第24話 策略の始動
あれから三日が過ぎた。
サッカー部でのイジメの実態――その情報収集は七海さんと神楽坂さんに任せていた。そして今、部室でその結果を共有している最中だった。
「サッカー部の一年生、全員に聞いてみたら答えてくれたよ。やっぱり静ちゃん、三年生の先輩たちに嫌がらせを受けてるみたい。助けてあげたいのは山々だけど、三年生が怖くて、誰も声を上げられないんだって」
最初に報告したのは七海さん。声には確かな手応えがこもっていた。
「あら、じゃあ決定じゃない。……残念ながら、同級生の子たちは口が堅くて、全員『知らない』の一点張りだったわ。むしろ私が聞き込みしてたら、『そういうのはやめておいた方がいい』って注意されちゃったのよ」
神楽坂さんはふてくされたように肩をすくめる。
なるほど。想定内の結果だ。七海さんが情報を得られ、神楽坂さんが空振りに終わるのも予測していた。これは神楽坂さんが悪いのではなく、最初からそうなると思っていたことだ。
「でも、なんで花園さんだけ、聞き込みストップなの?」
七海さんが疑問を口にする。
「花園さんには、僕が直接聞き込みを行うからだよ」
「あら……意外ね。夏目君がやる気を見せるなんて。どういう心境の変化かしら?」
神楽坂さんが訝しげに目を細める。
別にやる気になったわけじゃない。ただ――花園さんは重要人物だ。下手に他人を介して警戒されるのは避けたい。だからこそ、僕が直接動く必要があるのだ。
「わかったわ。……それにしても、梓。今日も部活に来なかったわね」
話が一通り終わったところで、神楽坂さんはちらりと視線を横へ動かす。そこは、いつも姫野さんが座っていた席。だが、今は空っぽのままだ。
「うん……。梓、部活だけじゃなくて、休み時間も昼休みもいなくなっちゃうの。こないだ捕まえて聞いてみたら、『私は大丈夫だから、今は東野さんを助けることに専念して』って……濁されちゃった」
七海さんは唇を噛み、悔しそうに僕を睨む。
「なに、その目?」
思わず問い返すと、七海さんは苦笑もせず、真剣な声音で言った。
「本当はさ……梓になにがあったのか、聞き出したいよ。でも、こないだ凪君に説教されたばかりだから、自粛してるんだ。……本音を言えば、拘束してでも問い詰めたいくらいなんだけど」
冗談めかしているようで、その目は本気だった。七海さんならやりかねない。笑えない冗談だ。
「まあ……今は一日でも早く解決を目指そう。そうすれば、姫野さんだってきっと戻ってくる」
僕はそうなだめるように言う。
だが、そのとき。
神楽坂さんが、じっと僕を見ていた。普段なら即座に言葉を返す彼女が、黙ったまま。視線だけが冷たく、鋭い。
「神楽坂さん……どうしたの?」
「別に」
短く切り捨てると、そっぽを向いてしまった。
その横顔には、七海のように露骨な不安ではなく――沈黙の中に潜む疑念があった。
まるで、姫野さんの不在と、僕の態度とを結びつけているかのように。
この時の神楽坂さんの胸の内など、知る由もなかった。
放課後。部活が始まる前に少し時間が欲しいと伝え、僕は花園さんを体育館裏に呼び出した。
空はオレンジ色に染まり始め、校舎の影が長く伸びる。人の気配のない体育館裏は、風が通り抜ける音と、遠くの部活の掛け声だけが響いていた。
僕は先に到着し、壁にもたれて待つ。数分後、小走りでやってきた花園さんの足音がコンクリートに軽やかに響いた。
「ごめん。待った?」
「いや、僕も今着いたところだよ」
花園さんは肩で息を整えながら周囲を見渡す。誰もいないことを確認すると、少し緊張をほぐしたように息を吐いた。
「夏目君が呼び出すなんて珍しいね。話ってなに?」
間髪入れずに首を傾げて尋ねてくる。僕は前置きなしで切り出した。
「女子サッカー部で、イジメがあるって情報を耳にしたんだ」
あまりに唐突な切り出し。驚かれて口を閉ざされると思っていた。だが――。
「ああ、その話ね」
