第10話 シャッターに刻む覚悟
……え? 誰が?
顔を上げる。三人とも、同じ相手を見て固まっている。
そう、七海さんだ。彼女は困ったように笑って、軽い調子で――けれど芯のある声音で言った。
「ごめんね。凪君。無理しなくていいから」
こちらを一瞥し、七海さんは困ったような笑みを浮かべる。
――は? なんだよ、その諦め顔。意味が分からない。
「いやいや、何言ってんだよ! ここで諦めちゃダメだろ。せっかく部活を作れるチャンスなんだぞ!」
気づけば、何故か僕が熱くなっていた。
「あなたがそれを言うのね」
神楽坂さんが冷えた声で、しかし口元にかすかな笑みを浮かべてツッコミを入れる。
確かに彼女の言う通りだ。自分でも分からない。どうして僕が真っ先に熱くなっているのか。ただ、 なんだろう。どうしようもない苛立ちを覚えていた。
「部活が出来なきゃ、困るんだろ?」
「困るよ! 困るけど……私、凪君に写真を嫌いになってほしくないの!」
「は? なんだよ、それ」
意味が分からない。どういう理屈だ。
七海さんは眉を寄せ、悔しさとも寂しさともつかない複雑な表情を浮かべ、激しく首を横に振った。
「さっきの凪君、カメラを見つめる目がすごく優しかった。いつもの偽りの笑みとは違って、本当の笑顔だった。私、思ったんだ。ああ、凪君、本当に写真を撮るのが好きなんだなって。私、写真なんて全然興味ないけど……一瞬だけ、本気で惹かれちゃったんだよ」
――おい、芥川先生の前で「写真に興味ない」とか言うなよ、バカ。写真部が偽装だってバレるだろうが。
「でも、人物画を撮るって言われた瞬間、すごく辛そうな顔してた。私、写真のことはよく分からないけど……凪君には写真を嫌いになってほしくない!」
「でも、ここで断ったら写真部は結成できない。それこそ、君のやりたいことも出来なくなる」
普通なら「はい、そうですか」と受け流せば済む話だ。でも、それじゃ後味が悪すぎる。
「大丈夫。別の方法を考えるから!」
七海さんは親指を立て、笑みを見せる。
……ああ、ほんとバカだ。テラバイト級のバカ。この子の頭、やっぱりお花畑だ。
正直、人物画なんて死ぬほど撮りたくない。けれど七海さんにこんな形で借りを作るのは、絶対に嫌だ。何より――舞のこともある。ここで三人の繋がりを失うわけにはいかない。
大丈夫だ。人物画を撮っても、そうそう発動なんてしない。そう自分に無理やり言い聞かせた。
「芥川先生」
「なんだい」
「僕、人物画を撮ります」
覚悟を決めて頷いた。
「凪君……」
七海さんは心配そうに僕を見ている。
「勘違いしないでくれ。別に七海さんのためじゃない。君に貸しなんて作りたくないし、僕だって写真部が出来なきゃ困るからね」
早口でまくし立てると、七海さんは「ありがとう」と微笑んだ。
一瞬、胸が高鳴ったが、すぐに芥川先生へ視線を戻す。
「で、人物画って、何を撮ればいいですか?」
芥川先生は半端な笑みを浮かべ、七海さんたちの方へ顔を傾けた。
「なに言っている。ここに、いいモデルが三人もいるじゃないか」
芥川先生の一言に、三人はハッとした顔をする。
「えー、私、昨日前髪切りすぎちゃったから絶好調じゃないんだよね」
七海さんは慌てて鞄から小さな鏡を取り出し、顔をチェックし始めた。今から写真写りの言い訳を準備とは、ご苦労なことだ。
「私、今日は勝負下着じゃないの。で、どこまで脱ぐつもり? まさか全裸じゃないでしょうね。まあ、脱げって言うなら脱ぐけど」
神楽坂さんはなぜかヌード写真だと勘違いしている。しかも断る気ゼロ、むしろやる気満々だ。……ああ、クールに見えてそういうキャラだったのか。不思議と親近感を覚えてしまう自分が怖い。
「えっ、全裸? そ、そんな……わ、私の貧相な体なんて、人に見せられるようなものじゃ……」
姫野さんは神楽坂さんの冗談(冗談かどうかは怪しいが)を真に受けてしまったらしく、胸に手を当てて顔を真っ赤にしながら俯いている。
