第二十九話:多摩動物園の悲劇と、放し飼いのバカヤロウ
北海道でのドタバタ旅行を終えた俺たちは、東京にきていた。
今日は俺とガーベラ、紗季の三人が訪れたのは、自然豊かな丘陵地にある『多摩動物園』だった。
だがその前に「名代 富士そば 国立南口店」に向かう。
高級店ではないが何度となくお世話になった店だ
その中でも東京に行ってここで初めて食べたのが、「冷やしたぬきそば」である。
俺が育った室蘭のそば屋では「たぬき=かき揚げ」が多かったうえに、こういうぶっかけ系はそもそも少なかったのだ(個人の感想です)。
うん、旨いなあ
金がなく、それでも毎日が輝いていた青春を思い出すよ
安い店で悪いが、ガーベラや紗季には俺のノスタルジーに付き合って貰うよ。
夜は天ぷらの良い店に連れて行くから勘弁してもらおう。
紗季は北海道の天ぷらと違って、ゴマ油で揚げる東京の天ぷらは驚くだろうし、最後のかき揚げのお茶漬けはびっくりするよね
そんなノスタルジーを満喫した昼下がり。俺たちは再び車に乗り込み、目的の場所へと足を踏み入れた。
♦ ♦ ♦
「ほう。地球の獣たちを檻に入れて見世物にしておるのか。随分と平和な場所じゃな」
「パンダさんはいないんですねぇ」
「ここは広いからな。歩きやすい靴で正解だったぞ」
のんびりと園内を散策し、草食動物のエリアに差し掛かった時のことだ。
柵の向こうをのっそりと歩くダチョウやキリンの姿を見た瞬間、俺の肋骨のあたりがジンジンと疼き始めた。
「……懐かしいな。俺、昔ここでダチョウとキリンに殺されかけたんだよ」
「なんじゃと?」
ガーベラが目を丸くして振り返った。異世界の魔獣ならいざ知らず、こんなのどかな草食動物に殺されかけるとはどういうことか、と顔に書いてある。
「あれは俺が若い頃……ガラスの窓拭きのバイトをしてた時の話だ。ロープ一本でビルからぶら下がる、あの仕事さ」
俺は遠い目をして、当時のトラウマを語り始めた。
あれは、仕事の一環でこの動物園の温室や昆虫館のガラス清掃に来ていた時のこと。
飼育員が餌やりのためにゲートの鍵を開けていたため、俺はダチョウやキリンのエリアのすぐ近くまで入ることができた。
『おい、こっち来いよバカ鳥!』
若気の至りだった。俺はダチョウを脅かしてはからかう、というしょうもない遊びを繰り返していた。
あいつらは単純なので、何十回やっても同じように驚いて逃げていく。それが面白くて調子に乗っていた、その時だ。
急にダチョウの群れが走り出し、奥にいたキリンの群れと合流した。
キリンなんて怖いイメージがなかった俺は、『まとめて脅かしてやろう』とヘラヘラ笑いながら近寄っていった。
すると、ダチョウが猛然とこちらに向かって走ってきたのだ。
『おっ、また来たよバカ鳥!』と余裕をぶっこいていた俺だが、その後ろから一緒に走ってくるキリンの異常なデカさに、ついに本能的な恐怖を覚えた。
『ヤベェ!』
逃げようと背を向けた瞬間――ダチョウの強烈な蹴りが俺の背中にクリーンヒットした。
前方に無様に転がった俺。そこに、追いついてきたキリンの前足が『ズドンッ!』と容赦なく振り下ろされたのだ。
「結果、見事に肋骨をへし折られたってわけさ」
「……主よ。それは完全に自業自得というやつではないのか?」
「太さん、動物さんをいじめちゃダメですよ……」
ガーベラと紗季からの冷ややかな視線。
だが、話はここでは終わらない。
「俺が肋骨を押さえてうずくまってるのを見て、一緒に来てた相棒がゲラゲラ笑いやがってな。……でも、その直後に『神の裁き』が下ったんだよ」
「ほう?」
俺を笑っていた相棒は、そのままガラスドームの清掃のために屋根へ上がっていった。
そして、足を滑らせてガラスを突き破り、ドームの中へと落下したのだ。
当時の窓拭きの安全帯は、ロープ一本の旧式。落下すれば腰骨が砕けそうになるほどの衝撃が走る。
だが、本当の地獄はそこではなかった。
相棒が落下して宙吊りになった場所は――よりによって『ミツバチの展示エリア』のど真ん中だったのだ。
ガラスを突き破ってきた侵入者に、ミツバチの大群が激怒。宙吊りの相棒に一斉に襲いかかった。
