第三十話:ノストラダムスの呪いと、計画通りの生贄
登別温泉の広々とした和室。
温泉の熱気と、それ以上の熱を帯びた激しい夜の営みを終え、俺たちは乱れた布団の上で心地よい疲労感に包まれていた。
右腕には紗季が、左腕にはガーベラが、それぞれ満足げな表情で身を鳥のように寄せてきている。
「ふう……。太さんって、いつも本当に元気ですよねぇ。底なしの体力というか……」
紗季がとろんとした目で俺の胸板を指先でなぞる。
「うむ。お前は本当に『生』の力……生命力そのものに満ち溢れておるな。我らオーガすら凌駕するタフさじゃ」
ガーベラも俺の首筋に顔を埋めながら、感心したように呟いた。
「まあな。昔は『どうせ三十歳くらいで死ぬんだ』って本気で思ってて、逆に命を粗末にしてたからさ。今こうして生きてるのが不思議なくらいだよ」
俺が天井を見上げながらそうこぼすと、二人がバッと顔を上げた。
「……三十歳で死ぬ? 主よ、それはどういう呪いじゃ?」
「太さん、何か不治の病にでもかかっていたんですか!?」
「いやいや、違うよ。俺個人の話じゃなくて、当時の日本の若者……いや、世界中の連中が、本気で『一九九九年に人類は滅亡する』って信じてた時代があったんだ」
俺は、小学校に入る前くらいに発売され、思春期の頃に大ブームになった一冊のベストセラー本『ノストラダムスの大予言』について説明した。
「一九九九年七の月に恐怖の大王が来る」という予言を真に受けた当時の若者たちは、「どうせ頑張っても三十歳で世界が滅びて死ぬんだから」と、刹那的で破滅的な生き方をする奴が多かったのだと。
「なんじゃと……? たった一冊の書物のせいで、地球全体が『死への集団催眠』にかけられておったというのか!?」
「当時の地球、恐ろしすぎます……」
異世界最強の魔女と、魔王を倒した勇者一行の聖女が、昭和〜平成初期の地球の狂気的な時代背景にガタガタと震え上がった。
「俺も当時はバンドをやっててな。米軍基地の使ってない倉庫に忍び込んで勝手にライブやって、MP(軍警察)に追われて逃げ回ったりしてたよ。『どうせ死ぬんだし、やっちゃえ!』ってノリでさ」
「主よ……それはただの命知らずの馬鹿じゃろ。しかし、それほどまでに危険な日々を送っておったなら、当然痛い目にも遭ったのではないか?」
「まあな。……これはあくまで『俺の知り合いから聞いた話』なんだけどな?」
俺はわざとらしく咳払いをしてから、とっておきのヤバい話を語り始めた。
♦
「俺の知り合いのパンクバンドの奴が、米兵から『色々危ないモノ』を仕入れて、ライブハウスやクラブで売ってたんだよ」
「ほう。闇ギルドの密輸商人じゃな」
「そしたら、本職……つまりヤクザ者が『みかじめ料』を払えって脅してきてな。そいつらは『わかりました! ではこちらの非常階段で!』ってヤクザを誘導して、そのまま階段から突き落としたんだ」
「……えっ?」
「で、下で待ち構えてて、落ちてきたヤクザをビールケースでタコ殴りにした。そしたら相手の舎弟が刃物を出してきたもんだから、一緒にいた奴が『拳銃』を撃っちゃってさ」
「……」
「当然、ヤクザの逆鱗に触れて、後日そいつらはベンツで思い切り撥ねられた。で、一人はそのまま車に乗せられて拉致されたんだけど、もう一人は『通行人がいて攫うのが面倒だったから』って理由で放置されたんだとさ」
「理不尽すぎるじゃろ!!」
ガーベラがたまらずツッコミを入れた。
「で、拉致された方はヤクザの事務所に連れ込まれて、木刀やゴルフクラブでフルスイングでボコボコにされたらしい。そいつは気を失ったふりをして、相手が油断した隙に、三階の窓から決死のダイブをして逃げたんだ」
「三階から!? オーガでも骨が折れるぞ!?」
「人生最速のスピードで走って逃げ切ったらしいんだけど、次の日『走ったから足首がすげえ痛てえな』と思って病院に行ったら、医者に『足首折れてますけど……それよりも、頭蓋骨と顔面が割れてますよ』ってドン引きされたんだとさ。笑えるよな」
俺がアハハと笑うと、ベッドの上の二人は顔を引きつらせていた。
