第十七話:鬼怒川の夜としゃもじの制裁、あるいはクラタが立った日
一九八二年、秋。
アメリカ西海岸のカラッとした気候と眩しい太陽を満喫した俺たちは、時差ボケと旅の疲れを癒やすため、日本の温泉街へと足を運んでいた。
行き先は、関東の奥座敷と名高い栃木県・鬼怒川温泉。
切り立った渓谷沿いに巨大な温泉ホテルが林立し、日が暮れればネオンが川面を毒々しくも華やかに照らし出す、昭和のエネルギーと欲望が渦巻く歓楽温泉街である。
「おお! ここが例の『鬼怒川温泉』というやつか! 硫黄の匂いとやらが鼻を突くが、なんとも風情があるのう!」
浴衣姿に着替えたガーベラが、客室の窓から鬼怒川の渓谷を見下ろして上機嫌に笑う。
異世界最強の賢者にして我が最愛の嫁は、浴衣の着付けこそ完璧だが、その中身から溢れ出る豪快なオーラは隠しきれていなかった。
「ああ。ロスも良かったが、やっぱり日本人には畳と温泉が一番沁みるぜ。……で、今日はせっかくの鬼怒川だ。お前にも地球の『昭和の夜の文化』ってやつを全力で体験させてやろうと思ってな」
俺がニヤリと笑うと、タイミング良く部屋の電話が鳴った。
フロントからの連絡を受け、俺は「さあ、始まるぞ」とガーベラを促し、ホテル内に用意された貸し切りの小宴会場へと向かった。
襖を開けると、そこには畳の上にずらりと並んだ豪勢な宴会料理。
青い固形燃料でコトコトと煮込まれる一人用の小鍋、カニの脚、そして無駄に巨大な木製の船に盛られた『舟盛り』の刺身。まさに昭和の慰安旅行のテンプレである。
だが、メインは料理ではない。
「お客様ぁ、お待ちしておりましたぁ♡」
黄色い声と共に現れたのは、派手な着物やドレスに身を包んだ、六人の女性たちだった。
彼女たちこそ、当時の鬼怒川を席巻していた夜の華――いわゆる『スーパーコンパニオン(ピンクコンパニオン)』のお姉さんたちである。
「ほう! これが地球の宴を彩る踊り子たちか! みな美しく、そして何やら妖気にも似た色香を放っておるな!」
「ガーベラ、今日は無礼講だ。飲んで騒ごうぜ!」
宴会が始まると、お姉さんたちは流石のプロ意識で場を盛り上げた。
リーダー格の『ミキちゃん』という姉御肌のコンパニオンが、俺とガーベラの間に座って見事な手さばきで瓶ビールを注ぐ。
「お兄さん、奥さん連れで私たちを呼ぶなんて、なかなかツウな遊び方するわねぇ。奥さんもすっごい美人! 私たち、商売あがったりになっちゃうわ」
「ふはははっ! ミキとやら、お主もなかなか良い女じゃ! さあ、飲め飲め!」
ガーベラは嫉妬するどころか、すっかりミキちゃんたちと意気投合し、まるで男衆の親分のように酒を煽り始めた。
やがて宴もたけなわとなり、コンパニオン特有の『お座敷遊び』がスタートする。野球拳や王様ゲーム的なノリで、お姉さんたちが「よいしょぉっ!」という掛け声と共に、着物やドレスを脱いで半裸やシースルー姿になっていく。
カセットテープのカラオケ機から大音量で流れる昭和の歌謡曲。飛び交う黄色い歓声。酒と熱気。
まさにバカみたいに騒いで、バカみたいに飲む、最高に頭の悪い(褒め言葉)昭和の宴会だった。
――ピシャァァンッ!!
