第10章 恭仁京
恭仁京は新しい都になったものの、まだまだ開発途上の状態であり、新たな宮城である恭仁宮には、周りを囲む塀さえ出来ていなかったし、都の中も建物がまばらに建っている程度だった。しかし、理想の仏教国家建設に燃えている聖武天皇は、そんな事を気にする様子はさらさら無く、さっそく天平十三(741)年二月、国分寺建立の詔を発布した。これは玄昉の献策によるもので、全国に国分寺を建立し、そこを基点に仏教思想を広めるという、まさに聖武天皇の夢を具現化した政策であった。
平城京の大極殿を解体して移築する等、聖武天皇は恭仁京の造営に邁進していたが、同時に大仏殿を建てる予定の紫香楽村の開発も進めさせていた。こちらは山を削ったり、新しい道を通したりと困難を極めたが、聖武天皇は断固たる決意で実行させた。
タカノは新しい都が日に日に出来上がっていくのを眺めながら暮らしている。貴族の中には住み慣れた平城京を離れたがらない者も多かったが、橘諸兄を始め朝廷の首脳陣は恭仁京へ移ってきていたし、皇太子であるタカノも当然ながら移住していた。さらにタカノが皇太子にさせられる原因となった安積親王もちゃんと来ていた。安積親王は十三歳。活発な少年となり、タカノのことを「姉上」と呼んで慕っていた。タカノの方もこの腹違いの弟を可愛がり、しばしば一緒に恭仁京を散策し、建設途中の建物を二人で興味深げに観察していた。
安積親王には、異母姉であるタカノの他に、伊勢神宮の斎王になった井上内親王という同母姉がいるが、実はもうひとり不破内親王という同母姉がいた。タカノにとっては異母妹になる。不破内親王は天然痘で亡くなった新田部親王の長男・塩焼王の正室になっていた。塩焼王は皇親勢力の重鎮であった新田部親王の息子だし、娘婿にあたるので、聖武天皇に可愛がられ、平城京から恭仁京への行幸の際も、天皇の御輿の前を進む一隊を指揮する御前次第司長官という重要な役職を務めていた程だった。ただ、この塩焼王はかなりの色男で、生来の女好きであったらしい。内裏の女官たちに次々と手をつけ、淫らな関係を持っていたのが、聖武天皇にバレた。
「何と汚らわしい奴だ」
聖武天皇はもともと女性には淡泊な方だったし、潔癖症の気もあったので、理想の仏教国家を作ろうとし始めた矢先に、自分の身内が反道徳的で退廃的な行為をおこなっていたというのは、公衆の面前で顔に泥を塗られたような侮辱であり、黙っていられるわけがない。激怒した聖武天皇はただちに塩焼王と女官たちを流罪に処した。
塩焼王事件の反動で仏教への帰依をなお一層強めた聖武天皇は、何度も紫香楽へ足を運んだ。大仏を待ち望んでいたのである。この穢れた世の中を救えるのは大仏の力しかない、と、聖武天皇は本気で信じていた。その為に早く大仏造立に着手したかったが、何しろ人里離れた山の中であるから工事は難航した。焦りの気持ちが聖武天皇を何度も紫香楽へ向かわせた。
元正上皇は長屋王の変のあと気鬱になり、聖武天皇と疎遠になっていたが、天平九(737)年に藤原四兄弟が天然痘で亡くなるや俄かに機嫌が良くなり、再び良好な関係に戻って恭仁京に移り住んでいた。その元正上皇に披露する舞いの練習に、このところタカノは明け暮れている。例によって聖武天皇から頼まれたのである。
「なぁ、頼むよ。タカノだけが頼りなんだ。五節舞を舞ってくれよ」
「人前で舞うのはちょっと・・・」
「そう言わずにさ」
「わたしも、もう二十六歳ですし」
「二十六? あれ、そうだったっけ? 俺にはどう見ても十六歳にしか見えんぞ」
「見え透いたお世辞はやめてください」
「お世辞じゃないよ。タカノは本当に若々しくて美しい。太上天皇さまもそうおっしゃっているし、タカノの五節舞を楽しみにしてくださっているのだぞ」
元正上皇が楽しみにしていると聞くと、タカノは断れなかった。
天平十五(743)年五月五日、恭仁宮で端午の節会がおこなわれ、聖武天皇、元正上皇、安積親王、そして橘諸兄ら重臣たちが見守る中、舞台に立ったタカノは五節舞を舞った。十六歳に見えるかどうかはともかく、聖武天皇が言うように美しいタカノは舞台映えし、その優美な舞いは見る者を魅了した。元正上皇は大喜びし、聖武天皇も満足そうな笑顔を見せていた。五節舞は五穀豊穣を願う田舞が元になっており、天武天皇が宮廷に取り入れたものである。それゆえ、聖武天皇が皇太子であるタカノに五節舞を舞わせた狙いは、たとえ女性であってもタカノは天武天皇の正統な後継者であり、次の天皇になれる資格者である、と広く天下に示す為であった。聖武天皇のこの目論見は、みごと成功したようである。「女が皇太子?」そういう陰口を叩く不埒者が結構いたが、これ以降はめっきり少なくなったから。五節舞をタカノに舞わせるという趣向を聖武天皇に進言した下道真備は二階級の昇進をした。また、橘諸兄は左大臣に昇進した。
