第28話 届かない救い
僕が話し終えると、部室は水を打ったように静まり返った。
「それで……まさか、花梨ちゃんは……」
七海さんの唇が小刻みに震える。信じられない。そんな表情だった。
「昨日、先輩たちに提案した。だから――今日あたりから花園さんは孤立し始めるはずだ」
「なんで! なんでそんなことするの!?」
バンッ――。
机を叩く大きな音が、重苦しい空気を切り裂いた。七海さんの剣幕は凄まじく、怒りと混乱が一度に溢れ出していた。
「花梨ちゃん、そんなことする人じゃない! サッカー部ができたときから、いつも一生懸命で……頑張る人には必ず手を差し伸べてきた。そんな優しい子だよ! 自分勝手な理由で、あんなことするはずない!」
「信じたくない気持ちはわかる。でも――それが真実だ」
「だとしても、こんな解決の仕方ってある? これじゃあ静ちゃんが助かっても、今度は花梨ちゃんがイジメられることになるんでしょ! そんなの間違ってる!」
「やり方が間違ってる? じゃあ、七海さんはどうやって東野さんを助けるつもりだったんだ?」
「私なら……花梨ちゃんを説得する。とことん話し合う!」
「論外だな。――反吐が出る」
言葉が鋭く飛び出した。抑えていた苛立ちが、とうとう声ににじんだ。
七海さんが呆然と目を見開く。姫野さんもまた、驚きよりも悲しみに似た眼差しを向けていた。神楽坂さんだけが、無表情のまま腕を組んでこちらを観察している。
「七海さん、君はもっと、人を疑うことを覚えた方がいい。君が信じている花園花梨と、本当の花園花梨は違う。君が見ているのは彼女の表面――きれいな部分だけだ」
残念ながら、七海さんが花園さんと話し合ったところで意味はない。
――むしろ、バカ正直な彼女なら、逆に言いくるめられて終わるだろう。
この世には、正攻法が通じない相手がいる。いや、違う。……正攻法が通じる人間の方が少ないのだ。
子どもの頃ならまだいい。無垢で、まっすぐで、信じれば信じ返してくれる相手もいる。けれど大人になるにつれ、人は欲望に濁り、計算に塗れ、言葉の裏に刃を隠すようになる。
――僕は、それを嫌というほど知ってしまった。
だから、なにかを解決すれば、その裏で必ず別の問題が浮き彫りになる。
誰かを救えば、誰かが傷を負う。
誰かを信じれば、誰かに裏切られる。
win-winの解決なんて幻想だ。
もしそんな理想があるのだとしたら――それは物語の中だけ。
現実では、勝者と敗者が生まれ、どちらかが泣く。
それが解決の代償だ。
……わかっている。
僕が選んだやり方は、七海さんの言う通り間違っているのかもしれない。
けれど、じゃあどうしろと言うんだ。
話し合いで、人の欲や保身が消えると思うのか?
甘い。甘すぎる。そんな幻想にすがれば、守れるはずの誰かを見殺しにするだけだ。
だからこそ――僕の選択は間違っていない。
そう、間違っているはずがない。
「嫌だ。私がしたかった人助けは、こんなやり方じゃない!」
声を震わせ、七海さんは勢いよく席を立ちあがる。
小さな抵抗なのか、最後に僕を鋭く睨みつけ――
「凪君のバカ。アホ。……変態!」
と、謎の三段活用を残して、ドアを乱暴に閉めて出て行ってしまった。
……バカとアホはわかる。だが変態は意味不明だ。きっと、どうしても三拍子にしたかったんだろう。
扉が閉じると同時に、部室は静寂に包まれる。
さっきまで熱くぶつかっていた空気が嘘のように、冷たく静まり返っていた。
残された僕の胸に残るのは、七海さんの言葉と――彼女の揺れる背中の残像。その両方が、妙に切なく胸を刺していた。
神楽坂さんは頭を掻きながら席を立ち、ちらりと僕の顔を一瞥する。怒っているというよりは、困ったような表情だった。
「夏目君。あなたの言い分もわかるわ。……でも、これは気持ちのいい解決方法じゃないわね」
「神楽坂さんは、別のやり方があったと?」
「いいえ。私には思いつかなかった。結果だけ見れば、短期間で東野さんを救ったのは大したものよ」
「なんか、歯切れが悪いね」
「そうね。うまく言えないけれど、胸の奥がすっきりしないの。……それに、どうして最初に私や楓に相談しなかったの?」
「神楽坂さんはまだしも、七海さんには絶対に反対されると思った」
面倒な展開になるのは予測できていた。実際、七海さんは真っ向から反対していた。もしあの時点で話していれば、きっと対応は遅れ、東野さんはいまだにいじめられ続けていただろう。
この件は、一日でも早く解決しなければならなかったのだ。
「なにより、悪人が罰を受けるのは当然の報いだ」
花園さんの行為は単なるいじめではない。自分が手を汚すだけでなく、他人を脅して巻き込み、東野さんを潰そうとした。――絶対に許されるものではない。
「ええ。その点は同意するわ。でも、それでも――相談するべきだったと思う」
神楽坂さんは僕を真っ直ぐに見据える。声音は冷静だが、眼差しには鋭い光が宿っていた。
「私たちは仲間よ。もっと頼りなさい。……夏目君は、自分だけが汚れ役を背負えばいいと思っているのでしょう。でも、そんなことを続けていたら、いつかあなた自身の心が壊れるわ」
「別に、僕は――」
言い返しかけて、喉の奥で言葉が詰まった。
本当は自分でも気付いている。僕のやり方は、決して健全ではないことを。
「ああ。夏目君、自分じゃ気付いていないみたいだから言うけど――今のあなた、ものすごく変な顔してるわよ」
冷ややかな目で神楽坂さんにそう言われ、僕ははっとして思わず自分の顔に触れた。
とっさに姫野さんの方を見たが、彼女は気まずそうに目を逸らす。
「いや……僕、もともとこういう顔だし」
「変な顔なのは知ってるわ。でも私が言いたいのは、そういうことじゃないの」
神楽坂さんは呆れたように眉をひそめる。……てか、変な顔なのは知ってるわって、さらっと失礼だな。
「夏目君。捻くれてるから分かりにくいけど――根っこの部分は楓とそっくりなのよね」
「えっ?」
「そう、梓が言っていたわ」
「も、紅葉ちゃん!」
いきなり暴露されて、姫野さんは慌てふためく。……今回、僕と姫野さんだけで動いた件、一番根に持ってるのはやっぱり神楽坂さんなのかもしれない。
「夏目君、無理は体に毒よ。……じゃあ私は楓を追いかけるから。梓、夏目君のフォローよろしくね」
そう言い残して、神楽坂さんも部室を出ていった。




