第9話:アウトバックの洗礼と、白豪主義を砕く鉄拳
差別についての表現がありますが、あくまで1990年代の筆者の実体験に基づくもので、オーストラリアを貶めるものではありません。
ただ、席の話やわざとウェイターが気づいてくれないなどは、たかが一週間で何回かありました。
料理は美味しかったですw
室蘭でのディープな帰郷と過去への介入を終え、俺とガーベラは一度札幌のマンションへと帰還していた。
数日間は特に何をするでもなく、近所のラーメン屋で熱々の味噌ラーメンを啜ったり、テレビを見ながらダラダラと過ごす、最高に堕落したまったりタイムを満喫していた。
そんなある日の午後。
居間で寝転がってテレビを眺めていたガーベラが、ふと画面を指差して身を起こした。
ブラウン管の向こうでは、どこまでも広がる赤茶けた荒野と、その中央に鎮座する巨大な一枚岩――エアーズロックの雄大な姿が映し出されていた。
「おお……太よ、あれはなんじゃ? 地の底から隆起した大精霊の岩のような……見てみたいぞ!」
「あー、エアーズロックか。オーストラリアだな。よし、じゃあ次はオーストラリアに行ってみっか!」
思い立ったが吉日。俺たちはすぐさま旅行の準備を始めた。
とはいえ、当時の俺はオーストラリアのことなど大して詳しくない。ふと意地悪な悪戯心が湧き、鞄に荷物を詰め込むガーベラに向けて大仰に肩をすくめてみせた。
「いいかガーベラ。オーストラリアってのはな、俺の記憶にある『世紀末な拳法のマンガ』の元になった暴走族がウヨウヨいる国だぞ~。モヒカンで肩パッドつけたヒャッハーな連中が、トゲトゲのバギーに乗って襲ってくるヤバい所かもよ~?」
ガーベラはピタリと手を止め、ジト目で俺を見返した。
「……そりゃ『マッドマックス』って映画の話で、フィクションじゃろう? 太の記憶データベースから検索すれば一発でわかる嘘をつくでない。わしはコアラは特に可愛いとは思わんが、ウォンバットとやらとカンガルーが見たいし、あの巨大な岩に登りたいのじゃ。ヒャッハーな連中が来たら全部消し炭にしてやるから、はやく行くのじゃ!」
さすがは我が嫁、情報リテラシーが完璧である。俺の適当な脅しは完全にスルーされた。
俺たちは直接エアーズロックに向かうのではなく、大陸の南東に位置する大都市・メルボルンを最初の地点に選んだ。そこから車で約2300キロ――日本で言えば札幌から九州を通り抜けるほどの途方もない距離を、あえて走破してやろうという算段だ。
メルボルンまでの移動は、もちろん飛行機などという悠長なものは使わない。ガーベラが展開する10万体の使い魔ネットワーク『ガーベラアース』の座標指定による、一瞬の空間転移だ。
♦
眩い光が収まると、俺たちはすでにメルボルンの路地裏に立っていた。
季節は北半球と逆。ひんやりとした空気が心地よい。
「まずは腹ごしらえだな。移動で腹が減った」
「うむ! オージーなんとかというデカい肉を食うのじゃ!」
俺たちは大通りに出て、雰囲気が良さそうな小洒落たレストランに入った。
通りに面した開放的なテラス席はいくつか空いており、現地の白人客たちがワイングラスを傾けながら談笑している。気候も良いし、テラス席で食事をするには最高のロケーションだ。
俺は案内係に「外の席がいい」と英語で伝えた。
しかし、ウェイターの男は俺たちの顔をジロリと一瞥すると、わざとらしい笑顔を貼り付けて言った。
「テラスは予約でいっぱいでね。こちらへどうぞ」
そう言って案内されたのは、薄暗い店内の一番奥。あろうことか、トイレの出入り口のすぐそばにある、狭くて陰気なテーブルだった。
俺たちがそこに座らされたのを見て、テラス席にいた地元の家族連れらしき連中が、こちらを見てヒソヒソと嘲笑うような視線を送ってきたのがわかった。
「……ん? 太よ、外の席を頼んだはずじゃが?」
ガーベラが不機嫌そうに眉をひそめる。俺はため息をついて、小声で答えた。
「あー……忘れてたわ。俺たち、日本人じゃん? この時期のオーストラリアって『白豪主義』っていって、白人以外に対する明らかな差別がまだバリバリに残ってんだよ。マスコミなんかじゃあんまり大っぴらにやらないけど、平成に入ってからでも、現地に行きゃこういうあからさまな対応をするオージーってゴロゴロいたしなぁ」
「……ふーん、なるほどの」
ガーベラの声の温度が、スッと絶対零度にまで下がった。
彼女は、あからさまにこちらを見下した目をしている先ほどのウェイターを、あえて「わざと」大声で手招きして呼んだ。
ウェイターは「やれやれ、これだから黄色はマナーがなってない」とでも言いたげな、呆れたような薄ら笑いを浮かべてゆっくりと近づいてきた。
「何かご不満で――」
ドンッ!
