第8話:過去の自分への鉄拳と、似合わないソバージュ
イタンキ浜の駐車場。
夕暮れのロマンチックな空気をぶち壊すように、俺の魔改造ソアラのボンネットには、絶賛黒歴史を量産中の『13歳の中坊の俺(太田太)』がドカッと腰を下ろしていた。
俺はそいつの襟首と髪を強引に掴み、顔面を真正面から睨みつけた。
「いってえ! コラてめえ離せ! ぶっ殺すぞ!」
13歳の俺(以下、CB太)は、完全にイキリ散らかしたヤンキー特有のキャンキャン吠えるような声で暴れ出した。ついでに、周りにいたペチャンコのチョンバンを持ったガキどもや、長めのスカートを履いた女ヤンキーたちまでが「んだオメー!」「やんのかジジイ!」などと喚きながら、あろうことか俺の可愛い嫁であるガーベラにまで凄み始めた。
(うわー……頭悪そうだわコイツら……)
令和の精神年齢を持つ150歳超えの俺からすれば、ただの痛々しい子供の群れだ。
だが、俺は「大人げない」という言葉を異世界ノリディアに置いてきた男である。自分の愛車にケツを乗せられ、愛妻に凄まれた。その事実だけで十分だった。
イラッとした俺は、手加減なし(※死なない程度)で拳を振り上げた。
ドゴォッ! バキィッ!
「あべばっ!?」
「ひげっ!」
「あぐぅっ!」
女ヤンキーだろうが一切の容赦はしない。全員の顔面が物理的にベコッと凹むくらい、平等に鉄拳制裁を下してやった。駐車場に、昭和の不良たちの無様な呻き声が響き渡る。
「や、やりすぎじゃ! お主、自分をイジメてどうするんじゃ!」
慌ててガーベラが止めに入り、地面に転がって白目を剥いているガキどもに治癒魔法をかけ始めた。淡い光が彼らの顔面を包み、折れた鼻っ柱や陥没した頬骨がみるみるうちに元に戻っていく。
俺はその光景を見下ろしながら、ポツリと呟いた。
「……ヤベエ。思ってた以上に、コイツらに何の思い入れも湧かないわ」
「お主なぁ……」
「いやマジで。過去の自分だっていうのに、コイツちっとも可愛くないわぁ。そもそも、俺がこうして1981年に戻ってきて介入してる時点で、この世界は俺が元いた世界線とは違う『パラレルワールド』なんだろ? だったら、このガキがこの先どうなろうと、俺の知ったことじゃなくね?」
ハッと思いついた俺の身も蓋もない暴論に、ガーベラは呆れたようにため息をついた。
治療が終わったガキどもは、何が起きたのか理解できずガクガクと震えている。
「ほら、もういいや。さっさと解散しろ。二度と他人の車に触るなよ」
俺がシッシッと手を振ると、CB太と仲間たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
ソアラの車内に戻り、俺はガーベラに先ほどの『パラレルワールド論』について話した。
助手席のガーベラは、うんうんと頷きながら口を開いた。
「そうじゃな。ここはこうして太が戻ってきて、過去の自分と会ってしまっている時点で、以前お主がいた世界とは決定的に変わってしまっておる。じゃから、あの中坊と今の太が、完全に連続した同一人物というわけではないじゃろう」
ガーベラはそこで言葉を切り、優しく俺を見つめた。
「じゃが……根っこの部分は同じとも言える。太よ、お主、ノリディアで治癒魔法を身につけた時、記憶の中で『これがあれば、母親のガンを治せたかもしれないのに』とか、『姉の健康を案じておった』じゃろ? どうせここまで来たのなら、治癒魔法を使って、将来の病気がないようにしておけばどうじゃ?」
ドキン、と心臓が鳴った。
確かに俺は、異世界で高位の治癒魔法を習得した夜、一人で空を見上げながら「ああ、この力があの時あれば、お袋のガンも治せたのかな」「姉貴や義兄さんは今頃、元気にしてっかな」と、叶わない感傷に浸ったことがあったのだ。ガーベラは、俺のデータベースからその感情の揺れ動きを正確に拾い上げてくれていた。
確かに、俺がいた世界と完全に同じではないかもしれない。
でも、俺がガーベラと一緒にこの世界で楽しく生きていくために、俺のルーツである『お袋』と『姉貴』には、少しでも幸せに、健康になっておいてほしい。
「……ガーベラ、お前ってやつは。さすが俺の嫁だな」
俺は感極まって、助手席の愛妻を思い切りハグした。ガーベラは「むぎゅっ」と可愛い声を漏らしてされるがままになっている。
ふと横を見ると、遠くの防波堤の陰から、逃げたはずのCB太たちがまだこちらの様子を窺っていた。俺は一旦車を降りて、無言で縮地を使って背後に回り、全員の頭にもう一発ずつゲンコツを落としてから出発した。
♦
その夜。
俺とガーベラは、室蘭の歓楽街にある小さなビルの一角に立っていた。
古びたドアには『スナック・淡色』という見覚えのある看板が光っている。俺の母親が当時経営していた店だ。
深呼吸をして、ドアを開ける。
「いらっしゃーい」
カラン、というベルの音と共に、カウンターの中から声がした。
前世の感覚からすれば、実に100数十年ぶりに聞く「お袋の声」だ。俺の胸の奥から熱いものが込み上げ、思わずウルッと涙腺が緩みそうになる。
――しかし。
目の前に立つ『母親』の姿を視界に捉えた瞬間、俺の感動は凄まじい勢いで雲散霧消した。
(……ウオッ!!)
