第十九話:ハイウェイ・パトロールの大追跡、魔法のジャンプ台、そしてルート66の死闘
アメリカ合衆国を東から西へ、約五千キロの大陸横断非合法レース『キャノンボール』が遂に火蓋を切った。
スタート地点であるコネティカット州のボウリング場を飛び出した何十台ものマッスルカーたちは、怒号のようなV8エンジンのエキゾーストノートを轟かせながら、真冬のインターステート・ハイウェイへと雪崩れ込んでいった。
「ヒャッハアアアアッ! 退け退けェ! 日本から来たヤンキーのお通りだァッ!」
俺は初代トヨタ・ソアラ(Z10系)のステアリングを握り、アクセルペダルを床のカーペットにめり込むほど踏み抜いた。
オートマチック・トランスミッションが『キックダウン』し、強烈なショックと共にギアが一段下がる。直列六気筒DOHCツインターボエンジンが甲高い吸気音を上げ、ブーストメーターの針が一気に跳ね上がった。
プシューーーーッ!!!
アクセルを抜くたびに鳴り響くブローオフバルブの破裂音。そして、ルームミラーでブラブラと激しく揺れ動く『交通安全』の木札。
アメリカの広大なアスファルトの上を、ブリスターフェンダーで武装したシャコタンの日本車が、水を得た魚のように爆走していく。
「オオオ、オーマイガッ……! オーマイガッ!! 死ぬ! ボス、スピード落としてくれェェッ!!」
助手席に押し込まれた大男のボブが、靴下だけの足をダッシュボードに突っ張りながら、涙目で絶叫していた。
だが、スピードを落とすわけにはいかない。
ウウゥゥゥゥゥゥーーーーーーーッッ!!!
背後から、アメリカ映画でお馴染みの、あのけたたましいサイレンの音が鳴り響いてきたからだ。
バックミラーを一瞥すると、赤と青の警告灯を激しく点滅させたパトカーの群れが、土煙を上げて俺たちを猛追してきているのが見えた。角張ったボディのフォード・LTDクラウンビクトリアや、シボレー・カプリスといった、いかにも八〇年代のアメリカン・ポリスカーたちだ。
「さっそくお出ましだぜ、ハイウェイ・パトロール! だが、直線番長の重たいパトカーで、このソアラのケツに追いつけると思うなよ!」
無線で連絡を取り合ったのだろう。前方からは、ハイウェイを完全に封鎖するように三台のパトカーが横並びになり、いわゆる『|ローリング・ロードブロック《走行封鎖》』の陣形を組んで迫ってきた。
パトカーとパトカーの間にある隙間は、ほんのわずか。巨大なアメ車では絶対にすり抜けられない幅だ。
「止まれ! いますぐ路肩に車を寄せろ!」
拡声器からの警告が響くが、俺は笑みを深くした。
「アメ車ならな。だが、こいつはコンパクトな日本車(JDM)なんだよ!」
俺はブレーキペダルには一切触れず、ステアリングを僅かに、しかし鋭く切った。
ソアラは弾丸のようなスピードを維持したまま、巨大なパトカー同士のほんの僅かな隙間へと、糸を通すような精密さで滑り込む。
「ワッツ!? クレイジー!!」
パトカーの警官が驚愕に目を見開く横を、ソアラはギリギリでドアミラーをかすめながら突破した。パトカーが慌てて急ブレーキを踏み、コントロールを失ってスピンし、後続のパトカーと玉突き事故を起こして派手なクラッシュ音を響かせる。
煙を上げるパトカー軍団を置き去りにし、俺は再びアクセルを踏み込んだ。
「ひぃぃぃっ! 心臓が止まるかと思ったァァッ!」
「ハハハッ! 最高のドライブだろ、ボブ!」
パトカーの追跡を鮮やかに振り切った俺は、前方に目を凝らした。
ハイウェイの遥か先、陽炎が揺らめくアスファルトの上を、漆黒のバケモノが爆走しているのが見えた。
「見つけたぜ……ガーベラ!」
コルベット用LT‐1エンジンを限界までチューンし、七五〇馬力を叩き出す狂気のマシン、HQモナーロ・インターセプター。
サイド出しのマフラーからバックファイアを吹き出しながら、他の参加者たちをゴボウ抜きにしてトップを爆走している。
俺がソアラのスピードを極限まで上げ、モナーロの後ろにピタリと張り付くと、運転席のガーベラがルームミラー越しに俺を見て、妖艶な笑みを浮かべたのが分かった。
助手席のパットは、完全に魂が抜けたような顔でシートに張り付いている。
(さあ、どう出る? 愛する旦那にトップを譲ってくれるほど、お前は甘い女じゃないよな?)