だが、その最高潮の盛り上がりは、突如として乱暴に開けられた襖の音によって断ち切られた。
「……おうおうおう。さっきからドンチャンドンチャン、やかましいんじゃボケェ!」
大広間とを隔てる襖の向こう側に立っていたのは、パンチパーマや坊主頭の、いかにも『そっちの筋』の男たちだった。
隣の巨大な宴会場では、ヤクザの団体が慰安旅行の宴会を開いていたらしい。
しかし、何故か彼らの部屋にはコンパニオンの姿がなく、男たちだけで静かに、まるでお通夜のように酒を飲んでいたのだ。
「こっちの親分が静かに飲んでるっつーのに、隣で女呼んでバカ騒ぎしやがって……! ぶっ殺されてぇのかコラァ!」
柄の悪いチンピラの一人が、ツカツカと俺たちの部屋に上がり込んでくる。
「あ? なんだお前ら。こっちは金払って正規のサービス受けて楽しんでんだ。文句があるなら壁の薄いホテルに言えよ」
俺が面倒くさそうに言い放つと、チンピラは青筋を立てて凄んだ。
「舐めた口きいてんじゃねえぞ素人が! ……ん?」
チンピラの濁った視線が、俺の隣で酒杯を持ったまま座っているガーベラに向いた。
「おいおい……なんだ、この女。コンパニオンよりずっと極上じゃねえか。おい姉ちゃん、いい女だな。こっちの大広間に来て、うちの親分の酌をしろや」
チンピラがガーベラの腕を掴もうと手を伸ばした、その時だった。
「あ、あの! お客様!」
半裸に近い姿のミキちゃんが、俺たちを庇うようにサッと前に立ち塞がったのだ。
彼女は深く頭を下げ、必死の作り笑顔でチンピラに懇願した。
「本当に申し訳ありません、うるさくしてしまって……! 私たちが隣のお部屋にお詫びに行き、親分さんに精一杯のサービスを頑張らせていただきますから……どうか、こちらのお客様には……!」
ヤクザの恐ろしさを知っているだろうに、プロとして、そして一緒に酒を飲んだ仲間として、客である俺たちを守ろうとしてくれたのだ。
その心意気に、俺は少し胸が熱くなった。
「あぁん? うるせぇんだよ中古の便器が!!」
パシィィィィィンッ!!!
無情な破裂音が、部屋に響き渡った。
チンピラは容赦なくミキちゃんの頬を平手打ちし、彼女はたまらず畳の上へと崩れ落ちた。
「きゃあっ!」
「ミキちゃん!」
他のコンパニオンたちが悲鳴を上げて駆け寄る。
ミキちゃんの白粉を塗った頬には、赤々と生々しい手形が浮かび上がっていた。
「…………」
「…………」
その瞬間。
俺とガーベラの中で、完全に『スイッチ』が入った。
異世界の理不尽な魔物より、裏社会のマフィアより、今ここで女の顔を張ったこの三流のゴミクズに対して、明確な殺意と怒りが沸点に達した。
「おいチンピラ」
俺は、絶対零度の声で呼びかけた。
「あ? なんだテメ――」
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
チンピラの言葉が最後まで紡がれることはなかった。
俺のオーガの力による前蹴りが腹部に直撃し、男の身体は襖を突き破り、隣のヤクザの大広間の中央までボールのように吹っ飛んでいった。
「な、なんだァ!?」
「て、テメェら、うちの若い衆に何さらしやがった!!」
隣の部屋で飲んでいた三十人近いヤクザたちが、一斉に立ち上がり、ドスやビール瓶を手にこちらへ向かってくる。
だが、彼らの相手は俺ではない。
「……よくも、わしの可愛い飲み友達の顔に傷をつけてくれたな」
地獄の底から響くような声と共に、ガーベラがゆっくりと立ち上がった。
彼女の手には、いつの間にかヤクザの大広間の床の間に飾られていた、商売繁盛を祈願する『巨大な木製のしゃもじ』が握られていた。
「全員、生きて帰れると思うなよ……ッ!!」
そこからの光景は、もはや一方的な蹂躙、いや、ただのギャグのような凄惨な暴力であった。
「バチィィィンッ!!」
「ぎゃあっ!?」
「バチィィィンッ!!」
「あべばっ!?」
ガーベラは常人には視認できない神速のステップでヤクザたちの間をすり抜けながら、巨大しゃもじで次々とヤクザたちの顔面や全身を容赦なくフルスイングで叩いていく。
それと同時に、すれ違いざまに彼らのパンチパーマや角刈りの『髪の毛』を、素手で根こそぎブチブチブチィッ! と引き抜いていくという謎の器用さまで発揮していた。