男の言葉が終わるより早く、ガーベラは目にも留まらぬ速さで立ち上がり、ウェイターの喉仏を片手でガシッと掴み上げた。
「がっ……!? ひゅっ……!?」
「ほう。お主はジョンと言うのか」
ドワーフの恐るべき膂力で、大柄な白人の大人が軽々と宙に吊り上げられる。
俺は(うわー、やっちまった)と思いつつも、即座に店全体を覆う不可視の『絶対障壁』を張り巡らせた。これで中からは誰も出られないし、外からは中の様子が認識できない。
テラス席で俺たちが便所横に案内されたのを見て笑っていた連中も、まとめて閉じ込めておいた。同罪だからいいだろう。
ガーベラは男をギリギリと締め上げながら、彼の心の中を読み取って冷酷に言い放つ。
「住所はマルーン通り263。嫁と娘がおるの。んー、残念ながら嫁も娘もお主と同じ、筋金入りの差別主義者じゃのう……。まっ、お主が死んだら、後でまとめて向こうへ送ってやるから心配するな」
そう言うと、ガーベラはテーブルの上にあった鋭いステーキナイフを手に取り、男の心臓に向けて容赦なく振り上げた。
目がマジだ。冗談でも脅しでもない、完全に「殺す」目である。
「ちょ、ちょちょちょ待てえーい!!」
俺は慌ててガーベラの腕に飛びつき、全体重をかけて必死にナイフを止めた。
「なんじゃ離せ太! わしはな、自分では何も成してない人間の分際で、『亜人のくせに』とか『肌の色が違うくせに』とか言って見下してくる、こういう手合いの奴が一番嫌いなんじゃ! 一族まとめて死ねばいいんじゃーーっ!!」
激昂するガーベラの声を聞いて、俺の脳内に一つの事実がすとんと腑に落ちた。
……なるほど、こういう理不尽な『差別』が、ガーベラの最大の逆鱗だったのか。
そういえば、異世界ノリディアにいた頃、彼女は「人間嫌いだから」と言って森の奥に引きこもっていた。俺はてっきりただのコミュ障か面倒くさがりだと思っていたが、人間社会で亜人差別を受けるたびにこうして『バーサクモード』になり、最悪の場合、国の一つや二つを物理的に滅ぼしかねないからこそ、自ら引きこもる道を選んだのだろう。
そう考えると、ノリディアの王都や王城が、最強の賢者である彼女をあえて無理に招聘しなかったのは、国を滅ぼさないためのベストなやり方だったというわけだ。
「よしよし、わかった。お前の怒りはもっともだ。だがな、ガーベラさんや」
ゴキッ。
「…………あ」
「あ……ウェイターの首、折れちゃった」
俺がなだめている最中、ガーベラの握力に耐えきれなくなったジョンの首が、嫌な音を立てて明後日の方向を向いた。男は白目を剥いて完全に事切れる寸前だ。
「息があるうちに治さなきゃっ!」
俺は慌てて超高位の治癒魔法を男にかけ、バキバキに砕けた頸椎を瞬時に修復した。
ズドォンと床に落ちたジョンは、ゼェゼェと激しく咳き込みながら、恐怖で顔面を青ざめさせている。
「ふう……。ガーベラさんや。確かに嫌な奴だったしムカつくのはわかるけど、首を絞めながら『家族も殺してやる』とか言うのは、ヒロインとしていけませんよ?」
「むぅ……すまん。ついカッとなっての」
シュンと反省する嫁の頭を撫でてから、俺は障壁の中で凍りついている他の従業員と、テラス席の客たちをぐるりと見渡した。
全員、先ほどのガーベラのブチ切れっぷりと、宙に浮いた男の首が折れる瞬間を見て、恐怖のあまり声も出せずにガクガクと震えている。
「さて、じゃあ残った君たち。これから俺が特別な魔法をかけるよー」
俺はニコニコと笑いながら宣言した。
「今ここで起きた一連の出来事は、『これから殴られたら忘れる』という記憶処理の魔法だ。よし、ガーベラさん。全員に力いっぱいボディーを打っていいよ」
「おお! 任せるのじゃ!」
水を得た魚のように飛び出していくガーベラ。
次の瞬間から、レストランの中に鈍い打撃音と絶叫が響き渡り始めた。
ドゴンッ!!
ボギンッ!!
ドグゥッ!!
