第二十五話:東十条のからし焼きと、首都高C1の魔物
大井埠頭でのゼロヨン対決で、ガーベラの化け物セダン『フォード・LTD II』に敗北を喫した俺。
次なる決戦の舞台は、ストップ&ゴーとタイトな連続コーナーが続くテクニカルコースの最高峰――深夜の『首都高・都心環状線(C1)』である。
だが、その決戦の前に、まずは腹ごしらえだ。
俺たちは昼間、東京の老舗の蕎麦屋へと足を運んでいた。
運ばれてきた上品な『せいろ』を見たガーベラは、その量の少なさに目を丸くした。
「……なんじゃ太、これだけか? 三口で終わってしまうぞい」
結局、俺たちはせいろを三枚も五枚も平らげ、そのお会計の高さに驚愕することになった。
当時の北海道の蕎麦屋といえば、安くて盛りが大きいのが当たり前。しかも、北海道の多くの店では『もりそば』と『ざるそば』の違いは、つけ汁の違いではない。「もり」は普通の器に盛られ、なぜか『生玉子』が着いていて、汁に混ぜて食べる。一方の「ざる」は、その名の通りざるに盛られて『刻み海苔』がかかっているだけで、なぜか五十円ほど高かったのだ。
そんな北海道の豪快な蕎麦に慣れていた俺たちにとって、東京の蕎麦はカルチャーショックだった。
「じゃが……このツユは美味いのう」
「ああ。『かえし』を寝かせて角を取るって言ってな、ある意味で大雑把な北海道の蕎麦より、ずっと手間暇がかかってるんだ。これはもう、俺たちの知ってる蕎麦とは『別な食べ物』だな」
老舗の粋に納得した俺たちだったが、今夜はレースだ。
当然、ガーベラの腹が上品な蕎麦だけで満たされるはずもない。
「太よ、わしはもっとガッツリした肉が食いたいぞい。今夜の戦いに備えてな!」
「よしきた。それなら、東京で俺が一番衝撃を受けたメシを食わせてやる」
俺がガーベラを連れて向かったのは、北区・東十条にある名店『とん八』だ。
ここで食べるのは、知る人ぞ知る東京のソウルフード――『からし焼き』である。
名前に「からし」とついているが、和辛子やマスタードの味は、俺は一切感じない。「焼き」と言いながらも、見た目はまるで麻婆豆腐のように水分が多く、煮込み料理に近い。
だが、その味は麻婆豆腐とは全くの別物だ。
「おおお……なんじゃこの暴力的な匂いは!」
運ばれてきた皿からは、ニンニクと生姜がバチンッ! と効いた、食欲を狂わせる凄まじい香りが立ち上っていた。
秘伝の甘辛いタレで焼き煮込まれた豚肉。薬味のネギとキュウリ。そして何より、このタレの旨味を極限まで吸い込んだ『豆腐』がゴロゴロと入っている。
「食ってみな。飛ぶぞ」
ガーベラがレンゲで豆腐と豚肉をすくい、白米に乗せて一気にかき込む。
「ふはっ!? むほほほほっ! なんじゃこれは! 美味いっ、美味すぎるぞ太!!」
ガーベラの箸が止まらなくなった。
実は昔、俺は「肉だけを白米に乗せて食えば最強じゃないか?」と思い立ち、豚肉だけをご飯に乗せて食べてみたことがある。だが、全く満足感がなかったのだ。
そう、このからし焼きは、濃厚なタレと豚肉の脂を吸い込んだ『豆腐』と一緒に食べてこそ、完璧なハーモニーを生み出す奇跡の料理なのだ。
からし焼き。白米。からし焼き。白米。そして味噌汁。
悪魔的なループに陥った俺たちは、気がつけば無言で皿を空っぽにしていた。
強烈なニンニクと生姜の匂いが全身から漂うため、人に会う前には食べられない禁断のメニュー。だが、満足感はメーターを振り切っている。
「ふぅぅ……! これは元気が出るのう!」
「美味いだろ? やっぱり、知らん美味なる食事に出会うことこそ、最高のエンタメだよな」
「うむ!」
「……まあ、その元気も今夜俺に負けたら無くなるがな。ククッ」
俺がニヤリと挑発すると、ガーベラは爪楊枝をくわえながら鼻で笑った。
「何を言うのじゃ、負け犬亭主が。昨日の大井埠頭でわしに負けたことを、もう忘れたのか? 今夜負けたら、わしの前で『ワン!』と犬の鳴き真似でもしてもらおうかのう(笑)」
「ぐぬぬっ……言ったなこのヤロウ」
互いに強気な笑みを浮かべ、闘志をバチバチと燃やし合う夫婦。
だが、二人ともニンニク臭を放っているという、最高に締まらない光景であった。
♦
深夜の首都高速・都心環状線(C1)。
オレンジ色のナトリウムランプが妖しく照らす、ビルの谷間を縫うように走るコンクリートの迷宮。そこが今夜のステージだ。
俺の乗るワインレッドの『S30Z』と、ガーベラの乗るマットブラックの弁当箱『フォード・LTD II』。
芝公園のあたりから並走を始め、暗黙の了解で同時にアクセルをベタ踏みした。
咆哮を上げる二台のバケモノ。
「いけぇぇぇっ! コヨーテV8!!」
霞が関トンネルのストレート。ガーベラがスーパーチャージャーの暴力的な加速力で、俺のZをぐんぐんと引き離していく。
だが、C1の真骨頂はここからだ。
ストレートの終わり、急激なタイトコーナーが連続する区間が迫る。
ガーベラがコーナーの手前で、大径のブレンボキャリパーにモノを言わせて強烈なブレーキングをかける。
(かかったな……!)
