第32話:サバンナの銃撃と幼い夢
「のう太、ゾウやライオンの野生の姿が見たいのじゃ!」
そんなガーベラの無邪気な一言だった。
俺たちが転移魔法で降り立ったのは、乾いた熱風が吹き荒れるアフリカの某国。
見渡す限りのサバンナを、召喚したランドクルーザーで砂煙を上げながら爆走する。車内はエアコンを最大にしているというのに、窓から容赦なく照りつける日差しが肌を焼く。
助手席で双眼鏡を覗き込んでいるガーベラは、まるで遠足に来た子供のように目を輝かせていた。
そんなのどかな空気は、車体を打ち据える乾いた破裂音であっさりと吹き飛んだ。
甲高い音を立ててフロントガラスに蜘蛛の巣状のヒビが走り、バーストしたタイヤが悲鳴を上げて車体が大きく傾く。
急ブレーキを踏み込み、砂ぼこりを上げて車が停まる。
舌打ちをしながらドアを蹴り開けると、赤茶けた荒野の向こうから、迷彩服を着た数人の男たちがこちらへ歩いてくるのが見えた。
手には古びたアサルトライフル。正規の装備には見えないが、肩の章からしてこの国の政府軍の兵士らしい。
彼らは俺たちを金持ちの密猟者か観光客とでも思ったのか、下品な笑い声を上げながら銃口を向けてくる。
無性に腹が立った。
野生動物を見に来ただけの休日に、どうしてこんな薄汚れた連中に命を狙われなきゃならないのか。
俺は無言で地面を蹴り、兵士たちの懐へと踏み込む。
彼らが引き金を引くより早く、先頭の男の顎を掌底で打つ。
男が後方に吹っ飛び、仲間たちが慌てて銃を構え直す。
だが遅い。
次弾を装填する隙も与えず、俺は彼らの腕を掴んで捻り上げ、手にしたライフルを次々とへし折っていく。
血と泥にまみれて呻く男たちを見下ろし、ため息をついた。
「……おい、太。あそこ」
ガーベラの声に振り返ると、彼らが乗ってきた軍用トラックの荷台が目に入った。
薄汚れた幌の奥で、身を寄せ合うようにして震えている二つの影がある。
十五歳くらいの少年と、まだ中学生にも満たない幼い少女。
怯える二人を降ろして事情を聞けば、彼らの村がこの政府軍の連中に襲われたのだという。
この国では珍しくもない話だ。男は少年兵の弾除けとして前線に立たされ、女は兵士たちの慰み者になるか裏社会に売り飛ばされる。
それが、この泥沼のような内戦が続く国の日常。
腸が煮えくり返るような怒りはあったが、他国の人間がふらりとやって来て、事情も分からないまま全ての悪を裁けるような問題じゃない。
せめてもの情けとして、俺たちは二人を母親の故郷だという集落まで送り届けることにした。
少年の名はクオル、妹はニャマルといった。
彼らの言葉で、ニャマルは「平和」を意味するらしい。
集落の長に大量の小麦粉や医療品を渡し、事情を説明する。
二人の叔母だという中年の女性が、涙を流しながら彼らを抱きしめてくれた。
その夜、集落の広場で焚き火を囲みながら、俺たちはようやく落ち着いた様子の兄妹と話をした。
「俺、いつか絶対に医者になりたいんだ」
揺れる炎に照らされながら、クオルが真っ直ぐな瞳で言う。
「わたしはね、お兄ちゃんのお手伝いをするの。看護師さんになる!」
ニャマルが兄の袖を引きながら、屈託のない笑顔を向けた。
この血と暴力にまみれた国で、それでも前を向いて歩こうとする小さな命。
どうか、この兄妹が望む未来にたどり着けるように。
そのちっぽけな平和を心の中で祈りながら、俺とガーベラはアフリカの地を後にした。
♦
それから数週間後。
ヨーロッパをのんびりと巡り、スペインの眩しい陽光が降り注ぐ海岸で寝そべっていた時のことだ。
波打ち際を無邪気に走る地元の子供たちを眺めていたガーベラが、ふとこぼした。
「のう太。ニャマルは元気かのう」
その一言で、俺の脳裏にもあの兄妹の笑顔が蘇った。
気まぐれでもいい。大量のお菓子や、二人に似合いそうな服を買い込み、俺たちは再びあの集落へと転移魔法を発動させた。
