第33話:バスタオルの宇宙と、エアコンを切ります
ナポリの夜景から一転、俺たちが転移で降り立ったのは、ネオンがギラギラと瞬くススキノの路地裏だった。
途中で紗季に電話をかけると、旦那は今週いっぱい出張だという。「行きます!」と即答した彼女を拾ってきたので、今夜は三人である。
「さて、店に入る前に準備じゃな」
ガーベラが指をパチンと鳴らすと、彼女と紗季の体が淡く光った。肩幅が少し広がり、喉仏がぽこりと浮き出る。声も一段低くなった。肉体再構築の応用で、二人とも立派に男へとチェンジしたのだ。もちろん、肝心なモノもしっかり生えている。
……のだが。
「お前ら、顔がそのままじゃん」
「む? 男らしくなっておらんか?」
「いや、どう見ても宝塚の男役だぞ」
骨格はちゃんと男になっているのに、顔立ちだけはどうしようもなく美人のままなのだ。紗季に至っては、ボーイッシュな女の子が無理して男装しているようにしか見えない。
「ま、まあ、生えてれば男ですよね!」
「そういう問題か?」
俺は首をかしげつつ、二人を連れてお目当ての店へと向かった。
雑居ビルの三階。ピンク色のネオン管で書かれた看板には、『バス〇ブNEOユ〇ヴァース』とある。
「ばすぱぶ……ねお……?」
「深く考えるな。ススキノの看板は考えたら負けなのだ」
ここで少し説明しておくと、この手の店は東京にもある。いわゆるセクシーキャバクラというやつだ。だが、ススキノの店は東京とは何かが根本的に違う。どこが違うのかは、口で説明するより体験してもらった方が早い。
黒服に案内されてボックス席に座ると、すぐに女の子が三人やってきた。
「いらっしゃいませー! 失礼しまーす♡」
彼女たちは当たり前のように俺たちの隣に腰を下ろすと、そのまま片足をひょいとこちらの太ももの上に乗せてきた。
「た、太さん、これ……!」
「ああ、それが基本姿勢な」
「基本姿勢!?」
そう、ここではこれが「座る」という意味なのだ。しかも彼女たちが身にまとっているのは、白いバスタオル一枚だけである。胸の上でキュッと留めているだけで、下には何も履いていない。足を乗せればどうなるかは、言うまでもないだろう。普通に、見えている。
紗季が真っ赤になって目を泳がせている横で、ガーベラについた子が首をかしげた。
「えー、お客さんたち、女の人じゃない?」
「何を言う。ちゃんと生えておるぞ」
ガーベラが胸を張ると、その子は「ほんとにー?」と笑いながら、何の迷いもなくガーベラの股間をむんずと鷲掴みにした。
「あーホントだー♡」
そしてそのまま、確かめるように揉みはじめる。ガーベラは「うむ、本物じゃろう」とご満悦だ。
反対側の紗季はというと、隣の子に「こっちのお兄さんもー?」と同じように確かめられた挙句、なぜかそのまま手を離してもらえず、すっかりなすがままになっていた。何をされているのかは、紗季の名誉のために伏せておく。
嘘みたいな話だが、この店で、金曜の夜で、しかも女の子に酒が入っていると、本当にこうなるのだ。
で、問題は俺である。
両隣がキャッキャと盛り上がっている中、俺の隣の子は普通に水割りを作ってくれているだけだった。いや、もちろん足は乗っている。見えてもいる。だが、二人に比べて明らかに扱いが地味だ。
「なあ、俺は何もないのかー!」
思わず拗ねると、向かいの席から別の子が身を乗り出してきた。ショートカットで、いかにも元気そうな子だ。
「じゃあ、お兄さんには新しく作った名刺あげますね!」
「お、名刺? ありがとう」
「普通には渡さないですよー。座ったまま、上むいてください」
言われるがまま、俺はソファに深く座って天井を見上げた。
すると彼女はひょいと立ち上がり、俺の背後、ソファの背もたれの上に器用に乗った。俺の顔の真上に、彼女が仁王立ちする格好になる。そして、バスタオルの前をぱっと開いた。
下から見上げている俺の視界がどうなったかは、もう想像に任せる。とにかく、全部だ。
彼女は名刺入れから一枚抜き取ると、ペロリと舐めた。そしておもむろに、それを自分の一番大事なところに挟み込んだのである。
「さあ、口開けてくださいねー♡」
ガーベラと紗季が、自分たちの状況も忘れて固唾をのんでいる。
名刺を挟んだまま、彼女の下半身がじわじわと降りてくる。俺は、たぶん人生で一番バカな顔をして口を開けていた。
あと十センチ。五センチ。三センチ。
ぱくっ。
俺は見事に、名刺の端を唇で受け取った。
(よし、成功だ……!)