そこにいたのは、現在の俺(30代の肉体)よりも年下であるはずの、35歳くらいの女だった。
身長156センチ、体重は優に80キロはあるであろう、ドラム缶のようなワガママボディ。例えるなら『山村紅葉をオッサンクサくしたような、コテコテの大阪のおばちゃん』だ。
極めつけは、その頭である。当時の流行を背伸びして取り入れたのか、細かいウェーブがかかった『ソバージュ』にしているのだが、これが絶望的なまでに似合っていない。
(な、なんだこれ……お袋、こんなにソバージュ似合わないブスだったか!? というか、死んだ時の自分より年下の母親がこのビジュアルって、色んな意味でキツイわぁ……!)
俺が内心で盛大なツッコミを入れていると、その横からもう一人の人物が「いらっしゃいませ」と水割り用のグラスを拭きながら現れた。
当時16歳の、俺の姉貴だ。
「……」
鋭い三白眼でこちらを値踏みするようにギロリと睨んでくる。
高校生だというのに、当たり前のようにスナックのカウンターに入って手伝いをしている。この当時はまだコンプライアンスも緩く、実家が水商売の娘は、女子高生でもこうして店を手伝うのは珍しくなかったのだ。
そして姉貴は、漫画『ロン〇イBABY』のマコにそっくりな、絵に描いたようなバリバリのクソヤンキーだった。
だが、その顔立ちはオカンには似ず、大人びた美人であった。愛想は最悪だが、その「美人な不良娘」というギャップが常連のスケベなおっさんたちには大ウケで、この店の人気を支える看板娘となっていたのだ。
「二人? そこのカウンター座って」
姉貴の塩対応に促され、俺とガーベラはカウンター席に腰を下ろした。
「何飲む?」
「そうだな……『SUN』のチューハイを、レモンで二つ」
俺の注文に、姉貴が手際よくグラスに氷を入れ、炭酸飲料の瓶を開ける。
1981年当時、チューハイといえばこの『SUN』だった。
プレーンにライムやレモンのシロップを入れるのが主流で、今でこそ定番のウーロンハイや緑茶割りなんてものは、まだ世に出回っていない時代だ。
出されたSUNのチューハイを一口飲む。安っぽい甘さとアルコールの風味が、懐かしく喉を通り抜けた。
だが、俺の横で一口飲んだガーベラは、眉をひそめて俺の袖をクイッと引いた。
「……コソッ。太、これ、クスリみたいな匂いがするのじゃ。それに薄いぞい」
「あー、まあ当時の酒はこんなもんだ。口に合わなかったか」
ドワーフの味覚を持つガーベラには、この安酒は物足りなかったらしい。
俺はカウンターの奥、棚の特等席に飾られている琥珀色のボトルを指差した。
「ママ、あそこにある『シーバスリーガル』、頂戴」
「えっ!? お客さん、あれ……ボトル入れるの!?」
ソバージュのオカンが目を丸くして驚いた。
無理もない。洋酒の関税が高かったこの時代、シーバスリーガルは場末のスナックでも1万5千円から2万円は下らない超高級品だ。令和の感覚なら5万円くらいのシャンパンを開けるようなものだろう。
当時の盛り場では食い逃げ・飲み逃げも多かったため、俺はボストンバッグから聖徳太子(一万円札)を三枚抜き出し、カウンターにポンと置いた。
「お釣りはいいよ。ママとそっちのお姉さんも、好きなの飲んでよ」
前金で3万円を叩きつけられたオカンと姉貴の目の色が、パッと変わった。
「あらまぁ! ありがとうございますぅ! お客さん、室蘭の人かい? それともどこかから仕事で?」
声のトーンが2オクターブ上がったオカンに、俺はシーバスのグラスを傾けながら答えた。