「ひぃぃぃっ! は、ハゲにされたぁぁぁっ!?」
「悪魔だ! この女、悪魔――バチィィィンッ!!」
巨大しゃもじの乱れ打ちと、強制脱毛の嵐。
ものの三十秒で、大広間にいた三十人のヤクザたちは全員が頭をツルツルにされ、しゃもじで叩かれた顔を真っ赤に腫らしながら、ピクピクと虫の息で畳の上に転がっていた。
「……さて」
俺は、ミキちゃんを平手打ちしたあのチンピラ(すでにガーベラに髪を全部毟られ、顔面をしゃもじでひしゃげさせられている)の胸ぐらを掴んで引きずり起こした。
そして、ヤクザたちの部屋にあった無駄にデカい『舟盛りの船』から刺身を払い落とし、その船の甲板部分に、帯やコードを使ってチンピラをガチガチに縛り付けた。
「な、なにをする気だ……ッ!?」
「川下りだよ」
俺は大広間の窓をガラリと開け放つと、眼下に広がる真っ暗な鬼怒川の流れに向けて、船ごとチンピラを放り投げた。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁ――ポイィィィンッ(水音)」
しばらくして、川面をプカプカと流れていく船とチンピラの姿が確認できた。
「おー、立派に浮かぶじゃん。お前、そのまま太平洋まで出てアメリカにでも行けよ。ボン・ボヤージュ!」
俺が窓から笑って手を振ると、背後で転がっているヤクザたちがヒィッと恐怖に慄き、一斉に後ずさった。
「さーて」
俺はパンパンと手を払い、部屋の奥で震えている初老の男――この組の親分らしい男――を見下ろした。
「お前らのせいで、こっちの楽しい宴会にケチがついた。……やり直しだ。払いは全部そっち持ちな」
「は、はいぃぃっ! おっしゃる通りにさせていただきますぅぅ!」
ツルツルの頭を畳に擦り付けて土下座する親分。
俺は呆然としているミキちゃんたちに向かってウインクした。
「ミキちゃん! このホテルで今空いてるコンパニオンの娘、仲間全員呼んでくれ! この親分のおごりだってさ!」
「えっ!? あ、はいっ!」
「おい親分、文句あるか?」
「ん? 何か聞こえたかな?」
「い、いえっ! 何でもございませんっ! おいお前ら、お姉さんたちが来るんだから、さっさとその辺を片付けろ!!」
親分の怒声で、虫の息だったヤクザたちが半泣きになりながら猛スピードで散乱した皿やしゃもじを片付け始める。
「ふはははっ! さあお前ら、今日は無礼講じゃ! 先ほどの非礼は水に流してやるゆえ、とにかく楽しく飲め!」
ガーベラが上座にどっかりと座り、音頭をとる。
十分後には、ホテル中のコンパニオン三十人以上が大広間に集結し、ハゲ頭のヤクザたちと入り乱れての、前代未聞の大宴会が幕を開けたのだった。
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カラオケが大音量で響き、半裸のコンパニオンとヤクザたちが踊り狂うカオスな宴会の中。
俺は、隣で小さくなってウーロン茶を飲んでいる親分の倉田に酒を注ぎながら、ふと疑問を口にした。
「なあ親分。なんでこんな鬼怒川のど真ん中で、コンパニオンも呼ばずに野郎だけでお通夜みたいな宴会してたんだ?」
「……お恥ずかしい話ですがね」
クラタ親分は、ぽつりぽつりと語り出した。
長年の不摂生がたたり、彼は重度の糖尿病を患っているらしい。そしてその合併症として、男としての機能――つまり『あっちの方』が、もう数年も全く起たなくなってしまっているのだという。
親分が女を抱けないのに、若い衆だけがコンパニオンを呼んで楽しむわけにはいかない。だから組員たちは気を遣って、あんな陰気な男だけの宴会を開いていたのだそうだ。
「なるほどなあ。まあ、義理堅い若い衆を持ったもんだ」
俺はすっかり酔っ払っていたこともあり、気分が良くなっていた。
酒も奢らせているし、さっきの制裁で気も済んだ。
「なにい。よし、今日は奢ってもらってるんだし、お詫びってわけじゃないが、俺が治してやらあ!」
俺はクラタ親分の肩にポンと手を置くと、無詠唱で高位の『治癒魔法』を発動させた。
――ピカァァァァァァァァァァァッ!!!