同年五月二十七日、有名な墾田永年私財法が発布された。こうでもしなければ新田開発が進まなかったわけだが、これにより律令国家の公地公民制は崩壊し、各地に荘園と呼ばれる私有地ができ、荘園を守る役目の武士階級が生まれるようになる。
新しいおもちゃに夢中になっている子供のように大仏造立にご執心の聖武天皇は、恭仁京という新都を建設中だというのに、恭仁京を留守にしては紫香楽へ行き、遂には紫香楽宮という離宮まで造って、そこに居続ける有様であった。これではまるで新都を同時に二つ建設しているようなものであり、しかもこのさき大仏まで造るとなると、どれほど莫大な費用が必要になるか想像もつかなかった。
「このままでは我が国の財政は破綻いたします」
危機感を抱いた左大臣・橘諸兄は大仏造立を諦めるよう進言したが、聖武天皇は頑として拒否した。
「それなら恭仁京か紫香楽のどちらかをお捨てください」
二者択一を迫られた聖武天皇は苦々しい表情で「恭仁京を捨てる」と答えた。大仏はどうしても諦められなかったのである。ただちに恭仁京の造営工事は停止された。今や聖武天皇は国を滅ぼしかねない厄介者であり、有力貴族や寺社勢力がここぞとばかりに「大仏造立をやめろ」「都を平城京に戻せ」と責めたてたので、深く落ち込んだ聖武天皇は自室に引きこもった。タカノが心配して様子を見に行くと、聖武天皇は虚ろな眼差しで「みんなが俺をいじめる。俺はみんなから嫌われている」と呟いていた。
「しっかりしてください、父上」
そう声をかけられた聖武天皇はタカノの方を向き、涙目になって、「おお、タカノ。俺はもうダメだ。ダメなんだよ」とすがりついてきた。
「何がダメなのですか?」
「俺はみんなから愛想を尽かされた。もはや誰も俺の言う事に従おうとしない。まさに四面楚歌というやつだ」
「それは父上が悪いのでしょう? 湯水のようにお金をつかって、国の財政を危機的状況にしたのだから」
「でも、大仏は必要なのだよ、理想の仏教国家建設の為には」
「理想を追い求めるのも良いけど、少しは現実的にならなくちゃね。国があってこその天皇なのよ。現在の国力をちゃんと計算して、何事もその範囲内でやらなくてはいけないわ」
「誰も俺の芸術的感性をわかってくれない」
「はいはい、お馴染みの芸術うんぬんの話はもういいですから。父上は夢を追いかける芸術家ではないのよ。現実問題に対処する政治家なのよ。この国の君主なのよ。まずは人々の現実の生活を良くする事を考えるべきじゃないの?」
「生活か・・・厄介で鬱陶しいな、生活ってやつは・・・」
「贅沢な事ばかり言ってるとバチが当たるわよ。世の中の人々は、お気楽な父上と違って、生活の為に汗水流して働いているのだから」
「そんな事は知ってるよ」聖武天皇は開き直ってそう言った。「俺だって農家の息子に生まれていたら、今頃は畑仕事に精を出していただろうさ。文句があるのなら最初から俺を天皇家なんかに授けなければ良かったんだ。俺を天皇家に生まれさせておいて、あれはダメ、これはダメじゃ自分勝手すぎるだろう」
「・・・あの、父上、それ誰に向かって文句を言っているのですか?」
「いや、天とか神とか、そういう・・・」
「とにかく」タカノはぴしゃりと話を遮った。「しっかり反省して、今後は無駄遣いを止め、国の人々が何不自由なく幸せに暮らせるような、そんな良い治世を実現させてくださいね、父上」
このように皇太子のタカノからも、左大臣の橘諸兄からも、その他大勢の人からも批判され、反省を促された聖武天皇であったが、一人だけ
「陛下は間違っておりません。大仏はこの国に必要です」
そう囁いてすり寄ってきた男がいた。天然痘で亡くなった藤原武智麻呂の次男・藤原仲麻呂である。このとき三十七歳。武智麻呂の息子では長男の藤原豊成が既に参議となり、中納言に任じられていたが、豊成は真面目だけが取り柄の極めて凡庸な男だった。それに比べて弟の仲麻呂は幼少の頃より利発で目先が利いたので、光明皇后に早くから目をかけられていたというのは、以前書いた通りである。また、背がスラリと高く、端正な顔立ちの二枚目なので、少女時代のタカノが淡い恋心を抱いたことがあったというのも、以前書いた通りである。光明皇后と聖武天皇に気に入られた仲麻呂は出世の階段を上り始めようとしていた。




