第11話:賢者と昭和の魔宮、あるいは金魚の呪い
オーストラリアの壮大な旅から札幌のマンションへと帰還した俺たちは、しばらくの間、日本の平和な日常を謳歌していた。
そんなある日のドライブ中、ガーベラが窓の外を指差して目を輝かせた。
「太! 見るのじゃ、あの立派な城を! なぜあんなにギラギラとネオンが輝いておるのじゃ!? わし、あの日本の城を探検してみたいぞ!」
ガーベラが指差した先――そこには、中世ヨーロッパの古城を模した外観に、どぎついピンクや紫のネオン管が這う、昭和特有のド派手な『ラブホテル』がそびえ立っていた。
俺は少し戸惑いながらも、言葉を選んで説明した。
「いや、あれは城じゃなくて……その、男女が愛を深めるための特別な宿営地というか……」
「ほう! 愛を深める宿! それは素晴らしいではないか! 行くぞ太!」
かくして、異世界最強の賢者様による、昭和の魔宮巡りが幕を開けたのである。
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最初に訪れたのは、室蘭方面へ足を延ばした際に見つけたホテルだった。
通された部屋のドアを開けた瞬間、俺たちは揃って首を傾げた。
「……ふとしよ。なぜ、部屋のど真ん中に剥き出しのバスタブが鎮座しておるのじゃ? ベッドのすぐ横じゃぞ?」
「いや、俺もわからん。なんだこのシュールな空間は……」
ふと部屋の壁に掛けられた木製の銘板を見ると、『ニューヨーク』と書かれている。
その瞬間、俺の脳内で昭和のオヤジギャグがスパークした。
「あ……! わかったぞガーベラ。これ、『ニューヨーク』と『入浴』を掛けてるんだ!」
「なんとっ!?」
ガーベラは雷に打たれたような顔をして、バスタブと銘板を交互に見比べた。
「地球の宿屋は、名前からしてそんな高度な言葉遊び(ダジャレ)が隠されておるのか……! しかもそのダジャレを表現するためだけに、部屋の基本構造まで変えてしまうとは。深い……深すぎるぞ日本のラブホテル!」
なぜか感銘を受けている嫁を横目に、俺は昭和のホテルオーナーの狂気とも言える無駄な情熱に、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
続いて、他のラブホテルで浴室へ向かった時のことだ。
シャワーの横に、見慣れない形状の金色のプラスチック椅子が置かれていた。座面の中央が大きくU字にくり抜かれた、いわゆる『スケベ椅子』である。
「なんじゃこの椅子は? 随分と座り心地が悪そうじゃが、何かの儀式用かの?」
ガーベラは不思議そうに椅子を持ち上げ、様々な角度から観察し始めた。
そして数秒後。最強の賢者の圧倒的な頭脳と構造計算能力が、その椅子の『真の用途』を完璧に導き出した。
「……!!!!!!」
ガーベラはハッと息を呑み、そして俺の方へとゆっくり振り向いた。
その顔には、今まで見たこともないほど悪戯っぽくて、最高にスケベな笑みがニヤリと浮かんでいた。
「なるほど……太よ。この窪みに座れば、下からのアプローチが容易になるというわけじゃな? くっ、なんという計算し尽くされた合理的な構造じゃ……! 日本の職人は天才か!」
嬉々として用途を解説してくる嫁に、俺は顔を真っ赤にして咳払いをするしかなかった。
そして、部屋を出る時の精算システムも、当時のホテルならではの恐怖のギミックだった。
「太、お代はどうやって払うのじゃ? 誰かよぶのかの?」
「ああ、昔のホテルは顔を合わせなくて済むように『エアシューター』ってのがあるんだよ。このカプセルにお金を入れて、このパイプに入れるんだ」
俺は壁に備え付けられた透明な筒に、現金の入ったカプセルをセットした。
そしてスイッチを押した直後である。
ズゴゴゴゴ……シュウウウウウウッッ!!!!