おまけに大人がロープ一本でぶら下がっているのを上から引き上げるのは不可能で、救助には絶望的な時間がかかった。
「そいつ、百箇所以上蜂に刺されたから顔がパンパンになってな、あぶなかったんだよ」
「当り前じゃ!?」
「まあ、入院して助かったんだけどな。見舞いに行った時に『俺を笑ったバチ(蜂)が当たったな!』って言ってやったら、なぜかめちゃくちゃキレられたわ」
「……主よ、お前が一番の悪魔じゃのう」
ガーベラが心底呆れたようにため息をついた。
♦
そんな思い出話をして、さて帰ろうかという時だった。
ガーベラが、ふとダチョウエリアの奥を指さした。
「なぁ、太。あそこ、またカギが開いとりゃせんか?」
「えっ?」
ガーベラの指差す先。俺たちがいる通路のど真ん中を、色鮮やかな『クジャク』が優雅に歩いていた。
昔、ダチョウエリアのカギが開いていたせいで痛い目を見た記憶がフラッシュバックする。
「あ、あれ!? もしかして俺が開けっ放しにしちゃったのか!?」
「主よ、動物に触っておらんじゃろ! だが、このままでは逃げてしまうぞ!」
「ヤバいヤバい! 捕まえなきゃ!」
逃げようとするクジャクの退路を魔法で塞ぎ、左右から完璧なタイミングで挟み撃ちにする。
放たれた『魔力の網』が対象を優しく、かつ完全に拘束した瞬間――俺たちはプロのハンターのような身のこなしで、同時に獲物へと飛びかかった。
「捕まえたっ!!」
「よし、足を縛るのじゃ!」
ここで逃がすわけにはいかない。俺たちはクジャクの足をヒモで縛り上げ、狩りの獲物のように二人で逆さに吊り下げた。
「よし、これでこっそり元のエリアに返して隠蔽工作を……」
コソコソとしてる俺達の後ろで、地獄から響いた様な声がした
「なにしてるーーーッ!!!」
背後から、鼓膜が破れそうなほどの怒声が飛んできた。
振り返ると、作業服を着た飼育員のおじさんが、鬼のような形相でこちらを睨みつけていた。
「あ、ヤベッ」
俺は咄嗟に機転を利かせ、人の良さそうな作り笑いを浮かべた。
「いや〜、すいません! 逃げてたんで、捕まえて返そうかな〜なんて思いまして……」
飼育員のおじさんは、逆さ吊りにされたクジャクを見て、プルプルと震えながら言い放った。
「…………放し飼いだよバカヤロウッ!!!」
俺と最強の魔女は、大勢の観光客が見ている前で、作業服のおじさんにこってりと絞られることになった。
♦
「……最悪だ。そういえばあの時も同じことした気が……」
動物園からの帰り道。
すっかり肩を落とした俺を、紗季が苦笑いしながら慰めていた。
ガーベラは呆れ果てた顔で、俺の顔を覗き込んできた。
「全く、お前というやつは……。ちなみに、その『窓拭きの仕事』とやらは、どうなったのじゃ?」
「ああ、あれか。辞めたよ」
「肋骨を折ったからか?」
「いや、違う」
俺は夕日を見上げながら、バイト時代の最後にして最大の伝説を語り始めた。
「ある日、新宿のホテルの窓拭きをしてた時に、ゴンドラが故障して空中で動かなくなってな。半日くらいそのまま宙吊りにされてたんだよ」
「ほう。それは恐ろしいな」
「あまりにも暇だったからさ。なんか上を飛んでたヘリコプターがうるさかったから、そいつらに向かって中指立ててズボン脱いで、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を踊ってやったんだよ。ゴンドラの上で」
「……は?」
「そのあとのムーンウォークはなかなかの出来だったんだけどな。歩いてターンの度に「ブラッ」と揺れてさ。一緒にゴンドラに取り残されてた仲間も、止まった階に泊まってた外人のお姉ちゃんにも大ウケで喜んでもらえたよ」
「そしたら、それが夕方のニュースで全国放送されちゃってさ。ホテルと会社の両方からめちゃくちゃ怒られたのよ」
「でさ、『アレが分らない所で踊れない』って辞めたの」
「…………」
「…………」
ガーベラと紗季は、完全に言葉を失っていた。
「……太よ」
「ん?」
「我は、異世界よりも……お前がいた地球の昭和のトーキョーの方が、よっぽど狂っていて恐ろしい場所のように思えてきたぞ……」
かつて最強と呼ばれた賢者嫁は、心底恐ろしそうに身震いをしたのだった。。