俺はニヤリと笑った。
ゼロヨンではATの変速ロスの無さとトルクで負けたが、ここはストップ&ゴーの連続。そして何より、ガーベラのLTD IIの車重は『二トン』を超えているのだ。
いかに強力なブレーキシステムを積んでいようと、このC1の連続コーナーでフルブレーキングを繰り返せば、必ず摩擦熱で『フェード現象』を起こす。
俺はコーナーの飛び込みで、クラッチを蹴り、右足のつま先でブレーキを踏みながら、かかとでアクセルを煽る『ヒール&トゥ』を完璧に決めた。
フォンッ! フォンッ!
RB26の回転数を合わせながらシフトダウンし、強烈なエンジンブレーキと軽量な車体を活かしてフロントに荷重を乗せる。
ブレーキング勝負でガーベラのイン側に鋭く鼻先をねじ込み、立ち上がりはアテーサが効く。一気に差を詰めた。
そして銀座区間。
深夜とはいえ、ここは日本の大動脈だ。前方の二車線を、大型トラックと営業バンが並走して道を塞いでいた。
「チィッ! 邪魔じゃ!!」
全幅が二メートル近くある弁当箱のようなLTD IIでは、どう足掻いてもその隙間は抜けられない。ガーベラは舌打ちをしてブレーキを踏んだ。
だが。
「デカけりゃいいってもんじゃねえんだよ!!」
俺はノーブレーキのまま、わずか数十センチのトラックとバンの隙間へとZを滑り込ませた。
コンパクトなS30のボディサイズ。さらに俺は、風魔法でドアミラーを折り畳み、ミラーをギリギリまで寄せるような神業の車両感覚で、その狭い隙間を弾丸のようにすり抜けたのだ。
一気に形勢逆転。俺が前に出る。
「ぬおおおおおっ! 小賢しいマネをォォッ!」
ガーベラが怒り狂い、クリアになった直線区間で再び八〇〇馬力の力で背後に迫ってくる。
そして勝負は、C1屈指の難所であり、最も美しい魔物が棲むと言われる『江戸橋ジャンクション』の直角コーナーへと持ち込まれた。
「ここで抜く!!」
ガーベラがアウト側から並びかけ、二台同時に江戸橋の極悪なコーナーへとオーバースピードで突っ込む。
だが、二トンの車重とAWD(四輪駆動)のフロントヘビーな特性を持つLTD IIは、限界領域でのコーナリングで強烈な『アンダーステア(外へ膨らむ力)』に見舞われた。
「な、なんじゃと!? 曲がらんっ!?」
「もらったァァァァッ!!」
対する俺のZに積まれているのは、R34GT-Rの心臓と、電脳四駆システム『アテーサE-TS』である。
コーナーへの進入では後輪駆動(FR)の素直な回頭性でノーズを鋭くイン側に向け、クリッピングポイントを過ぎてアクセルを踏み込んだ瞬間、システムがフロントタイヤに最適なトルクを配分する。
キュルルルルルルッ!!
Zの四輪がアスファルトを強烈に掴み、車体をスライドさせながらも前に、前にと蹴り出していく。
ガーベラの巨体が外へと膨らむその内側の、カミソリのように細いレコードラインを、俺のZはスパァァァンッ! と完璧な軌道で抜き去った。
「いよっしゃァァァァァァァァッ!!!」
そのまま江戸橋を抜け、俺のZが先行したままゴールライン(スタート地点)へと駆け抜けた。
♦
「……ぐ、ぐぬぬぬぬぬっ!!」
誰もいないパーキングエリア。
ガーベラはステアリングをバンバンと叩きながら、悔しそうに唸り声を上げていた。
俺はZから降りると、とびきりのドヤ顔でガーベラの運転席の窓をコンコンと叩いた。
「言ったろ、ガーベラ。ゼロヨンの時、お前『女に乗ったら早いから負ける』なんて言ってたよな?」
「う、うるさいわい!」
「車も男もな、図体のデカさやパワーだけが全てじゃねえんだよ。大事なのは……コーナーの奥まで突っ込む『テクニック』と、サスペンションの『粘り』なんだよ!」
俺がドヤ顔で下ネタを言い返してやり返すと、ガーベラは顔を真っ赤にしてキーッ!と怒った。
「ええい、やかましい! 一勝一敗じゃろうが! 次こそはわしの弁当箱で、お前のそのZをひき肉にしてやるからな!」
「ハハハ! やってみろよ!」
ゼロヨンはガーベラ、C1は俺。
これで互角。
残る決着の舞台はただ一つ。日本のハイウェイの王を決める、東名高速道路・東京〜厚木間の『最高速アタック』である。
俺たちのニンニク臭くも熱い戦いは、いよいよ最終局面へと突入しようとしていた。