だが、視界が晴れた直後に飛び込んできたのは、ひどく焦げ臭い空気と、無残に崩れ落ちた土壁の残骸だった。
「……なんだ、これ」
集落は跡形もなく焼け落ちていた。
黒焦げになった大地の上を、熱風だけが虚しく吹き抜けている。
逃げ延びて戻ってきたらしい数人の村人たちが、焼け跡の隅で呆然と座り込んでいた。
その中に、あの夜泣いて二人を抱きしめていた叔母の姿を見つける。
俺たちは駆け寄り、何があったのかを聞く。
女は焦点の合わない虚ろな目で、重い事実を口にした。
俺たちが去った後、クオルは村を出て反政府のゲリラ組織に身を投じたらしい。そして彼らゲリラが、政府側の息がかかった別の村を焼き討ちにした。
ここが襲撃されたのは、その報復。
政府軍の連中がやってきて、村に火を放ち、女子供を手当たり次第に連れ去っていったという。
「ニャマルは……ニャマルはどうなった!」
俺の問いに、女はただ力なく首を振るだけだった。
俺とガーベラは、情報を頼り政府軍の拠点へと向かう。
ジャングルを抜けた先にあったのは、廃工場を改築したような薄汚れた施設。
周囲には警備の兵士たちがたむろしている。
気配を消して敷地内に潜入すると、建物の奥から下劣な笑い声と、女性の悲鳴が聞こえてきた。
血が沸騰するような怒りとともに、俺は鉄の扉を蹴り破った。
中にいた十数人の兵士たちは、突如現れた侵入者に慌てて銃を向けるが、俺とガーベラは一切の躊躇なく彼らを殲滅する。
十数秒で制圧を終え、囚われていた女性たちの戒めを解く。
だが、遅かったのだ。
工場の片隅。血と汚物にまみれたコンクリートの床に、小さな塊が転がっていた。
それはニャマルだったもの。
凌辱され、体を焼かれ、無数の刃物で切り刻まれて、とうに息絶えている。
ガーベラが息を呑み、静かに目を伏せた。
俺は上着をかけて、痛々しいその小さな体をそっと抱きしめる。
焼け跡の集落にニャマルの遺体を連れ帰ると、ちょうどクオルたちゲリラの部隊が村に戻ってきているところだった。
武装した男たちの中心で、ニャマルの亡骸を見たクオルは膝から崩れ落ちた。
「ああ……あああああぁぁぁぁっ!!」
獣のような咆哮がサバンナに響き渡る。
地面を掻き毟り、涙と鼻水にまみれて絶叫する少年。
やがて彼は、血走った目で立ち上がり、空に向かって叫んだ。
「殺してやる……! 政府軍の奴ら、一人残らず皆殺しだ!!」
「クオル、やめろ」
俺は彼の肩を掴んだ。
「お前らがやってる事も同じだろ。お前らが政府の村を焼いたから、ニャマルが巻き込まれたんだ」
だが、復讐という狂気に呑まれた少年に、俺の言葉は届かない。
クオルは俺の手を振り払い、憎悪に歪んだ顔で俺を睨みつけた後、ゲリラたちと共にトラックに乗り込み、去っていった。
フランスのニース。
青く澄んだ海と、白い砂浜。世界中のセレブが集まる穏やかなリゾート地。
だが、高級ホテルのテラス席で飲むコーヒーは、泥水をすすっているようにしか感じられなかった。
深い溜息をつく俺の向かいで、ガーベラが呆れたように頬杖をつく。
「悩むくらいなら、お前さんがやりたいようにすればいいじゃろうて。勝手に世話を焼いて、相手が嫌なら断るじゃろうし。『お前らが』なんて恨み言を吐く奴は、所詮は他人じゃ。ほっときゃいいんじゃ」
その突き放したような、けれど確かな優しさを持った言葉に、俺は少しだけ救われた。
そうだ。あいつをこのまま死なせるわけにはいかない。
俺は席を立ち、ヨーロッパ中を駆け回った。
金の力も使い、アフリカからの難民や留学生を安全に受け入れてくれる学校と施設を探し出した。
クオルに、もう一度医者を目指す道を用意してやるために。
♦
全ての準備を整え、俺たちは再びアフリカのあの地へと飛んだ。
クオルたちが拠点にしているという廃村の情報を得て、そこへ向かう。
だが、そこに広がっていたのは、俺の想像を絶する地獄だった。
ゲリラの兵士たちが、政府側の村から拉致してきた人間たちを嗤いながら使役していた。