突如として、俺の手のひらから神々しい白銀の光が放たれ、大広間全体を十字架のように眩く照らし出した。
カラオケの音が止まり、コンパニオンもヤクザたちも、全員が目を丸くして俺の方を見つめている。
(……あっ、ヤベ。酔いすぎて加減を間違えた)
地球でこんなド派手な魔法を使えば、どう言い訳しても誤魔化しがきかない。
俺が冷や汗を流して固まっていると、すかさずガーベラが立ち上がり、両手を天に掲げて厳かに叫んだ。
「騒ぐでない!! これぞ、我が夫にして偉大なる『センセイ』様による、奇跡の御業じゃ!!」
「「「「セ、センセイ……?」」」」
咄嗟に新興宗教の教祖という設定をでっち上げたガーベラ。
俺はそれに合わせるしかなく、腕を組み、目を閉じ、いかにも『胡散臭いが凄い力を持った教祖』のように、堂々と顎を引いて深く頷いてみせた。
「う、うむ。奇跡はなされた。……そこのコンパニオンよ。親分の『親分』を、さすってみなさい」
俺が重々しく指示を出すと、近くにいた半裸のミキちゃんが恐る恐る親分の股間に手を伸ばした。
「えっ、あ、はい。……えいっ、おーきくなーれ、おーきくなーれ……」
ポンポン、とさすった、次の瞬間。
ビクンッ! と、クラタ親分の股間が、数年ぶりに意思を持ったかのように跳ねた。
そして、ズボンの生地を突き破らんばかりの勢いで、それは天を突くように雄々しく、力強く『起ち上がった』のだ。
「お、おお……! おおおおおおおッッ!!」
クラタ親分が、信じられないものを見るような目で自分の股間を見つめ、大粒の涙をこぼした。
「た、起った……! 俺の息子が、起ったぞぉぉぉぉぉっ!!」
「親分!! おめでとうございます親分!!」
一瞬の静寂の後、大広間は割れんばかりの歓喜の叫びに包まれた。
ハゲ頭のヤクザたちが次々と親分にすがりついて男泣きし、コンパニオンのお姉さんたちも感動してもらい泣きをしている。
そしてヤクザたちは、股間をテントのように膨らませたクラタ親分を担ぎ上げ、ワッショイ! ワッショイ! と涙ながらに胴上げを始めたのだ。
「起った! 起った! 親分が起った!!」
熱狂とカオスの極致。
俺は少し離れた上座で、腕を組んで目を閉じた教祖ポーズを崩さないまま、心の中でこっそりと呟いた。
(……たった、たった、クラタがたった……)
宮〇駿監督に怒られそうなフレーズを頭の中でリフレインさせながら、俺は深い深い溜め息を吐いたのだった。
かくして、親分の大盤振る舞いとなったこの狂乱の大宴会は、鬼怒川温泉の夜の伝説として、長く語り継がれることになった。
なお、舟盛りの船に縛り付けられて川に流されたチンピラは、翌日の昼頃、川の下流にある岩場に引っかかって泣いているところを無事に地元の漁協に救助されたそうである。
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次回の投稿は22日の予定です よろしくお願いいたします
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