第20話 クズ神の告白
暗室に入ると、僕はまず電気を消す前にネガフィルムを取り出し、明るい場所に置いて確認した。撮った写真を見やすくするためだ。
「ねぇ、神楽坂さん。ちょっと思ったんだけど」
「なにかしら?」
「……そもそも、写真を現像する必要あるのかな? 考えてみれば、今回の目的は女子サッカー部を撮影することじゃなくて、イジメがあるかどうかを確認することだろ」
「そう単純に切り捨てないでほしいわね。一応、私たち写真部なんだから。それに夏目君――写真を現像したら、配らなきゃいけないんでしょう?」
「な、なんでそれを……」
「一年生の子たちが言っていたわよ。『夏目先輩、写真くれるんですよね?』って、やけに楽しそうにね」
うっ……さすが神楽坂さん、情報が早いな。実際は僕から言ったんじゃなく、あっちからしつこく頼まれて、仕方なく了承しただけなんだけど。
「ところで――どう思ってるの?」
「え? なにが?」
「すっとぼけないで。楓ならともかく、私や梓の目は誤魔化せない。……イジメを受けてる子、もう察しはついてるんでしょ?」
「……意外に神楽坂さんも鋭いんだな。姫野さんだけかと思ってた」
「褒め言葉として受け取っておくわ。で?」
「……なんとなくね。でも、断定はできない」
「断定して、踏み込んで、解決するのが――私たちの役目なんじゃないの?」
「……神楽坂さん。本気で言ってる?」
「当たり前じゃない。なによ、その顔」
「いや……」
言葉が続かなかった。やっぱり納得できない。
なんの報酬もなく、わざわざ人助けをする理由があるのか。氷室部長も言っていたじゃないか。――部外者は首を突っ込むな、と。
沈黙した僕に、神楽坂さんの毒舌が飛んでくるかと思った。だが、その時は違った。
「わかるわよ、夏目君の考えてること。――なんで私たち、こんなことしてるんだろうって。そうでしょう? こんなことしても一文の得にならないし、下手をすれば恨みを買う可能性だって高い」
神楽坂さんは壁に背を預け、まるで僕の気持ちに同意するように呟いた。
「私ね、楓とは高校からの付き合いなの。一年のときに同じクラスになったのよ」
それはこのあいだ姫野さんから聞いた。けれど僕はあえて口にせず、神楽坂さんの言葉に耳を傾ける。
「こう見えて、中学までは“普通の子”だったのよ。今みたいなクールで毒舌キャラじゃなかった」
……ああ、自覚はあるんだな。その言い回しに、ちょっとだけ安心する。
「知ってる? 美人って、全然得しないの。むしろ損ばかり。女子からは妬まれるし、男子からは顔だけで告白される。しかも、その男子が友達の好きな相手だったりすると最悪よ。翌日からビッチとか尻軽女とか、好き勝手に言われて、イジメられる。昨日まで笑って話していた子が、次の日には加害者に変わるのよ。信じられる?」
信じたくはない。けど、現実にはあり得る話だ。女子のイジメが男子よりも陰湿だというのは聞いたことがある。
「だから、辞めたのよ。人の顔色を伺うのも、人を信じるのも」
その横顔は決意に満ちているというより――仕方なく決めざるを得なかった、どこか寂しい影を帯びていた。
「ちょうどいい機会だったの。この高校には、中学時代の知り合いなんて一人もいなかったし。新しい自分を演じるには最適だったのよ。……私は相手に対して、素っ気なくて、態度も悪くしてた。だからね、私に声をかけてきた子なんて、一度目はあっても二度目はなかった」
そこで一瞬、神楽坂さんは目を細める。口調は淡々としているのに、表情にはかすかな柔らかさが浮かんでいた。
「……ただ、一人だけ変わり者がいたの。私がどれだけ冷たくあしらっても、何度でも話しかけてきた子。空気なんて読まない、人の気持ちもお構いなしに、真正面からぶつかってくる子」
「七海さんだね」
僕が言うと、神楽坂さんはふっと口元を緩め、静かに頷いた。
「ええ。私が『なんで毎日私に話しかけてくるの?』って聞いたら、楓は迷いなく答えたのよ。『私、紅葉さんと友達になりたい』って。私が『嫌よ』と言ったら、あの子は――『紅葉さんは嫌でも、私はなりたい』って、一歩も引かなかった」
「七海さんらしいね」
「でしょう? 正直、困ったわ。どうせ興味本位で、すぐ飽きて別の子のところへ行くと思っていた。……でも、違ったのよ。学校で話すだけじゃなくなった。気付いたら一緒に帰って、一緒に出かけるようになってた」
そう語る神楽坂さんは、少し楽しげで――どこか切なさを含んだ表情をしていた。
「私も頑固な方だと思うけど……楓と梓には敵わないわね。戦う前に、もう白旗を振りたくなる」
自嘲気味に笑う神楽坂さんの顔は、毒舌のときとは違い、どこか温かさを帯びていた。
「でもね、私、楓と一緒にいるのがすごく楽だったの。いいか悪いかは別として、あの子は裏表がないでしょう? 白黒つけるまで、とことん話すタイプ。今まで私の周りにはいなかった種類の友達だったわ」
神楽坂さんはふっと目を細めた。その声色には懐かしさと切なさが入り混じっている。
「でもね――そんなある日、私たちの関係を壊してしまう事件が起きたの」
急に真剣な表情で、神楽坂さんは宙を見上げる。
「楓、一年のときに野球部の三年生……三浦先輩を好きになったの。知らないと思うけど、楓は一時期、野球部のマネージャーをしていたのよ。短い間だったけどね。三浦先輩はエースで、イケメンで、明るい人。――そうね、夏目君とは正反対のタイプかしら」
……なぜここで僕をディスる? 言い返したい気持ちを必死で押し殺し、僕は黙って続きを待った。
「でもね、告白したけど駄目だったみたい。『好きな人がいるから』って断られて。楓、ショックを受けたけど、それでも必死に立ち直ろうとしていたわ。その矢先よ。なぜか私が三浦先輩に呼び出されたの。放課後の体育館裏――想像つくでしょう?」
「……告白されたんだね」
「ご名答」
神楽坂さんは口元だけで笑った。けれどその笑みは、彼女らしくない、どこか苦みを含んでいた。
「おかしいでしょう? 三浦先輩と私、まともに会話したことすらなかったのよ。それなのに告白。正直、またかって思った。だけど……その瞬間、私は怖くなったの。断ること自体は簡単。でももし楓に知られたら、また私は友達を失う――そう思った」
最初はどうでもいい存在だったはずの七海さん。それが気づけば、神楽坂さんにとって失いたくない存在に変わっていたのだろう。
「私が答えに困っていたとき、三浦先輩はさらに最低なことを言ってきたわ。『神楽坂さん、君が楓ちゃんと仲がいいのは知ってる。ここで僕の告白を断ったら、楓ちゃんとの関係が気まずくなるんじゃない? ああ、大丈夫。付き合ってくれれば、このことは楓ちゃんには黙っておくよ』……だって」
「……クズだね。そいつ」
「ええ、クズよ。クズの最上級。クズ神ね」
皮肉めいた声に毒舌が混ざる。けれど、その瞳はどこか遠い記憶を映しているようで、僕は思わず息を呑んだ。