そう思った、次の瞬間だった。
「あん♡ 転んじゃった」
どすん、と顔面に座られた。
「むごごごごっ!?」
視界が真っ暗になり、名刺ごと何もかもが俺の顔に押しつけられる。向かいでガーベラが手を叩いて爆笑しているのが、くぐもった音で聞こえた。
♦
ようやく解放され、三人そろって改めて乾杯した頃。店内のBGMが急に大きくなり、照明がくるくると回りはじめた。
「お、ショータイムだ」
店の奥の小さなステージに、女の子たちがずらりと並んで踊り出す。バスタオル一枚で一生懸命に踊っているだけでも、正直かなりかわいい。
だが、この店のショーはそれだけでは終わらない。実はここには元ストリップ劇場の踊り子だった子が一人いて、ほかの女の子たちはなぜかその子に触発され、それぞれ妙な「技」を身につけてしまっているのだ。
踊りながら俺たちの席の前にやってきた子が、にっこり笑った。
「お兄さん、タバコ吸いません?」
「え? ああ、吸うけど」
「じゃあ、受け取ってくださいね!」
彼女はタ〇ポンのケースにタバコを一本差し込むと、それを自分の股に挿した。そして腰をくいっとひねった瞬間、すぽんっ! と軽い音を立てて、タバコが綺麗な放物線を描いて飛んできた。
俺は反射的に、それを指で挟んでキャッチしていた。
「「「…………」」」
三人そろって、言葉が出なかった。
さらに別の子が、俺たちのテーブルのフルーツ盛りからバナナを一本手に取った。ニヤリと不敵に笑うと、それをやはり股に当てて、ぐっと力を入れる。
ぽきん。
バナナが、真っ二つに折れた。
「……今のは、身体強化の魔法か何かか?」
「違う。あれは純粋な鍛錬だ」
「地球の人体、恐るべしじゃ……」
ガーベラが本気で戦慄している。百年魔法を研究してきた賢者が、ススキノの嬢の骨盤底筋に負けた瞬間であった。
そして、ステージの端で見ていた新人らしき子が、両手を胸の前で握りしめて目を輝かせていた。
「さすが姉さんたちです! 私も、いつか!」
いや、目指すところはそこじゃないだろう。
この店は、女の子たちのモチベーションの向かう先が、どう考えてもおかしいのである。
♦
ショーが終わると、ワンセットに一度は必ず訪れる時間がやってくる。
「はーい、ダウンタイムでーす♡」
黒服のアナウンスと共に店内の照明がぐっと落とされ、ムーディーなスローバラードが流れ出した。
「太、だうんたいむとは何じゃ?」
「まあ、見てりゃわかる」
薄暗がりの中、女の子たちがそれぞれの客の上に跨ってくる。そして音楽に合わせて、ゆっくりと腰をグラインドさせはじめるのだ。これだけでも十分に危険な技なのだが、ノリのいい日の彼女たちはさらに上を行く。
俺の上に跨った子が、テーブルのフルーツ盛りにかかっていたサランラップをぺりっと剥がした。そして、慣れた手つきで俺のナニを引っ張り出すと、それにくるくると巻きつけたのである。
もちろん、彼女はもうバスタオルを脱いで全裸だ。
……あとは、察してくれ。
♦
照明が戻ると、そこには三者三様の惨状が広がっていた。
紗季は初めての体験に完全に腰が抜け、ソファの上でぐったりしながら、女の子におしぼりで甲斐甲斐しく綺麗にしてもらっていた。目の焦点が合っていない。
ガーベラはすっかり女の子たちに気に入られ、「お兄さん、また絶対来てね」と連絡先を書いたメモを何枚も握らされていた。本人はまんざらでもない顔をしている。
そして俺は、股間を押さえて悶絶していた。
「ぐ、ぐおおおおお……っ!」
「太!? どうしたのじゃ!」
