして――その後、彼女が一生、七海さんに忠誠を誓うわけでもない。そんな約束、あり得ないし、あったところで大した得にもならない。


「……そうだね。凪人君の言う通りだよ」


 七海さんは静かに頷くと、椅子から立ち上がった。

 ゆっくりと僕に歩み寄り、至近距離で立ち止まる。手を伸ばせば触れられる距離。

 彼女はそのまま手を伸ばし、僕の頬にそっと触れた。


「凪人君。私ね、不安だし……怖いよ。花梨ちゃんを助けられる自信なんて、正直ない。だから、これはただの自己満足かもしれない」

「……何故、そこまでして」


 問いかけると、七海さんはかすかに微笑んだ。


「私はね、前に“なにもしなかった”ことがあるの。逃げる道を選んだの。……そのせいで、ずっと後悔してる。もう二度と、あんな想いはしたくない。だから私は泥臭くても足掻くよ。間違ってても、無謀でも、逃げない」


 その瞳には揺れがあった。けれど、それ以上に揺るぎない光が宿っていた。

 ――テコでも動かない。七海さんが、頑固モードに入った時は、もう何を言っても聞かない。


「……わかった。好きにするといいよ」


 僕は肩を落とし、それ以上なにも言わなかった。彼女の行動を止める理由は僕にはない。同時に、協力する理由もない。


 悪いけど――七海さんのヒーローごっこに、これ以上付き合うつもりはなかった。

 そんな僕の心境など知らず、七海さんはぱっと顔を綻ばせて「うん!」と嬉しそうに笑った。

 その無邪気な笑顔は、きっといつか灰色に変わる。


 そんな、したくもない予感を抱えながら――僕はただ、目を背けることしかできなかった。


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