男たちは殴られながら荷運びをさせられ、女たちは白昼堂々、兵士たちの慰み者にされている。抵抗したらしい数人の死体が、無造作に転がっていた。
……そして、その狂乱の中心に、クオルがいた。
彼は、焦点の定まらない目笑いながら、ニャマルと同じくらいの年の少女の髪を掴み、地面に引き倒して犯していた。
口の周りには、怪しげな薬草の緑色の汁がこびりついている。
「……なんでだよ」
気づけば、俺は泥まみれの地面に両膝をついて崩れ落ちていた。
視界が歪み、胃の奥から吐き気が込み上げてくる。
「お前のその手は……人を助けるんじゃ、なかったのかよ……!」
絞り出すような俺の声に気づき、クオルがゆっくりとこちらを向く。
彼は面倒くさそうに少女を蹴り飛ばすと、傍らにあったAK47を拾い上げ、ふらつく足取りでこちらへ歩いてきた。
銃口が、真っ直ぐに俺の額に向けられる。
ガーベラがすっと無言で前に出ようとした。
俺はそれを手で制し、ゆっくりと立ち上がる。
狂気に沈んだ少年の瞳には、もはや俺の姿すらまともに映っていないのだろう。
俺は歩み寄り、突きつけられた銃身を掴んで、へし折る。
驚愕に目を見開くクオル。
その顔に向け、俺は静かに言葉をこぼす。
「なあ。次はお前が、狂わない世界に行けるといいな」
振り抜いた右の手刀が、クオルの胸を貫いた。
骨を砕き、心臓を穿つ確かな感触。
ビクン、と体を震わせた後、少年からふっと力が抜ける。
引き抜いた腕から血が滴り落ち、クオルは泥の中に崩れ落ちた。
二度と動かないその顔は、ほんの少しだけ、元の少年の面影に戻っているように見えた。
「……なあ、こいつらはどうするんじゃ?」
周囲で騒ぎに気づき、慌てて武器を手にし始めたゲリラたちを冷たい目で見据えながら、ガーベラが問う。
俺は血のついた手を払いながら、冷徹に言い放った。
「……捕まってる人間だけ、転移で政府側の村に置いて行く。後は、ここの土地の人間の問題だろう。俺達は……部外者だ」
他国の人間が、強大な力を持って正義を気取り、全てを裁けるような安い問題じゃない。
誰かを殺せば、その家族が恨み、また復讐が連鎖する。その泥沼に、俺たちがこれ以上介入する権利などない。
怯える捕虜たちだけを安全な場所へと転移させ、俺たちは逃げるようにしてアフリカを捨てた。
イタリアのナポリ。
海沿いの高級ホテル。ベランダから見下ろす夜の海は、どこまでも暗く、深く沈み込んでいた。
俺の心の中も同じだ。重い鉛が胃の底に居座っている。
この世界はクソだ。救いなどどこにもない。こんな価値のない世界など、いっそどうなってもいいのではないか。
そんな自嘲気味な笑いが漏れそうになった時、不意に後ろから、ガーベラが俺の首に腕を回してきた。
背中に当たる柔らかい感触と、甘い匂い。
「のう、太」
「……どうした?」
「我な、ナニを生やして『風俗』というところに行ってみたいのじゃが。案内してくれるかの?」
俺はゆっくりと振り返り、愛妻の顔を見つめた。
大真面目な顔をしているが、目はうっすらと笑っている。
落ち込んで絶望の底にいる俺を元気づけるためだけに、わざわざこんな馬鹿げた提案をしてくる、いかれた女。
こいつがそばにいてくれるなら、このクソみたいな世界も、そんなに悪くないのかもしれない。
心の底から、吹き出すように笑いがこみ上げてきた。
「……よーし! まずは、女の子があそこに挟んだ名刺くれて、客が口で咥えて取るってキャバクラからだな!」
「な、何じゃと! そんな破廉恥な店が本当にあるのか!」
「ああ! ススキノのキャバはそういうもんだ! 行こうぜ! そうだ、紗季も連れて行こうぜ!」
「うむ! あいつにも立派なナニを生やしておこうかの!」
夜のナポリの潮風の中、俺たちは腹を抱えて笑い合った。
心の奥底にへばりついていた暗い泥が、少しだけ洗い流されていくのを感じながら、俺たちはススキノのネオン街へと転移した。




