第23話 口にできない秘密
映像はそこで遮断された。
僕は突然、元の世界に戻されたが、先ほど見た生々しい光景が頭に焼き付いて離れない。心臓の高鳴りは収まらず、口の中には酸っぱい胃液が広がっていた。
油断していたわけじゃない。だが――まさか数年ぶりに、あの惨劇の映像を見てしまうとは。心のどこかで「イジメといっても、大したことはない」と舐めていたのかもしれない。
だが、現実は違った。あの映像が“未来”なのだとしたら。太ももを刺されたあの子は、それだけで済むのか。それとも、もう一度刃が振り下ろされ、殺人事件へと発展してしまうのか――見当もつかない。
それでも、太ももを刺されただけで大事件だ。傷害罪。人の人生を変えてしまう、取り返しのつかない未来。僕は写真を見つめながら、そんなものを覗いてしまったことを後悔していた。
ようやく呼吸を整え、心を落ち着かせた後、僕は暗室を出る。
現像した東野さんの写真をテーブルに置き、決意を固めたように口を開いた。
「それなら、静ちゃんを早く救わないと!」
僕の説明が終わるや否や、真っ先に七海さんからお節介な声が飛んだ。
「待ってよ。それってイジメに入るのかな。確かに東野さんは周りから妬まれてるかもしれない。でも、運動部ならよくある話じゃない?」
――本当は違う。だが、僕は口をつぐんだ。
あの映像を見た以上、本来は放っておけない案件だ。けれど、今ここで打ち明ければ混乱を招くだけ。ならば、慎重に動くべきだ。救いの手順は頭の中でいくつも描いている。
ただ、まだ不確かな点がある。東野さんが“被害者”なのか、それとも“加害者”なのか――。
刃を受ける側なのか、刃を握る側なのか。未来は一方的に決まっていない。楓馬の件だってそうだった。あのときの惨劇は肉体的な傷ではなく、心に深く刻まれたものだった。ならば今回も、安直に「東野さんが被害者」と断じるべきじゃない。
「でも、放っておくなんて可哀想だよ」
七海さんが反論する。
「下手に首を突っ込んで、東野さんをさらに孤立させたらどうする?」
僕は説得するように言った。もちろん、本音はもっと別のところにある。
「もっともらしいことを言うのね。本音はどうだか怪しいけど」
神楽坂さんが、じとっとした視線を向けてきた。やっぱり鋭い。
「梓はどう思う?」
七海さんはタイミングよく姫野さんに話を振った。……ずるい。姫野さんなら「助けたい」と口にして、多数決で押し切られる――そう読んでのことだろう。
「私は……やめておいた方がいいと思う。東野さんを助けるのは」
しかし、姫野さんの答えは予想外だった。七海さんも神楽坂さんも、一瞬きょとんとして耳を疑うように彼女を見つめる。
「助けてあげたいのは私も一緒だよ。でも、凪人君の言うことも最もだと思う。運動部でのイジメなんて、ある意味日常茶飯事でしょ? それに……部外者の私たちが首を突っ込んでいいことなのかな」
小さな声ながらも、必死に言葉を紡ぐ姫野さん。皆の視線を受け、早口になってしまっている。
「梓……どうしたの?」
七海さんは心配そうに覗き込む。その眼差しには疑いの色はなく、ただ友達を案じる優しさだけが宿っていた。
「べ、別に。なにもないよ」
「嘘。梓が理由もなく、そんなこと言うはずがない」
「そ、そんな……楓ちゃん。買い被りすぎだよ。私、普段から……こんな人間だもん」
姫野さんは必死に誤魔化すが、その顔は赤くなり、視線は落ち着かない。
相手の表情を見抜くことに関しては鋭い彼女だが、自分の感情を隠すのは苦手らしい。
「どっちにしろ、今回の件は見送ろう。やっぱり他部の内情を、むやみに掘り返すのはよくない」
僕は姫野さんの顔色を気にしながら、フォローのつもりで口にした。
「ダメ。静ちゃんは絶対助ける。それは多数決だろうとなんだろうと――絶対! 部長命令だよ」
七海さんが強い口調で言い放った。……いや、部長って僕じゃなかったっけ? 今すぐ権限譲る気満々なんだけど。
