第27話 因果の刃
まずは謝ろう。
今回の件――三年生と交渉する役に、僕は姫野さんを選んだ。だからこそ、二人には黙っていた。
七海さんなら、同級生にも下級生にも受けがいい。神楽坂さんなら、下級生にファンクラブがあるほど影響力がある。だが、相手は三年生。正確には氷室部長と椿木副部長。この二人にとって、適任は実は姫野さんだった。
姫野は決してコミュ力が高いとは言えない。試合の撮影中もずっとおどおどしていたくらいだ。だが――だからこそ、上級生はそういう子を可愛いと思う。守ってあげたいと、母性本能をくすぐられる。実際、三年生の先輩たちは姫野さんに歩み寄り、写真の話から僕との関係をからかうような冗談まで投げかけていた。
その特性を今回、利用させてもらった。
僕は姫野さんに頼み、氷室部長と椿木副部長を呼び出してもらったんだ。「写真ができたから見てほしい」と口実を与えて。姫野さんにとっては、やりたくない役回りだったろう。本当に申し訳ない。……でも、それでも引き受けてくれたことには、心から感謝している。僕一人では、ここまで運べなかっただろうから。
結果、二人は指定した空き教室に現れた。僕も一緒にいたから、彼女たちの顔は苦虫を噛み潰したように険しかったが。
そこで、姫野さんが開口一番に言った。
「急に呼び出してごめんなさい。……でも、今から凪人君の話を聞いてくれませんか?」
そのとき、二人は姫野さんを責めるような顔は一切しなかった。騙された、という感情よりも――「夏目に言わされたんだ」と即座に察したのだろう。氷のような視線は、真っ直ぐに僕だけに向けられた。
僕は間髪入れず切り込んだ。
「氷室部長、椿木副部長――あなたたち、東野さんをイジメていますよね」
その言葉に、二人は目を逸らし、沈黙で答えた。だが僕は畳み掛けた。
「ああ、ごめんなさい。先輩たちだって、好きでやってるわけじゃないんですよね。でも――どうして後輩の花園さんの言いなりになってるんですか?」
正直、賭けだった。
外せば一気に信用を失う危険な一言。だが、僕の直感は当たっていた。
二人の顔に浮かんだ表情は、東野の件を突かれたときの動揺とは比べ物にならない。まるで、不意を突かれ、逃げ場を失った獲物のように。
「おまえ……なんで、そのことを……?」
氷室部長の顔が引きつり、言葉が震える。慌てて椿木副部長が「梨子!」と名前を呼び、腕を引いた。その瞬間、氷室部長は自分の口が失言を吐いたことに気付いた。
――だが、もう遅い。
しかし、そうか……。
友達ではないとはいえ、クラスメイトの花園さんが本当に黒幕だったとは。正直、いい気持ちはしなかった。
僕はすぐさま二人に提案した。
『よかったら教えてくれませんか? 絶対に他言しないと約束します。それに、助けになる提案ができるかもしれません』と。
あまりにもあからさまな誘導。普通なら、相手にされないだろう。だが――このとき僕には確信があった。
氷室部長も椿木副部長も、本心では東野さんをいじめることに苦痛を覚えている。東野さんの実力を二人とも認めているのは、僕も見てきてわかっていた。実際、試合で彼女がゴールを決めたとき、氷室部長は思わず駆け寄ろうとした。その動きは一瞬だったが――本当は一緒に喜びたかったのだろう。だが、花園さんの存在がそれを許さなかった。
長い沈黙のあと、氷室部長はぽつりと呟いた。
「……もう、やめにしよう」
椿木副部長もすぐに「そうだね」と頷いた。
『誰にも言うなよ』
周囲を確認するように視線を走らせ、氷室部長は重く口を開いた。
――半年前のこと。
氷室部長と椿木副部長は、近所の雑貨屋で万引きをしてしまったのだ。衝動的なものだったという。部活や勉強、進路の重圧に押し潰されそうになっていた時期で、鬱憤を晴らすように手を伸ばしてしまったのだろう。
小さなアクセサリーだった。だが、それを手にした瞬間、店員に呼び止められた。
「ちょっと、待って」
――冷ややかな声。
二人は硬直し、顔を見合わせた。血の気が引く、というのはああいう状態を言うのだろう。
幸いだったのは、二人がすぐに深々と頭を下げ、素直に謝罪したことだ。
「すみません……本当にすみませんでした」
涙ぐみながらの必死の謝罪に、店は「今回だけは」と警察や学校への通報を見送ってくれた。
だが――不運にも、その雑貨屋で花園さんがアルバイトをしていた。
氷室部長も椿木副部長も知らなかった。彼女は平日部活で顔を出さず、土日だけシフトに入っていた。けれど、花園さんはその現場を見てしまったのだ。
奇妙なのは、その後だった。
事件が起きたのは一月。だが、花園さんがそれを材料に二人を脅してきたのは四月――四か月の空白を挟んでからだった。
そして、標的は東野静一人に絞られた。
東野さんは入部した直後から、圧倒的な才能で注目を集めていた。
強豪校でも一年生でレギュラー候補に食い込むほどの逸材。ポジションはFW。だが、そこには氷室部長と椿木副部長――三年生の二人がいた。さらに、卒業後には花園さんの仲のいい二年生二人がFWとして並ぶ予定だった。花園さん自身はFWの司令塔。三人で攻撃の三銃士を組むのが夢だったらしい。
しかし、東野の加入はその構想を根底から壊した。
花園さんは二人にこう言ったのだ。
「東野をサッカー部から辞めさせてください。さもなければ、あの万引きの件を学校に言いますよ」
三年生の彼女たちにとって、万引きの発覚は致命的だ。進学にも響くし、最後の大会に出場すらできなくなる。だから、二人は逆らえなかった。花園さんの言葉に従うしかなかったのだ。
だが、困ったことが起きた。
そう。東野さんは意外にもタフで、部活を辞める気配を見せなかった。
氷室部長と椿木副部長は、いっそ花園さんに万引きの件を口外されても構わない、このままなら部活を辞めてもいい――そんな投げやりな覚悟に変わりつつあった。
だが、その結果、周囲にまでいじめを強要したせいで、サッカー部全体の雰囲気は最悪になりつつあるという。
「せっかくここまで頑張ってきたのに……自分たちの保身のために、部をめちゃくちゃにしてしまっていいのか」
――二人は今さらながらに、そんな後悔を抱いているようだった。
だから、僕は提案した。
仕返しをすればいい、と。
ただし、万引きの件を自ら公表して部活を辞めるんじゃない。
そうなる前に――花園さんを孤立させればいい。
自分勝手な都合で、才能ある一年生を潰そうとした最低の行為。その痛みを、花園さん自身にも味わわせればいいのだ。孤立した人間は臆病になる。そうすれば彼女は萎縮し、万引きの件を口外しなくなる。なぜなら、言ってしまえば自分にどんな報復が返ってくるかわからないからだ。
僕の提案に、二人は顔を見合わせ、長く黙り込んだ。
重苦しい沈黙のあと――氷室部長が口を開く。
「……わかった。お前さんの悪知恵に、付き合ってやるよ」
複雑な表情を浮かべながらも、最終的にその言葉に頷いた。椿木副部長もまた、同意するように静かに目を伏せていた。




