第12話 暗室に沈む約束
暗室内。赤色灯に照らされた薄暗い部屋で、僕と姫野さんの二人きり。
彼女は隣でじっと僕の作業を覗き込んでいた。……いや、近い。距離感、近すぎる。
横目で見ると、姫野さんは真剣そのもの。頬にかかった髪を気にも留めず、僕の手元を凝視している。真剣なのは嬉しいけど、女の子の免疫がない僕からしたら……正直、ドキドキする。胸があったら完全に当たってる距離だぞ、これ。
三枚分の現像を終え、ふと姫野さんを見ると――ようやく距離の近さに気づいたらしい。
「わわっ……ご、ごめんなさいっ」
慌てて跳ねるように離れると、両手で頬を押さえ、俯いてしまった。
「姫野さん、別に怒ってないから」
「……ほんとに?」
おずおずと上目遣いで覗いてくる。うさぎみたいに潤んだ瞳に、思わず心臓が跳ねた。
「それよりさ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「……な、なにかな?」
声も震えていて、なんだか守ってあげたくなる。
「三人って、いつからの付き合いなの?」
「三人……って、楓ちゃんと、紅葉ちゃんのこと?」
「そう」
すると姫野さんは、小さく頷いて語り始めた。
「付き合いは……そんなに長くないよ。三人とも、高校から……だから」
「そうなんだ」
「うん……私ね、友達が全然できなくて……体育の授業のとき、三人一組を作るってなって……困ってたら、楓ちゃんが『一緒にやろう』って声をかけてくれたの。それが最初……」
思い出すように目を細め、口元に微かな笑みを浮かべる。
「その時、もう楓ちゃんと紅葉ちゃんは仲良くて……私はそこに、ちょこんって入れてもらっただけ。だから、未だに不思議なんだ……あんなに明るくて可愛い楓ちゃんと、美人で憧れられる紅葉ちゃんの隣に、なんの取柄もない私がいていいのかなって」
自分を卑下する声は小さく震えていて、思わず言葉を探す。
「でも……二人は、私の顔色なんて伺わずにズバズバ言ってくれるの。それがね……嬉しかった。楽だったの」
そう言った後、姫野さんはふっと目を伏せる。
「だけど……いつか見捨てられるんじゃないかって、怖いの」
僕は何も返せずにいた。本当は「そんなことない」と言うべきなんだろうけど、この子にはそんな嘘は通じない。中途半端な慰めは逆に傷つける。
「姫野さん。大人しいのは悪いことじゃないよ。僕だって……あの二人より、姫野さんの方が話しやすい」
「……ほ、本当?」
「本当だよ。二人は……ちょっと個性的過ぎるから」
「ふふっ……たしかに」
小さく笑った顔が、暗室の赤に照らされて柔らかい。
「……でもね、凪人君。あの二人はすごく優しいんだよ。人見知りな私よりずっと輝いてて……お喋りも楽しいし」
やっぱり最後は自分を下げる。そんな彼女がもどかしい。
「姫野さんは、人見知りな自分が嫌い?」
「……うん。大っ嫌い。うまく喋れなくて……たくさん人を傷つけて、困らせてきたから」
「……僕は嫌いじゃないな。むしろ好きだよ」
「え……ど、どうして?」
ぱちくりと瞬き、期待に満ちた瞳で僕を見上げる。ああもう、その目で見られると逃げられない。
「人見知りってさ。相手のことを本気で考えるから、言葉が出てこなくなるんでしょ。それって優しさだと思う」
「……優しい人なら、すぐ言葉を返せると思うけど」
「いや、違うよ。本当に考えてたら、そんな簡単に言葉は出ない。器用に振る舞える人が凄いって評価されるけど……結局はその場しのぎだ」
僕の言葉に、姫野さんは少し潤んだ目で微笑んだ。
「……ありがと、凪人君」
けれど次の瞬間、小さく僕の裾を握りしめ、少しだけ困ったように顔を上げる。
「……凪人君。今の話、本当は……自分のこと、言ってたんでしょ」
胸を撃ち抜かれ、言葉が詰まる。
「で、でもね……私は凪人君のこと、コミュ力が高いだけの人だなんて思わないよ。本当は誰よりも……優しい人」
「……買いかぶりすぎだよ、姫野さん」
笑って誤魔化す。そんな自分が一番嫌いなのに。
姫野さんは否定せず、ただ柔らかく微笑んだ。
「……あのね。こんなこと言ったら怒られるかもだけど」
「どうしたの?」
「……人物画を撮らない理由。いつか……教えて、ね」
水面に雫が落ちるような、小さく澄んだ声だった。
「……うん。わかった」
優しく頷いた瞬間、姫野さんはショックを受けたように瞳を揺らし、すぐ「ごめん」と俯いてしまう。
――僕は嘘をついた。優しい嘘のつもりだった。でも、彼女には通じなかった。