俺の直感は、次の瞬間、最悪の形で的中した。
ガーベラが、運転席の窓からスッと左手を外に出し、指先をピッと上へ向けたのだ。
「――なッ!?」
ズズズズズズズッ!!!
俺のソアラの数十メートル前方のハイウェイ。そのアスファルトが突如として大地の底から隆起し、巨大な『土と岩のジャンプ台』を形成したのだ。
レースの妨害に『土魔法』を使うなど、ルール無用にも程がある!
「あの野郎ッ、物理法則を無視した妨害工作しやがって!!」
「ボボボ、ボス! 壁! 目の前に壁がぁぁぁッ!!」
「騒ぐなボブ! 舌を噛むぞッ!」
時速二百キロオーバーで迫る巨大なジャンプ台。今からブレーキを踏んでも絶対に間に合わないし、下手にスピンすれば大惨事だ。
ならば、答えは一つしかない。
「強行突破だァァァッ!!」
俺はステアリングをがっちりと両手で握り込み、センターコンソールに仕込んでおいた赤いスイッチ――NOS』のスイッチをパチンと弾き上げた。
そして、ステアリングのボタンを親指で押し込む!
シュゴオオオオオオオオオオオッ!!!
亜酸化窒素がエンジンの燃焼室に吹き込まれ、ソアラの直列六気筒エンジンが狂ったような爆音を上げる。シートバックに強烈なGで押し付けられ、景色が一本の光の線のように流れていく。
そして、ソアラは時速三百キロ近い圧倒的な速度で、ガーベラが錬成した土のジャンプ台へと突入した。
「いっけえええええええええッ!!」
ドンッ!! という衝撃と共に、シャコタンのソアラがアメリカの空へと高く、高く舞い上がった。
まるで特撮映画のワンシーンのように空を飛ぶソアラ。眼下には、ガーベラの黒いモナーロの屋根が見える。
数秒の滞空時間の後、重力に引かれたソアラは、アスファルトの上へと激しく着地した。
ギャリリリリリリリリリリッ!!!
極限までローダウンされた足回りが悲鳴を上げ、車体の底がアスファルトと激しく擦れて、花火のようなオレンジ色の火花を撒き散らす。
サスペンションが完全に底を打ち、強烈な衝撃が腰を襲ったが、俺は車体底部に風魔法でクッションを作り、同時にカウンターステアを当てて車体を抑え込み、見事に着地を成功させた。
「ふぅ……! 日本のヤンキー車を舐めるなよ」
「…………(白目)」
横を見ると、ボブは泡を吹いて完全に気絶していた。無理もない。
前方を走っていたガーベラが、サイドミラー越しに俺の着地を見て、嬉しそうにサムズアップしてるのが見えた。
どうやら、この殺し合いのようなレースを、最強の賢者様は心底楽しんでいるらしい。
♦
それから数時間後。
果てしなく続くルート66沿いの、荒涼とした砂漠地帯。
赤茶けた土とサボテンしか見えない景色の中に、ポツンと建っている古びたガソリンスタンド兼ダイナーがあった。
燃料メーターがエンプティに近づいていた俺は、ウインカーを出してそのダイナーの駐車場へとソアラを滑り込ませた。
「おっ、やっぱり先に来てたか」
駐車場には、ガーベラのHQモナーロが停まっていた。燃費の悪いV8フルチューンエンジンなら、俺のソアラよりも早く給油が必要になるのは明白だ。
ダイナーの扉を開けると、カウベルがカランと鳴った。
店内にはカントリーミュージックが流れ、ガーベラが窓際のボックス席で、顔の大きさほどもある巨大なダブルチーズバーガーに豪快にかぶりついていた。その向かいでは、相方のパットが疲れ果てた顔でコーラを啜っている。
「おお、太! 遅かったのう! ここの『ハンバーグ・サンドイッチ(ハンバーガー)』は、なかなか肉肉しくて美味いぞ!」
「お前な……あんな殺人的な土魔法のジャンプ台を作っておいて、よく平気な顔でメシが食えるな」