「……主よ。その『知り合い』の頭蓋骨の傷……お前の頭にある傷と、全く同じ形をしておるんじゃが?」
「太さん、異世界に来る前から物理的におかしくないですか……。ゴルフクラブで頭を割られて、足首の痛みしか気づかずに走って逃げるなんて、完全に魔獣の生態ですよ……」
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「まあ、物理的な暴力も痛いけどさ。本当に怖いのは人間……女なんだぜ?」
俺は頭の傷を撫でながら、話題を変えた。
「昔、ものすごく美人の彼女と付き合ってた時の話だ。ある夜、彼女の部屋で寝ていて、ふと薄目を開けたら……大粒の涙をボロボロ流した彼女の手が、俺の首にガッツリかかってたんだよ」
「ヒッ……!!」
紗季が俺の腕にギュッと抱き着いて震えた。
「『ヤバい、目を開けたら殺される!』って本能で悟ってな。寝たふりをしたまま、寝返りを打つ自然な動作を装って、ゴロンと体の向きを変えて華麗に回避したんだ」
「なんというギリギリの攻防じゃ……。魔法の撃ち合いより精神をすり減らしそうじゃな」
「だろ? 流石に命の危機を感じて別れようと思ったんだけど、中々別れてくれなくてさ。思い切って彼女の両親のところに直談判しに行ったんだよ。そしたら……」
俺は言葉を区切り、溜めを作った。
「彼女の親父さんとお袋さんが、俺の手をギュッと握りしめて、震える声でこう言ったんだ。『お願い……逃げて!』って。おまけにお金まで渡されそうになったよ」
「ま、魔王より、魔獣より、ヤクザより……お義父さんとお義母さんが一番怖いです……!!」
「実の親から『逃走資金』を渡される女とは……。地球の雌は恐ろしすぎる……!」
「で、どうやって逃げたんですか!?」
紗季が身を乗り出して聞いてきた。
「ああ。俺の後輩で『太さんの彼女、めちゃくちゃ美人ですねぇ!』って羨ましがってた奴がいてな」
「はい」
「飲み会で彼女が酔い潰れた時に、その後輩に『ガンバ!』って彼女を丸投げして、俺はそのまま全力で逃げたんだ。そしたら彼女、見事に後輩の方に乗り換えてくれたよ」
「…………えっ?」
「…………」
二人はぽかんと口を開けた。
「……主よ。お前、自分を慕う可愛い後輩に、その恐ろしい『呪いの武具』を押し付けて生贄にしたのか……!? 勇者どころか、外道の所業じゃな!!」
「太さん……ひどい……。でも、その後輩さんも、太さんの彼女ってわかってるのに手を出したってことですよね……?」
「まあ、そういうことになるな。いくら据え膳でも、先輩の女には手を出さないって選択肢もあったはずだからな」
「なるほど……ひどいと思いましたけど、結局欲に負けて手を出したなら、その後輩さんの自業自得ですねぇ……」
紗季がウンウンと納得したように頷く。
「うむ。男の性欲とは、時に自らの命すら天秤にかけてしまう愚かなものよな。主はただ、後輩に『試練』を与えただけじゃ」
ガーベラも腕を組み、深く頷いて太の行動を正当化した。
(……計画通り)
俺は内心で、新世界の神のような邪悪な笑み(ニヤリ)を浮かべていた。
後輩の若さゆえの性欲と義理堅さを利用し、合法的にターゲットを逸らしてヤンデレ魔物から逃亡。
さらに今、異世界最強の嫁たちに「あれは後輩の自業自得」と結論づけさせることまで……すべては俺の盤上の出来事である。
「まあ、そんな世紀末みたいな狂った世界を生きてきたからさ。今こうして、お前たちみたいに可愛くて優しい女たちと、安全な布団の中で抱き合って生きてるのが、最高に幸せなんだよ」
俺が両腕に力を込めて二人を抱き寄せると、紗季は「太さん……っ」と嬉しそうに目を潤ませた。
だが、ガーベラは俺の顔を見上げ、妖艶かつ底知れぬ暗黒微笑を浮かべて耳元で囁いた。
「……我らはお前を殺しはせんよ。だがな、太。我らの方が、その首を絞めてきた女よりも『愛が重い』自信があるぞ?」
「……っ!」
登別温泉の平和な布団の中。
ヤクザのゴルフクラブよりも、三階からのダイブよりも恐ろしい『最強の嫁』の宣言に、俺は少しだけ背筋を凍らせるのであった。