「ひぃっ!?」
「うおっ!?」
突如として狭い空間に鳴り響いた、空気を切り裂くような凄まじい爆音。
数々の魔物との死線を潜り抜け、激しい戦場を駆け抜けてきた異世界最強の俺たち二人が、肩をビクゥッと跳ねさせて揃って後ずさった。
「な、なんじゃ今の凄まじい音は!? 敵の風魔法による奇襲か!?」
「ち、違う! ただカプセルを空気圧でフロントに飛ばしただけだ! 心臓に悪すぎるだろコレ……!」
俺たちはぜぇぜぇと息を整えながら、昭和の魔宮の恐ろしさを身を以て体感したのだった。
♦
――そして、魔宮巡りの果てに行き着いた、ある日のラブホでの出来事である。
その部屋はまさに、昭和ラブホの集大成のような空間だった。
「おおお! 太、見ろ! ベッドが回っておるぞ!」
ガーベラは全裸のまま、円形の『回転ベッド』に飛び乗り、大はしゃぎしている。
さらに彼女の視線は、天井から吊るされた謎の『穴あきブランコ』へと釘付けになった。
「なんじゃあの遊具は! わし、乗ってみるぞ!」
「おいバカ、それはそういう用途じゃ――」
俺の制止も聞かず、ガーベラは全裸でブランコに飛び乗り、ターザンのように部屋中を揺れ動き始めた。
下ではベッドがメリーゴーランドのようにゆっくりと回転し、上では嫁がブランコで宙を舞い、壁から天井にかけての全面鏡張りがそのカオスな光景を無限に反射している。
情報量が多すぎて、俺はベッドの上で目を回しそうになっていた。
ひとしきり遊具(?)で遊び疲れた後、ガーベラは部屋の隅に置かれた怪しげな自販機に目を留めた。
「太よ、これはなんじゃ? 『絶倫まむしドリンク』……?」
「ああ、それは男のための精力剤だ」
「ほうほう。では、こっちの赤い小瓶はなんじゃ? 金魚の形をしておるが……三百円?」
ガーベラが指差したのは、弁当に入っているような金魚の醤油入れだった。
パッケージには、怪しげなフォントで『早漏防止薬』と書かれている。
「あー……それはだな、男の『その時』を長持ちさせるための魔法の薬だ」
「なんと! 太の体力がさらに保つようになるのか! それは素晴らしいのじゃ! 買ってみようぞ!」
三百円を投入し、金魚の容器を手に入れるガーベラ。
俺も正直、昭和のいかがわしいラブホグッズには男としてのくだらない好奇心があった。
「まあ、話のネタに一回くらい試してみるか」と、軽い気持ちでその金魚の封を切ってしまったのだ。
それが、恐ろしいパンデミックの引き金になるとも知らずに。
ベッドの上で良いムードになり、俺はその「魔法の薬」を局所に塗布した。
ガーベラは妖艶な笑みを浮かべ、顔を近づけて濃厚なご奉仕をしてくれる。視覚的な興奮は最高潮に達し、やがて俺たちは顔を寄せ合い、燃え上がるような熱いキスを交わした。
――異変は、その直後に起きた。
「……ん? ……ふとしよ」
「……んご? どうひた(どうした)?」
なんだか、呂律が回らない。
ガーベラも、不思議そうに自分の唇を指でペタペタと触っている。
「わし……唇の感覚が、全くないのじゃが」
「ごふっ……俺も、舌が痺れて動かねぇ……!」
なんと、金魚の正体はただの『超強力な局所麻酔』だったのだ!
薬を塗布した俺の下半身はもちろん、それをご奉仕してくれたガーベラの口周り、さらにはキスを通じて俺の口内にまで、強烈な麻酔成分が蔓延してしまったのである。
お互い、完全な全裸だ。目の前には愛する妻の美しい裸体があり、視覚からの興奮で俺のモノはしっかりと戦闘態勢を維持している。
しかし、触覚が完全にログアウト(死滅)していた。
「……なぁ、ガーベラ。今、俺の……触ってるか?」
「……わからん。そっちも何も感じぬのか?」
「ああ、俺の股間が虚無だ。自分の下半身がどうなってるのか、目で確認しないとまったくわからん」
ギラギラと回る回転ベッドの上で、全裸の男女が真顔で見つめ合う。
もはやエロの欠片もない。完全に医療事故の現場である。
「看板に偽りなしじゃな。確かにこれなら、永遠に果てることはできぬわ……」
「三百円の金魚に、最強の賢者と異世界帰りが完全敗北するとはな……」
俺はたまらず、マナを練り上げて魔法を展開しようとした。
「仕方ない、魔法で『状態異常解除』をかけるぞ。これなら一瞬で麻痺も治る」
だが、ガーベラは俺の手を止め、麻痺した唇を不器用に歪めて優しく微笑んだ。
「いや、よい。そのままでよいのじゃ」
「え? でも感覚がないままだぞ?」
「ふふっ。どんな強力な魔法や魔物との戦いより、こんな三百円の薬に二人して負けたことの方が、よっぽど面白かろう?」
ガーベラは俺の首に腕を回し、嬉しそうに目を細めた。
「完璧な魔法でなんでも解決してしまうより……お主とだからこそ、こういう馬鹿げた失敗すらも愛おしいんじゃ。わしにとっては、これも最高の思い出じゃよ」
その言葉に、俺の胸がトクンと大きく鳴った。
こんなマヌケな医療事故の真っ最中だというのに、どうしようもなく愛おしさが込み上げてくる。
俺はたまらなくなって、感覚のない彼女の唇に、もう一度強く口づけをした。
「……いやー、やっぱり何も感じんのうwww」
「あはははっ! 本当だな。ただ肉がぶつかっているだけじゃんwww」
俺たちは全裸のまま抱き合い、回転するベッドの上で、腹を抱えてゲラゲラと笑い転げた。
麻酔の効果が切れるまでの数時間。俺たちはエロい事など一切できず、ただ感覚のない口でくだらない冗談を言い合いながら、この上なく幸せでアホらしい夜を過ごしたのだった。
いつも応援ありがとうございます。お知らせなんですが、28日から7月中は投稿が不安定になるかもしれません。
あのですね、娘が孫連れて里帰りしてくれるんですよ。
北海道と東京なので会うのまだ三回目でね、とにかくカワイイw
そんなわけで、7月は執筆のスケジュールがどうなるかわからないのです。
帰ったら、孫ロスを埋めるべく執筆にいそしみますのでご勘弁を




