第12章 秘密
安積親王の急死は朝廷内に衝撃をもたらした。父親の聖武天皇と母親の広刀自はもちろんのこと、姉のタカノも、祖母の宮子も、元正上皇も嘆き悲しんだ。群臣の間にも動揺が広まった。
「次の天皇はどうなるんだろう?」
いくらタカノが皇太子であるとはいえ、群臣の多くは「次の天皇は安積親王」という認識を根強く持っていたのである。
「まだ泣いてるの?」
タカノが聖武天皇の部屋を訪れると、案の定というか、いつもの通りというか、見慣れた光景というか、聖武天皇は一人でメソメソ泣いていた。こういう時、聖武天皇を励まし、元気にさせるのがタカノの役目であり、いつの間にかそういう役割分担になっていた。
「あ、タカノ、俺はもうダメだ」
「しっかりしてください、父上。安積が亡くなって悲しいのはわかりますけど、それはわたしも同じですし、おばあさまも同じですし、家族はみんな同じです」
「助けてくれ、タカノ」
「しかし、父上は天皇なのですから、いつまでも泣き悲しんでばかりいてはいけません。父上がそういう状態でいると国政に支障が生じますよ」
「俺はダメな奴なんだよ、タカノ」
「何がダメなんですか、父上?」
「せっかくご先祖さまから受け継いだ血統を、俺は自分の代で途切れさせてしまったんだ」
「天皇家の血統だったら他にもたくさん皇族がいるじゃないの」
「ダメなんだ。あいつらの血統じゃダメなんだ。ダメなんだよ」
「どうしてダメなのかわからないけど、よくよく考えてみれば血統にこだわるなんて時代遅れよね。大切なのは血統よりも人格と能力でしょう? これからは血統に関係なく、人格的に優れ、政治能力の高い有能な人物を、天皇にすべきかもしれないわね」
タカノがそう言うと、聖武天皇は激しく首を横に振った。
「違う。違う。大切なのは血統だ」
「あら、そうなの? それは残念ね」と、タカノは皮肉な笑みを浮かべたが、同時にある考えが脳裏に浮かんだ。「血統といえば、安積が亡くなった以上、わたしが皇太子でいる必要も無くなったのよね・・・わたしは安積を天皇にする為に皇太子になったのですもの・・・計画が頓挫したのですから、父上、お願いです、皇太子をやめさせてください」
「それはできん」
「なぜです? わたしが皇太子でいる理由は、もう無いじゃありませんか」
「そんなことはない」
「安積がいない今、わたしが皇太子でいる理由が、どこにあるというのですか?」
「次の天皇になってもらう為だ」
「はぁ? 今更わたしを天皇にしてどうなるの? 何か良い事があるの?」
「我らの血統の最後の天皇になってもらいたいのだ」
「何なんですか、父上がずっとこだわっている、その我らの血統というのは?」
タカノにそう訊かれた聖武天皇は「遂に話す時が来たか」と溜息をつき、周りを見回して部屋の中にタカノ以外だれもいないのを確かめてから、小声で話し始めた。
「絶対に口外しないでくれよ。俺とタカノの秘密だ」
「わかったわ」
「大昔、壬申の乱という争乱があったのは知っているな?」
「ええ、話には聞いているわ」
「天智天皇の死後、その長子の大友皇子が、皇位を継承した皇弟・天武天皇に逆心を抱き、挙兵したものの討ち取られたというのが、壬申の乱のあらましだよな?」
「うん、そうね」
「これが嘘だとしたら?」
「え、嘘?」タカノは驚いて目を丸くした。「嘘ってどういうことですか?」
「まず天智天皇と天武天皇は兄弟には違いないが、父親が異なる」
「はぁ?」
「天智天皇は舒明天皇と皇極天皇の間の子供だが、天武天皇は皇極天皇が他の男と関係して産んだ子供だ」
「他の男って誰なんですか?」
「当時の権力者・蘇我入鹿だといわれている」
「そんな・・・」
「つまり天武天皇には、そもそも皇位を継ぐ資格が無かったのだ。神武天皇から連綿と続いた男系の皇統は、天智天皇のあと途切れてしまったのだ」
「まさか」