「ぐああっ!」
「ひげっ!」
「うーん……後で魔法で治せるからって、内臓破裂するまでやるのはやりすぎだと思うぞー」
俺は呑気に紅茶を啜りながら、血反吐を吐いて吹き飛んでいくオージーたちに次々と治癒魔法をかけ、同時に記憶を綺麗に刈り取っていった。
数分後。
店内は静寂を取り戻した。記憶を消された客や従業員たちは、何事もなかったかのように(なぜか全員お腹を押さえて苦しそうにしているが)業務や食事に戻っている。
その中で、一人だけ記憶を残されたウェイターのジョンが、床に這いつくばったまま俺を見上げてガチガチと歯を鳴らしていた。
「さあて。君はあえて記憶を残してあげたけど、どうする? うん?」
「ヒッ……! た、ただいま、外のテラス席へご案内いたします……ッ!!」
「うん、よく出来たね。今日から、奥さんと娘さんにも『人種差別は命に関わるからやめるように』ってしっかり教育しなよ? 俺たち、いつかまた確認に来るからさ……」
俺が笑顔で脅しをかけると、ジョンは何度も何度も頭を地面に擦り付けて頷いた。
♦
見晴らしのいいテラス席の特等席。
俺はテーブルの天板を指で『カツ、カツ』と鳴らしながら、直立不動で冷や汗を滝のように流しているジョンを見上げた。
「で? お前のおすすめはどれだ?」
無言のプレッシャーに耐えかねたジョンは、必死にメニューをめくり、命がけのプレゼンテーションを始めた。
「お、オージービーフの熟成赤身のステーキ……それから、地元の名物、ワニ肉のグリル・ハニーマスタードソース添え……そして、近海で獲れた新鮮なサメのソテー、オレンジソース仕立て……これらが、当店の最高のメニューでございます……ッ!」
「ほう。なかなか面白そうなラインナップじゃないか。じゃあ、全部持ってこい。ガーベラ、お前もそれでいいか?」
「うむ! サメにワニとは、豪快でよいのう!」
注文を受けたジョンが逃げるように厨房へ走っていく。
俺はすぐさま彼を呼び止め、ペアリングの酒を指示した。
「おい、酒を忘れてるぞ。ステーキには、あえて珍しい『赤のスパークリング』を合わせろ。ワニ肉には食中酒としては珍しいだろうが『ジンリッキー』だ。そしてサメのソテーには、スッキリした『白ワイン』を。わかるな?」
「は、はいぃッ!!」
やがて、運ばれてきた料理はどれも一級品だった。
暴力の恐怖で料理人が本気を出したのか、それとも元々腕が良いのかはわからないが。
まずは分厚いオージービーフの熟成赤身ステーキ。
ナイフを入れると、肉々しい赤身から濃厚な旨味が溢れ出す。それを咀嚼し、口の中に肉の重たい脂が残ったところで、冷えた赤のスパークリングを流し込む。シュワッとした炭酸と赤ワインの渋みが、重たい舌を綺麗に洗い流し、また次の肉を欲する無限ループを作り出す。
「うまい! この泡の酒、肉に負けておらんぞ!」
次に、ワニ肉のグリル。
食感は鶏肉のように淡白だが、噛むと野性味のある独特の弾力がある。そこに甘酸っぱいハニーマスタードが絡み、絶妙なジャンクさを演出している。俺はすかさずジンリッキーのグラスを傾けた。辛口のジンと炭酸、そしてライムの鮮烈な香りが、ハニーマスタードの甘さをピリッと引き締めてくれる。
そして最後は、サメのソテーだ。
「ほほう、サメというのはもっとアンモニア臭いものかと思っておったが、まったく臭みがないのう」
「へー、新鮮なサメは臭みなんてないんだなあ。それに、このオレンジソースがいい仕事してる。日本人じゃなかなか魚にオレンジを合わせる発想は出ないが、この柑橘の爽やかさが、淡白なサメ肉の旨味を極限まで引き出してるんだな。ここで白ワインを……くぅーっ、たまらん!」
俺たちは、極上のペアリングとオーストラリアの味覚を心ゆくまで堪能した。
会計の際、チップとして多めの札束をジョンに握らせてやると、彼は泣きそうな顔で「Thank you, sir...」と震えていた。
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極上のグルメを満喫した俺たちは、いよいよエアーズロックへ向けた2300キロのドライブに出発するため、路地裏で愛車を空間収納から呼び出した。
カンカン照りの太陽の下、赤茶けた荒野の入り口に姿を現したのは、ツートンの流麗なボディラインを持つ俺の魔改造『ソアラ』だ。
さりげなく落とされた車高。キャンバーのついた太いタイヤ。そして一品物のエアロパーツ。
1981年のオーストラリアには存在しないどころか、後に世界中を席巻する『JDM(Japanese Domestic Market)』というカスタムの概念すら、まだこの時代には存在していない。
「ヒュー! なんだあのクールな車は!?」
「信じられねえ、あんな平べったい車高で走るのか!?」
たまたま通りかかったピックアップトラックのオージーたちが、目を丸くして身を乗り出し、俺たちのソアラを食い入るように見つめている。
「ふっ……見ろガーベラ。俺のソアラのカッコよさは、時代も国境も超えるんだよ」
「はいはい。それより早く出発するのじゃ。ウォンバットがわしを待っておる!」
俺はキーを回し、直列6気筒エンジンを咆哮させた。
重低音のエキゾーストノートが響き渡る。タイヤがけたたましいスキール音を上げ、砂煙を巻き上げながら、俺とガーベラを乗せたソアラは、果てしなく続くオーストラリアのアウトバックへと走り出した。




