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第11章 安積親王

 行基(ぎょうき)という僧がいる。元は薬師寺で法相宗(ほっそうしゅう)を学んでいた。当時は朝廷が僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた国家仏教の時代だったので、行基も道場にこもって学問と修行に励んでいた。そんな行基の心の中に、やがてじわじわと疑問が忍び込んできた。

(仏教とは本来この世の弱者を救う為のものではないのか? いくら寺に籠って学問をし、修行を積んでも、今のままでは世の中の人々を救うことにつながらない)

 行基は寺を飛び出し、民衆に対して仏教を直接布教し始めた。国禁を破る犯罪であるが、自分は正しい行いをしているという自信があった行基は、臆することなく近畿地方を中心とした各地で精力的に布教を続けた。布教と同時に、溜め池や橋、困窮者救済施設の造営など数々の慈善活動もおこなった。そのため、たびたび国から弾圧を受けたにもかかわらず、行基は民衆の間で爆発的な人気を呼び、大勢の人間が彼を慕って集ってきた。朝廷は日本初の民間慈善団体と呼べる行基と彼に従う集団を無視できなくなり、遂に天平三(731)年八月、

「行基法師に随行する修験者で法を守る者に限り、男は六十一歳以上、女は五十五歳以上の者を僧尼と認める」

 という通達を出した。これにより行基たちは単なる私度僧(しどそう)から国が公認する法師に変わったのである。この後も行基は各地で布教と慈善活動に励んでいる。

「行基上人に助けてもらえば良いわ」

 恭仁京(くにきょう)の他に紫香楽(しがらき)村の開発も行い、膨大な出費を批判され始めた頃、聖武天皇(しょうむてんのう)にそう進言したのは、光明皇后(こうみょうこうごう)と藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)である。

「行基? ああ、あの殊勝な坊さんか」

 聖武天皇が昔の事を思いだそうとして目を細めると、光明皇后がこう説明した。

「兄たちがまだ存命していた時でした、陛下が行基上人を公認なさったのは」

 兄たちというのは天平九(737)年に天然痘で相次いで亡くなった藤原四兄弟のことである。続いて仲麻呂が補足した。

「行基上人には弟子が大勢おりますし、組織力と民衆からの絶大な支持を有しておりますので、味方につければ大仏の完成がグッと近づくことは間違いありませんよ」

「本当か?」

「本当ですって。ねえ、皇后さま」

 そう言って仲麻呂が顔を向けると、光明皇后は「はい」と笑顔で頷いた。この叔母と甥は妙に仲良しだった。

「しかし、行基は協力してくれるだろうか? あの先生は橋や池のような生活にすぐ役立つ物を作ることには熱心でも、大仏のような即効性の無いものには興味なさそうだけどなぁ・・・」

 聖武天皇が首を傾げてそう呟くと、すかさず仲麻呂が言った。

「盧遮那仏(るしゃなぶつ)に対する陛下の真摯な愛と情熱を知れば、きっと行基上人も賛同してくださるものと信じます」

 天平十三(741)年三月、恭仁京の郊外にある古ぼけた寺院で聖武天皇は行基と会見した。初めて目にする行基は小柄で痩せており、日々の慈善活動のせいで真っ黒に日焼けし、顔の皮がところどころ剥けていた。このとき七十三歳だったが、精悍な顔つきをしており、いかにも意志が強そうな面構えで、とても老人には思えなかった。聖武天皇は、自らが思い描く仏教国家の理想を、その象徴である大仏の重要性を、長々と、熱く、魂をぶつけるような勢いで語った。聖武天皇の狂気を孕んだ熱意に行基は些か面喰ったが、少なくとも仏教への信頼の強さ、真面目な信仰態度、社会を良くしたいという一途な思いは本物であると感じたので協力を快諾し、さっそく弟子を全国へ派遣して大仏造立の為の寄付集めを開始させた。聖武天皇は感謝のしるしに、天平十七(745)年、行基を日本初の大僧正に任命している。

 光明皇后と藤原仲麻呂が聖武天皇に行基を引き合わせたのは大仏造りに役立つと考えたからであるが、実はもう一つ秘めた意図があり、それは玄昉(げんぼう)の排除であった。聖武天皇の生母・宮子(みやこ)を正気に戻した功績で政権の中枢に入り込んだ玄昉は、国分寺の建立や大仏の造営など聖武天皇の片腕として仏教国家政策を主導してきたが、このところ権力を手にしたことによる横暴さが目に余るようになっていた。噂では便宜を図ってやる見返りに多額の賄賂を受け取り、出家の身でありながら自分の屋敷で毎夜のように複数の美女と酒池肉林の宴を開いているという話だった。行基を迎え入れることにより、玄昉の影響力を相対的に下げ、いずれ政権から追い出そうというのが、仲麻呂の魂胆だった。