「俺? 俺は『拝み屋』だよ」
俺がお袋たちに金銭的な助けや恩恵を与えるためには、こちらが指示したことを信じて実行してもらわなければならない。だから、怪しまれずに言うことを聞かせるための「信頼関係」を手っ取り早く構築する必要があったのだ。
「拝み屋? それって、占い師みたいなもん?」
美人なヤンキー姉貴が、少し興味を持ったように食いついてきた。
「まあ、そんなもんだ。手相を見てから、『こうするといいことありますよ』って祈祷するんだよ」
「えー、当たるの?」
「当たるよ。ちょっと手を出してみて」
俺は姉貴の手を取り、手相を見るフリをした。
そしてその瞬間、一切の詠唱を破棄して、超高位の『治癒魔法』と『健康体付与』の魔法を流し込んだ。
次いで、「ママも見せて」とオカンの分厚い手を取り、同様に魔法をかける。こちらはただの健康付与ではない。彼女の細胞の隅々にまで魔力を浸透させ、将来発生するであろう『ガン細胞』の因子を完全に焼き尽くし、無力化するよう強烈に念じた。
「……よし。二人とも、これからの健康をしっかり願っといたよ。そういえば、お姉さんは肩、ママは腰が痛かったんじゃないかい? ちょっと回してみてよ、楽になってるはずだから」
俺が手を離すと、二人は訝しげな顔で肩を回し、腰をトントンと叩いた。
そして、同時に目を見開いた。
「……えっ!? 嘘、めっちゃ軽い!」
「ほんとだわ! お客さん、アンタ何者さ!? いつも鉛みたいに重かった腰の痛みが、綺麗さっぱり無くなってるべさ!」
驚愕して詰め寄ってくる二人に、ウィスキーの香りを上機嫌に楽しんでいたガーベラが助け舟を出した。
「ふふん。太はな、海外の王族からも呼ばれるくらい凄腕の拝み屋なんじゃぞ? お主ら、タダで診てもらえて運が良かったのう」
「王族……! ひええ、先生、ありがとうございます!」
完全に俺を『凄腕の先生』として信じ込んだオカンに、俺は最後の仕上げに入った。
懐から、さらに一万円札を二枚取り出し、チップとして二人に渡す。
「今度の日曜日。札幌競馬場の第4レース。枠連『7-8』だ」
「えっ、先生。それは……?」
「このレースを、現金で買いなさい。渡したこのチップの1万円だけ買ってもいいし、自分のお金をさらに乗せてもいい。ただ、俺を信じるなら、今後の人生が変わるほどのお金が手に入るよ」
もしオカンが欲張って30万円突っ込めば、当時の万馬券の配当なら一億円を超える。スナックなんか辞めて、遊んで暮らせる金額だ。
「あと、お姉さん」
「は、はい!」
「もし競馬が当たっても、あと3年はこの店を続けたほうがいい。そちらのお姉さん、この店で『〇〇』って苗字の、5歳上の男の人と出会うはずだ。その人と結婚するのが吉だよ」
姉貴と義兄さんが知り合うのは、本来ならあと二年後のはずだ。これで、俺の介入によって二人の縁が切れてしまう未来も回避できるだろう。
俺がしてやれるのは、ここまでだ。
あとはオカンが俺を信じて馬券を買うかどうかにかかっている。身内への情はこれで綺麗に清算できた。
ボトルを半分ほど空けたところで、俺たちは店を立ち上がった。
深々と頭を下げるソバージュのオカンと、スケバンの姉貴に見送られながら、夜の室蘭の歓楽街へと歩き出す。
「さて。じゃあ、俺たちは俺たちで、この世界を思い切り楽しまなきゃな」
「うむ! 次はどこへ行くのじゃ?」
「そうだな……とりあえず一回札幌のマンションに戻って、そのあとは……外国でも行ってみるか!」
夜空を見上げながら、俺は愛する嫁の手をギュッと握り返した。