俺はため息をつきながら、気絶から目覚めてフラフラ歩くボブを引き連れ、ガーベラたちの隣のボックス席に腰を下ろした。
「ハハハ! あれを見事に飛び越えてこそ、わしの見込んだ男じゃ! まあ、一時休戦としてメシにしようではないか」
「……お言葉に甘えるぜ。ウェイトレスさん、こっちにも同じバーガーを二つ、あとホットコーヒーをくれ」
俺たち四人が、一時休戦のテーブルでアメリカンな特大サイズの食事にありつこうとした、その時だった。
ドッドッドッドッドッ……!!
腹の底に響くような、無数の大型バイクの排気音がダイナーの外から聞こえてきた。
窓の外を見ると、黒いレザーベストに身を包み、腕にタトゥーを入れたいかつい男たちが乗る、数十台のハーレーダビッドソンの集団が駐車場に入ってくるところだった。
いかにも『ヘルズ・エンジェルス』のような、八〇年代の凶悪なアウトローバイカー軍団だ。
「おい、見ろよあの車。変な音楽のホーンを鳴らして走ってた、東洋人の乗るヘンテコな車だぜ」
バイカーのリーダー格らしき、顔に大きな傷のある大男が、給油機の前に停めてある俺のソアラを指差して下劣な笑いを浮かべた。
彼らはキャノンボールの参加者ではないようだが、ハイウェイで俺たちがパトカーをぶっちぎるのを見て、ちょっかいを出そうと追いかけてきたらしい。
「なんだこのペラペラの車体は? それに、このミラーにぶら下がってる薄汚い木の札はなんだ? ブードゥーの呪いか?」
リーダーの大男が、ソアラの窓ガラスにベッ! と汚い唾を吐きかけた。
その瞬間、俺の中でピキリと何かが切れる音がした。
「おい、やめろ……ッ」
俺が立ち上がろうとしたが、バイカーの行動はさらに最悪の領域へと踏み込んだ。
無施錠だったソアラの助手席のドアを乱暴に開け放つと、泥とオイルにまみれた汚いエンジニアブーツのまま、シートの上にドカッと足を乗せたのだ。
「おうおう、中は随分と狭苦しい――」
「てめぇ……俺のソアラは『土足厳禁』だっつってんだろォォォォォォォォッ!!!」
ガシャンッ!!
俺はダイナーの分厚いガラス窓を蹴り破り、文字通り店の中から駐車場へと飛び出した。
オーガの身体能力に物を言わせた強烈なヤクザキックが、ソアラを汚したバイカーのリーダーの顔面にクリーンヒットする。
「ぐべぇッ!?」
男の巨体が宙を舞い、自分たちのハーレーの群れへと突っ込んで、何台ものバイクをドミノ倒しに薙ぎ倒した。
「な、なんだテメェ!!」
「野郎ども、殺せェェッ!!」
仲間をやられたバイカー軍団が、一斉にチェーンやジャックナイフ、バールなどを取り出し、血走った目で俺を取り囲む。その数、ざっと三十人。
「上等だコラ。ソアラを汚した落とし前、きっちり身体で払わせるからな!!」
俺は迫り来るチェーンの軌道を紙一重でかわし、一番近くにいたバイカーの腕を掴んだ。そのまま担ぎ上げ、砂漠の固いアスファルトの上へ『ボディスラム』を叩き込む。
「ギャアアアッ!」
さらに背後からナイフで刺しにきたモヒカン頭の男の腕を払い落とし、首の後ろをクラッチ。そのまま前屈みにさせて、俺の両足の間に頭を挟み込む。
昭和プロレスの必殺技『パイルドライバー』だ。
「死ねェッ!!」
「ガボァッ!!?」
脳天から地面に突き刺さったモヒカンが白目を剥いて沈黙する。
だが、さすがは荒野のバイカー軍団。何人倒しても、次から次へと怒り狂った男たちが襲いかかってくる。
その時、俺の背後から、二メートルを超える巨漢のバイカーが、鉄パイプを振り上げて迫っていた。
「危ないっ!!」
ダイナーの入り口から悲鳴が上がる。
振り返る暇もない。避けられない――そう思った瞬間。
ドゴォォォォォォンッ!!!