「それと、梓。――隠し事はなしって、言ったよね」
七海さんは少し怒ったような目で姫野さんを睨む。その視線に姫野さんはたじろぎ、困惑し、口を閉ざした。
空気が重くなる。七海さんと姫野さん――二人の間に目に見えない火花が散っている。
どうしたものかと神楽坂さんの方を見ると、彼女は腕を組みながら、じっと僕を見つめていた。
――元はと言えば、あなたのせいなんだから。責任取りなさい。
言葉にせずとも、そんな圧力をかけてくる視線だった。
僕は考え込む。七海さんに賛同すれば、部はそのまま東野さんを救う方向へ。僕も姫野さんも、渋々ながら協力せざるを得なくなる。
逆に姫野さんに賛同すれば、七海さんは猛反対して単独、もしくは神楽坂さんと動くだろう。そうなれば二人の仲は完全にこじれる。
正直、どちらに転んでも面倒くさい。
でも――この空気のまま放置するのは、もっと面倒だ。
「あのさ。じゃあ、こうしないか」
僕が手を挙げると、三人の視線が一斉にこちらに集まる。
「東野さんは助ける方向で動くよ。一応、部の本来の活動は人助けだし。まったくやらないで写真部としてだけ活動するのも、僕自身ちょっと罪悪感があるからな。……だから、一度くらいは加担する。僕も知恵を貸すよ」
七海さんの顔がぱっと明るくなる。
反対に――姫野さんの表情は、不安と迷いに曇っていった。
「だけど今回、この人助けの活動に、姫野さんは加えない。正しくは、外部に動くような情報収集には参加させない。――姫野さん。悪いけど、それでいいよね?」
「えっ……あ、うん」
ほぼ一方的な僕の提案に、姫野さんは反射的に頷いた。
「ちょっと待ってよ!」
七海さんがすぐさま声を上げる。眉を吊り上げ、露骨に納得できない顔。
「梓も同じ部の仲間なんだよ。それなのに、隠し事はそのままにして、活動から外すなんて……どういうこと? おかしいでしょ!」
七海さんは両手を広げ、強く主張する。――確かに正論だ。
もし姫野さんが悩みを抱えているのなら、それを解消した上で、四人で東野さんを助けるのが理想だ。
でも、それはあくまで正論。
「悪いね、七海さん。君と姫野さんの仲だから余計に口を挟みたくないけど……隠し事を責めるのは違う」
「違わない!」
と、七海さんが食い気味に言い返す。
「だってこのままじゃ、梓はずっと辛いままだよ!」
「だからって無理やり吐かせたら、もっと辛くなるかもしれないだろ! 強要することじゃない。――本当の友達なら、姫野さんが自分から話すのを待つべきだ」
言った瞬間、空気が張り詰めた。
七海さんの表情が険しくなる。
「凪君は、そうやっていつも逃げるよね。正論っぽいこと言って、結局、面倒事を避けたいだけじゃない!」
「……とにかく、これ以上は平行線だろ」
僕はわざと強めの声で割り込んだ。
「東野さんの件は助ける方向で動く。でもやり方は僕が決める。これ以上、無駄に揉める必要はない」
七海さんが「でも――」と食い下がろうとした瞬間、僕は言葉を被せる。
「部長命令は僕だろ? ここで決める。以上」
ピシャリと断言すると、七海さんはぐっと言葉を飲み込んだ。
納得したわけじゃないのは、その悔しそうな瞳を見れば明らかだった。唇を噛みしめ、拳を膝の上で固く握っている。
部室に重苦しい沈黙が落ちる。
姫野さんは怯えるように視線を揺らし、神楽坂さんは腕を組んだまま、呆れたような、面白がっているような目で僕たちを眺めていた。
「……ふん。強引ね」
神楽坂さんが鼻で笑う。
「でもまあ、夏目君らしいわ。正義感でも友情でもなく、自分の都合で押し切るあたりが」
七海さんはまだ不満を飲み込みきれないようで、視線を僕から外そうとしない。
――ああ、本当に厄介だ。正しいことを言ってるのは七海さんの方かもしれない。でも、正しいだけじゃ動けない時もある。
「じゃあ、この後の話しをしよう」
僕は椅子を引き、テーブルの資料をまとめるように動かした。
強引に、強制的に、話を進めるために。