「ラップが……ラップがあぁぁ……っ」
あのサランラップがかかっていたのは、フルーツ盛りの横に置かれていた「唐辛子チーズ」の皿だったのだ。運の悪いことに、俺に巻かれたのはまさにその部分だった。
登別の地獄ザンギで腹を壊し、ススキノの専務コースで消火バケツに散った俺の下半身は、今夜もまたカプサイシンの呪いに焼かれたのである。
♦
すっかり堪能した俺たちは、そのままススキノのホテルに部屋を取った。
三人並んでベッドに転がると、ガーベラが満足げに伸びをした。
「楽しかったのう!」
「だろー!」
股間はまだヒリヒリしているが、それも込みで最高の夜だった。ナポリで胸の底に沈んでいた泥は、いつの間にかどこかへ消えていた。
紗季が枕を抱えたまま、ころんとこちらを向いた。
「太さんがいた時代にも、ああいうお店ってまだあったんですか?」
紗季には、もう俺たちの秘密を全部話してある。俺が未来から来たことも、ガーベラが異世界の賢者だということもだ。最初は目を白黒させていたが、目の前で魔法を見せられては信じるしかなかったらしい。
「うん、あったよ。そのころはソフトとハードに分かれてたけどな」
「なんですか、それ?」
「簡単に言えば、指入れて良いのがハードって感じ(笑)」
「ゆ、指……」
「さっきみたいなのは流石にダメになったけど、その代わり衣装で楽しませたり、高校生のキャラになりきってたりね。先輩と行った『夕焼けニャンニャンおニャン子クラブ』って店がさ、あのテレビ番組をもじってるんだけど、これが楽しくてな。先輩と、また行こうって約束したんだよ」
「ふむふむ」
ガーベラが興味深そうに頷く。
「でさ、それがもう二〇一四年くらいだったから、カーナビが普及しててね。俺、そのころ結構いい車に乗ってたんだよ。ヨトタの最高級車な」
「ヨトタ」
「そう、ヨトタ。で、次に行くときのために、意気揚々と音声で行き先を登録したわけ。『ススキノ、夕焼けにゃんにゃんおニャン子クラブ』ってな」
「それで、どうなったんですか?」
「いつもなら何秒かで候補が出てくるのに、しばらく画面が固まってさ。で、ようやく反応したと思ったら、『エアコンを切ります』って言って、エアコンを止められたわ」
「何でじゃ?」
ガーベラがきょとんとする。
「どうやらヨトタのナビって、風俗関係のデータがあんまり入ってないらしくてさ。ナビが必死に探した中で、『夕焼けにゃんにゃんおニャン子クラブ』に一番近かったのが『エアコンを切ります』だったみたいなんだよ」
「ぶふっ」
紗季が枕に顔を埋めて肩を震わせた。
「意外にポンコツじゃのう(笑)。我の衛星使い魔なら、一発で探し当てるぞ」
「あとは『北海道、ドン・キホーテ』って言うと、『北海道、ポンピラ温泉』ってとこに連れていかれるぞ」
「ど、どこですかそれ……っ」
紗季がとうとう声を上げて笑い出し、ガーベラもベッドを叩いて笑い転げた。
ひとしきり笑ったあと、ふと静かになった。
ガーベラが、ゆっくりと俺の上に覆いかぶさってくる。まだ男の体のままだ。
「なるほどの。ところで太」
「なんだ?」
「我も紗季も、今日は男としてしかイっておらんのじゃ……」
反対側からは、紗季がするりと身を寄せてくる。こちらも、まだしっかり生えたままである。
「太さん……」
「え、ちょ、お前ら、その体のままで? いや待て、俺はまだラップのダメージが……」
俺の抗議は誰にも聞き届けられず、ススキノのホテルの薄暗い部屋で、三つの影がゆっくりと重なっていった。