 玄昉の秘儀で正気に戻った後、長い間の隠遁生活と加齢で体がすっかり弱っていた宮子は、少しずつ体を動かして回復に努めていたが、そんな宮子のもとへはタカノがしばしば訪れ、話し相手になったり、一緒に散歩したりして、回復の手助けをしていた。たまにタカノは安積親王(あさかしんのう)を同行した。十六歳になった安積親王にとっては、仲の良い同世代の友人である橘諸兄(たちばなのもろえ)の息子・奈良麻呂(ならまろ)や、大伴旅人(おおとものたびと)の息子・家持(やかもち)たちと馬で遠乗りをしたり、川で泳いだりして遊びたいのに、線香臭い年寄りの部屋へ連れて行かれるのは迷惑な話だったが、「おばあさまのたっての希望だから」とタカノに言われ、不承不承ついて来た。実際、宮子は安積親王に会いたがった。おそらく自分が知らない息子の少年時代、すなわち聖武天皇の少年時代の面影を、安積親王に見る思いがしたからであろう。

「姉上、挨拶だけしたら、俺はすぐに帰りますからね」

 宮子の部屋へ向かう途中、安積親王がそう言うと、横を歩いていたタカノは、自分より背が高くなった弟を見上げて「毎回同じことを言うのね」と笑った。

「我慢して、しばらく付き合ってあげなさいよ、おばあさまはあなたのことが好きなんだから」

「好きと言われてもなぁ・・・俺は年寄りが苦手だし・・・」

「おばあさまはずっと病気で寝ていらして、とても可哀想な方なのですから、労わってあげなければいけませんよ」

「別におばあさまが嫌いなわけじゃないけど・・・ただ、つまんないというか、友達と遊びに行きたいというか・・・」

「将来、天皇になる為の修行だと思えば辛抱できるでしょう? 天皇になったら、様々な人の話を聞いてあげなければならないのだから」

「天皇になるのは姉上でしょう?」

 そう言われたタカノは安積親王の方へ顔を向け、真剣な眼差しで答えた。

「父上も、わたしも、あなたを天皇にする為に生きているのよ」

「ええ?」

「これは本当。嘘は無いわ」

 タカノと安積親王という二人の孫の顔を見るや、宮子は子供のようにはしゃいだ。三人はお茶を飲みながらたわいもない話をして楽しい時間を過ごした。安積親王は笑みを絶やさぬよう注意しながら、神妙に話を合わせていた。タカノは(そうそう、それで良いのよ)という目配せを安積親王に送った。

 橘諸兄から恭仁京(くにきょう)か紫香楽(しがらき)の二者択一を迫られた聖武天皇は、大仏を諦めきれなくて恭仁京を放棄したものの、心の中には鬱屈したものが溜まっていた。その鬱屈は次第に仕返しとか嫌がらせとか、そういうどす黒い欲望と体内で混ざり合い、薄汚く発酵し、やがて支離滅裂な行動となって噴出した。天平十六(744)正月、とつぜん聖武天皇が群臣に向かって、

「恭仁京か難波京(なにわきょう)の、どちらを都にするか選べ!」

 と言い出したのである。

(はぁ? 難波京? 突然なに言ってんの? ついこの間まで恭仁京か紫香楽京で揉めていたんじゃないの? それがいきなり難波京? わけがわかんないよ。それじゃ再び遷都する気なの? この財政難の折に? いったい何を考えているんだ、このバカは?)

 突然の不穏な発表に群臣たちは混乱し、大騒ぎになったが、意見は一致していた。

(せっかく恭仁京を作りかけたところなのに、それを無にして新たに難波京? そんなのダメに決まってるだろうが)

 群臣の総意は恭仁京を選んだが、聖武天皇はそれを無視して逃げるように難波へ向かった。

(そんなら最初から俺たちに聞くなよ!)

 自分勝手な聖武天皇の行動に群臣たちは腹を立てたり呆れたりしていたが、その天罰が下ったのか、難波へ向かった聖武天皇を大きな不幸が襲った。同行していた安積親王が急に体調を悪くし、途中で恭仁京へ引き返したのだが、そのまま恭仁京で亡くなったのである。死因は脚気と思われる。享年十七歳であった。

 大急ぎで恭仁京に舞い戻った聖武天皇は、安積親王の遺体と対面して泣き崩れた。

「どうしてなんだよ。あんなに元気だったじゃないかよ。それなのに、どうして俺より先に逝っちゃったんだよ」

 タカノも聖武天皇と一緒に泣いた。腹違いの可愛い弟の死を悲しんでおいおい泣いた。

 なお、『万葉集』には、親しい間柄だった大伴家持が、安積親王の急逝を悼んで詠んだ挽歌が載っている。

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