拍子抜けするほど落ち着いた声。驚いた様子はなく、世間話をしているかのように淡々とした反応だった。
「否定しないの?」
「うん。まあ、ここで私が知らないって言っても信用しないでしょ?」
軽い調子で返され、逆に僕の方が戸惑う。二年生達が一様に口を噤んだのとは違い、花園さんはあっさり認めた。僕達が聞き込みをしていることを耳にしていたのだろうか。
「で、なんでそんなこと聞くの?」
花園さんが逆に問い返してくる。僕は少し迷った。どう答えるのが正しいのか。誤魔化すか? いや――七海さんがクラスメイトに「写真部は人助けする部だ」と広めていた。ここで嘘をつけば、かえって怪しまれるだろう。
「うちの部は……写真部の活動以外に、人助けもやってるんだ」
言いながら、自分で心の中で突っ込む。なんだよ、その怪しい部活。聞けば聞くほど変な部だ。
「ああ、そういえば楓ちゃんが言ってたね。本当だったんだ」
花園さんは目を輝かせ、興味津々といった様子だ。ほっと胸を撫で下ろす。七海さんのおしゃべりに感謝するのは初めてかもしれない。
「で――静ちゃんを助けたいってこと?」
「あっ……うん」
……おいおい。こっちが探りを入れる前に名前を出してくるなんて。隠す気ゼロかよ。逆に不信感を覚えてしまう。
「わかった。協力するよ」
仕方ないな、という調子で花園さんはあっさり頷いた。
「あれ? なんでそんな、鳩が豆鉄砲食らったような顔してるの?」
僕が黙り込むと、不思議そうに首を傾げる。
「いや、ごめん。実は今日、花園さんに協力をお願いするつもりで来てて。……むしろ、そこまで話が通じるなら、最高だなって思ってたんだけど」
「じゃあ、最高になって良かったじゃん」
「いや、そんなとんとん拍子で受けてもらえるとは思わなくてさ」
「ああ、そういうことね」
花園さんは納得したように小さく頷き、ふっと柔らかく笑った。その笑みは夕暮れの光に照らされ、どこか不思議な安堵を与えた。
「あのね、説得力ないかもしれないけど……私も静ちゃんのことはなんとかしたいと思ってるの。これでも次期部長だし」
花園さんは鼻先に指を当て、少し誇らしげに笑った。
「でもね、三年生を相手に一人で戦うのは心細いのよ。知っての通り、一年生たちは助けたい気持ちはあっても、怖くて何もできない。同級生たちは……まあ、見て見ぬふりしてる状況でしょ? だから、あなたたちが協力してくれるのは、むしろ好都合なの」
――わかった? だからそんな疑い深い目で見ないで。そんなニュアンスを含んだ口ぶりだった。
筋は通っている。だが、僕はどうしても人を疑ってしまう性分なのか、胸の奥のモヤモヤは拭えなかった。けれど――脳裏に浮かぶのは姫野さんの顔。
あれこれ悩むより、先に進めるべきだ。膠着状態を打破するには、花園さんの協力を得るのが最善だろう。
「ありがとう。……じゃあ、力を貸してくれる?」
「任せてよ」
花園さんは頬を綻ばせ、自信ありげに頷いた。
「で、静ちゃんを助ける段取りは決まってるの?」
「一応、僕の方で計画はある」
僕は花園さんにミッションを伝える。
東野静をイジメから救う方法。それは単純だが、効果的な一手だった。
――花園さんの発言力を利用する。
サッカー部の次期部長である花園さんが、イジメをしている三年生に直談判する。
「写真部は人助けをしている部活だ」と釘を刺す。そして、サッカー部にイジメの実態があることはすでに把握済みであり、これ以上続けば先生に報告するつもりだ、と。
「先生にバレれば内申に響く」――この一点で、三年生は大きく揺らぐ。
そのうえで、花園さん自身が「写真部が勝手にそう言ってる」とでも言えばいい。責任はすべて僕たちに押し付ければいい。
言葉だけの脅しでも、立場とタイミングを使えば十分に効く。
つまり――花園さんに動いてもらえれば、解決は意外なほど簡単なのだ。
……え、それだけで? と誰かに突っ込まれそうだが。
僕には根拠があった。だからこそ、この一手で十分だと踏んでいる。