「だから、天智天皇を継いで即位した大友皇子を倒し、天武天皇が天皇家を力づくで盗み取ったというのが、壬申の乱の真相だ。そして我々は、その天武天皇の子孫なのだ。盗っ人の子孫なのだ」
「証拠があるんですか、この話には?」
「俺はこの話を祖母の元明太上天皇さまから聞かされたんだ」聖武天皇は疲れた表情でそう言った。「タカノが三歳の時に亡くなったから憶えていないだろうけど、おまえの曽祖母だ。今の太上天皇さまの母親でもある」
今の太上天皇とは元正上皇のことである。
「祖母の元明太上天皇さまは俺を溺愛してくださった。そして俺が即位できるよう、それはもう尽力してくださった。俺は元明太上天皇さまと今の太上天皇さまを実の母以上に愛し、大切に思っている。お二人にはいくら感謝しても感謝しきれない程の恩がある」
「あ、そうなのね」
「話を戻すけど、天武天皇には息子が何人もいたが、あとを継いだのは天智天皇の娘である持統天皇との間に生まれた草壁皇子だった。その草壁皇子と結婚して、俺の父・文武天皇を産んだのが元明太上天皇さまだ。元明太上天皇さまもまた天智天皇の娘であり、持統天皇の妹だった」
「まぁ、元明太上天皇さまも天智天皇の娘・・・」
「そうなんだ。だから元明太上天皇さまはよくご存じだった、天武天皇が自分の兄・大友皇子を殺し、皇位を簒奪した事実を」
「復讐を考えなかったの?」
「うん。世の大勢は天武天皇の御世に固まりつつあるのに、今更それをひっくり返そうとしたら、せっかく戻った平穏な日々を失い、再び人々を戦禍で苦しめることになるし、しかもご自身は天武天皇の息子・草壁皇子の正室であり、草壁皇子をとても愛していらっしゃったので、元明太上天皇さまは現状を受け入れる道を選択なされたのだ」
「なるほど」
「しかし、元明太上天皇さまの頭の中には、あくまでも正統なのは天智天皇の血統であり、天武天皇の血統は偽物という考えがおありになった」
「そうでしょうね」
「天武天皇の御世は、もはや動かせない。ただ、その中にあっても文武天皇は、持統天皇と元明太上天皇さまから二重に天智天皇の血を受け継いでいる。天智天皇の血が濃く流れる文武天皇の血統ならギリギリ許せる、何とか許容できる・・・元明太上天皇さまはそうお考えになったのだ」
「一種の妥協案ね」
「妥協案には違いないけど、当時の状況下では、それが天智天皇の娘として出来る最大限だったのだ。それゆえにこそ元明太上天皇さまは文武天皇の血統を必死に守ろうとなされた。ところが、頓馬なこの俺がそれを途絶えさせてしまったのだ・・・」
「まだわからないじゃないの。これから父上に男の子供ができるかもしれないわよ」
「いいや」と、聖武天皇は首を横に振った。「俺にはもう子供ができない」
「それならきっぱりと諦めて、天智天皇の子孫に皇位をお返しすれば? いらっしゃるのでしょう、子孫の皇族が?」
「それも出来ん」
「なぜに?」
「大前提として俺たちは天武天皇の子孫だ。たとえ盗み取ったものであっても、せっかく天武天皇が子孫に与えてくれた皇位を、簡単に明け渡せば祖先への不忠となる。また、苦労して守り抜いてきた元明太上天皇さまと今の太上天皇さまに申し訳が立たない」
「それじゃどうすんのよ?」
「俺とタカノで出来るだけ長く皇位を守り続けるしかない。少なくとも今の太上天皇さまが存命の間は。それが俺たちにやれる精いっぱいの恩返しだ」
「いつの間にかわたしも仲間にされているんですけど」
「俺とタカノは一蓮托生だ。すまないが我らの呪われた血統を守るのに協力してくれ」
「そんな」
「その代わり、すべてをタカノに託す。俺と今の太上天皇さまが死んだ後は、誰に皇位を譲っても構わない。おまえの自由にしろ」
「えええ?」
「もちろんタカノ自身が男子を産み、その子に皇位を継がせても良い。そういう相手が見つかれば良いがな」