鈍い衝突音と共に、背後から襲いかかってこようとしていた巨漢のバイカーが、文字通り『吹き飛んだ』。
男の身体は空中を五メートルほど真横に飛び、ガソリンスタンドの給油機に激突してぐったりと動かなくなった。
「……え?」
俺が驚いて振り返ると、そこには、ブルブルと震えながら両腕を振り回している大男――ボブの姿があった。
ボブは、恐怖のあまり目を固く閉じながら、ただデタラメに腕を振り回しているだけだった。だが、その身長二メートル、体重百キロを優に超える黒人の大男の『デタラメなパンチ』は、そこらの格闘家の必殺の一撃に匹敵する威力を秘めていたのだ。
「ヒィィィッ! こ、こないでくれェェッ!! 俺はLAにタダで行きたいだけなんだァァッ!!」
ボブが半泣きで腕を振り回すたびに、バイカーたちが「ぐはぁっ!」「あべしッ!」と次々に吹き飛ばされ、空を舞っていく。
なんというポテンシャルだ。この男、ただのホームレスにしておくには惜しすぎる逸材である。
「ヒャハハハハハハッ!! やれやれェ! 太もその大男も、もっと暴れろォッ!!」
ダイナーの割れた窓枠に腰掛け、ガーベラがコーラを飲みながらゲラゲラと笑って俺たちを応援(?)していた。パットはテーブルの下で頭を抱えてガタガタと震えている。
「ふぅ……」
数分後。
荒野のダイナーの駐車場には、ボコボコにされて呻き声を上げる三十人のバイカーたちと、ひしゃげたハーレーの残骸の山が築かれていた。
「よしボブ、よくやった! お前は最高の相棒だ!」
「オーマイガッ……俺、人を殺してないよな……? 警察呼ばないでくれよ……」
俺は腰を抜かしてへたり込んでいるボブの肩を叩き、持参していた雑巾でソアラのシートの汚れを丁寧に拭き取った。
俺が車に乗り込むのを見て、ガーベラもコーラの空きカップをゴミ箱に放り投げ、モナーロの運転席へと向かった。
「ククッ。準備運動は済んだようじゃな、太」
「ああ。そっちこそ、食いすぎて居眠りすんなよ」
キャノンボールのゴール、カリフォルニア州レドンド・ビーチまではまだ半分以上の道のりが残っている。
そのとき遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
ガーベラは警察の動きを探るために、マシンに取り付けていた警察無線機のマイクを握って叫んだ。
「聞いてるかポリ公?我はナイトライダーだ。燃料噴射つきの自殺マシーンだ。捕まりゃしねえぜ!」
そう言って俺に挑むように笑うと、ガーベラはインターセプターのエンジンを咆哮させた。
俺もソアラのエンジンに火を入れる。
俺とガーベラは、それぞれの運転席から視線を交わし、不敵な笑みを浮かべた。
砂漠の乾いた風を切り裂いて、二台の狂ったマシンが再び西を目指して爆走を開始する。
次なる試練と、俺たちの助手席に乗ってしまった哀れな同乗者たち(パットとボブ)の運命は、まだ誰にも分からないのだった。