……姫野さんの反応、普通に可愛いな。これを“萌える”っていうのか。頭を撫でたくなる衝動に駆られる。
「いいから三人とも、そこに並びなさい。服は脱がなくていいから」
芥川先生は三人のやり取りを完全スルーして指示を出した。
――え、脱がないの? ちょっと期待してたんですけど。……なんて口に出せるわけがない。姫野さんあたり、泣きそうだし。悪ふざけはやめておこう。
芥川先生に促され、三人は指定された場所に並ぶ。
背景には窓。外には桜が咲き、自然とバックになっていた。さすが芥川先生、いい場所を選ぶ。
姫野さんを除けば、残りの二人は性格に難ありだが、被写体としては申し分ない。あくまで被写体として、だが。
並びは――真ん中に七海さん。右に神楽坂さん。左に姫野さん。
「ちょっと凪君、可愛く撮ってよ。出来るだけ、前髪は写さないで」
と、無茶ぶりする七海さん。
「撮った後、この写真を如何わしい用途に使っちゃダメよ。もし使うなら許可を取りなさい。……三千円の格安で手を打ってあげる」
と、懲りずに下ネタをぶっこんでくる神楽坂さん。
「が、頑張って。凪人君なら、きっと大丈夫だよ」
まともで優しい言葉をかけてくれるのは、結局姫野さんだけ。まあ、何を根拠に大丈夫と言えるのか問いただしたいが、捻くれ者だと思われるのも嫌なのでやめておく。
芥川先生に目をやると、静かに頷いていた。
僕はカメラの巻き上げを回し、構えてファインダーを覗く。まだぼんやりしている像を、距離リングを回してピントを合わせていく。
……徐々に三人の輪郭が鮮明になる。
人を撮るのは、何年ぶりだろう。
あの日、自分の力を知ってから、人物を撮るのをやめていた。それが、まさかこんな形でもう一度――。
人生って、本当に不思議だな。
そんなことを思いながら、僕はシャッターを切った。
撮影を終え、フィルム残数を確認すると、ちょうど最後の一枚だった。
僕は底面の巻き戻しボタンを押し、左上の巻き戻しクランクを回していく。
顔を上げると、三人はポカンとした顔をしていた。
「あれ? 写真は?」
七海さんは前髪を隠すポーズのまま尋ねる。
「もう撮ったけど」
「うそっ! いつの間に!」
七海さんは眉を跳ね上げて、「普通、はいマッスルとか言うでしょ」とクレームをつけてくる。
……うん。はいマッスルとか言わないと思うけど。
「芥川先生。あとは現像すればいいんですね」
七海さんの文句をスルーして、僕は先生に確認する。
「ああ、そうだね」
許可を得て、僕は裏蓋を開けフィルムを取り出す。
そして暗室へ。後ろには芥川先生だけでなく、三人もぞろぞろと付いてきた。
――マジかよ。この狭い部屋に五人も入るのか。
現像は本来、一人で集中して没頭できる癒しの時間なんだけどな。まあ、テスト中だし仕方ない。
材料を確認しながら現像の準備をする。
引伸機のキャリアーにネガをセットし、ブロワーで埃を飛ばす。意外にも三人は黙ったまま真剣に見ている。
……騒いだら追い出すつもりだったから、少し拍子抜け。でも静かな方がいい。
部屋は窓がない。ドアを閉めれば外光は入らない。
照明を消してセーフライトを点けると、室内は赤色灯に染まった。
イーゼルに印画紙をセットし、露光。
その後、掴み棒で印画紙を現像液に沈める。揺すり続けると、うっすらと像が浮かび上がってくる――運が良ければ、それで終わるはず。
久しぶりの人物写真の現像。浮かび上がる像に合わせて、心臓が激しく鼓動し始めた。
「凪君? どうしたの?」
突然、肩を叩かれ我に返る。七海さんだ。手元を見ると、写真はすでに完全に浮かび上がっていた。
……ほっと胸を撫で下ろす。どうやら惨劇は起きていない。
「ああ、ごめん。なんでもない」
適当にごまかしつつ、停止液、定着液へと順に移す。
最後に印画紙をテーブルへ置き、乾くのを待つだけとなった。




